呉座勇一『戦争の日本中世史』

呉座勇一『戦争の日本中世史』

  日本中世は戦乱が相次いだ「戦争の時代」である。30代若手の日本中世史研究の呉座氏が、蒙古襲来から応仁の乱までの時代を、戦争そのものの分析を行った本である。戦後歴史学唯物史観階級闘争史観)の枠を取り払い、戦争の実態に迫ろうとした。1980年代以後、戦争状態が常態化した中世の戦争像は、大きく変わりつつある。
  呉座氏によると、蒙古襲来は「平和ボケ」の鎌倉幕府に衝撃を与え、その対外戦争が鎮西御家人の一族結束を強めるとともに、荘園の「本所一円地支配」が強まり、非御家人の動員という戦時体制が出来た。だが、全国的な戦争の時代は南北朝時代からと呉座氏は見ている。
  呉座氏の南北朝内乱の「悪党」論は面白い。戦後歴史学石母田正網野善彦ら)が「悪党」を体制から疎外されたアウトローの革命勢力として重要視したのに対し、単なる敵対者へのレッテル貼りで、反体制でなく権力と癒着していたと見る。「悪党」と言われる楠正成も赤松円心も、楠木氏は御内人であり、赤松氏は六波羅探題御家人だったという。呉座氏は、この時代を象徴するのは、貨幣経済の進展による建設、流通、金融などで設ける「有徳人」だとし、「有徳人」と「悪党」を表裏一体とみる史観にも反対している。
  この本の三分の二は「新しい戦争」としての南北朝内乱に充てられている。天皇南朝北朝に分裂し、室町幕府足利尊氏足利直義の内紛で60年戦争になり、九州から東北にかけて、軍隊が移動して戦った時代は、戦国時代の先駆けだった。呉座氏はこの内乱を「太平記」が描写する壮絶な白兵戦やゲリラ戦ではなく、兵糧と将兵の争奪戦であり、正面決戦よりも、「後詰」のような包囲戦だったと指摘している。武士たちにとって戦乱は災害であって、「成り上がり」欲望よりも、戦いたくない気持ちによる「サバイバル」の就軍拒否や戦線離脱も重視して取り上げている。指揮官たちの人心掌握術や武士たちの「戦後」も面白い。
  応仁の乱になると、窮民の京都流入の食糧・社会問題が連動する。また南北朝内乱では、守護軍が村から百姓を徴発して補助戦闘員として連れていく方式と異なり、村に軍事行動を一任する自衛のための村武装が成立し、戦国時代に続くと指摘している。(新潮選書)