星野ジャパンの惨敗

北京オリンピックも終わった。いろいろな感想はあるが、まずは選手の方々に「御苦労さま」と申し上げたい。結果については、悲喜こもごもといったところなのだろうが、日常生活を犠牲にし、この日のために心血を注いで来た選手の方々には、本当に頭が下がる思いがする。

  ところで、個々の競技の中で強く印象に残ったものの一つが、「星野ジャパンの惨敗」だ。「惨敗」という言葉はあるいは適切でないかもしれないが、「楽に勝てる相手」には確かに勝ったものの、「マークすべき相手」には、結果的にはすべて無残にも敗れたわけだから、「惨敗」と言っても間違いではないだろう。
 キューバのことは良く知らないが、アメリカは3A中心の構成であり、歯が立たない相手ではなかったはずだ。また韓国は、野球全体の総合的レベルで言えば、まだ日本の方が優れているはずであり、例えば、4番の李が巨人という1チームにおいてすら「不動の4番バッター」にはなれないという事実が、その現われの一つだと思う。
  敗因はいろいろあるだろう。あえて「戦犯」を求めれば、投手ではメッタ打ちされた岩瀬だろうし、野手では手痛いエラーを繰り返したGG佐藤だろう。このほかにも、打つべきときに打てなかったという類の「戦犯」はいるだろうが、マイナス要因という意味で最も目に付いたのは、その二人だった。


しかし、彼らはマイナーな「戦犯」であり、私に言わせれば、最大の「戦犯」は、星野監督自身と、彼を監督に選んだ球界トップだったと思う。
星野の統率力や人柄に疑問を呈するわけではないが、この種の短期決戦の場合、監督に一番強く求められる要素は、総合的な判断力と、局面に応じての決断力だろう。星野がこれらに関して適切な人材なのかどうかには、疑問の余地がある。
また、コーチの場合も同様だと思うが、それに加えて、コーチの場合、「専門家」ということが大きな要素だろう。ところが、山本、田淵の両コーチは、優れた選手や監督だったかも知れないが、いずれもコーチとしての専門家ではなく、その適格性には疑問がある。言い換えれば、最大の敗因はトップ陣容の人選にあったと言っても良いだろう。
コーチ陣では、大野コーチが唯一の専門家だと言って良いのだろうが、投手起用に関し、彼の判断が大きなウェイトを占めていたのかどうか、これは私には知る由もない。想像も交えて言えば、投手としての大先輩であり、チーム全体の統率者である星野監督の下で、その主張を十分通すことができたのかどうか、私には疑問が残る。


試合自体での「判断・決断」という意味で言えば、守備に不安のあるGG佐藤を起用した判断は大きな問題だろう。彼の打力を重視するのであれば、DHやピンチヒッターで使う手もあっただろう。
それ以上に疑問が残るのは、準決勝での投手起用である。6回に登板した成瀬は、6回の1イニングだけで藤川に交替した。詳しい理由は知らないが、私には合点の行かないところだ。成瀬は、先発完投型の投手であり、ショート・リリーフというタイプではない。成瀬で行けるところまで行って、後を藤川、上原等に委ねるというのが「勝利の図式」だと思ったのだが、なぜ成瀬を1回で降ろし、7回という彼にとっては早いイニングで藤川を使い、その後絶不調の岩瀬につないだ意味は全く判らない。結果論かも知れないが、6回の調子からすれば、成瀬はまだ投げられたはずである。また、藤川にしても、「最後の締め」ということになれば、また違う結果が得られたと思う。要するに、素人考えかも知れないが、これは完全に投手起用のミスであり、監督のミスだと思われてならない。
そういったことから、私はあえて「星野ジャパンの惨敗」と名付けるしかないのだと思っている。


この種のことは、新聞等にもいろいろ書かれているのだろうと思うし、私ごとき素人がブログに書いても意味のない話だとは思うが、金メダルに期待していた1野球ファンとして、ささやかな鬱憤を晴らしているところだ。(文中敬称略)


北京オリンピックを経験して、中国がこれからどう成熟して行くのか(あるいは変わらないのか、あるいは悪くなって行くのか)関心があるところだが、今日はそれらに触れる積りはない。なお、開会式の感想は、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌で、私がコラムを持っている)の9月号に書いたので、同誌に掲載された後に、例によってこのブログにも転載しようと思っている。