Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

堀川紀夫の美術活動ブログスタート

記念すべきブログの1ページである。
1967年の新潟現代美術家集団GUNの結成に参加し、前衛美術を目指して40年が過ぎた.最新の活動を紹介することから始め、原点へ遡上するようこれまでの制作の歩みを紹介していきたい.

最新のプロジェクトの紹介です。
越後妻有・雪アート/「夢の大ぞり」プロジェクト09(2月21日〜22日)
私も乗せてもらいました。手前に写っている青いヤッケは同じ新潟ユニットの藤井芳則さん。

皆で力を合わせて引きます。上に乗ってみると、これまでに経験のない快感があります。

夢の大ゾリ改修について(提案したイメージ)

1 大ソリ本体は昨年のままで使用する.ワックスは塗り直す.
2 しめ縄と飾りのワラは取り替える。しめ縄は少し太めに.
3 上に乗せる2人乗りの小ソリを取り外し、新たに丸太を乗せる.
4 前飾りを太陽(鏡)と翼のイメージにし.背もたれを扇形のデザインにする。

4 扇形には赤でNAKASATOをプリントする。
5 扇形はと前飾りは上越で作り、高橋さんに2月1週までに届ける。
                    2009.2.3  堀川紀夫



次の日は快晴。前飾りを青空用の円鏡に替えて記念撮影。

昨年の最初のソリや雪アートについては下記のWebアルバムでご覧いただけます。
http://picasaweb.google.co.jp/horikawa62/21617#

これは今年の小ぞりプロジェクト。
自作のそりに娘と孫を乗せて数分間滑らせました。一時のかけがえのない至福の時間でした。ワイフが撮影してくれた貴重な写真。

もう一つの小ぞりの新作。予想通りの大人気で、子ども達自ら動かして遊んでくれました。

越後妻有・雪アート09/地上絵「大蛇の降臨」プロジェクト

妻有中里雪アート09/雪上絵
「大蛇の降臨」プロジェクト
1,コンセプト
七つ釜の淵に棲む大蛇が冬真っ最中に里に下りてとぐろを巻く。村人、アーチストたち皆集いて、力を合わせその姿を大絵画に留めよう。
2,制作手順(毎年同じ方法で継続)
(1)地域の会議で原イメージの描き手を決める.
(例えば、各集落順に。あるいは神主様から)
(2)墨の一筆書きで大蛇を描く。(原イメージ)
(3)そのイメージに従って、所定の田んぼにブルドーザで大蛇を線描する。
(4)全員で消雪剤を播いて大蛇の目と鱗などを描く.
(5)少し高い位置から眺めて完成を祝う。(祝杯)
(6)雪消えに伴って姿を変える大蛇のすがたを楽しむ。
(7)雪が消えて、春が来て大蛇は七ツ釜に帰っていく。
3,その他
(1)昨年同様にお立ち台を設置する。
(2)毎年同じ大蛇をテーマに描く。(しかし毎年同じ絵にはならない。)
(3)大蛇の雪上絵を中里の雪祭りの名物と位置付ける

提案したイメージです。フォトショップで描きました.

作家と地元スタッフを合わせて15人の恊働作業でした.前日におおよそのラインをカンジキで踏んで見当を付けておいたところに20cmくらいの降雪が在り、雪上絵としては絶好のコンデションでした。
融雪剤を40袋くらい使って、描きました.

なかさとの伝説  七つ釜

いまから二百三十年ほどむかしの話です。
 水沢村の馬場に、庄屋を勤めている太田新右衛門という豪傑がいました。肝っ玉がふとく、十人力の力をもち、鉄砲うちの名人で、魚や鳥や獣をとるのが好きでした。新右衛門はある日、綱と銃砲をかついで倉俣の釜川の上流にある田代の七つ釜へやってきました。柱のような形をした岩がそそり立ち、大木がこんもりとかぶさって七つ釜は昼で も夕暮れのようです。その上滝シブキがモヤのように立ちこめ、無気味な静けさをただよわせているのでめったに近づく人もありません。むかしから、ここには大蛇のヌシが住んでいるといわれ漁をする人がいないので、滝ツボには 魚がたくさん泳いでいます。
 豪胆な新右衛門は、人の恐れる一番滝へのぼって、そこにまつられている弁天さまに、
 「どうかひと綱だけ新右衛門に魚をさずけて下さい」と、お願いして、滝ツボめがけてパッと綱を投げ入れました。
 すると、綱に入りきれないほど沢山の魚がとれました。よろこんだ新右衛門は、弁天さまにひと綱だけと約束したことを忘れて、もうひと綱とろうと、今度は無断で網を投げ込みました。
 綱を引きあげようとしたところが、グッと強い力におさえられてどうしても引きあげることができません。
 これはきっと七つ釜のヌシのしわざに違いない。よし、それならばと、そばに置いた鉄砲をとりあげ、滝ツボめが けて、ドンと一発打込みました。
 すると、滝ツボのモヤが急に暗くなり、今まで晴れ渡っていた空が、にわかにくもり、雷鳴がとどろきものすごい 嵐になりました。
 さすが豪胆な新右衛門も、これはえらいことになったと急いで逃げ仕度にかかったとき、滝ツボの中から、目をラ ンランと光らした大蛇が現われ、新右衛門めがけておそいかかってきました。しかも大蛇は新右衛門の鉄砲にうたれ片目がつぶれています。
 おどろいた新右衛門は、あまりの恐ろしさに鉄砲も綱もなげすて腰の刀で大蛇をふりはらいながら、後も見ないで 芋川のムラまで一目さんに逃げてきました。そして「村下の大下」という家へとび込んでかくれていると、大蛇が追いつき、煙出しから真っ赤な舌をペロペロと出しながら新右衛門におそいかかってきます。
 新右衛門は刀で大蛇に斬りかかると、大蛇は怒って口から炎をふき出したので、家は紅蓮(ぐれん)の炎をあげて燃えだして しまいました。
 家が燃えたので、新右衛門は、また嵐の中を馬場村の自宅まで逃げ帰りましたが、大蛇はなおも追ってきて、新右衛門の家に七まわり半もまきつき、口から青白い炎をふきながら新右衛門を苦しめます。さすがの新右衛門も大蛇にはかなわず、高熱を出してのたうち苦しみ、とうとう死んでしまいました。
 それからというものは、七つ釜と、太田家の池の魚はみんな片目になってしまうといわれ、太田家の者が、正月の神詣りにゆくと、神社の鈴の網が大蛇に見えたり、七つ釜へ行くと必ず大嵐になるといわれています。
 日照りの時に、七つ釜に水をもらいに行くと必ず雨が降ると信しられています。なお、新右衛門が使った刀は、今も菩提寺の土市の観泉院に保存されているそうです。