勝負はこれから(スペース・マガジン8月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


   [愚想管見]勝負はこれから        西中眞二郎


 集団的自衛権についての閣議決定がなされた。これに反対した人々は、私を含め多かれ少なかれ挫折感や敗北感を抱いているのだろうが、果たしてそのように考える必要があるのかどうか。
 考えてみれば、閣議決定によって憲法解釈が確定したわけではなく、単に安倍内閣の方針が定まったに過ぎない。もとより閣議決定が既成事実となってしまうことは十分警戒すべきことではあるが、まだ最終的な決着が付いたわけではないし、閣議決定により我が国の路線が直ちに急旋回するわけでもない。早い話が、内閣が変われば閣議決定を変更することも当然可能な話だ。もちろん、憲法解釈に関連する閣議決定朝令暮改になることは、我が国の対外的な信頼性の上からも好ましいものではないが、このたびの閣議決定がこれまでの積み重ねを無視して、安倍総理の独断専行により進められたものであることを考えれば、もとの正常な姿に戻すことが不自然なものだとは言えないだろう。
 行政権を持っている内閣による閣議決定の重みを軽視するわけではないが、憲法解釈は司法権の、立法は立法権の問題であり、閣議決定は法的には格別の権威を持つものではない。閣議決定の線に沿って所要の措置を講ずるためには、当然のことながら法的措置が必要となるはずであり、そのための法律改正も行われることになるだろう。その法律改正の際にも十分な議論は可能なはずであり、成立を阻止することも当然可能だと思う。更にその背後には司法も控えている。
 閣議決定は、内閣という閉ざされた密室の中での決定であり、与党間の協議も、限られた非公式な場での協議である。これに対し、国会での立法作業は、開かれた場での協議・論戦であり、その論戦を通じてさまざまな論点が明らかにされ、これらがオープンな形で議論されることが期待される。もとより、与党が多数を占める国会である以上、国会にあまり多くを期待するには限界があるのかも知れないが、あきらめるにはまだまだ早過ぎる。国会の場で政府与党が立ち往生するような事態でも生じれば、世論の批判は一層厳しくなるだろうし、与党の中での心ある人々の意見や対応が変わって来ることも期待できるのではないか。
 あまり楽観することは妥当ではないだろうが、このたびの閣議決定によって法的には何も決まったわけではない。勝負はこれからの国会の場であり、更には世論であり、その先の選挙を通しての国民の選択でもある。今回の閣議決定を過大に受け止めることなく、撤回あるいは形骸化して行くこともできる息の長い話として、更に本腰を入れて向き合って行くべきものだと思う。
 なお、閣議決定の内容に劣らず危険なのは、その決定の過程だと思う。総合的判断力を欠き、自己陶酔に近い総理の「信念」が、「総理が本気だから」という理由だけでさしたる検証もないままに与党内をまかり通り、それが既定の路線のようになってしまう―――そのようなファシズムに近い昨今の風潮は、何が何でも避けなければならないことだと思う。(スペース・マガジン8月号所収)