まちゃつの徒然日記

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恩師、Pehda先生(227)

ペーダ先生ご使用教材、Max Wilk著“The Wit and Wisdom of Hollywood”には女優で歌手のMarlene Dietrich(1901年12/27〜1992年5/6)も登場する。先生の発声では、ドイツ語の“ch”の発音が英語訛りの“k”であったのを思い出す。マレーネ・ディートリッヒは、ベルリン市中心部から南西へ5キロにある、シェーネベルクの出身。同地区生まれの著名人には、指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーもいる。本名は、Marie Magdalene Dietrich(マリー・マグダレーネ・ディートリッヒ)。ペーダ先生より一世代前の男性にとっては、美女の代名詞的存在。セクシーな歌声と脚線美で知られる。芸名のマレーネは自身の考案。名前の最初の3文字とミドルネームの最後の4文字を合成し、Marleneとした。父親は警部補だったが、マレーネが10歳の時に病死。母、姉、マリー3人の遺族の世話を焼いたのは、父の親友で貴族のフォン・ロッシュ陸軍中尉。5年後、母親はロッシュと再婚。だが、継父のロッシュも第一次大戦の戦傷が元で逝去。扶養すべき子としての届け出がなされていなかったため、姉妹の苗字は元のままだったという。18歳で音楽学校に入学。バイオリン奏者として身を立てる夢があったが、手首の怪我で潰えてしまう。20歳で演劇に身を転じる。22歳で、映画監督ルドルフ・ジーバーと結婚、一人娘のマリーを授かる。その後は別居。カトリックのため離婚できず、ディートリッヒが75歳の時、死別している。29歳の時“The Blue Angel”『嘆きの天使』に出演。今風に言えば、大ブレークし、ハリウッドに進出。『モロッコ』『間諜X27』『上海特急』『ブロンド・ヴィーナス』『恋のページェント』等でゲイリー・クーパーケーリー・グラントらと共演し、スターダムに伸し上がる。ドイツに戻って活動するよう要請があったらしいが、ディートリッヒはナチス嫌い。アメリカ市民権を取得したため、ドイツでは作品が上映禁止となる。第二次大戦中は連合国軍の慰問に積極的に参加。米国では大統領自由勲章を、フランスではレジオン・ドヌールをそれぞれ授与される。90歳まで長生きしパリで亡くなっている。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『被告、用事(ヒコクヨウジ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
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