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2016-09-12

神の霊と哲学自由 福岡『国家・教会・自由』第7章

 表題通りのことが論じられた書物から、ホッブズスピノザによる霊(spiritus)の解釈を扱った箇所を読む。ホッブズによれば霊には三つの意味がある。空気、幻覚、そしてその他の比喩的な意味だ。この主張によって、聖書が非物体的実体を認めていた可能性が排除される。しかしこの結論には難点があった。新約聖書には非物体的な実体として天使が登場するとしか読めない箇所があるのだ。この事態を前にしてホッブズは、聖書に私たちの理解を超えることが書かれている場合は、それにはただ従うしかないと結論づけている。

 スピノザもまた霊が空気や、想像や、比喩的なことがらを指すとする。しかし彼にはホッブズにはない論点があった。霊の用法のうちに、ヘブライ人が神を擬人化したために生じたものがあるとするのだ。彼らは理解力の弱さのために、自分たちに了解できる範囲で神をとらえた。そこから霊という単語のいくつかの用法が生まれたのだ。

 これはスピノザの「適応」の理論と対応していた。啓示は受け手である預言者が理解可能なかたちで与えられる。ここから聖書のすべてを真実ととらえるべきではないという結論がみちびかれる。たとえば預言者たちは天文学について深い理解をもっていたわけではない。よって彼らの理解にあわせて与えられた啓示が、かならずしも天について正確な内容を伝えているとはかぎらない。

 むしろ啓示から読みとるべきは、その目的に不可欠のことのみである。それは神への服従であり、それによって隣人を愛するようになることである。これに関係するかぎりのことがらが聖書では尊重されねばならない。それ以外のことがらについては、自由思索が認められねばならない。この峻別をせず、聖書から引き出すべきもの以上のものを得ようとすることから、正典をめぐる対立が起き、宗派対立が生じ、平和が乱される。

 だがこの峻別は完全な断絶を意味しない。隣人愛に人をうながす最低限の条件さえ満たしていれば、人はどのように神を理解してもかまわない。いや各人が己の納得いくかたちで理解してこそ服従は可能となる。とすると神について学問的に究めた哲学者も、啓示を納得のいくかたちで了解し、そうして神に従うのが望ましい。著者は明言していないが、ここに『神学・政治論』と『エチカ』の関係を理解するヒントがあるように思える。

2016-08-30

初期ベネケの構想 Beiser, Genesis of Neo-Kantianism, ch. 3

The Genesis of Neo-Kantianism 1796-1880

The Genesis of Neo-Kantianism 1796-1880

  • Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), 150–160.

 ベネケの最初の著作 Erkenntnißlehre (1820) にはすでに彼の認識論の基本的な構想があらわれている。彼の目標はカントのプロジェクトの完成であった。そのために彼は認識論の基礎である、判断の理論にとりくむ。判断をするとき、精神には常に二種類の活動がある。主語によってあらわされる活動と、述語によってあらわされる活動だ。両者が一致する、ないし後者が前者に含まれるとき、判断は真となる。この意味で[どの意味でだ?]、すべての判断は分析的である。数学でもそうである。よってベネケは、数学が空間と時間をアプリオリなものとして要請するというカントの見解を否定する。

 だが主語と述語の一致からなる真なる判断だからといって、それが現実世界で成り立っている保証はない。保証は経験から獲得せねばならない。ここでふたつ難問が生じる。第一に、経験からは決して普遍的な判断は得られない。完全な帰納は不可能だからだ。第二に、私たちは表象についての知識がほんとうに外界と対応する客観的なものかを判定する術がない。

 最初の著作で前提とされていた心理学についての理解が、次の著作 Erfahrungsseelenlehre (1820) では説明される。心理学はすべての学問の基礎となる。認識論を学問にできるのは心理学だけだ。なぜなら心理学は経験的だからだ。また知識を理解するためには、心を理解せねばならない。知識は心がつくりだすものだからだ。さらに知識の対象を同定したり名指したりするために使う名称も心の活動の産物なのだから、やはり知識全般の理解に心理学は欠かせない。

 この経験主義はカントの失敗を克服するために必須である。カント知識は経験に由来するといいながら、ア・プリオリ普遍的な命題をえようとした。矛盾を解消するためには、認識論を経験に依拠させるしかない。この点でベネケはフリースとヘルバルトにならっていた。

 経験的な心理学は観察と帰納にもとづく。ただし方法論上の洗練された議論はなく、ベネケはたかだか内観(introspection)を念頭においていただけのようだ。心理学によって、さまざまな精神の活動は、基本的な活動の組み合わせに還元されていく。これら基本的な活動の束が個々の人間の精神となる。ベネケはこの活動を能力と呼ぶのを拒否しなかった。この点で能力心理学を完全に否定したヘルバルトとは異なっていた。人間の概念や言語や理解は、外界からの刺激が起こすさまざまな活動の組み合わせと、組み合わせの反復から生じる。人間が知識をえるさいにとくに重要なのは、感覚刺激からくる知覚活動と、知覚を組み合わせる活動(とくに因果関係として組み合わせる活動)だ。以上の構想ではすべての知識は経験に由来するので、ア・プリオリ知識は存在しない。主観と客観の区別も原理的にはない。

 すると普遍的な命題はえられないのではないか。ベネケは肯定に傾いているようにみえるものの、はっきりと明言しない。むしろ数学の例をあげて普遍的命題の可能性を探る。私たちはひとつの三角形の作図から、すべての三角形の内角の和が180度と理解する。おなじように他の分野でも普遍的な命題をえられないだろうか。だがこの議論をベネケは深めていない。

 Erfahrungsseelenlehre の半分は美学倫理学にあてられる。美学は感情を扱う。感情は刺激と精神の活動のあいだの割合から生じる。三種類あり、喜び、崇高さ、美しさである。これらの感情が倫理を基礎づける。ある行動の道徳性は、それが崇高さを引きおこすか、美しさを引きおこすかによって判断される。倫理美学に還元する点でベネケはカントに背いた。彼に言わせればカントの実践理性はオカルト質だ。またカントが定める絶対的な倫理上の規則な個々の状況を考慮しない不合理なものだ。むしろ感情に依拠した道徳こそが、公正で正確な判断をもたらす。

 以上が初期のベネケの基本構想である。

2016-08-15

思惟属性における個体 Della Rocca, Representation and the Mind-Body Problem in Spinoza

Representation and the Mind-Body Problem in Spinoza

Representation and the Mind-Body Problem in Spinoza

  • Michael Della Rocca, Representation and the Mind-Body Problem in Spinoza (New York: Oxford University Press, 1996), 28–38.

 スピノザが思惟属性での個体をどう理解していたかを考察する箇所を読む。『エチカ』での個体の定義は、延長属性での個体についてのものである。思惟属性での個体をどう理解すべきかは明確には書かれていない。そこで延長属性での定義から、思惟属性での定義を推測せねばならない。

 延長属性での個体とは、その構成諸物体が、それらが共有している運動と静止の割合を保存しようとする傾向性をもつような物体のことである。これを並行論の前提から思惟属性にあてはめると次のようになる。思惟属性での個体とは、それを構成する諸観念が、それらが共有しているなんらかの特徴を保存しよとする傾向性をもつような精神のことである。この特徴とはなにか。それはコナートゥスの定義から「我々の身体の存在の肯定」(3p10d)だと推測される。よって思惟属性のもとでの個体とは、「それを構成する諸観念が、それらの総体がもつ身体の存在の肯定という性質を保存しよとする傾向性をもつような、精神のことである」となる。この結論はあいまいである。しかしこれはスピノザ議論そのものに説明が欠けているところからくる。運動と静止の割合や身体の存在の肯定というような鍵となる概念について、彼は十分な説明を与えていないからだ。

2016-07-26

科学主義と、通底する立場の存在 金山武谷三男論 科学主義の淵源」

昭和後期の科学思想史

昭和後期の科学思想史

 力作である。武谷三男は著述家としてのその長い経歴のなかで、じつにさまざまな問題について発言してきた。その膨大な著作群を読みとくことで、いくつもの論点共通してささえている彼の根本的な考え方をあきらかにしている。その考え方とは、「科学主義」である。武谷によれば、人間はがんばって自然のあり方をあきらかにしていけるし、またそうしてきた。ここでの人間というのは、あらゆる制約から自由に、客観的に自然を探求する者を指す。制約とは資本や政治の論理といった「非科学的」な要因である。これは裏をかえせば、経済的・社会的・政治的な要因は科学にとって本質的ではないということである。ここから、武谷には科学を社会的に構成される営みとしてとらえる視点が欠けることになる。また社会的要因への着目の弱さは、科学的に真なる認識を倫理的に善ととらえる短絡を招く。ここからさらに、真なる認識を獲得せんとする科学者のあるべき姿は、ほとんど定義的に善きものとなる。要するに、武谷の著述には科学を批判的に考察する回路がない。以上が、彼の認識論、技術論、原子力に関する立論、そして人権概念の使い方の検討から説得的にしめされる。

 科学主義の検討から外れるのが第9節である。ここで著者は武谷が当時の社会主義国家をどう評価したかを検証し、次のように結論する。武谷は現存する社会主義にある問題は、周囲の資本主義勢力妨害によるところが大きいと考えていた。この考えは、彼の科学主義と同型である。なぜなら現存の科学によって生じている問題は、非科学的な要因による妨害によると彼は考えていたからである。

 たしかに同型である。ではこの同型性はどう解釈されるべきか。ひとつの見方は、この同型性は偶然の産物とするものだ。現存する社会主義ある問題を資本主義側の干渉に帰責することはある時点まで多くの論者によって行われていた(のではないだろうか?)。武谷もこの見方をとった。それがたまたま彼が科学にたいしてとっていた見解と同型のものであったのだ。

 別の解釈もでき、著者はこちらをとっているように思われる。それは上記の同型性には関係があるとするものである。「科学論・技術論で通底していた彼の認識論的・実践論的立場が、そのまま[社会主義をめぐる]国際情勢をみる上でも持ちこまれている」(41ページ)。

 これはいい加減に読むならば、武谷の科学主義の観点が、その国際情勢論に持ちこまれたと読める。しかし科学の本質について認識と、社会主義の現状認識は別の話であり、前者が後者に直接影響するとは考えにくい。そのようにはおそらく著者も考えていない。なぜならここでは、「科学論・技術論で通底していた彼の認識論的・実践論的立場」と書かれているからである。おそらく著者は次のように主張している。武谷の科学主義の背後には、それをささえるより一般的な理路がある。この理路をたどって国際情勢を論じると、先述の社会主義評価になる。

 もしこの読みが正しいなら、ではその一般的な理路とはなにかが問われるだろう。それはおそらく「なんらかの内的一貫性をそなえた機構は、外部からの妨げがないかぎり、その本来のあり方を達成し、その達成は善である」のようなものとなる。

 この私の解釈が正しいかはわからない。しかし私には、もし上記の同型性のあいだに関係があると主張するならば、科学主義と国際情勢判断をともに支えるこのような非常に一般的な前提の存在を想定せずにはいられない。さらにいえばこのような前提を想定するより、同型性を偶然の産物として説明したほうがよいのではないかと思えてくる。

 本論文は思想史の論文のひとつのモデルとなりうる。大量の史料を読み通したうえで、そこにある一貫した論理をとりだすという手法がみごとに実践されているからだ。くわえて論述の質もきわめて高い。議論の運びは流れるように進む。個々の文章表現にも工夫がなされており読み手を楽しませる。それでいて凝り方が嫌味を感じさせるところまでいかない抑制がある。良質な研究の見本として分野を問わず多くの人にすすめたい。

2016-07-10

誰がモーセ五書を書いたか Malcolm, "Hobbes, Ezra, and the Bible," #1

Aspects Of Hobbes

Aspects Of Hobbes

  • Noel Malcolm, "Hobbes, Ezra, and the Bible: The History of a Subversive Idea," in Malcolm, Aspects of Hobbes (Oxford: Oxford University Press, 2002), 383–431.

 『リヴァイアサン』や『神学・政治論』になぜあれほど過激な聖書解釈が現れることになったのか。その文脈を復元する重要論文である。論旨を正確におさえておかなくてはならない。まず最初の2節の内容をまとめる(383–398ページ)

 モーセ五書を書いたのはモーセではない。エズラである。この考えは17世紀の後半から、18世紀のヴォルテールにいたるまで、聖書の権威を否定しようとするラディカルな知識人にくりかえし利用された。この危険な説の源泉として名指しされたのは非神聖なる三位一体とも呼ぶべき著者たちであった。すなわち、スピノザ、ラ・ペイエール、ホッブズである(リチャード・シモンの名を加えてもよい)。だが3人のうちで誰が最初にこの説を唱えはじめたかを確定するのは容易ではない。スピノザはおそらく、中世ユダヤ教の文献の吟味から、モーセ五書の真正性の否定(以下モーセ五書を書いたのはモーセではない、という説をこのように呼ぶ)を引きだした(ただしその後にラ・ペイエールとホッブズを参照した可能性は高い)。ホッブズはラ・ペイエールの著作について耳にし、そこから真正性の否定の議論をつくったのかもしれない。しかし彼が独自にこの結論に到達した可能性もある。ラ・ペイエールが真正性の否定の議論をどこから学んだかは不明である。このように結論ははっきりしない。だがこのはっきりしなさこそが重要なのだ。1648年から1656年の短期間のうちに、3人の著者が同種の結論に達した。この事態は、3人のあいだでの単線的な影響関係を想定するよりも、むしろ3人がそのような結論を引きだすことを可能にする共通の状況が存在したということを示唆しないだろうか。モーセ五書の真正性の否定につながるような一連の考えが、3人の全員に利用可能だったということではないだろうか。じつに、そのような考えは利用可能であった(続く)。