ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

野村光一・中島健蔵・三善清達『日本洋楽外史』

■書誌事項

■日本洋楽外史 : 日本楽壇長老による体験的洋楽の歴史 / 野村光一,中島健蔵,三善清達

 ラジオ技術社,1978
 336, 22p ; 20cm

目次:
第1章 明治時代
第2章 明治から大正へ
第3章 大正時代
第4章 間奏曲(人物外伝)
 I ≪親方≫近衛秀麿
 II 日本の洋楽界を支えた人々
第5章 昭和時代
 I 年号は変われども
 II オペラの動き
 III 初期の外来演奏家たち
 IV 暗黒時代
 V 終戦前後
 VI 終戦後

付録(巻末注) …323
  1. 帝劇オペラ
  2. 三越少年音楽隊
  3. 流浪の民
  4. 軍楽隊
  5. 三浦環
  6. ローシーとローヤル館
  7. 浅草オペラ
  8. 山田耕筰
  9. 日本交響楽協会
  10. 山本久三郎
  11. 日本音楽文化協会・軍部の圧迫・ユダヤ人排斥
あとがき

 わたしのあとがき / 野村光一 …330
 あとがき / 中島健蔵 …331
 あとがき / 三善清達 …333
 編集部あとがき(巻末注について) …336

日本洋楽外史年表(索引兼用)

 (1869:明治2〜1968:昭和43) …巻末1〜22

■解題

 明治から昭和に至る日本の洋楽受容の歴史を、音楽評論家の野村光一(1895-1988)、フランス文学者の中島健蔵(1903-1979)、NHKディレクターの三善清達(1926-)が、それぞれの体験を踏まえて語り合ったもの。野村は慶大文学部卒業後、英国王立音楽アカデミーでピアノを学び、帰国後評論活動を開始。1932年に堀内敬三らと音楽コンクール創設に関わり、1944年毎日新聞社の常勤嘱託となった。一方中島は東京帝大仏文科を卒業して研究室に残り、評論活動を開始。日本文芸家協会、日中文化交流協会等にも関わるが音楽に造詣が深く、没後に「中島健蔵音楽賞」が設けられている。3人の10数回に及ぶ座談会では、毎回NHK洋楽チーフ・ディレクターの三善が提起した事項について自由に語り合われており、その内容は1972年10月から25回にわたって雑誌『ステレオ芸術』に連載された。本書にまとめるにあたり、内容を補完する事項を巻末注に加え、更に索引を兼ねた年表が付されている。
 本書は巻頭に洋楽発展に尽力した日本人や外国人の肖像、演奏風景などの写真を掲げ、本文は5章にわたって洋楽受容の歴史をまとめている。明治期の日本は官立の東京音楽学校を中心に、主にドイツ音楽を取り入れていたが、第一次大戦でドイツが破れたこともあり、連合国側のフランス音楽が入ってきた。多くの外人演奏家が来日し、日本からも多くの留学生がフランスはじめ各国へ渡った。同時期のロシア革命により白系ロシア人ユダヤ人が数多く来日し、彼らを通じてロシア音楽も流入した。来日音楽家たちは私塾でも多くの日本人を教育して行った。レコードやラジオ放送が広まり、演奏会も盛んに行われた。
 第二次大戦中は軍部の圧力があったが、物が無い時代は音楽がより求められ、日響(後のN響)の定期演奏会が中止されたのは1945年7-8月のみであった。一方私塾出身者の楽壇デビュー策として始められた音楽コンクールも戦中間断なく続けられ、多くの音楽家が育っていった。再びドイツが破れた戦後は、東京音楽学校の教師にフランスで学んだ人材が多く入れ替わった。また同校は時代の要請により、アカデミー方式から総合大学としての東京藝術大学へ1949年転換した。一方私学の桐朋学園が音楽科を併設していった。
 本書は藤原歌劇団を中心に、オペラの受容と発展についても多くのページを割いている。また本文中に多くの音楽評論記事を転載して、時代の変遷の中での音楽受容の実像を証言している。