こちらはニセ受験生です

2015-04-06 挫折の完成〜田中ユタカと少年

[]挫折の完成〜田中ユタカと少年 07:19

キュンティアは初めての女として、その両目でみじめな私を捕らえた*1


プロペルティウス第1巻1番1行



オイディプース王の出生の秘密は、それが明らかになるや彼を再起不能にまで追い込んだ。だが、この事実はまさしく彼が神話時代の英雄であることを証明するものだ。紀元前5世紀、オイディプース王がアテーナイの舞台上で己の目を貫いた瞬間、彼の名は悲劇詩人ソフォクレースとともに永遠に残ることが決定された。

とはいえ、出生の秘密はなにも偉大な英雄にだけ許されているわけではない。テレビをつければ、2時間サスペンスあたりで毎日のようにごくたわいなくそれが明かされているのを、私たちは見ることができるはずだ。

このようなことは、古典古代からすでにあった。ギリシア新喜劇やローマ喜劇において、「遊女の置屋にいる娘が実は良家の生まれであると分かり、めでたく主人公と結ばれる」といった展開は一つの定型である。ここで出生の秘密は、ご都合主義のための便利グッズにまで矮小化されている。

かくして、高名な英雄がこの世界にとって何者であるかを証明するはずの出生の秘密は、あっという間に喜劇のもつ無名性の闇の中に放り込まれてしまう。もっともそれは、私に言わせれば、人類の精神の健康さの表れである。



ある編集者「なぜ少年マンガの主人公の少年は『英雄の息子』で『天才』なのか?少年が読むものだから。子どもが読むものだからです。子どもは誰もが『英雄の息子』で『天才』だからです」


https://twitter.com/tanakayutak/status/50224305879003136

そんなわけで、漫画家田中ユタカによる上掲のツイートを見たときに私が最初に思い出したのは、むしろ「英雄の息子」ではない少年マンガの主人公であった。

衛藤ヒロユキ魔法陣グルグル』第14巻(ガンガンコミックス、2001)144−5ページ/新装版第7巻(ガンガンコミックスONLINE、2014)308−9ページで、「勇者」としての自分は何者なのかを問われた主人公のニケは言う。

「いよいよ問われているのかも知れない/おれがなぜ勇者なのか」

「ちょっとジミナ村に帰って出生の秘密を調べてくる!」

「勇者といえば出生の秘密だろう/じつは王族の血をひいていたとか」

ところがすぐに父が「(彼自身も特別な能力を持った人間ではないという)設定を無視して」テレパシーで語りかけてくる。

バド「ニケッ今こそおまえに言っておきたいことがある/おまえはカンペキにタダのフツーの人間だ!!/いわば“凡人”ッ!!」

ニケ「設定を無視していきなりテレパシーを送ってくんなよ!!/しかもがっかりするようなことを!!」

魔法陣グルグル』はRPGパロディが世界観の基本になっている作品であるし、その掲載誌である『少年ガンガン』も『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』シリーズの成功をうけて創刊されたものである。出生の秘密をもつ英雄の叙事詩であるRPGに対して、はじめからそれを裏切ることを運命づけられていた少年マンガと言って良いのかもしれない。『少年ガンガン』は「少年マンガ」という枠におさまるというよりは、むしろ「エニックス系」、「ガンガン系」と呼ばれる独自のジャンルを形成することにもなった。



さて、こんな私の捻くれた連想にはもちろんお構いなく、田中ユタカ少年マンガへの思いを続けてツイートする。

昨日の「子どもは誰もが『英雄の息子』」は、少年マンガにおける幼児性の肯定に対する批判への反論、という文脈の中で編集者から伝えれた言葉でした。 「現実」を描くと言いながら、挫折や無力感を描くことは本当に正しいのか、それは子どもの読者にとって‘本当に’「現実」なのか?


https://twitter.com/tanakayutak/status/50489546885963776

「男の子はみんな『英雄の息子』だし、女の子はみんな『お姫さま』です。クラスの中のどんな冴えない子だってです。一人ぼっちの子だってです。『お前なんかダメだ』って言葉なら世の中からいくらでも浴びせられます。マンガまでそっちの側についてどうするんです」(※セリフメモ、田中ユタカ創作)


https://twitter.com/tanakayutak/status/50490137829838849

今回の大震災で、世界がもろい壊れ物で、親も自分も為すすべなく痛めつけられてしまうことがあるのだと体験した子どもたちに、私たちはどんな物語やヒーローやヒロインを差し出すことが出来るか?


https://twitter.com/tanakayutak/status/50490314070310912

さらにその約2年後にも改めて、

少年マンガキーワードは「くやしさ」です。主人公は「くやしさ」を動機として、何者かになることを求めます。無力、弱さ、未熟、未熟ゆえの過ち。自分の「幼さ」がくやしい。そんな経験が少年を旅立たせます”思わず「中二ゴコロ」を熱くさせる作品 http://bit.ly/nC5GYl


https://twitter.com/tanakayutak/status/324897803988000768

から始まる連続ツイートが行われており、これらは田中ユタカ少年マンガにかける情熱の大きさを物語っていると言えるだろう。


しかし(そろそろもう読者もうずうずしている頃だと思うが)ここに大きな問題がある。

田中ユタカ少年マンガ家ではない。

いちおう青年マンガ家と呼んでも差し支えはなかろうが、彼を「永遠の初体験作家」として有名にしたのは圧倒的に成年、ないし準成年コミックエロ漫画なのである。

だから、田中ユタカ作品の主人公は「英雄の息子」ではない。そして、その主人公は世界にとって何者かであることもできていない。


たとえば、一説には日本でもっとも売れたエロ漫画であるとも言われる(ほんとかよ)『初夜 ヴァージン・ナイト』(バンブーコミックス、1997/竹書房漫画文庫、2003)所収の「春・解禁」では、

「オレはこの春からめでたく/この街でひとりで浪人生活をおくるハメになった」


(文庫版100−101ページ)

初夜―ヴァージン・ナイト (竹書房漫画文庫―ドキドキシリーズ)

初夜―ヴァージン・ナイト (竹書房漫画文庫―ドキドキシリーズ)

その続編単行本である『初夜2 ヴァージン・ナイト2』(バンブーコミックス、2001)所収の「夏物語。」では、

「都会を卒業したと言えばごまかしはつくのかな…/いる場所もやることもなくて一年持たなかった/ふるさとの街も家もあきれるほどやさしくボクを迎えてくれた/無期限の夏休み」


(9ページ)

初夜(ヴァージン・ナイト) 2 (バンブー・コミックス)

初夜(ヴァージン・ナイト) 2 (バンブー・コミックス)

さらに、『愛しのかな』第1巻(バンブーコミックス、2006)では、

「詳しいことははぶくが(言いたくない)/仕事と住む所をいっぺんに失くしてしまったのだ/ボクは途方にくれた/そしてホームレスになる直前になんとかありついたのが……/幽霊の出るアパート…か…」


(9ページ)

愛しのかな 1 (バンブー・コミックス DOKI SELECT)

愛しのかな 1 (バンブー・コミックス DOKI SELECT)

という主人公の男たちのモノローグが、それぞれの冒頭近くに配置されている。

ここで田中ユタカの作品の主人公は、はっきりと「英雄の息子」であることに挫折している。もちろんその「くやしさ」を動機として、彼が改めて世界にとって何者かになろうとするのなら、その物語は立派な少年マンガだろう。だが、そうはならない。主人公は、(世界にとってでなく)一人の少女にとって自分が何者かでありたいと願う。このことによって、田中ユタカの作品は成年コミック、いや、むしろジュブナイルポルノ*2としてのエロ漫画となるのである。



思えば、『魔法陣グルグル』の主人公ニケが「勇者」なんぞをやっているのも、(彼が「英雄の息子」であるからではなく)要はパートナーである魔法使いの少女ククリがせっつくからなのであった。*3

だが、ニケは物語の冒頭、第1巻第1章において「ノンビリ暮らしたい」という理由で「勇者」になることを拒否するような少年であるから良いのだ。そうでない多くの「英雄の息子」たちにしてみれば、世界にとって何者かであることを断念し、ただ誰か一人にとっての何者かでありたいと願わねばならぬことは、自身が英雄でありえないということの苦々しい証明になってしまうはずだ。

少年にとって、失恋することが挫折なのではない。恋に落ちることそれ自体が、すでに挫折なのである。



だから、『初夜 ヴァージン・ナイト』所収の「2回目」冒頭でヒロインと初めて結ばれ、

「我が恋は成就せり!!」


(文庫版145ページ)

というモノローグを心の内で叫ぶ主人公に対して声をかけるならば、私はこう言おう。

なんのことはない、君のもとへ甘やかに訪れたのは苦い挫折の完成にすぎぬ。ただ、この挫折はオイディプース王にとっての出生の秘密のように君を再起不能にまで追い込んだりはしないから、安心しなさい。それが、つまるところ、私たち鉄の種族の人間の気楽さってやつなのだ。*4

*1:「みじめな私を捕らえた」はラテン語原文miserum me cepitからの直訳、という名の殆ど誤訳である。なぜなら詩人がここで言っているのは「みじめだった私を捕らえた」ということではなく、「私を捕らえて、結果としてみじめにした」あるいは「捕らえられた私はみじめである」ということだからだ。だが、この文章のエピグラフとして引用するために、あえて曖昧な形で訳しておいた。

*2:これはふつうエロラノベを指す用語だが。

*3:ついでに言えば、このククリはちゃんと「出生の秘密」を抱えたヒロインである。そして、彼女こそが『ヤングガンガン』連載の『すもももももも』、『BAMBOO BLADE』、『咲』といった作品で「少年」を代行するヒロインたちにとってのイヴであるように、私には思える。

*4:この小文を書くにあたって、http://togetter.com/li/115004およびhttp://togetter.com/li/490179の2つのTwitterまとめページを参考にした。