東京五輪中止の決断を

 

 先週の日曜日(11日)に、朝日新聞の「声」に投稿したのだが、何の反応もなくボツになったようなので、このブログに載せることにした。なお、自民党の二階幹事長の発言は、この投稿の数日後のものである。

 

 

東京五輪中止の決断を

 

 東京五輪の期日が迫って来たが、世界的なコロナ禍の現状を見るにつけ、円滑に実施するにはあまりにも問題が多過ぎる。現状では、外国からの選手や関係者を素直に歓迎して迎え入れる気持にはなりにくいし、彼らもまた大きな不安を抱きつつ来日するということになるだろう。その他の要素を考えてみても、また世界に平等に開かれたオリンピックの精神からしても、東京五輪を無理に開催すべきものではないと思う。

 政府その他関係者の立場からすれば、既に多くの既成事実の積重ねがあり、いまさら開催を諦める決断することは容易ではないだろうが、決断を先送りしてさまざまな無理を重ね、その結果コロナ禍を拡大させるというのが最も好ましくない結果であり、中止の決断の時期は既にギリギリのところまで来ているのではないか。

 五輪中止を声高に叫ぶことは、政府その他の関係者の努力を無にし、その足を引っ張ることのように聞こるかも知れないが、私はそうは思わない。中止の「英断」をしやすくするためには、世論によるバックアップは好ましいものであり、むしろ関係者の決断のための環境作りだとすら言えるものだと思う。なお、以上の私見は、パラリンピックに関しても同様である。

 

学術会議任命拒否は疑問

  日本学術会議の会員につき、政府は6名を除外して任命したという。しかも、その理由も明らかにしていないという。同会員は、学術会議の推薦に基づいて総理が任命することになっており、その推薦の意味は重い。それを無視して任命を拒否することは、憲法の趣旨にかんがみて不当であるのみならず、違法の疑いが極めて濃い。

 立法当時の趣旨からしても、政府には任命に関しての自由裁量権はないはずであり、いわば形式的な任命権に過ぎないものだと思われる。加藤官房長官の言によれば、「人事を通じて一定の監督権を行使することは法律的には可能」とのことだ。確かに学術会議は広義の行政組織ではあり、政府による監督がなされるべき分野はあるだろうが、それは会計その他の限られた分野のはずであり、「人事を通じて監督する」ような性格のものではあるまいし、そもそも「監督」という発想自体がことの本質に沿わないものだと思う。

 今回の任命拒否は、憲法を持ち出すまでもなく、違法なものだと思えてならないし、人事を通して影響力を及ぼそうとする政権の極めて危険な性格を物語るものだと言わざるを得ない。

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 以上は、実はこの2日に、朝日新聞の「声」に投稿したものである。その後大分日数も経ったし、その後似たような趣旨の社説や解説も多数掲載されたので、もう出番はあるまいと思い、このブログに載せることにした。投稿後に明らかになったこともいろいろあるが、この投稿の趣旨を変える必要があるようなものでもないので、2日現在の原稿をそのまま載せる。 

 

黒川検事長は辞任すべきだ

  2月17日の朝日新聞の声欄に掲載されたものである。もっとも、編集段階で表現は少し変わっているが、趣旨は同様なので、ここでは投稿した原文のままで掲載する。

 

     黒川検事長は辞任すべきだ

                西中眞二郎 東京都・無職・82歳

 

 政府は、東京高検の黒川検事長の定年を延長したという。特例法で決まっている検事の定年を、一般法である国家公務員法の規定により変更することは、特例法が優先するという法原則に反するものであり、違法の疑いが濃い。

 政府の狙いについての憶測は別としても、違法の疑いの濃い現状を追認すべきではなく、政府は、今後黒川検事長検事総長に充てることは避けるべきだと思う。

 このような人事につき国会で政府を追及すべきことは当然だが、その他にも、「違法な定年延長は無効であり、給与を支払うべきでない」という訴訟を起こすことも可能だろうし、法律専門家の集団である検察庁内部あるいはOBが、検察の権威にかけて黒川氏の辞任を求めることも可能だろう。

 そして一番簡単な方法は、黒川氏が、法律家のプライドと良識にしたがって、違法な状態に留まることを潔しとせず、自ら辞任を申し出ることだと思うし、仮に検事総長に任命する動きが出て来たとしても、これを辞退すべきものだと思う。

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 ブログにも随分ご無沙汰してしまった。年齢のせいで物書きが億劫になったことが最大の理由だが、「はてな」側の理由で、ブログの体裁が随分変わってしまったので、食わず嫌いで手付かずになったせいもある。

 久々にブログをいじったので、これに味を占めて、またぼつぼつ続けようかとも思っているが、どうも億劫さの方が、先に立つ気がしないでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

近況報告

 昨年7月、私の弟が76歳で他界致しましたので、今年の新年の御挨拶は失礼させて頂きました。同様に、このブログでの年賀状も、失礼したいと存じます。皆々様のますますの御健勝と御発展をお祈り申し上げますとともに、今後とも変わらぬ御厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

 そのような次第ですが、近況のご報告だけは、例年通り申し上げておきたいと存じます。もっとも、ほとんど昨年と同様の内容になってしまいそうですが・・・。

 
年齢とともに月日の経つのが速いことを痛感しておりますが、あっという間に81歳になりました。年齢相応にあちらこちらにガタが来ておりますが、まずは生活には支障なく日を送っております。
 早いもので、通産省を退官してから31年を超えました。考えてみれば、役所勤めの年月よりも、退官後の年月の方が長くなったということですし、最後の職場の南関東自転車競技会会長の職を退いてからでも15年半になり、世間からいよいよ遠ざかっていることを感じております。

 
昔からの趣味である短歌は、依然として続けていますが、作品の数は随分減りました。年齢とともに詩藻が涸れて来たという面があるのかもしれませんし、旅や会合等で出掛けることが減り、作歌のきっかけが乏しくなったということもあるのかも知れません。それに加えて、12年にわたって参加していた「題詠100首」というネット短歌の催しに、一昨年から参加を取り止めたため、題詠によりいわば無理矢理短歌を絞り出すという動機がなくなったのも、生産減の直接の理由かも知れません。そろそろ第4歌集を刊行しようかという気がないわけでもありませんが、果たして今年の話になるのかどうかも良く判りません。


 短歌に限らず、ものを書くことも随分減りましたし、このブログへの記載もほとんどなくなりました。数年前まで「スペース・マガジン」という日立市で発行されているタウン誌にコラムを持ち、毎月雑文を書いており、このブログにも転載していたのですが、それを卒業してノルマがなくなった途端に怠け者の本性を露呈し、結局ほとんど何も書かないままにここ数年を過ごしております。これも年齢から来るものぐさなのかも知れませんが・・・。


 郷里山口県の「東京東和町人会」の会長を11年間、同じく「東京大島郡人会」の会長を2年間務めた後、平成22年に次の方にバトンタッチ致しましたし、歴代九州経済産業局長(私の在勤当時は福岡通商産業局長)の会の、代表世話人を務めておりましたが、数年前に若手(?)に後をお願い致しました。
 それやこれや、社会との接点が次第に減って来ていることは否めません。

 私の出身高校である広島県立呉三津田高校の同期会は、数年前の総会で最後になりました。関東地区の同期会は、30年余り前に私が言い出しっぺになってスタートしたものですが、80歳になったこともあり、昨年の例会で今後のことが話題になりました。その結果、まだ続けたいという意向の方が多かったのですが、肝腎の幹事に手を挙げる人が居らず、結局私が去年に引き続き今年の幹事を引き受けてしまいました。奇特な方が現れない限り、今年で終わりにするしかないのかなと思っております。なお、母校の関係で、呉市の委嘱を受けて、ここ数年、「くれ観光特使」なるものを仰せつかっております。呉市から頂いた観光特使の名刺の裏が、市内の各種施設の無料入場券になっていますので、私のその名刺の裏側は有価証券(?)です。ご希望があればお送りしますので、お申し付け下さい。
 ついでに申し上げれば、地縁の関係もあって、広島カープの大ファンです。ぶっちぎりでリーグ優勝したのは痛快でしたが、今年も日本シリーズで苦杯を喫したのは痛恨でした。なお、家内は東京出身ですが、私の影響もあってか、最近では私以上のカープファンです。


 ザル碁の話になりますが、私の棋力は弱い4段といったところです。目下の手近な碁敵は家内であり、家内は私に4子くらいですから、級位の上の方といったところなのでしょうか。特別のことがない限り、ほとんど毎日2〜3局くらい打っていますから、局数だけで言えばギネスブック・クラスだと思いますが、お互いに上達しているとも思えません。ついでに家内のことに触れておきますと、相変わらずささやかな庭いじりに没頭しており、近所の方から褒められるのが最大の喜びのようです。


 年齢のせいか、何かと億劫になり、既に書いたように、雑文書きも減り、短歌も質量ともに下り坂にあるようです。また、このところ旅行にも出掛けず、やらなければならない雑事もなかなか手を付ける気にならず、「億劫病」に罹ったかなと思っているところです。体力気力ともに少し活性化を図らねばとも思い、他方、まあこれが老いというものかという下り坂エンジョイの気持も抱いているところです。

 この1年の近況を申し上げれば、以上のようなことです。こうして整理してみますと、「店仕舞い」の話が主力であり、従来にも増して「たいしたことはしていないな」ということを、改めて感じます。そうは言っても、この歳になれば、「夫婦ともに元気で、さほど変わったこともない」というのが何よりの朗報なのかも知れませんし、ニュースや世間との関わりが年齢とともに減って来るというのも自然な姿なのかも知れません。