Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

妙高山が見てござる

妙高山が見てござる」というフレーズがある。私の記憶では上越市内のJ中に勤務していた時期に聞いた記憶がある。部活動の壮行会で男子バスケット部が決意表明の際の恒例のパフォーマンスで口上の最後に、例えば「力の限りがんばります。妙高山が見てござる」というようだった。
このフレーズは「お天道様が見てござる」のもじり、転用である事は誰にも理解されると思います。「富士山が見てござる」「亡き◯◯が見てござる」でも同じ意味となると思われます。これは一つのメタ認知で、学力の学力の一つと言えるものです。
 このフレーズが、この度のスタジオゼロの企画展のテーマとなっています。企画者の東條麗子さんの呼びかけの言葉では下記の画像を参照。

この出題にまともに答えるのは禅の公案に答えるのようで、本当はかなり難しいです。テレビ学問ですが「薬缶の中に五重塔を立てよ」などが公案例にあったように思います。
スタジオゼロではこれまでの10年間以上の活動の過程で頻繁に企画され、その都度沢山の参加者が集っていました。そのことで自作をつくるのに苦労した記憶はあるのですが、他の作品に感動したことはあまり思い出せません。かつ、企画者は出題はするのですが出品作の批評やシェアリングの機会、展覧会自体の記録もほとんど作成されていないので。「やりっぱなし」となり、その事の成果は忘却の彼方へ去って行ってしまってきたという事です。せめて、自分の意味の文脈の中に意味として蓄積をしたいと考えつつ参加して来ていました。
突然ですが、今回の出品構想は本日、食器洗いをしていてひらめきました。これから必要なオブジェを買い求めに行って来ます。作品は会期が始まってからブログに掲載します。タイトルは「見立ての手法」とする予定。「連想的文脈」ダジャレっぽい作品です。


 本日は寒さが逆戻り。それから昨日は午後2時から釣り。釣果は5匹。近隣の釣り場所で名人が一人いました。その人は私と同じ時間に釣り場に入り、10人くらいの中でただ一人30匹以上釣り上げていました。ほとんど同じポイントで釣りをしていた隣りの人にはなぜか一匹もかかっていませんでした。これは本当です。釣れる、釣れないには、それなりの釣り方の違いがありました。その事を昨日学びました。釣りは魚との知恵比べの要素があると思いました。次は、昨日の学習を生かします。