事業において「変える」ということ(1)

前回、事業を軌道に乗せていくのにあたって振り返ったことに

・変わらない、変えない自分たちの価値観、商品の価値の部分

・変わる、変えるべき戦略や戦術の部分

が大事だったという話をしました。

 

今回は「変わる/変える」について思っていることを書いていきます。

 

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どんな事業でも、うまくいくためには「売れる」理由や仕組みが必要です。

・他にはない独自性

・近くにある利便性(いつでも、とか素早いも含みます)

・ブランド力

・価格(独自性に含めて議論することも可)

 

など、商品そのものの価値をどう設定するかが教科書的な話です。

 

事業を実際にやってみると、会社(チーム)としての価値と競争相手に対する相対価値が関係してきます。また、お客さんの気持ちもどんどん移っていくため、賞味期限的な価値も絡んできます。

 

これをすべて達成するのはとても難しい、今でも難しいと感じます。一つ言えることは、自分たちが変わっていかないと、その価値を上げることは難しいのではないかということです。

 

もっとも、「老舗の味」的な変わらないことで支持を得ているお店や会社もたくさんあるでしょう。しかし、老舗も最初は新興企業だったはずで、そこでは他社が作らなかった価値を提供したことでブランド力がついて、いつしかそのお店の存在そのもの、商品そのものの価値が人を集めることになったのだと思います。起業をする際に、最初から老舗にはなれないし、ごく一部に例外はあるかもしれませんが、老舗的な評価は得られないですよね。

 

☆ ☆ ☆ 

 

私たちの「ピラティススタジオ」では、大手の会社が既にあったので、利便性では到底かないません。そこで、独自性を高めていくしか方法はないのですが、「ピラティス」そのものを知らない潜在顧客にその独自性を伝える力強い「言葉」やメディアを考える必要がある訳です。

 

起業当時、私たちの運動指導の技術レベルは平均的で、技術をアピールするような言葉が使えませんでした。また、技術で売るとしたら、当時は結果にアピールするような「効果的に痩せます」とか「〇〇人の腰痛が治りました」という表現に意識が向いていました。しかし、これらの表現は、薬事法消費者庁的な観点から好ましくないし、第一に事業を行っている私たちの「おごり」につながるので、使うべきではないと思いました。

 

そこで「少人数スクール」「よく見てもらえる」「だから楽しい」というようなキャッチフレーズで営業したのです。これは、使用し始めた頃は効果があって良かったのですが、競合相手が同じような言葉で営業しはじめると、次第に賞味期限を迎えます。

 

営業的には賞味期限が短かかった(振り替えると2~3年)のですが、この時に本当に少人数のクラスを運営していった結果、私たちの技術力はかなり鍛えられました。同時に、投資として「身体についての勉強」を続けたことも技術力アップにつながりました。

 

お客さんはピラティスを指名して運動施設を探す人もいれば、運動なら何でもよいという感じで探す人もいます。なので、私たちの会社やサービスを、ピラティス業界の中での立ち位置ではなく、広く運動業界全体の中での位置づける、自分たちのアイデンティティを再定義する、必要も感じていました。

 

(その2へ続く)

起業のときに行った分析

2013年の春くらいに、当時勤めていた会社を辞めることを決め、2013年11月に会社設立をしました。

 

一般に、会社を辞めようと決断する人の理由は、一つではないと思うのですが、僕の場合もそうで、それを論理的に筋道つけて話そうとしても整理できないし、本当のところはなかなか伝わりません。

 

一般論として、「会社や会社勤めが嫌で辞めた」後の起業はうまくいかなくって、「そうではない起業」はうまくいくような論調というか、空気があります。しかし、嫌じゃなかったら辞めないと思うし、起業とか脱サラという決断を人生のどこかのタイミングで行う際に、「嫌」とか「好き嫌い」の感情やその背景となった現状というのはあると思うのです。

 

しかし、こういう話は、7年経った今「起業がそこそこ良かった」から言えるのであって、当時は「嫌で会社を辞めた訳ではない」という体を装っていました。

 

なので、いま起業を考えている人も、「嫌で辞めるのではない」という表向きの自分と、自分のこころに素直に従う自分とを使い分けることは良いのではないか、と思います。

 

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会社を嫌で辞めた要素があったのは事実ですが、起業の前に相応の分析を行って、判断をしました。

 

今思うと、当時の自分の「起業したビジネス」に対する認識は、かなり甘かったな、と思います。

 

当時は、自分たち夫婦が趣味ではじめた「ピラティス」という運動を、自分たちの手でお客さんに提供したいという意欲に満ち溢れていました。(今ももちろんありますよ・・・。当時は、意欲だけが先走っている感じでしたね。)市場もまだ成熟していなくて、先行する企業の問題点や改善点などを視野に入れて、ビジネスを行うことにしました。

 

自分たちの拠り所は、

・苦労して取った資格(ただし、3年くらいで取れる)

・もともと会社員だったので、半分近くの顧客層である会社員のニーズが分かる

・人に伝える技術を会社員時代に培っていた

でした。

 

これは、これで役立ったのですが、言い方を変えればこれしかなかったのです。そして、役立ったのも最初の2~3年までで、お客さんはなかなか増えていきません。正確に言うと、お客さんはかなりのペースで増えていったのですが、辞めていくお客さんも多かったので、結果としてお客さんはそれほど増えていきません。

 

ピラティスのマーケットは、成長していくという感触はありましたが、爆発的に伸びた訳でもなく、女性専用のジム(カーブスなど)や通いやすいジム(エニタイムフィットネスなど)、パーソナルトレーナーが開業するジムやヨガスタジオなどと市場を分け合うような感じで進んでいました。

 

ピラティスは海外で先に流行りはじめ、日本に入ってきたという経緯があるのですが、自分たちが起業した2013年時点で、すでに新しいものでも、珍しいものでもなくなっていた訳です。このことを、起業した後に気づいたのは遅かったのですが、それでも起業してすぐに「これじゃあダメだぞ」と危機感をもてたのはラッキーでした。

 

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そうなると、起業当初に描いていた理想像や事業計画は、すべて砂上のものになります。

 

分析が甘かったと言えばそれまでだけれども、分析し尽くしたところで、予想もしなかったことが起きるものです。

 

ここで、今振り返って大事だったと思えるのが

・変わらない、変えない自分たちの価値観、商品の価値の部分

・変わる、変えるべき戦略や戦術の部分

です。

 

これについて、それぞれ書いていきたいのですが、変わること、変えることはそもそも変える必要があると認識する必要があるし、変えるにはタイミングの判断や勇気も必要です。

 

分析も大事だけれども、今の市場環境を読みながら、考えながら変えていく、走りながら変わっていく「柔軟性」が大事だなあ、と思います。

 

 

起業について書く前に

これから起業で気づいたこと、起きたことについて書いていく前に、僕らの会社の特殊性についてまとめておこうと思います。

 

1)家族経営で一人でのビジネスではないこと

四六時中、一緒にいる妻がビジネスパートナーで、いつでも仕事の話ができ、同じ出来事を観察し、意見を遠慮なく言い合う・・・、という例は珍しくはないものの、やはり特殊であることに変わりありません。

物事を捉える上で、自分ではない人の意見を知ることはとても大事ですが、それ以前に、一人で行うビジネスと二人以上で行うビジネスでは、お店の例であれば、営業時間がシンプルに増やせる(店舗のアイドルタイムを減らせる)訳です。店舗は1つでも、ある程度休みなく動いていれば、お客さんからの認知も上がりますし、お客さんの数や幅(その先に口コミ)が拡がりやすくなります。

二人で経営していても大変なので、一人で行っている店舗を見ると、「すごい頑張っているなあ」といつも思います。

 

2)労働集約的なビジネスである

ピラティスという運動を教える学校なので、収入減は勤務時間にある程度比例します。こういう職業は、一人の店員が見れるお客さんの数に限界があるので、美容院やネイルサロンなどと同じように、ひとつのサービスを効率的に売るという点ではかなり不利です。

コロナ禍になってオンラインで行うフィットネスビジネスもありますが、僕らはオンラインでは行わず、対面でのスクール営業に専念しています。

ビジネスの特徴として挙げておきます。

 

3)借金がない状態で子供もいない

背負うものが少ないため、売上が伸びなくても「当面しのげる」状態であったことは、精神的にかなり優位に働いたと思います。

教室ビジネスなので、ランニングコストが低いのも、売上がきついときには助かりました。飲食をやっている方は、ランニングコストも廃棄ロスコストもあるので、大変だろうと思います。これもビジネスの特徴として挙げておきます。

 

4)会社員の経験があった

会社員だったから起業がうまく行く、という訳では決してありませんが、会社員だったから経験していた振る舞い、粘り、事務処理能力、言葉遣いや気配り、説明能力、コンプライアンス感覚・・・などは「ないよりある方が絶対にマシ」だと言えます。

会社員時代に、これらの事が適当だったとすると、起業してから苦労するだろうなあ~と思います。会社員のときに、どんなに大変な仕事でも、つまらない仕事でも、基本をおろそかにせず、自分の役割を全うするという経験は、いざ少人数で会社を回すときに基礎体力となって利いてきます。

起業して5年

47歳で起業して5年が過ぎました。

 

この5年、実にさまざまな困難がありましたが、会社をつぶさずに何とか生き残れました。

 

過去5年が大丈夫だったからと言って、この先の5年/10年が大丈夫である保証はまったくないので、過去を文章にすることをずーっと躊躇していました。しかし、今後の自分のためにもなるかもしれないという思いが強まり、5年が経った節目もあって、ここで文章にしてみたいという気になりました。

 

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いま僕は、東京都でOla Pilates Studioというピラティス教室を経営し、教室で教える仕事をしています。

 

47歳までは金融機関に勤める会社員だったので、いわゆる「脱サラ」です。

 

運動業界は、ユーザーとしての経験しかなかったので、いわば素人が資格を片手にはじめた仕事でした。

 

今の自分が5~6年前の自分に出会ってアドバイスするとしたら、「起業は甘くないよ」というありきたりの言葉です。

 

金融機関に勤めていたので、借金のメリットデメリットや利益率などの計算は分かっていたはずでした。部門の長も務めていたので、経営計画や投資の判断についても経験があったはずでした。しかし、実際の起業は果てしなく泥臭く、そして計画通りにはいかない世界です。

 

愛情を込めて経営しているOla Pilates Studioは、支店のない小規模なお店です。従業員も、僕と妻、そして事務手伝いとして妻の母が勤める家族経営の会社です。

 

当初は2店目を出店し、教室の指導法や運営などをメソッドとして確立させ・・・などの夢もありましたが、自分たちの目が届く範囲内のサイズにとどめることにしました。

 

昨年あたりから、教室の予約がほぼ埋まり、新規のお客さまには入会を待っていただく場合もあるようなお店になりました。

 

しかし、この状態は結果論であって、そこへ至るまでのいろいろな試行錯誤や、思考の変化について書いていこうと思います。

外資系の大企業病

あまり楽しくない話をします。

前職で苦労をしたという話をしたのですが、一つの側面を切り出しておくと、会社にビジョンがなく、多くの人が上司の顔色を見て動いていたのですよ。

多くと言っても「社長ならさすがに違うだろう」と思っていたら、社長もその上の上司も、そしてさらにその上も、同じような思考で動いていました。

外資系の場合、日本法人の社長も、アジア部門の社長も、指揮系統で言えばさらに上の人がいます。下手すると世界の責任者の上がいたり、株主がグループ会社の上だったりします。そうした環境で、自分で何かを創り出すという発想が希薄な人も多かったと思います。

一番上の人が、末端の意思決定まで口を出せるようなスーパー経営者だったら良いのですが、普通はそういう人は良い経営者ではありませんし、そんな経営者はまずいません。

僕がその会社に転職したときに、その問題を見抜けなかったので、自ら拾った困難だったと思います。会社人生の中で一番最初に転職する前に、「社長と会ってそのビジョンに納得いかなければ、その会社には行くな」と当時の尊敬する先輩から言われていたのに、です。

日本の大企業では、意思決定上の上司が多いために、決裁に時間と手間がかかって、自分の立ち位置や責任が希薄になっていくという大企業病があります。外資の場合、社員も少なく組織もフラットなところが多いので、日本の会社的な大企業病はないものの、組織の長が駄目だとそのまま組織が駄目になるという大企業病があると僕は思います。

最も苦労したのは、多くの幹部社員がその多くの時間を社内政治に費やし、顧客を向いていないことでした。政治は、対立する派閥がある場合、どちらがより正義かという問題は、属する派閥によって意見が違うところですが、より問題なのは、意見が分かれたまま一つ屋根の下で仕事をしていることにあります。

意見が分かれたまま、それぞれを批判し合い、出世や手柄という目に見える成果だけを求めて仕事をする。そうした組織で、商品企画や営業企画を立てても、なかなか前に進みません。

だからと言って、社内政治を撲滅するだけの人事権を持った上司も存在せず、ただ指をくわえて時間が経つのを待つばかりという状態でした。

会社員の辛いところは、そうした中でも仕事をしなくてはならないし、自分の気持ちと折り合いをつけなければならない点です。キャリアを考える場合、夢や得られる経験をその会社でどこまで追って、現実をどこまで受け入れるかというバランスの難しさです。

どんな経験も無駄にはならないので、僕もその会社で我慢したことは良かったなあ、と今では思えるようになりましたが、会社員で環境を変えるには、自分がその会社のトップに登り詰めるか、その会社のトップが変わる(代わる)かなので、何ともやるせない話です。

地道に坂を登る感じ

会社の登記から11か月。店舗開店からは6か月ほどが経ちました。

この期間を振り返ると、地道な作業の連続です。

会社の理念、社員の採用、商品の設定、値段の決定、広告の作成、ホームページの作成など。あらゆる決定や製作物は、最初に描いたストーリーに関連させ、ゼロから積み上げていく作業です。

うちは夫婦2人で起業して運営しているので、いわゆる自問自答が行いやすい環境なのですが、営業してから気が付くこともたくさんあって、日々が発見に満ち、勉強です。

起業した先輩方から聞いていた話でしたが、やっぱりその通りでした。


それ以上に地道なのは、お客さんに配布する印刷物を印刷する、クリアフォルダに入れる、データ入力をする、チラシを新聞販売店に持っていく、棚を作る・・・、などの無数の事務作業!力仕事!

若いときに下積みしておいて良かった〜、と思う瞬間の連続だったりします。

会社員でつまらないと思っていた仕事も、無駄なことではなかった訳ですね。

脱サラ、独立していました!

ひさしぶりに更新します。

以前に勤めていた会社で遭遇した出来事が、あまりにも書けなくって、そして自分自身もその中で苦しんでいたこともあって、このブログを更新することができませんでした。

その会社から完全に離れて半年が経ちました。気持ちの整理も含めて、書ける内容から書いていこうと思っています。

それとはまったく別の話で、昨年の秋に会社を立ち上げ、今年の春からはその会社の経営に専念しています。

会社を興し、運営するということは、会社員時代に経験したこととは全く別のスキルや気持ちを必要とします。そうしたことも、少しずつ書いて行こうと思います。