まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

嘉納治五郎

講道館創始者柔術の各流派を統合し柔道として大成。『坂の上の雲』の登場人物、広瀬武夫中佐も弟子の1人。教育者としての一面も併せ持つ。永年に渡り学習院教頭、東京高師校長、第五中学校校長を務める。灘中学校設立にも尽力。灘中学校高等学校の校訓『精力善用』『自他共栄』は、柔道の精神を表すことばとして治五郎が常に唱えていたものだという。73年前の今日、77歳で亡くなる。1860(万延元)年12/9〜1938(昭和13)年5/4。摂津国御影村(現神戸市東灘区御影町)生まれ。13歳で両親と共に東京へ引っ越す。英語を学んだ後、17歳で開成学校(現東京大学)入学。ひ弱な体格故か、柔術に関心を示す。米大統領を辞職した後、世界周遊旅行中のユリシーズ・S・グラントが来日したのは、治五郎19歳の時。前大統領に柔術の練習を披露。21歳、東京大学文学部を卒業。22歳、講道館設立。有段者の弟子には剣術、棒術なども学ばせている。ところで、フィクション上のことに話は変わる。ホームズが宿敵モリアーティ教授とライヘンバッハの滝で対峙、岩棚で格闘となり2人とも転落したのは1891年5/4のこと。治五郎は30歳。歴史物に取りかかりたかったドイルが、ホームズ物を書き続けるのに飽き飽きし、主人公を「抹殺」するために作った筋書きだと言われている。読者の猛抗議に音を上げたドイルは、3年後にホームズを生き返らせる。「復活」の手段に使われたのが、バリツ“baritsu”である。ホームズはバリツで相手を投げ、滝壺に転落するのはモリアーティだけということになる。バリツの説明には「日本式レスリング」“the Japanese system of wrestling”とある。これって柔道のことじゃないの?


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『アベック寄りな(アベックヨリナ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:肉や豆が早く柔らかく煮える。