飯泉太子宗『時をこえる仏像』

飯泉太子宗『時をこえる仏像』

 このところ阿修羅像の展示など仏像ブームが起こっている。だが仏像は1000年から数百年に渡って保存されてきたもので、木造だから当然壊れてくる。それを修理・修復(この二つは厳密には違う)し、伝承していくのが、宗教の礼拝像であっても、美術的文化遺産であっても重要になる。東日本大震災でも東北、関東のお寺の仏像が多く壊された。仏像修復師飯泉氏は、千葉、栃木、茨城の破損した仏像を見て廻った。手足が折れた像が多かったが、地震の衝撃で落ちてばらばらになった像も何体かあったという。ある寺の不動明王と脇侍は、台座、光背は大破し、段ボール箱に三体分の部材が放り込まれていた。修復期間は1年もかかる。こうした災害だけでなく、仏像はブロンズ像、乾漆像、木像で壊れる期間は違うが、100年から300年という期間で修復が必要であり、仏像は時を越えて伝承されていく。
 この本が面白いのは、修復師の視点からみた仏像とは何かの解明であり、奈良、平安、鎌倉、江戸時代における仏像のあり方の解説とともに、いかに修復していくかの実技的手法の見方にある。修復は宗教的礼拝か、文化遺産かでも違う。新しく「修理」し礼拝に使うか、あくまでも文化遺産として製作時の原型に忠実に「修復」するかの判断もある。木造の寄木造りだと部品がばらばらになったり、なくなったりをいかに復元するか、木の腐朽をどうするか、漆箔や彩色の剥落をどうするかなどの問題もある。仏像はこうした修復で長年生き延びてきたのがよくわかる。飯泉氏は100年後をイメージして修復するというが、それこそが文化活動だと思う。
 広隆寺中宮寺弥勒菩薩像はいま木肌の色合いがでているが、奈良時代は金箔が塗られ輝いていた。それを修復し、金箔を塗れば現代人は浅薄と取るし、古代人は木肌のままなら修復されたとは見ないだろう。修復概念も時代で変わるから、難しさがある。飯泉氏の本は単に仏像論だけでなく、文化伝統の伝承や解釈論としても示唆に富んでいる。(ちくまプリマー新書