西洋科学の西洋外での成立 Elshakry, "When Science Became Western"

 こちらも同じ「科学のグローバル・ヒストリー」特集からの一本です。実は「西洋科学」というカテゴリーが西洋の外で最初に発展したということが主張されています。当初の「西側の科学」がエジプトや中国に入ったとき、それらは土着の学問を駆逐するというよりも、それらの伝統の一角に場所を占めました。新旧のシンクレティズムが起きたのです。これにたいして第一次世界大戦の前後に高まった国際主義の機運を、科学(人間理性を体現し、人類全体を束ねることができるとみなされた)の歴史を書くことを通して実現しようとするジョージ・サートンのような人物が現れました。しかしサートンのような極端な科学主義(そして反宗教)にたいする反発と、西洋文明への幻滅が第一次世界戦後に起こります。これによりエジプトと中国でそれぞれ「イスラムの学問」「中国の科学」と、「西洋の科学」の鋭い分断を生みだし、後者が独立して観念されるという事態が生じました。「西洋科学」の誕生です。この後、科学史の領域では「科学革命」という概念が生み出され、17世紀の「西洋」に「近代科学」の源泉を求めることが正当化されるようになります(コイレ、ニーダム)。これにより科学史というディシプリンが一体性を確保すると同時に、その探求範囲が現代の科学の先祖とみなされる過去の知識に限定されることになったのです。