🎺48:─1・E─映画『オッペンハイマー』は原爆投下と共産主義嫌悪という2つのタブーを侵犯している。令和6年。~No.226No.227No.228 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アメリカ・イギリス・カナダ・ベルギーの国際的共同開発プロジェクトによるヒロシマナガサキに対する原爆投下実験とは、実戦における爆破被害実験であり、日本人(ジャップ、イエロー・モンキー、害虫)をモルモットにした人体実験であった。
 事実、被爆地に入ったアメリカ医師団は、被爆者の治療を日本人医師団に押し付け、死んでいく被爆者をよそにもっぱら医学的科学的軍事的人体損傷情報収集のみをおこないっていた。つまり、見殺しにしていたのである。
 日本人の悲惨という事実を、敗戦利得者であるエセ保守はアメリカの為にリベラル左派はソ連の為に隠蔽し、それを告発する危険性のある正統保守派などを口封じの為に公職から大量に追放した。その代表が、鳩山一郎であった。
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 2024年4月6日14時20分 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「『オッペンハイマー』は原爆投下と共産主義嫌悪というアメリカの2つのタブーを侵犯し、映画的野心に満ちている
 ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
 <クリストファー・ノーラン監督の話題作は映像と音の質量がすさまじく、僕は180分間圧倒され続けた>
 アメリカで同日公開された『バービー』と原爆のキノコ雲を組み合わせたインターネット・ミームが物議を醸し、さらに被爆した広島と長崎の描写がないということで日本公開は延期、あるいは公開できないなどの情報はネットで見聞きしていた。
 ミームが不謹慎であることは確かだ。でも、話題になったドラマ『不適切にもほどがある!』を引き合いに出すわけではないが、昭和の時代にプロレスラーの大木金太郎の必殺技であるヘッドバットは「原爆頭突き」と命名されていて、入場時に羽織るガウンには大きなキノコ雲がプリントされていた。カール・ゴッチが必殺技のジャーマン・スープレックス・ホールドを決めた瞬間にアナウンサーが、「原爆固めです!」と絶叫していたことも覚えている。
 だからといって正当化するつもりはない。ジェンダー問題やハラスメントも含めてあの時代の「当たり前」が、社会的弱者や少数者に対する想像力が機能していない「間違い」だったことは確かだ。それは大前提ながら、『オッペンハイマー』が日本で公開されないかもしれないとの情報に接したときは、ちょっと待てそれは違う、との意識を持った。
 そう思った理由の1つは、オッペンハイマーの生涯を知っていたからだ。原爆を開発したマンハッタン計画の立役者。戦争を終わらせたヒーローとしてアメリカ国民の多くから称賛されながら、戦後に広島・長崎の惨状を知って激しく動揺し、水爆開発に反対して批判され、さらにアカ狩りの時代には共産主義のシンパとして激しく糾弾された。
 そのオッペンハイマークリストファー・ノーランが描く。国家と個の相克に触れないはずがない。そしてオッペンハイマーが抱え続けた苦悩や挫折は、人類が核兵器を手にすることの矛盾と無関係なはずはない。
 だから思う。ロシアのプーチン大統領核兵器の使用をほのめかしたとき、核抑止論の欺瞞に人類は気付いたはずだ。それなのになぜ日本は今も、核兵器禁止条約に署名すらできないのか。
 本作は徹底して映画だ。映像と音の質量はすさまじい。僕は180分間圧倒され続けた。ただし多少の予習は必要だ。原爆は核分裂だが、水爆は核融合も利用する。破壊力は圧倒的に違う。アインシュタインマンハッタン計画にどう貢献したのか。その程度は予習しておいたほうが、映画を絶対に深く理解できる。
 ノーランは時おり策に溺れる監督だとの印象がある。『TENET テネット』は何度も挫折して、いまだに最後まで観ていない。でも今回はノーランの策が見事に結晶化した。広島・長崎の惨状も、直接的な描写がなくてオッペンハイマーの一人称で描かれるからこそ、深く強く想起できる。つまりメタファー。映画の本質だ。
 広島・長崎への原爆投下については、戦争を終わらせたと肯定するアメリカ人は少なくない。そして共産主義に対しては、今も多くのアメリカ人は嫌悪を隠さない。アメリカの戦後史における2つのタブーを、意図したかどうかはともかく結果として、ノーランは正面から侵犯した。
 もう一度書く。本作は徹底して映画だ。ノーランに余計な野心はない。でもあなたは映画的野心を目撃する。
 『オッペンハイマー』(日本公開中)
 ©Universal Pictures. All Rights Reserved.
 監督/クリストファー・ノーラン
 出演/キリアン・マーフィー、エミリー・ブラントマット・デイモン
 <本誌2024年4月9日号掲載>
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 4月22日21:01 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「「原爆の父」オッペンハイマーの伝記映画が、現代のアメリカに突き付ける原爆の記憶と核の現実
 アカデミー賞作品『オッペンハイマー』を通して、大勢のアメリカ人が原爆と核戦争の歴史に引き込まれ、ミレニアル世代やZ世代の多くは初めてその現実を知ることになった
 映画は天才物理学者オッペンハイマーの成功と赤狩り時代の「凋落」を描く
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 『オッペンハイマー』は興行収入(全世界で10億ドル近く、アメリカだけで3億ドルを超えた)、アカデミー賞(作品賞を含む7部門を受賞)、レビュー(映画評論家だけでなく科学者や歴史家にも注目された)が示すとおり大成功を収めた。【キャロル・グラック(コロンビア大学名誉教授〔歴史学〕)】
 【関係図】映画『オッペンハイマー』の多彩な登場人物たち
 1人の物理学者が同僚と語り合い、共に研究に取り組んで世界初の原子爆弾を開発する3時間の伝記映画が、スーパーヒーローかスーパーマリオトム・クルーズがいなければ映画館に足を運ばない人々の興味を大いにかき立てると予想した人は少なかった。
 そして、ピンクずくめの少女の着せ替え人形を主人公にした映画がなければ、『オッペンハイマー』はあそこまでヒットしなかっただろうと多くの人が考えている。
 2023年の真夏に同日公開された「バーベンハイマー」(バービーとオッペンハイマーを合体させた造語)は一大ブームを生み、意外すぎる2人組のミームソーシャルメディアを駆け巡った。
 映画『バービー』がなければ、『オッペンハイマー』がこれほど多くの観客を集めることはなかった。『バービー』のおかげで大勢のアメリカ人が原爆と核戦争の歴史に引き込まれ、彼らの多くは初めて知ることになった。
 アメリカでは今や人口の40%以上が、1981年以降に生まれたミレニアル世代とZ世代だ。彼らは第2次大戦に関する知識が驚くほど薄い。
 ヒロシマと原爆は知っているが、その開発や日本に投下するという決断については、ほとんど何も知らない。実際、この世代の大多数は、第2次大戦のアメリカの同盟国と敵国はどこかという質問にさえ答えられないのだ。
 彼ら若い世代の70%近くが核兵器は非合法化しなければならないと考えているが、一方で、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督の息子の言葉にうなずく人も多いだろう。
 Z世代である息子は父親の新作のテーマを聞いて、「核兵器や戦争について本気で心配する人はもういない」と言った。
 ノーランはこう答えた──「たぶん心配したほうがいい」。今は若い世代にも心配している人が増えただろう。『オッペンハイマー』の観客の3分の1以上は32歳以下だ。
 マンハッタン計画
 アカデミー賞授賞式でのノーラン監督(今年3月) TRAE PATTON/©A.M.P.A.S.
 年長の観客は男性のほうが多く、若い世代より戦争について以前から知っていたかもしれない。そんな彼らにとっても、ロバート・オッペンハイマーマンハッタン計画(米政府の原爆開発計画)の物語は新鮮で、心をつかまれた。
 それはどのような物語なのか。その物語は歴史と、そしてアメリカの原爆の記憶と、どのように重なるのだろうか。
 核戦争の結果に「無知」だった
 映画『オッペンハイマー』のシーンから、タトロックと恋仲に ©UNIVERSAL
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 映画は、オッペンハイマーの物語と原爆の物語の2つを語る。複雑なストーリーテリングに時々頭が混乱するが、オッペンハイマーの生涯を3つに分けて描いている。
 第1のパートでは、オッペンハイマーは若い科学者だ。人付き合いが苦手だが優秀で、量子物理学にのめり込んでいる(ベッドに入っても量子物理学の夢を見る)。
 カリフォルニア大学バークレー校で理論物理学研究で名高いグループの礎を築き、左翼的な思想を持ち、共産主義者の友人がいて、詩とサンスクリット語をたしなみ、マティーニを作り、恋愛をする。
 【核戦争の結果に「無知」だった】
 第2のパートは、ニューメキシコ州ロスアラモスを拠点に原爆の製造と実験をめぐる科学的時間との闘いがドラマチックに繰り広げられる。
 マンハッタン計画については「3年間、4000人、20億ドル」と描写されたが、実際には30カ所で10万人以上が関わり、国民にも連邦議会のほとんどにも伏せられたまま22億ドルがつぎ込まれた。
 クライマックスは1945年7月のトリニティ実験だ。世界初の原子爆弾(愛称「ガジェット」)がニューメキシコ州の砂漠の上空で爆発に成功したのは、科学的勝利であると同時に恐るべき瞬間でもあった。
 オッペンハイマーたち研究者は後に、新しい世界の悪魔的な始まりだったと語っている。
 セキュリティーリアランスを剥奪
 映画『オッペンハイマー』のシーン、ロスアラモスにて
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 オッペンハイマーの科学的勝利は政治的災厄に変わり、原爆が引き起こした結果が、映画の第3のパートと彼の残りの人生を占めることになる。
 国民的な名声を得たオッペンハイマー水素爆弾の開発と軍拡競争に反対し、50年代の反共産主義の熱狂の渦中で、水爆の擁護者だった旧敵(ルイス・ストローズ)に引きずり降ろされる。
 偏向した聴聞会を経て、オッペンハイマーはセキュリティーリアランス(機密情報にアクセスできる資格)を剝奪された(2022年に米政府はようやく資格を回復させた)。
 映画ではオッペンハイマーの視点はカラーで、59年の上院公聴会で政府の職を追われたストローズの視点は白黒で描かれる。
 オッペンハイマーの人生については、マーティン・J・シャーウィンとカイ・バードによる傑作の伝記『アメリカン・プロメテウス』(邦訳『オッペンハイマー』ハヤカワ文庫)に基づいている。
 科学者の泣き虫」
 映画『オッペンハイマー』、公聴会でのストローズ
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 ちなみに、ハリー・トルーマン米大統領(当時)はオッペンハイマーを実際に「科学者の泣き虫」と呼んだが、映画で描かれているような状況とは違った。
 実用可能な最新技術である原爆で戦争に勝つこと
 映画『オッペンハイマー』、グローブスとオッペンハイマー
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 もう1つの物語──原子爆弾の伝記映画──は、実際は映画が示唆する以上に複雑だった。こちらの主役である科学者たちは、原爆を製造するための知的および技術的な専門知識を提供した。
 ただし、当時は戦時中であり、マンハッタン計画の責任者だったレズリー・グローブス将軍ら軍部の目的はただ一つ、実用可能な最新技術である原爆で戦争に勝つことだった。
 そして、ワシントンの政治家たちもまた、日本の降伏の先にある戦後の原爆の使用も見据えていた。ヘンリー・スティムソン陸軍長官の言葉を借りれば、ソ連に対する外交では原爆が「切り札」だ。
 映画では、セキュリティーのために内部のコミュニケーションを制限する科学的任務の「区分化」に何回も触れている。
 しかし、現実にはそれよりはるかに大規模で重大な「区分化」があった。科学者と軍部と政治家がそれぞれ自分の領域で活動し、彼らのほぼ全員が、核戦争が人類にもたらす恐ろしい結果について無知だった。
 関係者がサングラスをかけてトリニティ実験の爆発を見守る場面は象徴的だ──まるで核爆発がもたらす危険は、まぶしい光だけであるかのように。
 アメリカ人の「原爆の記憶」
 広島に投下された原爆の写真をマンハッタン計画関係者に見せるオッペンハイマー(1940年代) BETTMANN/GETTY IMAGES
 映画の中でオッペンハイマーは、広島と長崎への原爆投下後、道徳的な懸念にさいなまれ、核兵器の国際管理を支持するようになったと描かれている。
 だが実際には、45年のオッペンハイマーの態度は相反していた。核爆弾を「悪事」だと語ったときもあれば、「なさねばならなかった」と語ったときもあった。
 原爆が広島と長崎に投下されたことで、10月に「私の手は血塗られた」とトルーマンに語ったが、5月には日本への投下に反対はしていなかった。
 死去する2年前の65年には、「私たちは極めて明白な結果を予想しないものだ」と語り、「ロスアラモスでの原爆(開発)は、その最たるものだった」と述べている。
 原爆投下の決定に深く関わった人たちの道徳的・知的反応もまた、「極めて明白な結果」を予期していなかった。
 それでもマンハッタン計画に携わった物理学者のイジドール・ラビやレオ・シラードなどの科学者は、日本への原爆投下に反対したし、投下後は動揺を示した(第2次大戦で米極東陸軍司令官を務めたダグラス・マッカーサーは原爆を「フランケンシュタイン的な怪物」と考えていたとの記録がある)。
 核戦争の真のおぞましさが明らかになるにつれて、アメリカの政府と軍は、爆風やキノコ雲、そして広島と長崎の破壊の報道を容認する一方で、放射能に関する報道は全力で検閲し、抑え込もうとした(放射能の問題に注目が集まり、アメリカは化学兵器を使ったという批判が起こることを懸念する声もあった)。
 原爆の投下は100万人のアメリカ人の命を救った
 映画『オッペンハイマー』のシーンから、アインシュタイン
 ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
 原爆のもたらした痛ましい現実を世間が知ることになったのは、ジャーナリストのジョン・ハーシーが被爆者を追った46年発表の生々しいルポルタージュヒロシマ』(邦訳・法政大学出版局)のおかげだ。
 だが翌47年には、スティムソンがハーパーズ誌への寄稿「原爆投下の決定」で、原爆の投下は100万人のアメリカ人の命を救ったという政府の見解を再び主張した(ちなみに100万人という数字に根拠はなかった)。
 こうして、アメリカ人の原爆の記憶を支配するストーリーが確立された。それは終戦50周年を迎えた95年も健在だった。
 このときワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館は、広島に原爆を投下した爆撃機エノラ・ゲイ」を展示することを計画したが、そこに被爆者や戦後の核軍拡競争への言及は一切なかった。
 また、終戦50周年の記念切手の図案には、きのこ雲のイラストの下に「原爆は戦争の終結を早めた」と書かれていた。昔ながらの原爆の説明から、賛否両論の相反的な要素はすっかりなくなったかのように見えた。
 映画『オッペンハイマー』にも、この単純化された説明が垣間見られる。日本の被爆者のことも、トリニティ実験や戦後のマーシャル諸島ネバダ州などでの核実験で被曝した人たちのことにも全く触れていない。
 それでもノーランは、道徳的な批判を加えたいと考えて、それをオッペンハイマーのキャラクターに詰め込んだ。
 映画の終盤で、オッペンハイマーアルバート・アインシュタインと架空の会話を交わし、「原子爆弾の爆発により生じる連鎖反応は、世界全体を破壊させる恐れ」に改めて言及する。「われわれは破壊した」が、映画における彼の最後の言葉だ。
 世論調査によると、原爆投下に対するアメリカ人の意識は、ゆっくりとだが変わってきた。45年8月の時点では、85%がその決定を支持したが、2015年は57%、18~29歳では47%だった。依然として高い水準だが下落傾向にあるのは間違いない。 
核戦争の瀬戸際にある世界で
 スミソニアン博物館に展示されるのを待つB29爆撃機エノラ・ゲイ」(1995年) REUTERS
 今や放射能の影響や被爆者の苦しみはアメリカの大衆にも知られており、映画の中でオッペンハイマーが、皮膚が垂れ下がった被爆者の姿や、黒焦げの死体を踏み付ける自分の姿を思い描くシーンの意味を理解できるだろう。
 スミソニアン博物館も26年までに、「第2次世界大戦の空中戦」という新しい展示を開く予定で、広島と長崎の写真を含める計画だ。ひょっとすると、日本人の戦争経験への言及もあるかもしれない。
 博物館の趣旨からいって、航空機に焦点が当てられるのは確実だが(従って爆撃された人よりも、爆撃した側の視点になる)、国立博物館という政治的・公的な性格を考えると、1995年当時よりもましな展示になるかもしれない。
 核兵器をめぐる道義心と認識、そして現実は、それぞれ別のものだ。少なくともアメリカではそうらしい。
 現在、ロシアはウクライナで戦術核兵器を使用する可能性をちらつかせているし、アメリカは5日ごとに10億ドルの投資ペースで核備蓄の近代化を図っている。
 世界には1万2000発の核弾頭があり(その大部分はロシアとアメリカが保有している)、1970~2010年代の核軍縮合意や条約は全て放棄されたか、ストップしている。
 今や人類の滅亡を象徴的に示唆する「終末時計」の針は、残り90秒に設定され、1947年の設置以来「世界の破滅に最も近い」状況にある。
 ニューヨーク・タイムズ紙の最近の連載「瀬戸際」は、「核戦争は想像できないと言われてきたが、現在は十分に想像されていない」と警告した。核戦争の脅威が常態化して、私たちは居心地が良くなってしまったかのようだ。
 ノーランのZ世代の息子のように、アメリカの若者は核戦争よりも気候変動の脅威について心配しているし、それよりも上の世代はAI(人工知能)のもたらす脅威で頭がいっぱいだ。
 映画『オッペンハイマー』が、アメリカでどのくらい核に対する意識を高めたのか、たとえ高めたとしても、それがいつまで続くのかは分からない。
 映画の導入部では、オッペンハイマーを「アメリカン・プロメテウス」になぞらえる言葉が表示される。ギリシャ神話に登場する男神プロメテウスは、神々から火を盗んで人間に与えたが故に、永久的に拷問を受けることになる。
 人間が制御できないテクノロジーを生み出したことで、私たちは「プロメテウスの乖離(結果をきちんと想像できない状態)」に陥ったと、戦後ヨーロッパのある哲学者は語った。またある者は「船を発明すれば、難破船も発明することになる」と警告した。
 これこそが、私たちが映画『オッペンハイマー』から得られるメッセージなのかもしれない。
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⏱10:ー3ー1台の中国スパイドローンが自衛隊の致命的弱点を丸裸にした。~No.29 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ドローンは非人道的殺人兵器にもなるが、エセ保守やリベラル左派の反戦平和市民団体は反対していない。
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 日本上空には、インターネットに接続された安価の中国産ドローンが多数飛んでいる。
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 2024年4月18日7:02 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「【国防崩壊】たった1台の中国スパイドローンが丸裸にした“自衛隊の致命的弱点”
 戦争が始まれば、他国のドローン攻撃によって日本の自衛隊はたちどころに機能停止に追い込まれるかもしれないーー。海上自衛隊護衛艦「いずも」を中国スパイドローンが模擬攻撃する動画が物議を醸した。この記事では、動画の真偽を検証するとともに、本件によって明らかとなった自衛隊の「組織的な欠陥」と「致命的な弱点」について分析した。(イトモス研究所所長 小倉健一)
 海上自衛隊護衛艦「いずも」をドローン(無人機)で撮影したとされる動画が交流サイト(SNS)上で拡散されている。映像は当初中国の動画共有サービス『Bilibili』に「我开飞机降落日本航母(不是游戏!!!」(私は飛行機を操縦して、日本の空母に着艦した。ゲームにあらず!!!)というタイトルで掲載され、その後、日本に広まった。
 動画は19秒ほどで、ドローンが護衛艦いずもを後部甲板から前部甲板へ飛行し、撮影をしている内容だ。
 護衛艦「いずも」は、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦、いわゆる「ヘリ空母」と呼ばれているものだ。全長は248メートル、乗員は最大520名。海上自衛隊で1番大型の艦艇(軍艦)であることから、海上自衛隊にとって象徴的な存在になっている。現在、F-35B戦闘機が離着陸できるように改修を進めていて、2026年度中にも実体上は空母になるという。
 そんな海上自衛隊のシンボルである「いずも」をドローンで撮影されたことは、中国でも大きな話題になり、日本では「フェイク動画」ではないのかなどと、真贋が取り沙汰されている。もし事実なら、日本の防衛力の実態が中国のスパイドローンによって簡単にいつでも丸裸にされ、攻撃されかねない事実を白日のもとに晒される事態だ。
 安全保障アナリストで慶應義塾大学SFC研究所上席所員の部谷直亮(ひだに・なおあき)氏はこう警告する。
 「少量の爆薬でもイージス艦SPYレーダーといった機能を停止させたり、パトリオットミサイルのレーダーシステムを損傷させることは可能だ。航空自衛隊や民間空港の滑走路にマキビシをバラまいて機能停止に追い込むことも可能だ」
 動画が真実ならばその懸念が具体化したことになる。
 こうした事態を受け、木原稔防衛相と海上自衛隊の酒井良海上幕僚長は、4月2日の記者会見で、「悪意をもって加工、捏造(ねつぞう)されたものである可能性を含め、現在分析中」(木原防衛大臣)、「不自然な点はあると思うが判断しかねる」(酒井海上幕僚長)と述べた。政府が先頭に立って、動画はフェイクだ、捏造だ、不自然だと印象操作しているわけで、実際、マスメディアの見出しは『護衛艦いずもドローン映像 「捏造の可能性」木原防衛相』というものとなった。だが本当にそうなのだろうか。「そうであってほしい」「そうでなくてはダメだ」などという願望が目を曇らせてはいないだろうか。
 フェイク説を唱える有識者が、最大の根拠としているのは、動画に映し出された艦尾の艦番号である。
 <軍事ジャーナリスト・高橋浩祐氏「いずもの艦番号は183なんですが、船の甲板にはその下2桁の83が必ず記されている。(映像の船には)8はあるが、3は書かれていない」/問題の映像に映った、船の甲板に書かれた「8」という数字。/一方、本物の「いずも」の甲板には「83」と記されていた。/こうしたことから専門家は、AI(人工知能)で作られたものではないかと推測する。/軍事ジャーナリスト・高橋浩祐氏「わたしはフェイク…まがいものの可能性が高いとみています」>(FNNプラインオンライン『【物議】海上自衛隊護衛艦「いずも」を“ドローン撮影”か 中国SNSに映像が投稿 映像には“違和感”…AIによるフェイク?』4月1日)
 その後も彼は艦番号に3がないことを強調し、これをフェイクの根拠としている(Twitter投稿)。
 こうした見立てと違う立場をとるのが、先述の部谷氏の文春オンラインの論考での指摘だ。
 「2024年2~3月のいずもを撮影したとされるSNSに流布している画像を確認すると、83の文字は薄くなっているが、8の方が若干濃くなっている。マスメディアが空撮したものでは、管見の限りではもっとも最新となる昨年12月1日時点の朝日新聞社が撮影したいずもも8が若干濃くなっている。『3』の数字が書かれていないというが、これは第1次改装前のいずもであって、改装後に文字は薄れている。ドローンで撮影されたものは、最近の『いずも』の状態に一致している」
 部谷氏は、さらに「この指摘は4月14日に一般公開された護衛艦いずもを撮影した一般人の数々の画像をみれば『8』だけが濃い」と指摘する。高橋氏の指摘こそが都合の良い写り方を切り抜いたフェイクだとよくわかるというのだ。X上には、部谷氏の指摘を裏付けるような画像が多い。
 例えば、こちらのX上の投稿だ。
 他にも、デイリー新潮『中国のスパイドローンが「護衛艦いずも」を撮影? SNSで拡散する動画に専門家は「飛行甲板に注目すべき」』(4月9日)では、ドローンの出す音について着目し、これがフェイクである根拠と指摘している。
 <軍事ジャーナリストは「私も動画を見ましたが、フェイク動画の可能性が高いと思います」と言う。/「まず、報道に至るまでの経緯が重要でしょう。ドローンを操縦したことがある人ならご存じだと思いますが、飛行時は結構な音がします。あの動画が実際に撮影されたものなら、いずもの乗組員や基地の隊員は音などの異変に気づいたはずです。さらに航空法違反は明確ですし、海上自衛隊護衛艦の上を飛んだという事実は看過できませんから、海自か神奈川県警がドローンの飛来を広報し、それを日本のメディアが報じたはずです」>
 <「私が注目したいのは飛行甲板です。実際の甲板は、もう少し汚れています。動画の甲板は耐熱塗装処理後の雰囲気が感じられず、F35B離発着用の黄色の滑走路標示線も、ちょっと綺麗すぎるのではないでしょうか。甲板に乗組員の姿が全く映っていないのも疑問です。もし本当にドローンが撮影したのであれば、少なくとも1人か2人の乗組員がドローンに気づく様子が納められたはずです」(同・軍事ジャーナリスト)>
 新潮記事に登場する軍事ジャーナリストが誰なのかがわからないが、ドローンは結構な音がする?というのは、筆者は疑問を持つ。ウクライナ戦争において、ドローンがうるさく近づけば気づかれるような代物であったとすれば、あれほどの戦果をあげることなどできるのだろうか。ドローンとAIを活用した課題解決の実績もあり雑誌Wedgeなどにも寄稿しているハッカーの量産型カスタム氏にその点を尋ねた。
 「例えば日本でも入手しやすいDJIなど市販ドローンは、ある程度の高度に達すると騒音の少ない山間部でも気が付かないくらい静かに飛行ができます。ましてや市街地に隣接する『いずも』付近は高速道路などがあるためさらに気が付きにくいはずです。ドローンを操縦したことがある人なら、わかるはずなんですが……。『動画の甲板は耐熱塗装処理後の雰囲気が感じられず、F35B離発着用の黄色の滑走路標示線も、ちょっと綺麗すぎるのではないでしょうか』という指摘も、市販のドローンの性能を理解した上で操縦や空撮の経験があれば、このような疑問は持たないはず」
 として、量産型カスタム氏は、筆者に対してDIJドローンの最新機能が検証されたURL(『Vol.59 驚きの飛行性能&高画質!Mavic 3の映像を検証する・中編 [Reviews]』)を示した。そこには、静音性が向上していること、カメラの機能が高く、広角撮影が可能であること、さらに内蔵補正機能やDJIのアプリケーションによる画質や色の補正もできることが示されていた。他にも、
 <飛ばしていて気づいたのですが、バッテリーがとにかくモチます!>
 <着陸がかなわない連続撮影(電車・バス等の撮影待機、30分以内の花火大会など)などで重宝しそうです>
 <色補正を加えることで通常撮影時よりも表現力の高い映像に仕上げることができます>
 これらファクトを総合して考えるにやはり動画のフェイク説は説得力に欠ける。
 量産型カスタム氏が続ける。「もし生成AIによるフェイク動画と主張するのであれば同じような品質の動画を作り再現する必要があります。自らが再現できないものを出来ると言い張るのは、軍事ジャーナリストだろうと学者だろうと無責任で技術を論ずる資格すらなく信用してはいけません…まあ今回に限らずですけどね」
 となれば、今回の問題の本質は何なのか。部谷氏に見解を聞いた。
 「防衛省自衛隊は、情報戦に自滅しています。映像公開から2週間以上が経過しているにもかかわらず、それに対する対応に失敗しています。まず初手で海幕長が4月2日に飛行甲板上に艦番号は必ず記載しているとしながら、翌日には不記載が標準としましたが、これは海幕長海幕が所属艦艇の状態を把握できないまま、希望的観測で発言したことを示してしまった大失態でした。
 しかも、海幕はこの件に関する世論を全くコントロールできていません。犯人を名乗る人物がXアカウントを開設し、次々と高画質の米空母やいずもの写真を公開して真実性を増す中、2週間以上が経過しても「分析中」を繰り返すだけの受け身です。たかが一動画に対してこのありさまでは、自衛隊の分析能力の低さ、そして、もはや一般的でもある生成AIを利用した動画生成への理解にすらないのかと国内外から疑いの目を向けられかねない状況です。
 これは今回の動画が仮にフェイクであっても変わらない大きな失点です。戦略3文書では外国からの情報戦に対抗し、戦略的コミュニケーションで対抗すると強調していたのに、それがまったく実践できていないからです。昨年の銃乱射事件でも、能登半島地震でも自衛隊は組織的な不利な言説に対し、逆効果となる個別反論を繰り返すだけで、戦略的及び作戦的な情報戦を展開できていません。有事が近づけば、この手の動画が頻出することは間違いありませんが、その際もこのような対応を取るのでしょうか?
 そして警備上も大きな問題が示されたことはいうまでもありません。実は自衛隊施設へのドローンの侵入は日常茶飯事となっており、それに対し何ら有効な能力を発揮できていません。電波法によって貧弱な探知及び射程の短い妨害能力しかない対ドローン機材しか持たず、その配備も遅れており、法的権限も不足しています。
 韓国は北朝鮮のドローン部隊のソウル侵入を契機に、全軍のドローンを一元指揮するドローン司令部を創設し、ドローン対処訓練を公開で行う等、巻き返しています。日本もこれを奇貨として韓国軍の取り組みに見習うべきです」
 現状の日本では、ドローンによる攻撃を受けたとしても、防衛する手段は脆弱だ。このままでは自衛隊は開戦即崩壊という憂き目にあいかねないと危惧している。
 今回の動画をすぐにフェイクだと決めつけたり、何も心配する必要がないと主張するのは避けるべきだ。むしろ、この動画を大切な警告として受け止め、自衛隊の警戒を強め、能力を向上させることで、しっかりと対応している姿を見せることが、抑止力を強化する方法である。
 小倉健一
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 4月18日9:30 YAHOO!JAPANニュース Forbes JAPAN「ウクライナ戦争で急速に進化するドローン、その最新戦術とは
 両陣営の多数のドローン(無人機)が前線で飛び交っている以上、敵機との鉢合わせは避けられない。ロシアがウクライナへの全面侵攻を開始した2022年以来、操縦士が武器を搭載していないドローンを使って敵のドローンを追いやる「ドッグファイト(格闘戦)」が時折起きている。だが現在は異なるパターンが見られる。ドローン同士が予期せず対峙するのではなく、意図的な迎撃が行われており、小型のドローンが大型の爆撃ドローンを攻撃している。
 これは第1次世界大戦で見られたパターンに似ている。初期の複葉機偵察機から軽攻撃機、そして戦闘機へと進化する中で、主な任務は攻撃してくる爆撃機を撃墜し、制空権を取ることだった。そうしなければ敵機に攻撃されるため、不可欠なことだった。それから約100年が経ち、ドローンが飛行する空域の制空権をめぐる争いの中で、同じような動きが小規模に繰り広げられている。
■ロシア軍のドローン迎撃機
 ウクライナ軍が爆撃機として使用する大型ドローン、バーバ・ヤガーは夜間に飛行する。極めて正確に爆弾を投下して戦車やその他の車両を破壊し、ロシア軍部隊の間に恐怖を広げている。このドローンの音は聞こえるが姿は見えない。効果のある妨害電波を散発的に出す以外に、ロシア軍は重爆撃機を撃墜するための有効な方法を見つけられていない。そして今、ロシア軍の一人称視点で操作するドローン(FPV)がバーバ・ヤガーを探し出して意図的に突っ込んでいる映像が出回っている。
 これは偶然ではない。
 ロシアのドローン専門家で、米シンクタンクの海軍分析センター(CNA)と新アメリカ安全保障センター(CNAS)の顧問であるサミュエル・ベンデットはロシア国営メディアのタス通信の記事に言及しつつ「特定の大隊ではいま、パイロット訓練コースにドローン同士の戦闘を組み込んだ公式訓練が行われている」と語った。
 ドローンの操縦士は周囲の状況をほとんど把握できない。一般的に、視界は前方と下方に限られている。そのため、ドローン奇襲を成功させるには通常、上方と後方から攻撃する。
 FPVだけでなく、ロシア軍は標準的なクアッドコプターでもバーバ・ヤガーを狙っている。この場合、バーバ・ヤガーのローターを破壊するために、武器を搭載していないドローンを上空からバーバ・ヤガーの上に落下させる戦術を取る。攻撃側はドローンを失うことになるが、より大きなウクライナ軍のドローンの1機を道連れにできる。
ドローンを用いた戦術は常に進化している
 ロシア軍はまた、ドローン同士の空中戦でより効率的に攻撃できるようドローンを改造している。ロシアのあるグループは3月に「ラム(Ram)」と呼ばれる新型のドローンを披露した。このクアッドコプターには、敵機のローターのブレードに難なくダメージを与えられるよう、金属製のスポークが取り付けられている。この種の改造は、オランダで毎年開催されている、ドローン撃退を競うイベントに触発されたものかもしれない。相手陣地の旗を奪うゲームに似たこの競技は、空中での戦闘で相手のドローンを排除する必要があり、ドローンには槍や鎖などの武器が搭載されている。
ウクライナ軍のドローン戦術
 ウクライナ軍もロシアの攻撃ドローンに対して同様の戦術を用いている。ウクライナのFPVがロシア軍の自爆ドローン、シャヘド136を迎撃している映像はまだない。米国がウクライナに供与した、特定の目的を想定して作られた迎撃用ドローンがシャヘド136への攻撃に成功しているかもしれないが、安全上の理由から詳細は公表されていない。
 ウクライナ軍のドローン操縦士がロシア軍の小型ドローンを撃墜した動画は数多くあり、有名なBirds of Magyarの映像や、ドニプロ川上空で双胴機のドローンを撃墜した映像などがある。
 こうした迎撃が行われている理由は明白だ。防空ミサイルは数十万ドル以上する希少かつ貴重なものであり、巡航ミサイルのような大きな脅威のために温存されている。一方で数百ドル程度のFPVは潤沢にあり、これらを最大限用いることは理にかなっている。
 ウクライナが現在使用しているものより大型で航続距離の長いFPVを開発すれば、これらも防空目的で使われるかもしれない。ゼレンスキー大統領はこのほど、新型の自爆ドローン「ウクロランセット(Ukrolancet)」の性能について説明を受けた。このドローンは地上の標的を攻撃するだけでなく、低速で飛ぶ機体、特にロシア軍のオルラン10やシャヘド136などの無人偵察機やドローンを標的とすることができる。
■ドローン戦争
 戦術は常に進化している。ロシア軍がバーバ・ヤガーを迎撃し始め、ウクライナ軍はバーバ・ヤガーに護衛を付けている。ウクライナ側の映像では、クアッドコプターがバーバ・ヤガーを守り、迎撃を試みるロシア軍のドローンを撃退しているように見える。このドローン戦術は第1次世界大戦というより第2次世界大戦の様相をすでに呈している。
 ベンデットは、バーバ・ヤガーが護衛のFPV一団と行動を共にしているところが目撃されたというロシア側の指摘に言及している。バッテリーの残量が少なくなったFPVはバッテリー交換のために操縦士の元に戻り、その間、他のFPVが任に当たることで護衛は継続される。FPVは標的に接近する偵察機として機能するだけでなく、地上目標を攻撃し、敵のドローンから守る遮蔽物にもなる。
 ドローン操縦を趣味とするウクライナの数人がクアッドコプターを使ってロシア軍の陣地を偵察していた2年前と比べると、事態は大きく進展している。投入されるドローンの数が数百万機に増え、戦場をますます支配するようになるにつれて、同様の速度で事態は今後も進展し続けると予想される。
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🐇11:─1─「日本の惨状を誰かのせいにする」人ばかりの社会、「考え方」を変えなければ豊かになれない。~No.11 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本企業はブラック化し、経験の浅い若い社員を経営リスクとして大量リストラし、残った社員を社畜として酷使ししてストレスで過労死・自殺へと追い込んだ。
 メディアは、経済アナリストやエコノミストを使って大量解雇を正当化した。
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 自称正義の味方による同調圧力が、日本人を無能無教養にし、日本を堕落させ衰退させる。
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 2024年1月18日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「日本の惨状を誰かのせいにする」人ばかりの社会、「考え方」を変えなければ豊かになれない
 なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか? 張り紙が増えると事故も増える理由とは? 飲み残しを放置する夫は経営が下手? 
 話題の新刊『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。
 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い
 世界から経営が失われている
 経営とは、企業や社長のものなのだろうか。
 『世界は経営でできている』で気鋭の経営学者は、経営を「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だという。
 そして、そのような経営はすっかりみられなくなった。
 〈世界から経営が失われている。
 本来の経営は失われ、その代わりに、他者を出し抜き、騙し、利用し、搾取する、刹那的で、利己主義の、俗悪な何かが世に蔓延っている。本来の経営の地位を奪ったそれは恐るべき感染力で世間に広まった。
 プラトンの時代からドラッカーの登場まで、人類史における本来の経営は「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げるさまざまな対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だったはずだ。〉(『世界は経営でできている』より)
 〈しかし現代では、経営ときいて「価値創造を通じて対立を解消しながら人間の共同体を作り上げる知恵と実践」を思い浮かべる人は少数派になった。
 人生のさまざまな場面において、経営の欠如は、目的と手段の転倒、手段の過大化、手段による目的の阻害……など数多くの陥穽をもたらす。〉(『世界は経営でできている』より)
 経営概念、世界の見方・考え方を変えない限り、人生に不条理と不合理がもたらされ続けているのだ。
 「価値は有限でしかありえない」のか?
 〈日本には「価値は有限でしかありえない」という誤った観念が普及した。
  (中略)
 価値は有限だとする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。いかにして価値を掠め取ったかを自慢するだけの書物が街に溢れた。多くの人は経営の概念を誤解し経営を敵視するようになった。そうするうちに本来の経営の概念は狡知の概念と入れ替わってしまった。
 もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。善人に対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎることになる。
 こうした誤った推論により、日本の現状を誰かのせいにする言説が流行した。若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い……。現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往している。自己責任論という名の、責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられてきた。誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのようだ。〉(『世界は経営でできている』より)
 価値を有限だと思い、何かを誰かと奪い合うのは、個人と社会にとって大きな損失である。
 そのことを理解して、初めて日本や世界が豊かになる方法を考えることができるのかもしれない。
 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
 現代新書編集部
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🎷117:─1─誰が総理・総裁になっても自民党は負ける。「政権交代」立憲支持層の9割強。~No.439No.440 

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 自民党は、国民から見捨てられる。
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 2024年4月20日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「自民党は「人材の砂漠」になってしまった…「選挙の神様」と「ベテラン政治記者」が断言…「誰が総理・総裁になっても自民党は負ける」
 前編記事『幹事長を信用できない総理に解散はできない…『選挙の神様』久米晃と『ベテラン政治記者星浩が政局ぶったぎり「自民党を壊した岸田総理」』に続き、自民党の終わりについて語り合った。
 【一覧】「次の首相になってほしい政治家」ランキング…上位に入った「意外な議員」
 自民党は人材の砂漠
 星 今国会の会期末、6月解散の可能性が指摘されています。久米さんはないとおっしゃいますが、私はまだ五分五分であり得ると見ています。
 岸田さんには、楽観的な見通しをつないで、先を読む傾向があります。裏金問題も、今回の処分でケリがつく。国賓待遇での訪米で議会演説を行い、脚光を浴びる。賃上げで、国民の懐が温まる。6月には定額減税が行われ、可処分所得も増える。これらの結果、岸田さんはうまくやっていると支持率が上がり、選挙で信を問う、というわけです。
 久米 景気が本当によくなれば、岸田総理も解散を打てるかもしれませんが、解散できるほど支持率が上がっていれば、解散しなくても総裁選で再選されるわけですから。私は、岸田総理が6月解散に打って出ることはないと思っています。
 星 岸田さんが思うように事が運ぶほど簡単ではないですからね。本来は側近に「総理、そんなにうまくはいきませんよ」と諫める人がいないといけないのですが、そういう人材が見当たらない。
 仮に6月解散で自民党が大敗すれば、岸田総理が本当に自民党を壊してしまうことになる。
 久米 支持率の低迷が続けば、いずれ政権は立ち行かなくなります。問題は、次を担う人材がいないということです。かつては、「三角大福中」や「麻垣康三」といった次の総理候補の名前が何人も挙がったものですが、いまはいません。石破茂元幹事長の待望論などまだ聞こえてきません。自民党の人材が払底している証拠です。自民党は人材の砂漠になってしまった。
 投票に値する政治家がいない
 星 安倍長期政権で、若手議員は政変を知らない。党内でケンカもしていないので、パワーが弱くなったことは否めません。
 久米 政治家から志が欠落し、本当に質が落ちたと感じます。投票率の低下は、国民の政治への無関心からではなく、投票に値する政治家がいなくなったからです。
 星 その原因はどこにあると見ますか? 
 久米 一つの要因に小選挙区制があるのではないでしょうか。政権交代が可能な二大政党制なんて誰が望んだというのでしょうか。結果、政党に所属していないと選挙で勝てない。カネを持っている人しか当選できない。それでは政界に新しい血も入らないし、政治家を志す若い人もいなくなる。これは日本にとって、不幸なことです。
 星 世の中の多くは岸田政権のみならず、自民党全体に怒りを抱いているように見えます。
 久米 日本は現在、多くの危機に直面しています。ウクライナ戦争で明らかになったのは、食料・エネルギーの危機。能登半島地震など災害の危機もあります。台湾をめぐる中国との危機も以前から指摘され続けています。しかし、岸田さんはこうした危機への対応は一つもできなかった。まあ、岸田さん一人の責任ではないのですが。
 星 岸田さんは、たしかに防衛費を5年かけて43兆円に増額すると決めた。これは一種の危機対応として、評価する声はあります。しかし、その後がいけない。岸田さんは、防衛費増額は国民に負担をかけない形で行い、増税もほとんどしないという説明をした。国民からすると、別に増税も必要ない程度の危機なのかと、勘違いしてしまいます。
 少子化対策にしても、年間出生数は80万人を切っていて、非常に深刻なのに、国民の負担は一人あたり平均月450円だと説明する。これでは危機感は伝わりません。
 久米 自分の言っていることが正しいという自信があれば、おのずと説得力は備わるものです。説明から逃げているというのは、自分に自信がないということでしょう。
 しかし、自民党内部から政権や執行部に対する不満の声があまり聞こえてこない。そこが自民党の危機です。5月の連休が終われば、さすがに危機感を抱いて、もっと声が上がると思います。なければ終わりです。
 誰が総裁になっても負ける
 星 支持率がこのまま回復しなければ、どこかのタイミング、たとえば8月くらいにギブアップして総裁選を早めるという可能性もあります。
 その場合、これまで3回出馬している石破さんは総裁候補の「有資格者」です。上川陽子外相や高市早苗経済安保相、野田聖子総務相といった女性陣も手を挙げるでしょう。他には加藤勝信官房長官河野太郎デジタル相といったところでしょうか。
 久米 誰かぶっちぎりで走るような人が出てこないと、誰が総裁になっても自民党議席を増やすことはないと思います。石破さんなら、マイナス20議席、とか。貧乏くじを引きたくないから、みんな様子を見ているのでしょう。マイナス議席が大きすぎると、選挙後すぐに責任を取れと言われてしまいますから。
 星 総理大臣はいきなりはなれないポストです。それなりに準備をしておかなければならない。かつては、大蔵大臣(財務大臣)や外務大臣といった主要閣僚、さらに幹事長などの党三役を経て、総理へのキャリアを築いていった。しかし、安倍政権下では、麻生さんがずっと財務相の座にいたし、幹事長には二階俊博さんが長く君臨した。訓練を積むポストが与えられなかったため、将来の後継候補が育っていないとも言えます。
 久米 中堅・若手を登用する人事もうまくいっていません。岸田さんは福田達夫さんを総務会長に抜擢しましたが、旧統一教会自民党の関係について「何が問題かわからない」と福田さんが発言してから、評判は下がる一方ですね。
 公明党も負ける
 星 在職中は「選挙の神様」と呼ばれた久米さんですが、次期衆院選はどうご覧になりますか。
 私は、前回選挙で起こった「首都圏3異変」に注目しています。石原伸晃元幹事長、甘利明前幹事長、桜田義孝元五輪相の3ベテランが立憲民主党の新人にコロッと負けた。自民党の重鎮でも、民意次第でどんどんひっくり返るという現象が始まっていると思います。
 久米 都市部では自民党支持率はもう上がってきませんからね。自民党比例代表も確実に減らすでしょう。そうなると、比例復活がなくなる。自民党に入らない票は、立憲にいくと思いますよ。
 これは私の持論なのですが、選挙というのは、自民党に入れたいか、入れたくないかを問うものなんです。自民党に入れたくない場合は、一番入れやすい野党に入れるか、投票せずに寝るかのどちらかです。立憲が3月上旬に行った情勢調査で、東京で自民党がボロ負けするという結果が出たと言われていますが、その通りになると思います。野党が政権を取れるほどではないが、自公過半数割れという事態は十分あり得るでしょう。
 星 自民党が都市部で勢いを失った分を、公明党=創価学会が補うという見方もありますが、あの組織にも、もうそこまでの力はありません。
 久米 自民党が負けるときに、公明党が勝つことはなく、自民党が負けるときは公明党も負ける。
 注目は4月28日
 星 自公が過半数割れになるとどうなるか。それは負け方次第でしょうね。過半数にほんの少し足りないだけなら、国民民主党を入れて政権を維持する。さらに足りない場合は、日本維新の会に声をかけるでしょう。しかしそうなると公明党が反発する。いずれにせよ、与野党議席差次第です。
 久米 自公が過半数割れすると、あらゆる場面で野党に妥協するしかなくなり、政局はますます混乱するはずです。
 星 ただ、政権交代があるという緊張感がないと日本の政治はいつまでもダメなままです。
 久米 野党がだらしないから大丈夫、という驕りが今の慢心した自民党を作ってしまった。その意味で注目は4月28日の島根1区の補選です。惨敗すると自民党の危機感に、ようやく火が付くのではないでしょうか。

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 くめ・あきら/'54年、愛知県生まれ。業界紙記者を経て、'80年に自民党職員に。以来、一貫して選挙畑を歩み、党選対本部事務部長や党事務局長などを歴任した。'19年に定年退職し、現在は選挙・政治アドバイザーとして活動する

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 ほし・ひろし/'55年、福島県生まれ。東京大学卒業後、'79年に朝日新聞社に入社し、ワシントン特派員や政治部デスク、特別編集委員などを歴任。'16年に退社し、『NEWS23』のキャスターに。現在はTBSスペシャルコメンテーターを務める

                  • -

 「週刊現代」2024年4月20日号より
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 【もっと読む】『「総理になってほしい人」ランキング最新結果を発表! 9位菅義偉、8位山本太郎…「高市早苗」の驚きの順位』
 週刊現代講談社
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 4月21日 MicrosoftStartニュース 毎日新聞「「政権交代」立憲支持層の9割強 公明支持層でも3割弱 世論調査
 衆院本会議の議場=国会内で2024年4月9日午後1時54分、平田明浩撮影
 © 毎日新聞 提供
 20、21日実施の毎日新聞世論調査で、次の衆院選政権交代してほしいと思うかどうかを聞いたところ、「政権交代してほしい」との回答が62%に上った。「政権交代してほしくない」は24%、「わからない」は13%だった。
 「政権交代してほしい」との回答は30代、40代、50代の7割弱。18~29歳、60代、70歳以上でも約6割あった。支持政党別では、立憲民主党支持層の9割強、日本維新の会支持層の約7割が「政権交代してほしい」とした。自民党支持層は8割弱、公明党支持層は約6割が「政権交代してほしくない」と答えたが、公明支持層では「政権交代してほしい」も3割弱あった。自民支持層では1割強。
 自民派閥の政治資金パーティー裏金事件を受けた党内処分が「甘すぎる」と答えた人の74%が「政権交代してほしい」と回答した。自民の裏金事件対応への厳しい評価が、政権交代を望む声が大きいことの背景になっているようだ。【飼手勇介】
 関連するビデオ: ANN世論調査 自民党の処分基準「納得しない」が8割 (テレ朝news)
テレ朝news
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 自民党は人材不足。野党は信用できない。
 現代日本から、国際感覚を兼ね備えて世界の指導者と渡り合った新保守のアベイズムは消えつつある。
 与野党の大半の政治家には、口先だけで現実に沿った国家観、歴史観を持っていない、
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 現代日本では、エセ保守による右傾化とリベラル左派によって左傾化で二分化が進み、その間で歴史ある由緒ある伝統的正統保守は衰退している。
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 自民党保守政党とは言えないし、野党には保守は存在しない。
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 現代日本には、本当の意味での正統保守はごく僅かな少数派である。
 日本の多数派は、エセ保守とリベラル左派による反宗教無神論・反天皇反民族反日である。
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🎻16:─5・E─なぜアメリカ軍は「日本人だけ」を軽視するのか?日本はアメリカ軍の植民地。No.61 

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 日本に駐留するアメリカ軍は、国連軍である。
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 現代日本人は、民族的な伝統力・文化力・歴史力そして宗教力がない為に現実の歴史が理解できない。
 その傾向が強いのは、超エリート層と言われる超難関校出の高学歴な政治的エリートと進歩的インテリ達であり、彼らはエセ保守とリベラル左派そしてメディアと教育の中枢にいる戦後利得者の系譜にいる日本人である。
 戦後利得者の系譜にいる日本人とは、護憲派である。
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 2024年4月4日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜアメリカ軍は「日本人だけ」を軽視するのか?…その「衝撃的な理由」
 『知ってはいけない』
 矢部 宏治
 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。
 はじめに
 それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、
 「また陰謀論か」
 「妄想もいいかげんにしろ」
 「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」
 などと批判されることが、よくあります。
 あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。
 自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。
 「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」
 いつもそう思っているのです。
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 4月15日6:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「戦後日本」は、じつはアメリカの軍部によって「植民地支配」されているという「ヤバすぎる現実」
 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
 【写真】なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。
 「無責任な軍国主義」を支持する日本
 私たち日本人が生きていたのは、実は「戦後レジーム」ではなく、「朝鮮戦争ジーム」だった。そしてそれは「占領体制の継続」よりもさらに悪い、「占領下の戦時体制」または「占領下の戦争協力体制」の継続だったのだ。
 そのことがわかると、いろんな謎がスッキリ整理されてきます。
 私が日本の戦後史を調べ始めてから、ずっと不思議で仕方がなかったふたつの問題。
 なぜ多くの心ある、しかも頭脳明晰なリベラル派の先人たちが、自国の憲法に対して、「指一本触れるな」としか、いうことができなかったのか。
 同じく、なぜ「占領軍による憲法草案の執筆」という、疑問の余地のない歴史的事実について、「その話は、いまはまだするな」と60年以上、いいつづけることしかできなかったのか。
 それは「占領下の戦時体制」が法的に継続するなか、憲法9条に少しでも手をふれてしまえば、米軍の世界戦略のもとで、自衛隊が世界中の戦争で使われてしまうことが、本能的によくわかっていたからでしょう。
 けれども、よく考えてみましょう。冷戦の終結からすでに30年近くが経ち、世界の状況は大きく変わりました。
 もともとは、「無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまで」(「ポツダム宣言第6項」)
 という大義名分のもと、大日本帝国を占領し、日本の独立後は、その「世界から駆逐すべき無責任な軍国主義」の対象を共産主義国に切り替えて(「旧安保条約前文」)、アジア全域に居座りつづけた米軍。そしてその国際法違反の軍事行動を、60年以上、無条件で支持し続けてきた日本。
 皮肉なことに現在、私たちが世界から駆逐すべき「無責任な軍国主義」とは、このあまりに従属的な二国間関係のなかにこそ、存在している。その問題を私たち自身の手で、清算すべきときがきているのです。
 世界史的なスケールを持った対立
 マッカーサーがどれほど自覚していたかはわかりませんが、日本の独立モデルをめぐるマッカーサーと軍部の対立は、
 「新しい時代の集団安全保障構想(国連軍+憲法9条)」と、
 「従来型の軍事同盟(東西冷戦構造)」
 の対立という、世界史的なスケールをもった対立でもありました。
 しかし朝鮮戦争の突然の開戦によって、マッカーサー・モデルはその砲煙のなかに消えさり、ダレスの考案した「疑似国連軍」としての米軍が、世界中に軍事同盟の網の目を張りめぐらしていくことになりました。
 なかでも日本は、国連憲章の暫定条項(例外条項)を駆使したダレスのさまざまな法的トリックに完敗し、国連の名のもとに米軍に無制限の自由を与える、徹底した軍事的従属関係を認めることになってしまったのです。
 それがサンフランシスコ・システムです。
 そのあまりに歪んだ二国間関係が、冷戦の終結後、アメリカの軍部に「世界の単独支配」という「狂人の夢」を見させ、アメリカ自身を、みずからがつくった国連憲章の最大の破壊者へと変貌させてしまった。
 日本と世界のためにできること
 私もこれを知ったときは驚いたのですが、じつはあのブッシュ政権国務長官だったコンドリーザ・ライスでさえ、日本と韓国に軍をおくアメリカ太平洋軍について、次のように述べているのです。
 「太平洋軍司令官は昔から植民地総督のような存在で(略)最もましなときでも外交政策と軍事政策の境界線を曖昧にしてしまい、最悪の場合は両方の政策をぶち壊しにしてしまう傾向があった。誰が軍司令官になろうが、それは変わらなかった。これは太平洋軍司令官という役職にずっとつきまとっている問題だろう」(『ライス回顧録集英社)
 つまり「戦後日本」という国は、じつはアメリカ政府ではなく、アメリカの軍部(とくにかつて日本を占領した米極東軍を編入した米太平洋軍)によって植民地支配されている。
 そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態になっているのか、その歴史的経緯や法的構造が、さっぱりわかっていないということです。
 けれどもこの本をお読みになってわかるとおり、謎はすべて解けました。
 あとは、いつになるかわかりませんが、きちんとした政権をつくって日本国内の既得権益層(いわゆる「安保村」の面々)を退場させ、アメリカの大統領や国務長官に対して、
 「現在の日米関係は、朝鮮戦争の混乱のなかでできた、あきらかに違法な条約や協定にもとづくものです。こうした極端な不平等条約だけは、さすがに改正させてほしい」
 といって交渉すればいいだけです。
 なにしろ日本人の人権は、アメリカのコウモリや遺跡よりも、米軍から圧倒的に低く扱われているのです(第6章)。真正面からその事実を示して堂々と交渉すれば、
 「いや、それは今後も続ける」
 といえる大統領も国務長官も、さすがにいないでしょう。
 日本人が、この歪んだ従属関係であるサンフランシスコ・システムから脱却することは、日本はもちろん世界の歴史にとっても、非常に大きなプラスをもたらすことになるのです。
 さらに連載記事<なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」>では、コウモリや遺跡よりも日本人を軽視する在日米軍の実態について、詳しく解説します。
 矢部 宏治
   ・   ・   ・   
 4月17日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜ日本は「法治国家崩壊状態」になってしまったのか?…主権国家の指導者として絶対にやってはならない「致命的な罪」
 アメリカによる支配はなぜつづくのか? 
 第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた国々は、そのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めている。それにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは? 
 累計15万部を突破したベストセラー『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む! 
 【写真】なぜ「日本の戦後」だけがいつまでも続くのか?…日本の「末期的状況」とは
 本記事では、〈日米同盟の「創世神話」…自民党がもらっていた巨額の「秘密資金」と「選挙についてのアドバイス」〉にひきつづき、CIAと日本の政治家のかかわりについてくわしくみていきます。
 ※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
 岸が「絶対にやってはいけなかったこと」とは?
 みなさんよくご存じのとおり、そもそも岸という政治家自身が、早くからその高い能
力と反共姿勢をCIAによって見出され、英語のレッスンなども意図的に授けられて、 獄中のA級戦犯容疑者から、わずか8年余りで首相の座へと駆けあがった人物でした。
 しかしだからといって、岸が外国の諜報機関の指示通りに動き、金や権力のために心
を売った人間だと考えるのは、おそらく完全なまちがいでしょう。 CIAという機関にそのような力はなく、日本以外では失敗ばかりしているということは、先ほどの大スクープをニューヨーク・タイムズ記者として放ち、それから13年後 の2007年にはベストセラー『CIA秘録』(日本語版は2008年 文藝春秋)を書いて一躍有名になった、ジャーナリストのティム・ワイナー氏が、はっきりと述べています。
 とくにCIAは、報道機関や反政府デモなどを利用して気に入らない政権を転覆させることは比較的上手だが、そのあと思い通りの政権をつくることはほとんどできていな い。
 パーレビを失脚させたあと、ホメイニを登場させてしまったイラン。フセインを処刑したあと、国家が崩壊して無法地帯となり、終わりのないテロとの戦いに苦しめられることになったイラクなどが、その代表的なケースなのです。
 岸がCIAから金をもらいながらつくった(→『知ってはいけない2』123ページ)自民党という政党が、多くの致命的欠陥を抱えながら、60年たったいまもなお政権の座にあるのは、けっして外国の諜報機関の力によるものではなく、「保守本流」とよばれた反岸派の政策も含めたその基本方針が、日本人の願望によくマッチしたものだったからにほかなりません。
 しかしそのなかで岸は、主権国家の指導者として絶対にやってはならない、いくつか の致命的な罪を犯しており、そのことがいま「法治国家崩壊状態」と私たちが呼んでいる日本の惨状につながっている。
 では、その「絶対にやってはいけなかったこと」とは、具体的になんだったのか。
 それらは現在の日本社会に存在する大きな歪みや矛盾、機能不全などと、どのようなメカニズムによってつながっているのか。
 そして最後に、私たちは今後、どのような国際政治の力学のもと、どのような政治的 選択を行って、それらの問題を解決し、正常な民主主義国家として再スタートを切ることができるのか。
 それらの問題を適切に解決するためにどうしても必要なのが、いま私がお話ししている、岸政権によって密室で結ばれたアメリカとの3つの密約が、その後の日本社会にどのような混乱をもたらしたかについての、正確な歴史認識とその具体的な分析なのです。
CIAの「岸ファイル」
 岸の個人的な歴史については、すでに無数の本が書かれており、私がそれに付け加えることは何もありません。ですからここでは、それをできるだけ簡単にまとめてみることにします。
 まず、もっとも信憑性が高いアメリカ政府の公文書では、岸とCIAの関係についてどのような事実が明らかになっているのか。
 残念ながら、情報公開の先進国であるアメリカといえども、岸に関するCIA文書は依然としてほとんど開示されていません。アメリ国立公文書館には「岸信介」ファイルがちゃんと存在するものの、閲覧可能な箱の中身はごっそり抜かれている。
 この問題にもっとも詳しい有馬哲夫・早稲田大学教授によれば、 「アメリカの国益をそこね、イメージを悪くする情報は、基本的にCIAファイルからはでてこない」(『CIAと戦後日本』平凡社)のだそうです。
 そして有馬さんは、岸に関するCIA文書について、
 「〔CIAの〕岸ファイルには『ニューヨーク・タイムズ』の記事の切り抜きなどが数 枚入っているだけだ。残っているはずのほかの〔大量の〕文書や記録をいっさい公開していないのは、彼が非公然にアメリカのためにはたした役割がきわめて大きく、かつ、公開した場合、現代の日本の政治にあたえる影響が大きいからだろう」(同前)
と述べています。
 はっきり言えば、岸の孫である安倍首相が日本の政界で主要な政治的プレイヤーでいるあいだは、そうしたファイルは絶対に公開されないということです。逆に、安倍氏が引退し、さらに自民党に代わる親米的で安定した政権ができれば、すぐにでも公開されるでしょう。なにしろ、もう60年も前の記録なのですから。
 アメリ国務省が公表した「ぎりぎりの事実」
 というのも、そもそもアメリカという国が日本といちばん違っているのは、そうした「不都合な真実」をなんとか少しでも公開しようという戦いが、政府のなかでも激しく行われているという点だからです。
 ティム・ワイナー氏は『CIA秘録』のなかで、過去にCIAが行った日本への政治工作については、その機密文書の公開をめぐってアメリカ政府のなかに「10年以上におよぶ内部抗争」があったと書いています。
 そして2006年7月、「CIAが現時点で認めることが可能な、ぎりぎりの内容」 について、国務省が見解を表明する舞台となったのが、同省の歴史課が19世紀から刊行をつづけている『アメリカ外交文書』(“Foreign Relations of the United States”)という有名な歴史資料集だったのです。これは作成後20~30年たって公開された膨大なアメリカの外交文書から、とくに重要な文書を選んで編纂されたもので、本書でも何度もこの資料集から引用しています(以下「FRUS」と略称)。
 その2006年版(7月18日刊)の「編集後記
 (エディトリアル・ノート)」でアメリ国務省は、おそらくCIAとの10年以上におよぶ長い戦いの末に、次の事実を認めることを発表しました(以下、要約。原文は→ http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1964-68v29p2/d1)。 ☆ ☆
 ○ 日本に左派政権が誕生することを懸念したアメリカ政府は、日本の政界が進む方向 に影響を与えるため、1958年から1968年のあいだに4件の秘密計画を承認した。
 ○ そのうちの三件の内容は、次の通り。
 1:CIAは、1958年5月の日本の衆議院選挙〔=前出の、岸政権のもとで行われた自民党結党後はじめての衆議院選挙〕の前に、少数の重要な親米保守の政治家〔=岸や佐藤ほか〕に対し、秘密資金の提供と選挙に関するアドバイスを行った。援助を受けた個々の候補者には、それはアメリカの実業家からの援助だと伝えられた。 中心的な政治家への控えめな資金援助は、1960年代の選挙でも継続した。
 2:CIAは、左派の野党〔=日本社会党〕から穏健派〔=民社党〕を分裂させるため、1960年に7万5000ドルの資金提供を行った。そうした資金提供は、1964年までほぼ毎年、同程度の額で行われた。
 3:日本社会から極左勢力の影響を排除するため、ジョンソン政権〔1963年11月~1969年1月〕の全期間を通して、「より幅広い秘密のプロパガンダと社会活動」に対し、資金提供〔たとえば1964年には45万ドル〕を行った。
 この声明を読んで不思議なのは、このとき公にされたCIAの秘密計画は、上のとおり3件しかないということです。
 それなのになぜアメリ国務省が、あえて「四件の秘密計画」をアメリカ政府が過去に承認したと書いたかといえば、この時期、日本に対して行われたもうひとつの秘密計画だけは、CIAからの強い圧力によってどうしても公開できなかったこと――つまりそれが「CIAが絶対に公開したくないほど重要な秘密計画」であることを、はっきり示しておきたかったからでしょう。
 そしてそれはまちがいなく、有馬教授が示唆し、ワイナー氏が断言するとおり、「CIAと岸との絶対にオモテに出せない関係」についての秘密計画だったと思われます。
 *
 さらに連載記事〈なぜ日本だけが「まともな主権国家」になれないのか…アメリカとの「3つの密約」に隠された戦後日本の「最後の謎」〉では、日本が「主権国家」になれない「戦後日本」という国の本当の姿について解説しています。
 矢部 宏治
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🎺63:─1─京都を原爆から救ったというアメリカと中国が作ったウソの神話。〜No.301No.302 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 悪意の嘘で塗り固められたアメリカのウォーナー神話と中国共産党の梁思成神話。
   ・   ・   ・    
 現代日本の歴史において、エセ保守とリベラル左派が悪意に満ちたニセ神話を量産して民族の正統神話を駆逐している。
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 2024年2月8日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
 見え透いた神話
 日本が好きという米国人はKGBT系を除くとほとんどいない。
 ヘンリー・スティムソンはその意味ではまともだから徹底して日本人を嫌い、一発目の原爆投下地を日本人の心の故郷、京都とした。
 投下地点は京都駅の少し西の梅小路停車場で、その上空500メートルで爆発させるはずだった。
 その高度だと核分裂が生む火球は盆地状の京都をくまなく飲み込める。金閣寺も清水の舞台も50万市民とともに一瞬に焼き尽くすだろう。
 B29による都市空爆が始まると原爆の威力がどれほどか正確に測るために京都への空襲を禁じられた。
 ただ土壇場になって当初の計画が変更され、一発目は広島に、二発目は長崎に落とされ、その一週間後に日本は降伏した。
 結果、京都は空襲もなく無傷で生き残った。
 GHQの民間情報教育局のハロルド・ヘンダーソン中佐は朝日新聞に『京都を救ったのはハーバード大学のラングドン・ウォーナーの進言のおかげ』と書かせた。
 彼は日本の貴重な美術品や史跡のリストを作って空爆の目標から外すよう米政府に訴えた、と。
 記事には当時の美術評論界の泰斗、矢代幸雄による『交戦中の相手国の文化財にまで心にとめ保護した米国に敬意を表す』という趣旨のコメントも付いていた。
 日本人は驚く。東京も大阪も焼け野原にし、原爆まで落として女子供を焼き殺した米国人は鬼畜そのものだ。そんな連中が文化財に配慮しましたなんて冗談がきつすぎる。
 そう思っていたら吉田茂が来日したウォーナーを箱根の別荘で歓待し、鈴木大拙も京都が無事なのは『大統領に進言した彼のおかげ』と言い出した。
 細川護熙の祖父、護立も自ら発起人になって彼の顕彰碑を奈良に建てている。
 しかし例えば彼のリストには大阪城名古屋城など15のお城が載っているが、うち8城は空襲で焼かれた。名古屋城に至っては63回っもの空爆を受け、焼け落ちている。
 少し考えればウォーナーの話はいい加減と分かりそうなのに、その後も鎌倉文人が『鎌倉を救ってくれた』と戦後20年も経って彼の顕彰碑を建てている。
 嘘を承知で米国を美化する。この手の文化人の心理は分かりにくいが、それから半世紀後、今度は北京から『京都を救ったのは梁思成のおかげ』という話が届けられた。
 梁思成は戊戌の政変で日本に亡命した梁啓超の息子で、中学生のころ支那に帰っていった。風の噂では米国に留学して建築学を学んだとか。
 そんあ男がどう京都を救ったのか。
 支那側の説明だと彼は日支事変の戦火を避けて雲南省昆明疎開し、そこで日本本土爆撃を模索してるカーチス・ルメイと会った。
 日本を知る梁は爆撃目標の選定に協力。そのときに京都奈良の保護を頼み、ルメイは頷いたという。
 昔の中学生が今の日本の軍事施設に通暁(つうぎょう)しているという設定もヘンだが、どう見てもウォーナー神話の二番煎じにしか見えない。支那は物真似に長ける。新幹線だけでなく、米国製美談を真似て日本人に感謝してもらおうというのか。
 失笑で終わりたいと思っていたら、平山郁夫が真顔で話に乗っかった。
 ついには北京で『京都の恩人、梁思成』の胸像のお披露目まで行われた。
 会場には外務省代表も日中友好協会も列席し奈良に像が置かれる展開に。それでも日本から『要らない』の声は出なかった。
 ウォーナーを紹介した朝日も『京都の恩人、ホントは梁思成』を報じた。
 同志社大の日本通オーティス・ケリーは『日本人の歪んだ外国認識』と批判する。外国人に恥をかかせないように嘘でも信じたふりをする。
 美徳のつもりだろうが、それでは京都に原爆を落としかねない米国の野蛮も、支那の破廉恥も許すことになる。それは彼らのためにならない」
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 日本国憲法前文の「(抜粋)日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」はウソであり、そんなのは人類史上存在した事がない幻、悪夢である。
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 32年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
   ・   ・   ・   

2017-09-28
✨21)─1─昭和天皇は、原爆は非人道的大量殺戮兵器であるとして開発中止を厳命した唯一の国家元首。~No.89No.90No.92・ @ ⑰ 
   ・   ・   ・   
 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達が行った、ヒトラースターリンから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民を助け保護したのも、差別反対・弱者救済・貧困愛護そして儒教的徳以上の神話的道理(本質的価値観)に命を賭ける天皇の御威光であった。
 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達の靖国神社、軍部・陸軍は、反ユダヤの宗教的人種主義が支配する世界から助けたユダヤ人に裏切られた。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
 昭和天皇は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズムボルシェビキ、ナチズム、ファシズムの攻撃・侵略から日本の国(国體・国柄)・民族・文化・伝統・宗教を守っていた。
   ・   ・   ・    
 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
   ・   ・   ・   
 中世キリスト教会・イエズス会修道士会と白人キリスト教徒商人は、日本人とアフリカ人を奴隷として世界中に輸出していた。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではなかった。
 明治以降の日本の大陸戦争は、江戸時代後期から始まった積極的自衛戦争であった。
 日本の滅亡の危機は、キリスト教の宗教侵略とロシアの軍事侵略と共産主義イデオロギー侵略であった。
   ・   ・   ・   
2024-01-08
💖目次)─8─近代天皇と軍部・陸軍の人道貢献・平和貢献。「歴史の修正」は悪なのか?~No.1 * 
   ・   ・   ・   
2018-12-03
🎺40:─3・A─ルーズベルトチャーチルは、懲罰として日本人の上に原爆を落とす事に合意した。ハイドパーク協定。1944年9月~No.179No.180No.181・ @ 
2024-03-10
🎺40:─3・B─1944年9月 米英のハイドパーク協定。原爆を「日本人に対して使う」秘密合意。~No.179No.180No.181 
2018-12-04
🎺40:─4─ルーズベルトは、「日本側が戦争終結を望んでいる」というOSS情報を切り捨てた。1944年11月~No.182No.183No.184・ @ 
2020-03-14
🎺40:─5─米国民の7割が日本への無差別絨毯爆撃による虐殺に賛成した。1944年〜No.185No.186No.187・ 
2018-12-05
🎺40:─6─日本陸軍部隊は、漢口大空襲の中から数十万人の中国人を救出し保護し収容し治療して助けた。1944年12月17日。~No.188No.189No.190No.191・ @ 
2021-08-19
🎺41:─2・A─連合軍の化学兵器・細菌兵器を使用する日本本土侵攻作戦。~No.193 
2023-03-09
🎺41:─2・B─連合軍は日本人1,450万人を攻撃対象とする「毒ガス空爆」を計画していた。~No.193 
2022-08-17
🎺42:─2─【公文書発掘】終戦後もアメリカは原爆を落とそうとしていた。~No.1962018-12-07
🎺43:─2─ヤルタ極東密約。ルーズベルトスターリンに、日本人の生殺与奪の権を与えた。1945年2月 ~No.200・ @  
2020-08-08
🎺45:─1─アメリカ・ルートでの降伏交渉は失敗に終わった。日本の海軍と陸軍によるOSS工作。~No.207No.208No.209 ㉘ 
2018-12-10
🎺46:─1─日本の陸軍と外務省は、戦争終結の為にスイスでOSSと国際決済銀行を通じてアメリカと極秘工作を始めた。1945年3月~No.210No.211No.212・ @ 
2018-12-14
🎺47:─1─アメリカは、昭和天皇の命と地位の安全を否定した無条件降伏を要求した。ザカライアス謀略放送。1945年5月~No.220No.221No.222・ @ 
2018-12-15
🎺47:─2─軍国日本は戦争終結極秘交渉を決定し、米英両国は日本人に対する原爆投下実験を最終決定した。1945年5月15日~No.223No.224・ @ 
2018-12-16
🎺48:─1・A─ホワイト・ハウスは、二発の原爆投下実験が終了するまで降伏を認めない事を決定し、年末までに18発の原爆投下を許可した。1945年6月 ~No.226No.227No.228・ @ 
2023-08-14
🎺48:─1・B─大東亜戦争、日本への原爆投下〝8発以上〟の予定だった、3発目は東京へ。~No.226No.227No.228 
2021-07-17
🎺48:─3─昭和天皇は海軍特命戦力査閲使報告書で戦争終結交渉開始を決断した。6月22日。~No.230No.231No.232 ㉛ 
2018-12-24
🎺51:─4─ポツダム宣言から昭和天皇の身の安全と皇室の存続を保証する条項が削除された。1945年7月26日~No.249・ @ 
2018-12-26
🎺54:─1─アメリカは、二種類の原爆投下実験と稲作地帯への枯葉剤散布を計画していた。1945年8月~No.259No.260No.261・ @ 
2018-12-29
🎺54:─4─ユダヤ人科学者は、核兵器研究開発の為に、原爆破壊データの早期回収を求めた。ロンドン協定。1945年8月7日~No.265No.266No.267・ @ 
2018-12-31
🎺55:─1─日本民族は、「国體」を死守する為に一億総玉砕を誓った。~No.272No.273・ @ 
2019-01-05
🎺59:─1─昭和天皇の聖断が、日本人を共産主義者の虐殺から救った。1945年8月16日~No.289No.290No.291・ @ ㊳
2022-06-10
🎺65:─1─日本陸軍の抵抗がなければ日本は分断国家になっていた。~No.306No.307No.308 ㊶ 
2019-01-09
🎺68:─2─アメリカの国民とユダヤ人は、懲罰として、昭和天皇の極刑(死刑)と天皇制度の廃絶を望んだ。1945年9月16日~No.317No.318No.319No.320・ @ 
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🎷112:─1・B─「日本と台湾の絆」が岸田総理の裏ガネ処分によって「ズタズタ」に...?~No.431 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アベガー勢力である野党・メディア・教育が、自民党内裏金問題を騒ぎ立てる隠れた意図は安倍系新保守の親台湾派を潰して無力化にし、安倍晋三元総理の「台湾有事は日本有事」を死語にしてこの世から消し去る事であった。
   ・   ・   ・   
 2024年4月16日8:03 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「日本と台湾の絆」が岸田総理の裏ガネ処分によって「ズタズタ」に...?台湾政府関係者が明かす「日台関係の重大な懸念」
 4月3日に台湾の花蓮で大地震が発生。岸田文雄首相が発信した「慰問声明」に蔡英文総統が「応答」するなど、日台間の「絆」が改めて示された。
 【写真】大胆な水着姿に全米騒然…トランプ前大統領の「娘の美貌」がヤバすぎる!
 だが台湾側が日本に対して注目したのは、首相声明だけではなかった。
 「世耕弘成参院幹事長は離党勧告、萩生田光一政調会長は党の役職停止1年……」
 翌日に自民党で起こった「激震」である。蔡政権の関係者が明かす。
 「2年前に安倍晋三元首相が凶弾に斃れて以降、安倍派の重鎮たちが後を継ぎ、台日のパイプを繋いできましたが、今回ことごとく処分されました。それによって今後の台日関係を担う日本の大物議員が見当たらないのです」
 日台友好はいかに?
 一方で、台湾側にも「変化」が見られるという。
 「李登輝総統自らが、流暢な日本語を駆使して対日外交を担った時代など、今は昔。今年1月に総統選挙と同時に行われた立法委員(国会議員)選挙で、日本留学組の候補者たちがほぼ全滅しました。
 113人の当選者のうち、陳冠廷委員(東大修士号)くらいで、陳委員は蔡総統に近いものの、まだ38歳。対米外交に較べて、対日外交の人材が著しく不足しています」
 こうした中、台北駐日経済文化代表処の次期代表(駐日大使に相当)人事も迷走している。
 「5月20日の頼清徳新政権発足に伴い、謝長廷代表(元行政院長)が帰任しますが、日本語人材も少なく、後任が決まらないのです」(同前)
 日台友好はいかに? (本誌特別編集委員)
 「週刊現代」2024年4月20日号より
 ・・・・・
 【もっと読む】トランプ復活なら「台湾侵攻は静観」「ウクライナは分割」の悪夢か…説得のために「日本政界の長老」が動き出した
 週刊現代講談社
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 中国共産党寄りのエセ保守とリベラル左派は、台湾有事が発生すれば台湾を見捨てる。
 つまり、日本人は中国軍に侵略された台湾・台湾人を救う為に中国と戦争をする気はない、ただ無意味で薄情な言葉である「遺憾」を発言するのみである。
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 現代日本では、霊的宗教的な「生きた言霊」は存在しない。
 同時に、日本人が名誉を重んじる武士・サムライでもなく意地を張る百姓でもない証拠である。
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 4月16日8:36 YAHOO!JAPANニュース TBS NEWS DIG Powered by JNN外交青書が公表 日中関係戦略的互恵関係」を推進と5年ぶりに明記
 日本の外交活動や国際情勢について記した外交青書が公表されました。日中関係について、5年ぶりに「戦略的互恵関係」を推進すると記しています。
 きょう公表された2024年版の外交青書は、去年1年間の日本の外交活動について外務省がまとめた報告書で、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルパレスチナ情勢など国際社会の課題について、「世界各地域の安定と繁栄に影響をもたらす問題」と指摘しました。
 中国については、去年11月の日中首脳会談で再確認した「戦略的互恵関係」を「包括的に推進する」と5年ぶりに明記。
 その一方で、東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出を受け、中国が日本産の水産物輸入禁止にしたことについて「即時撤廃」を、日本のEEZ排他的経済水域に設置されたブイの「即時撤去」を求めているとしています。
 また、北朝鮮について、核・ミサイル開発は「断じて容認できない」と非難。拉致問題を「時間的制約があり、ひとときもゆるがせにできない」「1日も早い帰国を実現すべく、全力を尽くす」と記しました。
 その上で、岸田総理の「首脳会談を早期に実現すべく、私直轄のハイレベルで協議を行っていきたい」との発言を記載しました。
 韓国については、韓国の尹大統領の来日や岸田総理の韓国訪問など、「日韓関係が大きく動いた1年」と振り返り、厳しい国際環境の中で、「パートナーとして協力していくべき重要な隣国」と表現しました。
 今後の日本外交の展望として、歴史の転換点にある国際社会の中で、「人間の尊厳」という価値を中心に、「世界を分断や対立ではなく、協調に導く外交を展開する必要がある」と締めくくっています。
   ・   ・   ・   
 4月16日11:53 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「日中「互恵関係」5年ぶり明記 24年版外交青書
 上川陽子外相
 上川陽子外相は16日の閣議で、2023年の外交、国際情勢をまとめた24年版外交青書を報告した。昨年11月の日中首脳会談で確認した「戦略的互恵関係」を5年ぶりに青書に書き込み、包括的に推進すると明記した。韓国との関係改善を反映し、10年版以来14年ぶりに「パートナー」と表現した。
 中国に関する記述では、懸案を含めて対話を重ね、共通課題については協力する「建設的で安定的な関係」の構築が重要だと表明した。
 韓国に関しては、インド太平洋の厳しい安全保障環境を踏まえ「日韓の緊密な協力が今ほど必要とされる時はない」と重視した。
   ・   ・   ・   
 4月17日6:00 YAHOO!JAPANニュース Book Bang「中国が台湾に侵攻したら宮古島を舞台に日本有事が発生…『外事警察』の麻生幾が描く“リアル”とは(レビュー)
 『リアル 日本有事』麻生幾[著](角川春樹事務所)
 宮古島陸上自衛隊員一〇名を乗せたヘリコプターが墜落してから早一年が過ぎた。原因については事故当時様々な憶測が飛んだが、中国による侵攻作戦の対策に向けた視察ゆえの悲劇だったと喝破したのが麻生幾である。本書は麻生がその宮古島を主要舞台に、改めて日本有事のリアルの一端を描いた軍事活劇だ。
 三月前半、中国人民解放軍が台湾全面侵攻に向けて動き出したとの情報が防衛省に知らされる。二週間後、東京・江東区で造船企業の特殊船舶係長が変死。男は防衛省と水陸両用装甲車の国産化事業を推進していたが、人民解放軍の情報機関の女と長らく接触していた。女はとうに逃亡しており、その後警察の捜査で、中国の狙いは装甲車そのものではなく、上陸作戦に向けての宮古列島の地勢データであることが判明する。
 その宮古島から目と鼻の先にある小島、神ノ島は年に一度の秘祭を迎えようとしていた。新任教師の糸村友香は幼馴染の与座亜美の娘たちを教えることになり有頂天になっていたが、やがてその妹のほうが不審な男を目撃。ダイバー姿の男を描いたスケッチ画は程なく中央にもたらされ、中国の特殊部隊が潜入したものと分析されるが……。
 中国の台湾侵攻が動き出す中、人民解放軍の特殊部隊が与那国島でも石垣島でもなく宮古島に潜入したのは何故か。目的不明なまま、陸上自衛隊からも熊本の第8師団の情報小隊や長崎の水陸機動団、千葉の特殊作戦群の精鋭が宮古島に向かう。
 いつものように、防衛省の人事から自衛隊の組織、宮古島の地理、施設、銃火器、軍用品に至るまで、微に入り細にわたる麻生タッチに貫かれているが、それに惑わされてはならない。自衛隊は中国の情報戦略に翻弄され、戦闘の火ぶたが切られても応戦に手間取る。やがて次々と仆れていく兵士たち。米軍の出方も注目だし、まさに今、そこにある危機を活写した実戦小説なのだ。
 [レビュアー]香山二三郎(コラムニスト)
 かやま・ふみろう
 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮
 Book Bang編集部
 新潮社
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🎹04:─3─30代の軍官の革新エリートが絶望的戦争を初め日本国民を地獄の戦場へ送り込んだ。~No.10No.11 

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 戦前の日本は、「老人が戦争を始め、若者が犠牲になった」は、嘘であった。
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 2024年4月15日6:26 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「海軍大学校を首席で卒業「神がかり参謀」が見せた“天才的な戦術”と“頓珍漢な戦略”の落差
 神 重徳(1900-1945)
 日本が戦争に敗れた理由は、兵器の性能や、兵力の差だけではない。指揮官の質にも大きな問題があった。
 軍事史に詳しい大木毅さんの新刊『決断の太平洋戦史 「指揮統帥文化」からみた軍人たち』(新潮選書)は、日米英12人の指揮官たちの決断の背後に潜む「文化」や「教育」の違いに着目している。
 同書で取り上げられている軍人の一人が、日本海軍の神重徳(かみ・しげのり)。キスカ撤退戦などで水際立った才能を発揮する一方で、「捷(しょう)」号作戦や「大和」沖縄特攻など破滅的な作戦を次々に立案し、「神がかり参謀」と呼ばれた。
 以下、同書をもとに、そんな神の生涯と戦歴をたどり、「戦術の天才」と「戦略の失格者」という二面性について見てみよう(『決断の太平洋戦史 「指揮統帥文化」からみた軍人たち』第3章をもとに再構成)。
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 軽巡洋艦「多摩」の艦長としてキスカ撤退を成功に導く
 神重徳は1900(明治33)年に鹿児島県の造り酒屋に生まれ、何度か受験に失敗しながら海軍兵学校へ進学。卒業後は砲術科の将校となった。またも受験失敗を繰り返しながら海軍大学校に進み、卒業時は何と首席だった。その後ドイツ駐在を命じられると、ちょうど政権を掌握したナチスに心酔。ヒトラーの崇拝者となるが、帰国後は日独伊三国同盟締結が世界大戦につながる危険性を認識し、不安を覚えていたようだ。
 そんな神だが、こと戦術面に関しては強気の姿勢を崩さなかった。以下、その具体例。
大本営海軍部参謀時代、真珠湾攻撃成功の後、連合艦隊を挙げてパナマ運河を叩くべしと上官に提言。補給困難を理由に却下される。
・第1次ソロモン海戦を立案。ガダルカナル上陸作戦の援護に当たっていた連合軍艦隊に完勝。艦上にていわく「これだから海戦はやめられないのさ」。
アッツ島玉砕の後、キスカ撤退作戦に臨んで、躊躇する司令官を一喝。軽巡「多摩」に乗り込み守備隊の完全救出に成功する。
 参戦各国の指揮官や参謀たちは、いかなるエリート教育を受けたのか。どの国も腐心したリーダーシップ醸成の方策とは何なのか――。「指揮統帥文化」という新たな視座から、日米英12人の個性豊かな人物像と戦歴を再検証。組織と個人のせめぎ合いの果てに現れる勝利と敗北の定理を探り、従来の軍人論に革新を迫る野心的列伝 『決断の太平洋 「指揮統帥文化」からみた軍人たち』
 かくのごとく、前線では「優れた闘将」と評された神だが、1943(昭和18)年12月、海軍省教育局に戻される。その後は水上艦艇の「殴り込み」の成功体験が忘れられなかったのか、すでに航空兵力の前に無力であることが証明された戦艦を活用すべしと主張。犠牲ばかりが増大する作戦を、次々に立案していくのである。以下、その具体例。
・上官に自分を戦艦「山城(やましろ)」の艦長にするよう要望。それに乗ってサイパン島の米軍を撃破すると主張し、却下される。
連合艦隊先任参謀として、フィリピン海上において空母機動部隊を囮として米艦隊を引き付け、その隙に水上部隊を敵上陸船団に突っ込ませるという「捷」号作戦を立案。結果は惨敗。
・沖縄に来寇した米軍に対する水上艦艇の特攻を主張。その結果、「大和」を旗艦とする第2艦隊は沖縄へ向かい、悲惨な結末を迎える。
 終戦時、神は第10航空艦隊参謀長の任にあった。隷下部隊との連絡のため北海道に出張した帰途、乗機が青森県三沢沖で不時着水。同乗者と岸に向けて泳ぎだしたものの、途中でその姿は消えた。事故とも自殺とも判然としない、謎の死であった。
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 大木氏は、ある意味で日本軍人の典型のような神の戦歴には、日本軍の教育が大きく関わっていると分析し、次のように述べている。
 「よく知られているように、海軍兵学校海軍大学校陸軍士官学校陸軍大学校の教育は、作戦・戦術次元の知識を偏重し、敢えていうならステレオタイプの解答を叩き込んだ。そうして形成された日本軍の指揮官は、戦闘の「公式」が通用する範囲、すなわち艦長や連隊長・大隊長レベルでは有能たり得た。しかし、より創造性と柔軟な思考を必要とする戦略・戦争指導の責任を負うや、愚行に向かうということがしばしばあったのだ。むろん、彼らの個人的な資質の問題もあっただろう。けれども、かかる日本軍のコマンド・カルチャーも深刻な影響をおよぼしていたのではないだろうか」
 戦史の表層には現れることのない参戦各国の「教育」が、戦いの帰趨を左右したという大木氏の指摘は、現代においても大きな意味を持つのではないか。
 ※本記事は、大木毅『決断の太平洋戦史 「指揮統帥文化」からみた軍人たち』(新潮選書)に基づいて作成したものです。
 デイリー新潮編集部
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 日本を太平洋戦争に暴走させたのは、50代60代の保守的官僚や軍人ではなかった。
 超難関校出の高学歴な超エリート層は革新マルクス主義者として、ファシストの親ナチス・ドイツ派、ヒトラー崇拝者と共産主義の親ソ派、レーニン信奉者に分かれていた。
 皇室と戦前の正統保守は、親ユダヤであり親ポーランド、そして親英知米派であった。
 反ユダヤなどの人種差別主義者である右翼・右派は、保守ではない。
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 明治新政府は、ロシアに対する積極的自衛戦争に勝つ為に佐幕派・討幕派の優秀な子弟を超難関校の帝国大学や陸海軍大学に集めてエリート教育を施した。
 日本のエリート教育が狂い始めたのは、日露戦争日韓併合後で、マルクス主義共産主義が最高学府の帝国大学に浸透してからである。
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 40年5月 ノモンハン事件ソ連軍を指揮したジューコフ将軍は、スターリンに接見して日本軍の評価を尋ねられ、「兵士は真剣で頑強。特に防御戦に強いと思います。若い指揮官たちは、狂信的な頑強さで戦います。しかし、高級将校は訓練が弱く、紋切り型の行動しかできない」と答えている。(「ジューコフ元帥回想録」)
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 4月16日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「じつは「日本の良さ」が失われていた「文明開化」の「激しい反動」…崩れてしまった「和魂漢才」
 松岡 正剛
 じつは「日本の良さ」が失われていた「文明開化」の「激しい反動」…崩れてしまった「和魂漢才」
 © 現代ビジネス 提供
 日本文化はハイコンテキストである。
 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する!
 *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
 「ジャパン・フィルター」が機能しなくなる
 大和本草国学のような国産物の開発、日本儒学の研究といった連打は、政治や思想や文化における「中国離れ」を引きおこします。日本はこのままいけるんではないか、もっと充実した国になれるんではないか。宝暦天明期や文化文政期には、そんな驕りさえ出てきます。
 ところが、そこにおこったのがアヘン戦争(1840)です。イギリスが清を蹂躙した。幕府が唯一親交を温めてきたオランダ国王からの親書には、「次は日本がやられるかもしれない」という警告が書いてありました。これは「オランダ風説書」という文書に示されています。
 実際にもロシアの戦艦が千島や対馬にやってきて、通商のための開港を求めます。幕府は外国船打払令などを連発して、これを追い払おうとするのですが、効き目がない。
 そうこうするうちに、ついに「黒船」がやってきて(1853)、この対処に戸惑った幕府は解体を余儀なくされました。海外向け、外交上のジャパン・フィルターの持ち札がなかったのです。やむなく攘夷か開国かで国内は大騒動です。これで明治維新に突入することになったのです。
 こんなふうになったのは、黒船に代表される西洋の近代科学の力に圧倒されたということもあるでしょうし、同時にその西洋の力によって、かつての日本にとってのグローバルスタンダードであった清国がなすすべもなく蹂躙されたアヘン戦争という事件を間近に見たせいでもあったでしょうが、いずれにしてもそこで、それまで日本が保持していた何かが損なわれたのです。
 これまでの日本であれば、グローバルスタンダードを独特のジャパン・フィルターを通して導入していたはずのものが、西洋の政体と思想と文物をダイレクトに入れることにしたとたん、つまり「苗代」をつくらずに、フィルターをかけることなく取り込もうとしてしまったとたん、日本は「欧米化」に突入することになったのです。
 これを当時は「文明開化」とは言ってみましたが、でもそこからは、大変です。列強諸国のほうが、裁判権とか通商権などに関してフィルターをかけようとしたのです。
 西洋の文化を受け入れるに際して、あまりに極端なオープンマインド、オープンシステムで応じたために、中国の文物を受け入れるに際しては機能した「和漢の境をまたぐ」という仕掛けがはたらかなくなりました。
 こうして「和魂漢才」はくずれ、できれば「和魂洋才」を律したかったのですが、そこもどちらかといえば「洋魂米才」があっというまに広がっていきました。このことは明治の大学が「お雇い外国人」にそのスタートを頼んだことにもあらわれています。
 仮名の発明から徳川時代国学まで続いた「中国離れ」は「列強含み」に変わったのです。それではいかんと奮起して日清戦争日露戦争に勝利できたあたりから、日本主義やアジア主義を唱える新たなムーブメントもおこりますが、その動向はまことに微妙なもの、あるいは過剰なものとなっていきました。
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 さらに連載記事<じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」>では、「稲・鉄・漢字」という黒船が日本に与えた影響について詳しく語ります。
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🎺07:─1・B─開戦した理由に迫る陸軍謀略機関「秋丸機関」の極秘報告書。昭和16年7月~No.38 

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 2021年12月31日 YAHOO!JAPANニュース「日本が“無謀にも”米軍と開戦した理由に迫る 日本陸軍・謀略機関の「極秘報告書」を発掘
 今年の12月8日は、日本軍の真珠湾攻撃から80年の節目に当たる。なぜ日本は大国・アメリカに戦いを挑んだのか。慶應義塾大学経済学部の牧野邦昭教授が、当時の陸軍内部の「謀略機関」極秘報告書を発掘。その分析を通し、無謀な開戦に突き進んだ「謎」に迫った。
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 【写真6枚】日本軍の攻撃で炎上するアメリカ戦艦
 今から80年前の昭和16(1941)年12月、日本はアメリカとイギリスに宣戦を布告し、多くの犠牲者を出して昭和20(1945)年8月に敗戦を迎えることになります。経済国力の極めて大きいアメリカに対して開戦したことは現代の視点からは非常に無謀に見えます。そのため、これまでは当時の日本の指導者(特に軍人)の「愚かさ」「非合理性」が批判されてきました。
 しかしよく考えてみると、当時の日本の指導者は、政治家や官僚であれば帝国大学、軍人であれば陸軍大学校海軍大学校を卒業し、海外経験もあるエリート中のエリートです。彼らが今の日本の政治家と比べても格別に愚かで非合理的だったとはいえません。また、彼らがアメリカと日本との国力差を知らなかったわけでもありません。むしろ日本や各国の経済力の調査は政府や軍の内部で盛んに行われていました。
 アメリカの経済国力を記した文書は焼却処分に
 真珠湾攻撃
 日本軍機による攻撃で大爆発を起こしたアメリカ海軍の駆逐艦ショー(USS Shaw dd-373)(1941年12月7日)(他の写真を見る)
 ノモンハン事件で日本軍がソ連軍と戦って大きな打撃を受け、さらにヨーロッパで第2次世界大戦が始まった昭和14(1939)年、日本陸軍は将来の総力戦に向けた研究を行うために陸軍省内に「経済謀略機関」を作ることを決めます。計画を主導したのは、スパイ養成機関として知られる陸軍中野学校などの創設に関わり「謀略の岩畔(いわくろ)」と呼ばれた岩畔豪雄(ひでお)大佐でした。
 実際の機関の運営のため、満洲国の経済建設に関わった秋丸次朗主計中佐が関東軍から呼ばれ、陸軍省戦争経済研究班(対外的名称は陸軍省主計課別班)、通称「秋丸機関」が作られます。秋丸中佐は有沢広巳や中山伊知郎など一流の経済学者や統計学者、地理学者、さらに官僚などを集め、日本のほか、英米ソなどの仮想敵国、同盟国のドイツやイタリアの経済抗戦力、特に脆弱な点を分析しました。
 秋丸機関の研究とその結末については、中心人物の一人だった有沢広巳の戦後の証言が長らく信じられてきました。有沢によれば、昭和16年の日米開戦前に行われた秋丸機関の陸軍上層部に向けた報告会では、アメリカの経済国力の大きさが強調されましたが、説明を聞いた杉山元(はじめ)参謀総長は「本報告の調査およびその推論の方法はおおむね完璧で間然するところがない。しかしその結論は国策に反する、したがって、本報告の謄写本は全部ただちにこれを焼却せよ」と命じ、報告書はすべて回収されて焼却されたというのです。
 「極秘」扱いの報告書を発見
 秋丸機関が作成した報告書は長年見つからなかったので、有沢の証言は事実であるとみなされてきました。そして秋丸機関の研究とその結末は「正確な情報を無視した陸軍の非合理性」を示す例としてこれまでしばしば挙げられてきました。
 しかし、近年はオンラインで利用できる公的な歴史資料データベースが飛躍的に充実し、一昔前とは比較にならないほど容易に資料の所在の確認や閲覧が行えるようになりました。インターネットでデータベースにアクセスし、適切なキーワードで検索するだけで、一瞬で資料を見つけることができるようになったのです。
 このような環境変化を受けて、私は大学図書館公共図書館などで数多くの未発見の秋丸機関関係資料を発掘することができました。焼却されたといわれていた陸軍上層部向けの「極秘」扱いの報告書も多くが見つかり、その調査を基に平成30(2018)年に『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)を刊行し、幸いに翌年度の読売・吉野作造賞をいただくことができました。
 その後も新資料が相次いで見つかり、今年に入り、陸軍上層部向けの報告書で見つかっていなかったものも、やはりインターネット上での検索の結果、大東文化大学で見つけることができました。
 イギリスの弱点
 真珠湾攻撃
 日本軍の攻撃を受けて炎上するウェストバージニア(1941年12月7日)(他の写真を見る)
 報告書が焼却されたという有沢証言は事実ではなかったわけですが、では見つかった「極秘」の報告書にはどのような情報が書かれていたのでしょうか。焼却とまではいかなくても隠蔽しなければならないような陸軍にとって不都合な事実か、あるいはその逆に対英米戦に大いに役立つ必勝の戦略が書かれていたのでしょうか。
 実は結論から言うとどちらでもないのですが、まずは報告書の内容を説明しましょう。
 昭和16年7月に作成された秋丸機関の報告書「英米合作経済抗戦力調査」では、次のようなことが書かれています。
 「イギリスは主に植民地など本土以外から資源を得ているがそれでも不足する資源が多い。しかしイギリスだけでなく第三国にも多額の支援を行う余裕のあるアメリカを合わせれば巨大な経済国力となりほとんど弱点は無くなる。
 ただしアメリカからイギリスへの船舶による軍事物資輸送力に弱点がある。またアメリカの戦争準備には1年から1年半かかるのでその準備の遅れも弱点といえる」
 こうした分析を基に、イギリスに資源を供給する植民地を奪ったり、アメリカからイギリスに軍需物資を運ぶ船舶を大量に撃沈したりすることが戦略として提言されています(アメリカに対しては具体的な戦略はほとんど提言されていません)。
 イギリスだけなら勝つことはできなくもない、と分析できたが……
 したがってイギリスだけならば勝つことはできなくもないとも読めるのですが、よく考えるとアメリカは第三国に対しても多くの支援をできるくらい国力に余裕があるわけですから、仮にイギリスの植民地が全て奪われたり、本国との交通が遮断されたりしたとしても、アメリカがイギリスを支援し続ければイギリスは屈服しません。
 イギリスが屈服するとすれば大西洋上でアメリカからイギリスに物資を運ぶ船舶が大量に撃沈される場合ですが、当然、大西洋上の船舶を日本海軍は攻撃できません。
 当時すでにドイツ軍のUボートがイギリスの船舶を大西洋上で盛んに攻撃しており、それによりイギリスが苦境に立たされていることは日本でも報道されていました(したがって「英米合作経済抗戦力調査」の内容はそれほど目新しいものではありませんでした)。
 問題は独ソ戦(1941年6月勃発)に突入したドイツが引き続き国力を維持して大西洋上でイギリスへの支援を絶つことが可能か、にかかっています。したがって重要なのは英米よりもむしろドイツの国力分析ということになります。
 ヒトラー
 アドルフ・ヒトラー(他の写真を見る)
 ドイツの限界
 やはり昭和16年7月に作成された秋丸機関の報告書「独逸経済抗戦力調査」では次のようなことが書かれています。
 「ドイツの国力は既に限界に達しており現在のままでは来年から低下する。独ソ戦が極めて短期(2カ月程度)で終わりソ連の資源や労働力をすぐに利用できれば国力を強化できるが、万一長期戦になればドイツは消耗するだけになり敗北する。
 さらにドイツは仮に短期でソ連に勝利できてもなお不足するマンガンや銅、クロムを入手するために南アフリカに進出し、さらにスエズ運河を確保して東アジアと連絡を維持する必要がある。
 日本は独ソ戦の結果、英米ソから包囲されるので、南方の資源を確保すべきである」
 当時の日本ではナチスプロパガンダの影響を受けて同盟国ドイツの国力を過大評価する傾向がありましたし、ナチス上層部と親しかった大島浩駐独大使もドイツ優位との情報を日本に送っていました。そうした中、秋丸機関はドイツの国力の限界を非常に冷静に分析していました。
 それと同時に、報告書の回りくどい表現からは、陸軍内部の研究組織だった秋丸機関は、陸軍の意向に反する報告を出しにくかったこともわかります。
 日本の経済国力が長期戦に耐えらないことは明白だった
 当時は独ソ戦開始に伴い、ドイツとともにソ連を攻撃しようという北進論(陸軍参謀本部中心)と、北方のソ連の脅威が薄れるからこそ資源を求めて南に向かおうという南進論(陸軍省軍務局や海軍中心)が対立していました。秋丸機関は陸軍省軍務局との関係が強く、それゆえ日本の南進を求める文言が加えられたのでしょう。
 南進して英米と戦争になっても、イギリス屈伏の鍵を握るドイツの国力は既に限界に達しているので、長期戦になれば当然日本も勝つことはできません。報告書全体を読むとそうしたことを遠回しながら理解できるのですが、秋丸機関はそれを明確には指摘できませんでした。秋丸機関参加者の苦悩は、ドイツの南アフリカへの進出が必要であるという、どう考えても無理な条件が加えられているところから察することができます。
 秋丸機関の報告は同盟国ドイツの国力の限界を指摘するものでしたし、日本の経済国力が対英米長期戦には耐えられないことは、国家総動員体制確立のための計画立案・推進にあたった企画院や、陸軍省整備局戦備課、内閣総理大臣直属の総力戦研究所などの研究でも繰り返し指摘されていました。
 そもそもアメリカの国力が日本と比べて極めて大きいことは当時の常識でしたので、「正確な情報」は指導者だけでなく一般人もある程度知っていたということになります。
 近視眼的な選択の繰り返しで選択肢が狭まっていき……
 にもかかわらずなぜ日本はアメリカと戦争することになったのでしょうか。
 アメリカが本格的に第2次大戦に参戦するためのきっかけとして、英米が日本からの先制攻撃を望んでいたという説もありますが、それと同時に、当時の日本に明確な方針が無く、どのような影響があるかを十分考慮せずに近視眼的な選択をしていったことで、取りうる選択肢が狭まっていき、最後は極めて高いリスクを冒して戦争に賭けることになってしまったという側面を無視することはできません。
 既に述べたように独ソ戦に伴い南進論と北進論が対立し、結局「両論併記」つまり足して二で割る形で、南進論に基づく南部仏印進駐と北進論に基づく関東軍特種演習とが昭和16年夏に実施されます。
 しかし南進は東南アジアの英米の植民地を直接脅かすものですし、北進はドイツと戦うソ連を脅かし間接的にイギリスの脅威になるものでしたので、アメリカは日本を牽制するため在米日本資産を凍結するとともに、日本に対する石油輸出を停止します。こうしたアメリカの厳しい反応は日本の予測を超えるものでした。
 これにより日本の石油備蓄量と消費量から、1~2年で日本は石油を失い「ジリ貧」に陥って戦わずに屈伏することが確実視されましたが、一方で石油を求めて開戦するにしても多くの調査が示すようにアメリカの国力は圧倒的であり、それと戦えば日本は高い確率で敗北すること(ドカ貧)も明らかでした。
 マスコミ、議員らは対米強硬論あおった
 このように追い詰められた状態になると、人間は希望的観測にすがりたくなります。「高い確率で敗北する」の裏返しである「低い確率ではあるがドイツが短期でソ連とイギリスを屈服させ、日本が東南アジアの資源を獲得して国力を強化すれば、戦争準備が間に合わないアメリカは交戦意欲を失い、日本に有利な講和に応じるかもしれない」という希望的観測が過大評価され、それを正当化するためにさまざまな情報のうち都合の良い部分(秋丸機関の報告書の「イギリスのみなら屈伏させられるかもしれない」という部分など)が開戦の材料とされてしまったと考えられます。
 さらに新聞などマスメディアは対米強硬論をあおり、議員も国会で強硬論を主張します。世論全体が対米強硬論を支持し、政府の「弱腰」を批判するようになりました。人間は個人だと割と冷静な判断をすることができますが、集団心理が働くと極論が支持されるようになる傾向があります。この時もこうした集団心理が、非常にリスクの高い開戦という政府と軍の選択を後押しすることになりました(詳しくは拙著『経済学者たちの日米開戦』をご参照ください)。
 現代の組織でも起こり得る
 当時、陸軍省軍務局軍務課長だった佐藤賢了は戦後、日本は「弱かったが故に戦争に突入した」と述べています。ずるずると日中戦争に突入し、「ドイツの快勝に便乗して、南方に頭を向け」るなど、確固とした方針が無くその時々の状況に左右されながら日本が対米開戦に進んでいったことを佐藤は反省しています(佐藤賢了『軍務局長の賭け』)。
 80年前の対米開戦の過程では、「組織内部では問題点を明確に指摘しづらい」「異なる意見がある時にそれをまとめることが難しい」「長期的なビジョンが無いのでその場の状況に応じて近視眼的な判断をして、かえって行き詰まってしまう」「希望的観測を過大評価してしまう」「集団心理が働くと極論が支持される」といった、ある意味では現代でもよく起きることが積み重なり、重大な事態を引き起こすことになりました。こうした事例は読者の皆さんもしばしば見たり聞いたりしているのではないでしょうか。
 経済学では「見えざる手」「合成の誤謬」などといった表現で、日常的に見られる行動が想定外の結果を引き起こすことを示します。よく起きる平凡な出来事の積み重ねが思わぬ結果をもたらすことがあるという逆説こそが、私たちが本当に知るべき「歴史の真実」なのではないでしょうか。
 牧野邦昭(まきのくにあき)
 慶應義塾大学経済学部教授。1977年生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。著書に『戦時下の経済学者』(石橋湛山賞受賞)、『経済学者たちの日米開戦』(読売・吉野作造賞受賞)などがある。現在は、慶應義塾大学経済学部教授を務める。
 週刊新潮 2021年12月16日号掲載
 特集「真珠湾攻撃80年の真説 謀略機関の『極秘報告書』発掘 『日本はなぜ米国と開戦に突き進んだか』」より
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🎼12:─1─中国共産党による台湾統一の次は「日本のフィンランド化(中立化)」。〜No.16No.17 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本は、理想的平和学を学んでも歴史的地政学や現実的戦争学を学ばない。
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 人口が激減し衰退する日本・円貨は、世界市場でエネルギー・食糧・物資・その他で中国・元貨に買い負けする。
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 国力とは、経済力と軍事力である。
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 歴史的事実として、大国の良心や大陸の矜持などはない。
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 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を日本から強奪する事を狙っている。
 日本国内には、中国人移民が増えてきている。
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 2024年4月14日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「中国が目論む「台湾統一の次は日本のフィンランド化」、台湾有事の地政学から考える日本のエネルギー戦略
 台湾統一の野心を隠さない中国の習近平国家主席が狙うものとは…(写真:新華社/アフロ)
 私はエネルギー政策の専門家であるが、エネルギーとは、何よりも戦略物資であり、20世紀の戦争の多くはエネルギーを巡るものだった。したがってエネルギー政策を論じるならば、本来は、まずは地政学や安全保障から入らねばならない。だが平和ボケの日本においては、エネルギー専門家と称していても、環境のことは知っていても、地政学も安全保障も全く知らない方が大半である。そこで本稿では、日本を巡る地政学状況について述べ、いま安全保障の観点においてエネルギー政策はどうあるべきか、指摘したい。
 【画像】中国が突破したい「第一列島線」はこのライン
 (杉山 大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
■ 中国の歴史観における台湾統一の必然性
 1949年に中国は共産党独裁国家になった。以来、文化大革命では凄惨な虐殺があり、またウイグルチベットなどでのジェノサイドが長らく指摘されてきた。このような独裁政権は、ひとたび権力を手放すと、たちまち報復の対象になる。このことは、冷戦末期の東欧における独裁者の処刑など、枚挙に暇がない。
 中国共産党は、1989年の天安門事件で、その深淵を見た。あと少しで彼らは破滅するところだった。
 中国共産党が台湾独立を決して認めることができないのは、台湾が「中国人による、民主的な、もう一つの中国」であることを容認できないからだ。共産党独裁体制に代わるものが存在しうること、そして中国国内の人権問題を批判し、共産党の正統性を批判することは断じて許されない。
 したがって、最も悪くても、親中的な、つまり中国共産党を批判しない台湾であるべきであり、もっといえば、中国共産党の下に統一されるべきである、となる。
 以上は本音の部分であるが、台湾統一の必然性は、中国ならではの歴史観で愛国的に物語られている。
 つまるところ、中国は歴史的に一つであるゆえ、その一部である台湾は当然に統一されねばならない、というものだ。
 中国の歴史観では、古代より現在まで、天命を受けた正統な王朝が存在する。秦、漢、唐、宋、元、明、清、そして中華人民共和国というわけだ。現実には元・清をはじめ異民族王朝も多く、漢民族はむしろ差別されていたこともあった。また、宋のように版図は狭い領域に限られていたり、長い分裂時代もあったりした。
■ 「化外の地」と呼ばれた台湾だが…
 だが、それらのことはこの「統一された中国」という世界観――「天に二日なく、地に二王無し」という観念を何ら覆すものではない。観念が事実を凌駕することは洋の東西を問わないが、中国においては特にこれがはなはだしい。
 台湾は歴史的に中国の一部であったことはほとんどなく、「化外の地」と呼ばれたように中国は版図として認識してこなかった。ところが毛沢東に追われた蔣介石が逃げ込んで、中華民国を台湾において成立させてからは、必ずや統一すべき不可分の領土とされた。
 この際に米国海軍が毛沢東の台湾攻撃を阻んだことは、アヘン戦争以来の中国の屈辱の歴史に新たなエピソードを加えることになった。
 習近平は中国が世界の大国となる「中国の夢」構想を公表しているが、そのブレーンである軍人の劉明福は、「米国は南北戦争終結させたことが発展の礎となった。台湾統一は中国にとっての南北戦争であり、必ずや勝利しなければならず、それが発展の前提になる」と書いている。
■ 中国の平和的台頭を目指した鄧小平
 中国は文化大革命で国家経済が崩壊した後、権力を掌握した鄧小平によって改革開放路線に転じ、やがて社会主義市場経済を標榜するに至った。それはつまり共産党独裁の政治に口出しをしない限りにおいて、自由な経済活動を認めるという、国民との暗黙の契約だった。欧米や日本の技術を採り入れることで、歴史的に知識水準が高い中国は、飛躍的な経済発展を遂げることができた。
 1989年の天安門事件では経済制裁を受けたが、欧米諸国は、1991年に冷戦が終結したこともあり、まず経済成長すれば、中国も民主主義を受け入れるようになる、というユートピア的な幻想を抱くに至った。
 中国も「韜光養晦*」「平和的台頭」などの言葉で知られるように、まずは経済力を蓄えること、そのためには屈辱も忍ぶ、という行動をとった。 *能力を隠して力を蓄えること。最高指導者、鄧小平氏による中国の外交・安保の方針とされる
 中国はグローバリゼーションの波に迎え入れられて、2001年にはWTO世界貿易機関)加盟も認められた。だが習近平時代になって、共産主義独裁を強化し、南沙諸島の領土拡大や戦狼外交などに象徴されるように、自由陣営に挑戦する態度を顕わにするようになった。
■ 「経済成長したら民主主義に」など誰も約束していない
 米政治学者のマイケル・ピルズベリーは、著書『China 2049』において、これが中国の陰謀であり欧米は騙されたとしているが、これは当たっていない。
 そもそも中国は経済成長したら民主主義になるなどと全く約束していない。のみならず、自分が弱いときには、屈辱に耐えて実力を付けることに専念するというのは、「臥薪嘗胆」の故事など、中国の歴史に繰り返し現れるモチーフである。中国としてはごく当たり前の行動様式であって、陰謀として示し合わせる必要すらないことである。
 さて、いま力を蓄えた中国は、急速に軍備を強化し、西太平洋においては米国と互角以上に戦える戦力を身につけた。
 それでも台湾に上陸作戦をするとなると、米軍が介入した場合には敗戦するか、少なくとも多大な損害を余儀なくされると見られている。
 これに代わる手段として台湾を軍艦と臨検によって海上封鎖する可能性も指摘されており、この場合、米軍が介入しなければ台湾は短期間で降伏せざるを得ないだろう。
 いずれにせよ台湾が中国の手に落ちれば、どうなるか。
■ 中国による台湾統一は何をもたらすか
 まず何よりも、台湾の人々の不幸である。言論・政治の自由は徹底的に弾圧されるだろう。これはウイグルで、香港で、すでに起きたことの繰り返しである。民主主義を推進してきた人々は、凄惨な運命をたどることになる。これは台湾の友人である日本としても、人道上、看過できることではない。
 日本にとっても、直接的な影響は甚大である。
 台湾東岸は軍事化され、西太平洋における軍事バランスは一気に中国に傾くことになる。かつて中曽根首相は日本を不沈空母であると述べて物議を醸したが、軍事的な意味合いだけを見れば、これは当たっている。
 台湾から日本に連なる第一列島線とは、事実上は、一連の不沈空母である。そこには陸海空軍の基地を配することができて、中国海軍の太平洋への移動を封じ込める強力な手段となる。
■ 日本や韓国の海上輸送路は封鎖される
 中国から見れば太平洋への出口にこの第一列島線が連なっており、中国海軍はその海峡を通らねば太平洋に出ることができない。第一列島線の西側は浅い東シナ海なので潜水艦活動も捕捉されやすい。台湾を奪取することで、この地理的な制約から中国は一気に解放される。
 台湾東岸には基地が設置され、潜水艦が西太平洋を航行するようになるだろう。また台湾にはドローンやミサイルが無数に配備される。これは日本そして韓国の海上輸送路をほぼ完全に封鎖する能力を持つだろう。
 経済的には、半導体やエレクトロニクスなどの台湾の技術とそれを支える人材を、中国が掌中に収めることになる。これは中国の経済成長のみならず、軍備の近代化にもおおいに寄与することになるだろう。
 台湾は世界最大の半導体生産能力を有しており、台湾からの輸出が途絶えると、世界中で半導体不足が生じ、この経済被害は莫大なものになる。
■ 経済制裁に実効性はあるのか
 もちろん台湾を併合するとなると、米国などは経済制裁を科すであろうが、これがどの程度効くのかは予断を許さない。まして、これが中国による台湾統一を抑止する効果があるかというと、ますます疑わしい。
 いまウクライナに侵攻したロシアには経済制裁が科されており、これは当然予見できたことではあるが、結局のところロシアを抑止することはできなかったのが現実である。
 仮に対中経済制裁が奏功して中国経済が弱体化するとしても、対イラン制裁や対北朝鮮制裁がそうであるように、それが独裁体制を覆さず権力を維持できるのであれば、習近平にとってはどうでもよいことかもしれない。それよりも、台湾を統一して毛沢東以来の悲願を達成するということの方が重要と考えても全く不思議はない。
■ 台湾統一の次は、日本を中立状態にする
 台湾を統一し、中国がますます強大になれば、中国は日本をどうするか。
 日本は、中国のすぐ隣にあって、独裁体制を批判し民主主義で繁栄している。いまの台湾に次いで、中国共産党を脅かす不愉快な存在だ。のみならず、宿敵である米国と軍事同盟を結び、中国に対抗する軍事力をつけている。
 まずこの状況を変えること、少なくとも、中国政権への批判を止めさせることを中国は狙っている。やがては日本を、米国から距離を置いた中立状態にすることを目指している。前述の劉明福は、「2049年には中国が軍事・経済大国となり、米国と互角になって、日本も米国の属国ではなく中立化するのが望ましい」と述べている。
 実際のところ、台湾を統一した後、ますます中国の経済力が高まれば、その影響下での工作活動によって、日本の言論や政治に影響を与え、日本政府が中国政府への批判を取り締まるように仕向けることができるかもしれない。また、反米世論を煽って米軍基地を日本から撤退させるというシナリオも成立するかもしれない。
 かつてフィンランドは、隣国ソ連からの強力な影響力の下、何とか民主主義体制を維持したものの、ソ連を批判しない親ソ連的な中立を保った。このような「フィンランド化」を日本に対して仕掛けることは中国の選択肢の一つである。
 中国には、日本を米国から引き離し、親中的中立にする動機がある。親中的中立とは、日本の言論や政治が制限されることを意味する。これは日本の自由と民主の死である。このフィンランド化を抑止することも日本の重要な地政学的課題である。
■ 日本が簡単に屈服すると思わせてはいけない
 日本のいまの喫緊の課題は、中国が台湾統一をしないよう、抑止することである。台湾統一は、上述のような人道的、軍事的、経済的、地政学的な理由から看過できないからである。
 抑止のためには、「中国が台湾統一を試みれば、必ずや米軍が介入し、中国は敗北して、中国共産党習近平政権も滅びる」と中国に思わせておかねばならない。このためには、米軍介入時に基地を提供するがゆえに、必然的に台湾有事に巻き込まれる日本が、簡単に屈服すると思わせてはいけない。
 まず防衛力を強化することは重要である。この点はすでに国家レベルで認識されるに至り、防衛費は増額されてGDPの2%となった。
 具体的な対策も打たれている。ミサイル攻撃などから国民を守るシェルターの整備が始まった。中国の中距離ミサイルに対抗するために、日本もトマホークを米国から購入して配備することになった。また多くの識者が意見を述べている。航空機が敵のミサイルの第一撃で飛行場において破壊されないように防護する設備が必要である。長期的には核共有や核武装が必要という意見もある。
■ 第二次世界大戦時と変わらず、エネルギー供給が日本のアキレス腱
 本稿で最後に強調したいのは、こういった防衛装備だけではなく、シーレーンによる補給の確保についてである。
 先の第二次世界大戦でも、日本は石油などの戦略物資の輸入を封鎖され、これが敗因の一つとなった。いまでも、日本にとってエネルギー供給がきわめて脆弱なアキレス腱であることには何ら変わりはない。
 この点については、以前この連載で、食料とエネルギーの継戦能力整備の必要性を論じた(下記の関連記事を参照)。次回は、もう一つの抑止力向上策として、米国からの石油・ガスの輸入の拡大を提案したい。
   ・   ・   ・   
 4月14日18:35 YAHOO!JAPANニュース 沖縄ニュースQAB「「沖縄から全国に広がる戦争準備」那覇市で講演会
 台湾有事を念頭においた自衛隊の配備など、日本やアメリカ、中国の動きから沖縄の今について考える講演会が14日、那覇市で開かれました。
 この講演会は、自衛隊の配備や訓練が強化される現状など「台湾有事」を想定した軍事要塞化が急速に進む沖縄の今について考えてもらおうと開かれたものです。
 講演では、軍事ジャーナリストの小西誠さんが登壇し、政府が防衛力強化の一環として整備する特定利用空港・港湾について、軍事強化は、ミサイル基地化の次の段階に入り、民間の空港、港湾では軍事優先を念頭においた整備が全国で急速に進められていると指摘しました。
 軍事ジャーナリスト小西誠さん「軍民共用化された場合、たんなる平時から有事に使うだけじゃない、滑走路を使うだけじゃないということ。弾薬庫を作ったり、掩体壕を作ったり、そうやって軍事化していくということですね」
 また座談会では軍事ジャーナリストの田岡俊次さんも登壇し、「アメリカや中国、台湾、日本が戦争を回避するためにも、現状維持こそが最良の安全保障だ」と訴えました。
 会場を訪れた人たちは、登壇者の話を熱心に聞き入っていました。
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 4月14日 琉球朝日放送「名護市で辺野古新基地反対集会「子や孫への責任」
 ※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
 名護市辺野古への新基地建設反対を訴える集会が14日、軟弱地盤の工事が行われている大浦湾を臨む浜で行われました。
 大浦湾での軟弱地盤の工事は県が2021年11月に不承認としましたが、裁判を経て、去年12月に国が代執行で承認し、ことし1月10日、沖縄防衛局が軟弱地盤の工事に着手しました。
 玉城知事「辺野古の新基地建設は絶対に認めないという思い、沖縄を再び戦場にさせないという心からの願いは、先の未来の子たち孫たちに私たちが今取れる最大の責任」
 工事現場を見渡せる名護市瀬嵩の浜で14日、集会が開かれ、新基地建設の断念をあらためて政府に求めました。
 参加者「戦争に関わるもの、一切反対している。そういう強い思いで参加した」参加者「沖縄の未来に関わることなので、もっと熱くなってほしいと思いました」
 参加者は雨の降る中、プラカードを掲げるなどして抗議の意思を示していました。
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 エセ保守とリベラル左派は、反米派・反安保派、護憲派・反自衛隊派として、日本は米中対立で同盟国アメリカに味方するなく中立を保つ事を求めている。
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 中国共産党が日本に望んでいる中立化とは、李氏朝鮮日露戦争時に日露両国に味方しないという「局外中立」であった。
 反日李氏朝鮮は、裏でロシアの味方をして日本軍の軍事情報をロシア軍に流していた。
 日本軍にとって、ロシア軍との間に存在する朝鮮、ロシア軍と戦う日本軍の後方に存在する朝鮮が邪魔であった。
 米中両国にとって、当時の朝鮮の位置にあるのが現代の日本である。
 米中が戦争すれば、その戦場は中間に存在する日本で、中立宣言は中国に味方しアメリカに敵対する事であり、中立化したからと言って攻撃されな保障はない。
 日本が安保条約でアメリカの味方をすれば中国軍は日本を攻撃するし、日本が中国に降伏して中国軍が占領すれ中国に味方すればばアメリカ軍は日本を攻撃する。
 歴史的事実として、中国共産党が中立宣言をした日本を攻撃しないと言っても、攻撃しないという保障はない。
 中国共産党は常識人・知識人であっても信用に足る教養人・良識人ではない。
 それが、歴史学であり地政学・戦争学である。
   ・   ・   ・   
 中国共産党国防動員法、国家情報法、国家安全法、香港国家安全維持法(国安法)、中国データ三法(中国サイバーセキュリティ法、中国データセキュリティ法、中国個人情報保護法)、反外国制裁法、改正反スパイ法、対外関係法。愛国主義教育法。改正国家秘密保護法。
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 中国共産党による反日洗脳教育、反日ヘイト教育。
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 中国共産党は、日本のビッグ・データを集め、日本のSNSを監視している。
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 中国共産党支配下では、自由・民主主義はないし、人道も人権も人命もなく、さらには道徳さえない。
   ・   ・   ・   
 会社法中国共産党規約は、中国共産党の党員が3人以上いる企業では党支部を設置しなければならないと規定されている。
 中国共産党員は9,000万人以上いる。
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2024-04-14
🐖68」─1─中国共産党は大学運営の権限を一本化して学内の学長事務室を閉鎖した。~No.311No.312No.313 



 2023年2月2日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「強大化する中国、日本は最強の対抗手段である半導体規制で米国と連携せよ
 【前編】対中デカップリングをどう進めるか
 2022年8月に米下院のペロシ議長訪台を受け、中国・人民解放軍は大規模演習を実施した。強大化する中国への対抗策が大きなテーマになっている(写真:新華社/アフロ)
 経済的・軍事的に強大となる中国に対し、米国は先端半導体や関連する製造装置の輸出規制を強化し、日本や欧州などにも同調するよう求めている。中国側の反発や対中ビジネスへの影響を懸念する声もあるが、中国の脅威に対抗するツールになっているのがこの半導体輸出規制だ。米国が本気で臨むなら、日本の強みである製造装置や化学薬品の技術を死守するためにも歩調を合わせるべきだろう。日本が直面する「対中デカップリング」について考えてみたい。
 (杉山大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
 中国の軍事費は日本の6倍
 中国は強大になった。軍事費は30兆円に達し日本の6倍もあり、増え続けている。
 東アジア地域においては、軍事的にも米国と互角になりつつある。航空母艦(空母)や大陸間弾道弾(ICBM)についてはまだ米国の方が優勢だが、射程500kmから5500kmの間の中距離ミサイルは、中国が2000基であるのに対して日本・米国はゼロという状態である。米国は、2019年に破棄されるまで、ロシアとの中距離核戦力(INF)禁止条約があったこともあり、配備が遅れた。
 ウクライナ戦争では、米国の最優先順位は「核戦争の回避」であり、そのために自らは参戦していない。さて中国も、ロシア同様に、すでに米国を射程とする大陸間弾道ミサイル保有している。このため、台湾や日本で有事があっても、やはり米国は核戦争の回避を最優先して、そのために台湾や日本に犠牲を強いることになるかもしれない。
 台湾有事のシミュレーションを実施した米国のシンクタンク戦略国際問題研究所CSIS)の報告書では、中国は台湾への軍事進攻には失敗する。中国の中距離ミサイル射程の外の太平洋上から発射される米国の空対艦「オフスタンドミサイル」による攻撃で、中国から台湾へ上陸する艦船がことごとく沈められる、というシナリオだ。ただし米国も原子力空母2隻と数千人の兵士を失うといった大損害を受ける、とされる。
 このとき米国は、かつての朝鮮戦争ベトナム戦争同様に、日本の基地から爆撃機・戦闘機を飛ばし、また日本において補給をする。このため日本の基地もミサイル攻撃の対象となり、自衛隊は大きな損失を出すことになる。
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 2023年2月23日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「中国を抑止する継戦能力は日本にあるのか?武器弾薬以外にエネルギー、食料も
 防衛費倍増でも備え不足では干上がってしまう
 沖縄県うるま市沖縄石油基地(写真:アフロ)
 自衛隊には弾薬の備蓄が2カ月分しかないと報道されるなど、日本の「継戦能力」が問題視されるようになった。このような事態を改善すべく、防衛費は倍増されてGDP国内総生産)の2%となったことはよく知られている。その一方で、武器弾薬だけあっても、戦争は継続できない。エネルギーや物資の補給がなければ日本は干上がってしまう。
 (杉山大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
 台湾が中国の勢力圏に入ると何が起こるか
 米国戦略国際問題研究所CSIS)の報告書が話題になった。台湾有事のシミュレーションで、中国が台湾へ上陸作戦を仕掛け、武力統一を図るというものだ。米国と日本が戦争に巻き込まれ、双方ともに多大な損害を出すが、中国の台湾上陸部隊の艦船を米国がことごとく沈めることによって、中国は台湾の占領には失敗する、という。
 だがこのシミュレーションは最初の1カ月だけが対象である。これが泥沼化して長期化するかもしれない。
 あるいは、米国が介入をためらって中国は台湾併合に成功するかもしれない。
 さらには、中国は台湾への政治工作に成功し、台湾政府が中国への「自主的な」併合を表明する可能性だってある。このような平和裏の併合こそ、中国が最も望んでいる形であろう。
 武力を伴うか伴わないか、このいずれにせよ、台湾が中国の勢力圏にひとたび入るとどうなるか。
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 2023年6月26日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「台湾有事を抑止するエネルギー政策とは?日本の備えはこれで大丈夫なのか
 まったく緊張感がないエネルギー白書、継戦能力を高めるために必要なこと
 台湾海峡通過の米駆逐艦に中国戦艦が「異常接近」する事態も起きている(写真提供:U.S. Navy/Naval Air Crewman (Helicopter) 1st Class Dalton Cooper/ロイター/アフロ)
 エネルギー白書が発表された。台湾有事にはどう備えているだろうか。読んでみて愕然としたのだが、「台湾」という言葉は統計の説明と各国のエネルギー状況を概説する部分の一部に出てくるのみ。「シーレーン」という言葉に至ってはそもそも一度も出てこない。これで大丈夫なのだろうか? 日本の置かれている状況、そして緊急に採るべき対策について考えてみたい。
 (杉山大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
 中国による台湾の軍事侵攻は「時間の問題」との見方
 6月6日に閣議決定されたエネルギー白書(正式名称:令和4年度エネルギーに関する年次報告 )には、「エネルギーの安定供給」については書いてある。だが過去10年間に発行された白書と大筋では何ら変わるものではない。
 エネルギー供給の多様化を図ること、石油などの備蓄をすること、資源供給国との関係を強化すること、などが書いてある。また、台風や津波などの自然災害への防災の強化についても指摘している。これらはいずれも大事だけれども、日本の事態はもっと切迫している。
 特に、台湾有事のリスクは高まっている。中国の習近平政権は、これまでの慣例を覆して3期目(2023年から2027年まで)に入った。この間に中国が台湾併合に動くとの見方が高まっている。
 「ヒゲの隊長」の愛称で知られる佐藤正久自民党国防会長は、中国の公式文書や人事に基づいて、習近平政権が台湾に軍事侵攻するリスクは極めて高く、する・しないの問題というより、いつするか、という時間の問題だとみている(佐藤氏の著書『中国の侵略に討ち勝つハイブリッド防衛 日本に迫る複合危機勃発のXデー』による)。米国でも同様の見方をする識者が多い。
 キヤノングローバル戦略研究所の峯村健司氏は、それに加えて、台湾統一は習近平氏自身の最重要な関心事でもあり、また、台湾統一に関しては中国国民の幅広い支持があることを指摘する。
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 2023年7月4日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「リスク高まる台湾有事、食料と半導体という「2つのコメ」に備えはあるか
 習近平政権3期目、有事における日本の継戦能力を考える
 中国の習近平国家主席は台湾問題で武力行使に出る可能性を否定しない(写真:新華社/アフロ)
 2023年に始まった習近平政権3期目に台湾有事のリスクが高まるとみられることから、前回記事を含めこれまでに、日本はシーレーン喪失に備えてエネルギー備蓄を強化するなど、継戦能力の構築が必要だと指摘してきた。今回は、台湾有事における食料備蓄と、産業のコメと呼ばれる半導体供給について深掘りし、台湾有事を抑止するために必要な日本の備えとは何かを論じる。
 ◎前回記事『台湾有事を抑止するエネルギー政策とは?日本の備えはこれで大丈夫なのか』を読む
 (杉山大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
 私たちは毎日2〜3kgの石油を「食べている」
 日本の一次エネルギー消費は、全てのエネルギーを石油に換算すると年間約4億トンに上る。これは1人あたりだと年間3トンとなる。1日あたりにすれば1人10キログラムで、日本人は毎日これだけの石油を消費している勘定になる。
 このうち、2割から3割程度が食料供給のために使われているとみられ、毎日2キログラムないし3キログラムの石油を「食べている」ことになる。
 だが実際の1人あたりの摂取熱量は2000キロカロリー前後で、これを石油に換算すると200グラムぐらいにしかならない(ということは、脂身だらけの200グラムのステーキを食べたら、それで1日分のカロリーになる!)。つまり我々は実際に摂取する熱量の10倍以上ものエネルギーを石油などの形で消費している。
 なぜこんなに食料供給にエネルギーを消費するかというと、農作物をつくるための肥料・農薬の生産に始まり、農業機械を動かし、トラックで輸送し、食品加工をし、冷蔵・冷凍を行う、といった具合に、あらゆる場面でエネルギーを使うからだ。
 前回の記事『台湾有事を抑止するエネルギー政策とは?日本の備えはこれで大丈夫なのか』で述べたように、台湾有事が起きて日本のシーレーンが危機にさらされると、エネルギー供給の途絶が危惧される。それに対する備えが必要なこともすでに書いた通りだが、備えをしても大幅なエネルギー供給の減少は避けられないかもしれない。
 そのような状況になっても、飢え死にすることなく、1年ぐらいは生き延びるようにする必要がある。いざというとき、普段我々が享受している「エネルギー多消費型の食料供給」は全く機能しなくなることを覚悟しなければならないのだ。
 ではどうすればよいか。
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🐇10:─1─かつて世界を驚かせた日本企業の「成功モデル」を捨てなければいけない。~No.10 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の成功モデルは、人口爆発による内需拡大で生まれた。
   ・   ・   ・   
 2024年1月14日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「かつて世界を驚かせた日本企業は、今こそ「成功モデル」を捨てなければいけない
 国立社会保障・人口問題研究所が最新の将来推計人口を発表し、大きな話題になった。50年後の2070年には総人口が約8700万人、100年後の2120年には5000万人を割るという。
 【写真】人生がうまくいかない人の「決定的な間違い」とは…?
 ただ、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。そして、どう変わればいいのか、明確な答えを持っていない。
 ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。
 パイの奪い合いは無意味
 人口減少に打ち克つためには発想の転換が必要だと述べたが、まずすべきは量的拡大というこれまでの成功モデルとの決別である。
 私は企業経営者とお会いすることが多いが、頂いた会社案内のフロントページに「業界シェアNo.1」とか、「〇〇地区で売り上げトップ」といった大きな見出しの文字が躍っているケースがいまだ少なくない。
 人口がどんどん増えていた時代には売り上げを伸ばすことが、そのまま利益の拡大を意味していた。しかしながら、国内マーケットが急速に縮小する社会において、パイの奪い合いをしても誰も勝者にはなれない。
 パイの奪い合いを続けていくことがいかに無意味なことかは、金貨が100枚入っている器をイメージして考えれば理解しやすいだろう。金貨は人口、すなわち国内マーケットのことだ。
 現状において、業界トップの企業がシェアの半分である50枚、2番手企業が35枚、3番手企業が15枚を手に入れていたとしよう。しかしながら、人口減少とは数十年後に金貨70枚のゲームに変わるということである。
 仮に、業界トップ企業がシェアを50%から60%に伸ばしたとしても得られる金貨は42枚でしかなく、現状より8枚減る。金貨の絶対数がどんどん減っていく社会においては、シェアが100%になろうとも手にできる金貨は年々少なくなっていくのだ。
 拡大どころか現状維持すらできない。国内需要を当て込む以上、シェアの拡大モデルでは限界があるということだ。
 こうした点を踏まえず、生産体制強化のための設備投資や店舗数の拡大をしている企業が少なくない。目の前の需要に応え、ある時点までは売上高を大きくすることはできるだろうが、人口減少社会ではそうした投資はいずれ経営の重荷となる。拡大のための投資を一切すべきでないとは言わないが、今後の人口の変化に応じていつでも転用や撤退ができるようにしておく必要がある。
 河合 雅司(作家・ジャーナリスト)
   ・   ・   ・  

☂41:─1─学校のいじめや嫌がらせに潜む学校の全体主義(文化マルクス主義)。~No.136 

   ・   ・   ・
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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 学校・子供のいじめ・嫌がらせは、戦前と戦後では違う。
   ・   ・   ・    
 社会の閉塞感を生み出しているクライアントの正体は、文化マルクス主義者である。
   ・   ・   ・   
 2024年4月11日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか、単純な理由
 いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。
 日本という国や日本人の謎や難題に迫る新書『日本の死角』が8刷とヒット中、普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、読みはじめている。
 【写真】家族旅行や習い事は「贅沢」…? 意外と知らない「体験格差」の実態
 全体主義が浸透した学校の罪と罰
 学校は「教育」「学校らしさ」「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。
 こういったことは、学校以外の集団でも起こる。
 たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。
 また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年にあさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、同じかたちの膜の世界がみられる。
 そこでは、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。
 学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」「宗教」「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる。
 このようにさまざまな社会現象から、学校と共通のかたちを取り上げて説明するとわかりやすい。あたりまえすぎて見えないものは、同じかたちをした別のものと並べて、そのしくみを見えるようにする。たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。
 なぜ「理不尽」を受け入れてしまうのか
 こうして考えてみると、学校について「今まであたりまえと思っていたが、よく考えてみたらおかしい」点が多くあることに気づく。
 これらのポイントに共通していえるのは、クラスや学校のまとまり、その場のみんなの気持ちといった全体が大切にされ、かけがえのない一人ひとりが粗末にされるということだ。全体はひとつの命であるかのように崇拝される。
 この全体の命が一人ひとりの形にあらわれたものが「生徒らしさ」だ。だから学校では、「生徒らしい」こころをかたちであらわす態度が、なによりも重視される。これは大きな社会の全体主義とは別のタイプの、小さな社会の全体主義だ。
 大切なことは、人が学校で「生徒らしく」変えられるメカニズムを知ることだ。それは、自分が受けた洗脳がどういうものであったかを知る作業であり、人間が集団のなかで別の存在に変わるしくみを発見する旅でもある。
 ある条件のもとでは、人と社会が一気に変わる。場合によっては怪物のように変わる。この人類共通のしくみを、学校の集団生活が浮き彫りにする。
 学校の全体主義と、そのなかで蔓延しエスカレートするいじめ、空気、ノリ、友だち、身分の上下、なめる―なめられる、先輩後輩などを考えることから、人間が暴走する群れの姿を明らかにすることができる。学校という小さな社会の全体主義とそのなかのいじめを考えることから、人間の一面が見えてくる。
 わたしたちは長いあいだ、学校で行われていることを「あたりまえ」と思ってきた。あたりまえどころか、疑いようのないものとして学校を受け入れてきた。
 だからこれを読んだ読者は、「こんなあたりまえのことをなぜ問題にするのだろうか」と疑問に思ったかもしれない。だが、その「あたりまえ」をもういちど考え直してみることが大切だ。
 理不尽なこと、残酷なことがいつまでも続くのは、人がそれを「あたりまえ」と思うからだ。それがあたりまえでなくなると、理不尽さ、残酷さがはっきり見えてくる。逆にあたりまえであるうちは、どんなひどいことも、「ひどい」と感じられない。歴史をふりかえってみると、このことがよくわかる。
 これを読んで心にひっかかっていたものが言葉になったときの、目から鱗が落ちるような体験を味わっていただければと思う。
 現代新書編集部
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🐇9:─1─日本の企業や社会は真面目に頑張った人が損をする構造になっている。~No.9 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 バブル経済崩壊後の日本では、無能で稼げない日本人が同調圧力・場の空気で有能で稼げる日本人をダメにしている。
 無能な日本人ほど、自分は優秀な人間だと自惚れている。
 そうした日本人が増えてきている。
   ・   ・   ・   
 日本の社会は、出世して組織のトップに近付く有能だった人間がダメ人間になっていく。
   ・   ・   ・   
2024年2月1日 MicrosoftStartニュース with「頑張った人が損をする日本のサラリーマン社会。加点法ではなく減点法だったんだと気が付いた。おっそ!!
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 新卒から20年近く同じ会社で働いています。入社当時は社内でも花形の【中央研究所】の研究員として採用されましたが、数年後に飛ばされ…マニアックな部門の技術員になりました。それでも腐らずに目の前の課題に真摯に取り組んだつもりです(あっもちろん個人の主観ですがね)。成果と信頼(特許もいくつか申請)を少ないながらも積み重ねたおかげか?数年前からまた研究職に戻りました。 と言っても【中央研究所】に戻ったのではなく、会社の都合で急遽立ち上がった研究部門に吸収される形です。決して、花形研究部門ではございません。かーなーり日陰だなぁ~と知りながらも、これまた必死に前を向き、何とか世界と肩を並べ、研究内容を実装(マネタイズ)しようとしています。 今、担当している研究は、現時点では世界のトップ集団で小競り合いしながら走っていると思います(とはいえ研究の世界は大逆転もあるので、数日後にビックリ論文が出て抜かれているかもしれませんが)。 ところが!所属企業の直属の
 ボス達からの私自身のウケは イマイチ
 いや、嫌われている訳ではないと思う(ホントか?ポジティブ~)。 でも『こいつ、研究バカだな~分かってねーなー』と思われているんだろうな~と端々に感じます。
近年たまたまなのか、所属企業の技術系トップはなぜか技術系出身者をトップ管理職にさせるのではなく、営業出身をトップにします。良い部分も沢山ありますが、技術畑でずーっと過ごしてきた下々の民衆にとっては面食らうこともあります。この間は研究発表会でみんなの前で、 「君の研究費を稼ぐために、営業がどれだけ売らないといけないか分かっているのか」 な~んて言われてしまいました。 まぁ、そうかもしれません。 研究させてくれる営業と会社には感謝です。 一方で、心がザワザワするのもホントのトコロ。 上の人には上の人の物語があって、その繋がりで話しているかもしれませんが、【研究員】として雇用されている私に「どれだけ売らないといけないか、分かっているのか」と言われてもなぁ~営業してあげたいけど、それは自分の仕事を逸脱しているし…そもそもノウハウもない。
 心がやさぐれているとそんなことを思ってしまいます。 疲れているのかな。どんなに良い結果を持って行っても反応はイマイチですし、技術に興味ないんだろうな~とも考えてしまいます。
 そんな中、最近思うこと。
 何を言っても無駄だな~
 という諦めの境地にも陥っていまして、積極的にモノを言うのも辞めました。 こうした方が良いというデータが出ておりまして…とか、○○さんの仰ることも重々承知ですが、 分析すると数値が出たので参考までに…とかいがいしく、何とか『解』に近いと思われる提案をしてきました。 そのたびに、に「う~ん」という顔をされ、腹落ちされていないことが見て取れたり、「君は急ぎすぎではないのか?」とかトンチンカンなアドバイスを返されたり…そもそも、スケジュール通りに進めて結果も持っていき「急ぎすぎ」も意味が分かりませんし、持っていかなければ「遅い」で叱られる。どないせいっちゅうねん!
 で、進言した数日後、必ずと言ってよいほど(進言した通りに)軌道修正されるのですが、ご本人は、さも自分が考えたかのようにシレっと変更。 うん。別にいいんだけど。でもこういうことが重なると、
 なんか疲れた~
 と思ってしまいます。人と関わる仕事よりも、淡々と自分の研究を進めよう!と思ってしまいます。
 特に今年度は秋に自身初の海外出張もありました。その前後はかなりドタバタしてあっちこっちに振り回されたこともありました。少し落ち着き、余裕が出てきたこの頃。 暇そうな他の人達がどんな働き方をしているのか観察してみることにしました。申し訳ないですが、だいたいが暇そうなのはオジ様。 やっぱり、ある程度「いるだけ」でも許されています。
 当たり前かもしれませんが、提出物とか、小さい責務はやっています(狭い範囲かつ申し訳ないですが秒で済むことですが…)。うーん。要するに、
 加点はないけれど、大きな減点もない
 という状態。なるほど。うん。
 上手いな。
 連日観察していて、やっと気が付きました。彼らは『加点法ではなく、減点法』に切り替えてサラリーマンとして働いていたのです。かーーー!!!入社20年近くでやっと悟りました。 減点法で過ごすべき! ここでいう『加点法』とは仕事で利益を生み出すこと。『減点法』は仕事のミスが累積すること。
 私、本当に気がつくのが遅い。勤続20年近くになるというのに半径5メートル以内も見ていなかった。 いや、マジでダメだね~観察は大事。私は必死に加点方法で評価を取りに行こうとしていましたが、そんなのどーでも良いんですね。
 マイナス点を無くさないといけなかった
 どうしても研究が進むと、想定していたことと違う結果が飛び込んできます。科学的実証が目標数値に達していないので軌道修正したい。的なやつです。信じられないのですが、上席にしてみると、これもミスに入るようです。そう、マイナス点ね。 そして、軌道修正は、研究すればするほど付きまとうことです。トライアンドエラーが大事ですもん。 特に私のやり方は、走りながら、進めながら軌道修正していくタイプ。 そのため、やった分だけ累積マイナス点が増える。
 一方で、仕事しなければ軌道修正もマイナス点も生み出さない。いるだけの仕事しないオジサン達は、プラマイ0点といったところでしょうか。 この構造自体が茶番であり、ホントどうにかした方が良いのだけれども、
 気がついたもの勝ちではある。
 早いところ、逃げたもん勝ちでもある(←逃げ遅れた)。 一時は自分自身の転職熱が熱くなっていましたが、子どもの中受や、プチ海外移住などのプライベートでやりたいこと。職住近接したことによる極少ない通勤時間、夫の社畜ぶりなどを鑑みると・・うーむ。今の職場であの手この手を尽くしてみるのもひとつ。 だから、この茶番に適合する?働き方にしないと。(もちろん、研究職として良いかどうかは置いておくとして)
 さぁ、どう戦っていくか?
 減点法をすべきと気がついてから、毎日どうしたら良いか考えています。 というか、純粋に研究だけができる環境や構造にした方が、企業としても従業員のパフォーマンスが上がるんでないかい?と思わずにはいられないんですが。
 余計な部分にリソースを注がすなよ。 とも心の中で罵りつつ、サラリーマンとして『今の企業に残る』のならば体得すべきお作法は身に付けたい。だって、お金をもらっているプロだもの!今さらながら、出来る範囲ですり寄りたいとも思うのです。
 ワーキングマザーになって10年になりました。ラクになったか?ノーノー!3人の子供の子育て、ハードになる一方の仕事(今年は海外出張も!)、PTAや家事。やることは山積でまだまだ綱渡りです。助けて~!と泣きたくなることもあります。でも、結局『これ』が私を助けてくれています。今も過去も。
 女性は社会人になり環境が変わってくると『こっち側』と『あっち側』になる時があります。結婚・出産・仕事…数年前は想像もしなかったことが突然起こります。今回紹介する後輩は、一旦自分の道を諦めましたが、自分の力で新しい道を切り開きました。後輩に盛大な拍手を贈りたいです。
 会社では男性と同じように働き、クタクタになって帰ってくるのに、保育園の送迎や小学生の子供達の宿題やケアも全て母親の私。仕事、家事、育児にいっぱいいっぱいになって、もう無理~!ってなるのに、辞めたいけれど辞められない理由があるのよ。
 Profile ・ぽに
 関西在住。約50平米のマンションに3歳・小2・小4の男の子3人、モーレツサラリーマンの夫と5人暮らし。出張多め、両家遠方、夫婦共に研究職。ワンオペや出世の厳しさ、家事・育児の奮闘を書いたブログが人気になり書籍化された【ススメ共働家】。つまずき、転び、前のめる共働きの日常と現実を軽快に発信し続けている。
 共働きに奮闘するお家ブログ
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🎹28:─9─フランクリン・ルーズベルト大統領の隔離演説に激昂した軍国日本。昭和12(1937)年10月5日~No.172No.173 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 隔離演説(1937年10月5日)
 https://www.royallibrary.sakura.ne.jp>yougo>kakuri
 日中戦争の勃発により、アメリカが国家の意思として初めて日本を批判した演説。ルーズヴェルト大統領は世界に不法状態を生み出している国家を国際社会から隔離すべしと演説
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 日中戦争は、第二次上海事変昭和12年8月13日)から始まった。
 ファシスト中国(中国国民党)軍約5万人はドイツ軍事顧問団の軍事支援を得て、上海在住の日本人数万人を守っている日本海軍上海陸戦隊約4,000人を攻撃した。
 中国軍陣地を築いたのはドイツ軍人であり、中国軍の装備はドイツ軍需産業が開発した最新式兵器であった。
 昭和11年年4月1日 ドイツ軍事顧問団の第五代団長ファルケンハウゼン中将は、蔣介石あての「極秘」報告書で「ヨーロッパに第二次世界大戦の火の手があがって英米の手がふさがらないうちに、対日戦争にふみきるべきである」と進言した。中将は、中国の第一の敵は日本、第二の敵は共産党であり、日本との戦いの中で共産党を「吸収または消滅」させるのが良策であると判断していた。中将は、それまでは中国の防衛問題に関する助言しか与えていなかったが、1936年のメモを皮切りにもっと強い主張をするようになり、その中で日本側に奇襲をかけ、日本軍を長城の北方へ押し返し中国北部から追い出し、英米を日本との戦争に引きずり込んで軍国日本を敗北させるべきだと進言した。
 第二次上海事変がドイツ軍の作戦計画で始まった事から、上海から南京までの戦闘は第二次日独戦争とも言えた。
 ヒトラーは、親中国反日派で、ファシスト中国軍が日本軍を撃退する事を確信していた。
 ユダヤ系国際金融資本は、ファシスト中国の勝利の為に資金提供をしていた。
 アメリカの国際的軍需産業は、ファシスト中国に大量の軍事物資を売却していた。
 日本から見れば、第二次上海事変は避けられない戦闘で、敵軍を見れば日中戦争は第1.5次世界大戦とも言えた。
 日本の失敗は、地域事変を国家間の戦争に拡大させない為に戦争の大義名分=理由を宣言する「宣戦布告」を避けた事である。
 世界はこの事実を知っていた、何故なら、現地の日本軍やファシスト中国軍も国際世論を味方に付ける為に報道戦・宣伝戦も戦っていたからである。
 蒋介石ら政府高官や党幹部の多くは、キリスト教に改宗してアメリカ・キリスト教会の全面支持を取り付けていた、その意味で、日中戦争は西洋キリスト教と日本異教(神道・仏教・その他)とによる宗教戦争でもあった。
 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
 国際的共産主義勢力と32年テーゼ。
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 フランクリン・ルーズベルトは、親ソ連共産主義、反ヒトラーナチス・ドイツ、そして親中国反日強硬派であった。
 世界は、優生学と宗教による人種差別に支配されていた。
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 世界史の窓
 アメリカ合衆国第32代大統領、1933年より、世界恐慌脱却を目指し、ニューディール政策を掲げる。また第二次世界大戦で連合国を主導、4期勤め、1945年4月、戦争終結前に死去した。

F=ローズヴェルト
Franklin Delano Roosevelt 1882-1945
 フランクリン=デラノ=ローズヴェルト アメリカ合衆国大統領 民主党 在任1933~1945年。日本ではルーズヴェルトと表記されることも多いが、原音に近いのはローズヴェルトである。1882年ニューヨークの生まれ、元大統領セオドア=ローズヴェルト共和党)は遠い従兄にあたる。若いころからセオドアを目標として政治家を志し、ハーヴァード大学コロンビア大学で法律を学び、第一次世界大戦では民主党のウィルソン大統領の下で海軍次官補を務めた。1921年頃小児麻痺(ポリオ)にかかって両足の自由を失い、松葉杖の生活になったが、政界に復帰し、28年からニューヨーク州知事に選出された。1932年、世界恐慌の最中の1932年の大統領選挙に民主党から立候補し、「ニューディール」(新規まき直し)を掲げて大量得票し、共和党のフーヴァーを破って当選し、1933年3月4日、大統領に就任、20年代に続いた共和党政権に代わり、民主党の政権を実現した。

外交政策
 1933年、市場の拡大と日本・ドイツへの牽制の意味から、ソヴィエト連邦を承認した。このころ、ヨーロッパにおけるドイツ・イタリア、アジアにおける日本のファシズムの台頭が急激になり、ナチス=ドイツのヒトラーによる再軍備、イタリアのムッソリーニ政権によるエチオピア侵入、日本の満州事変から満州国建国と緊迫した情勢が続いた。
 中立法 しかしアメリカの世論はこの段階でも孤立主義の伝統が根強く、アメリカ議会は1935年に中立法を制定して参戦を否定し、F=ローズヴェルトもこの段階ではその規定に従って中立を守り、直接介入は慎重に回避した。
 善隣外交 その一方で、それまでのアメリカのカリブ海外交の強圧的態度を改め、善隣外交を展開、キューバのプラット条項の廃止などを実現した。また、1934年には議会でフィリピン独立法が成立し、10年後のフィリピンの独立を認めた。
 隔離演説 ファシズム国家の侵略行動は続き、1936年にはドイツのラインラント進駐、イタリアはエチオピア併合、さらにスペイン戦争、1937年には日本軍が盧溝橋事件・第2次上海事変で中国本土への侵攻を開始し日中戦争が始まるという世界戦争の危機が高まった。その事態を受けて、F=ローズヴェルトは1937年10月にシカゴで演説し、暗にドイツ・イタリア・日本を危険な感染症にかかった患者にたとえて隔離すべきであるいう「隔離演説」(または防疫演説)を行い、世界の注目を浴びたが、この段階でもアメリカ国内の世論は戦争への参加に批判的であった。 → アメリカの外交政策
 大統領三選と世界大戦への参戦
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 江崎道朗「戦没学徒からの宿題
 左派系への違和感
 世界における国家、民族の興亡の歴史を学べば分かることだが、自由と独立を勝ち取ろうと奮闘した国家と民族は生き残り、その努力を怠った国家と民族は滅んだ。
 日本が現在の独立を保ち、自由と繁栄を享受できるのは、先人たちの無数の奮闘の歴史があったからだ。そんな自明の、しかし意外と誰も意識しない冷厳な事実を私が意識できるようになったのは家庭環境の影響が大きかった。
 ……」(令和6年4月号『月刊 正論』)
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 2022年11月23日 Wedg online「日本人なら知っておきたい近現代史の焦点
 なぜ日系人だけが強制収容されたのか 「人種戦争」としての太平洋戦争
 100年続く米国の病「黄禍論」(4)
 廣部 泉( 明治大学政治経済学部 教授)
 「圧倒的な人口を誇る日本人や中国人などアジア人が、やがて欧米を攻撃し世界の覇権を握るのではないか」――欧州で生まれた「黄禍論」は、やがて米国に定着し、時に米外交にすら影響を与えた。そうした人種差別はオバマ元大統領の就任に象徴されるように薄れつつあるものの、決して消えてはいない。日米外交の重要度が増す今こそ、黄禍論の100年の歩みを振り返ろう。
 真珠湾攻撃を機に、米国内の対日世論は一気に人種主義的な様相を帯びることになった( MPI/GETTYIMAGES)
 1931年の満州事変以降、日本をターゲットにした黄禍論が米国社会で説得力を増す中、1941年、真珠湾攻撃が起きた。それは、これまで黄禍論者が予見してきた人種戦争の始まりとなったのだろうか。
 瞬く間に米国社会を埋め尽くす黄禍論
 それまで黄禍論を唱えていた米国人は真珠湾攻撃の報に接し、ついに来るべきものが来たと感じた。満州を攻略し、日中戦争を引き起こしていた日本がついに米国への侵略に着手したと思ったのである。
 一方、黄禍論を信じていなかった親日的米国人はショックを受け、中には考え方を180度変える者もあった。排日移民法にも反対していたJPモルガンの銀行家で後に同行の会長となるトーマス・ラモントは、日本が対米戦争に踏み切ることはないと信じていたが、真珠湾攻撃を境に日本人は殺されるべき生き物と考えるようになった。
 日本人に対する偏見も、真珠湾攻撃に対する米国人の驚きを助長した。例えば多くの米国人は、日本人のパイロットは目が細すぎてよく見えないので、欧米人のパイロットに比べ操縦技術が著しく劣ると信じていた。フィリピンで日本軍機の攻撃を受けたマッカーサー将軍は、その鮮やかな攻撃に、操縦しているのはドイツ人パイロットだと信じていたほどである。
 真珠湾攻撃当時、米太平洋艦隊の指揮を執っていたキンメル司令長は、警告があったにも関わらずなぜ艦艇を真珠湾に停泊させ続けたかを後に聞かれて、「あの黄色い畜生どもが、あんな攻撃をうまくやってのけるとは思いもしなかった」からだと答えている。
 真珠湾攻撃の後、ドイツが米国に宣戦布告した。米国政府は日本と戦う太平洋戦線ではなく、ナチスドイツと戦う欧州戦線を重視し、第一戦場と定めた。にもかかわらず米国の世論は、ドイツ人よりも日本人を主たる敵と考えた。
 開戦直前に当時の枢密院議長である原嘉道は、日独と米国が開戦した場合、人種のせいで米国はドイツよりも日本を強く敵視する、と懸念していたが、それが現実のものとなったのである。開戦直後に発行された1941年12月22日号の米誌『タイム』の表紙は、全面が「黄色」く彩られ中心に山本五十六の顔が描かれていた。
 開戦から2カ月後、ルーズベルト大統領は敵性外国人やその子孫の強制隔離を可能とする大統領令に署名した。ただ、大規模な強制隔離は、同じ敵性外国人であるドイツ系やイタリア系に対しては実施されず、主に日系に対してのみ行われた。日系の2世や3世の多くは、米国生まれで米国籍を持っていたのにも関わらずである。
 実際に強制隔離を指揮したジョン・デウィット西部地区防衛司令官は、米国生まれで米国市民権をもつ2世や3世でも日系の「血は薄まらない」と考えており、日系人による破壊活動がこれまで行われていなかったことを、これから行われる「確かな兆候」とみなすほどであった。今にして考えれば、このような荒唐無稽なロジックは、9・11同時多発テロの直後、イスラム系市民に対して用いられた論法と極めて似通っている。
 人種主義の観点から日本人差別を憂慮する
 しかし、中には日系人の強制隔離を憂えた米国人もいた。日本生まれで後に駐日米国大使となるエドウィン・ライシャワーもその一人である。強制隔離は、米国人がアジア人を差別し続けているという日本人のプロパガンダに正当性を与えてしまい、それによって白人の傲慢さにうんざりした中国が日本側に付くのではないか、とライシャワーは心配したのであった。
 中国が日本側に寝返るのではないかという懸念は、国務省高官にも共有されていた。1942年の戦没将校記念日の演説でウェルズ国務次官は、人種、信条、肌の色による諸国民間の差別は廃止されるべきと演説した。1919年のパリ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃案をウィルソン大統領は葬り去ったが、もはやそのような姿勢は許されなかった。
 同じころハミルトン極東部長は、もし中国が組織的対日抵抗を止めてしまった場合、日本の指導の下で有色人種連合が成立し、少なくとも日本はアジア人種の指導者となるかもしれず、そうなった場合、日本に対する連合国の勝利が確実でなくなるかもしれないとの懸念を覚書に記した。
 ホーンベック国務長官顧問も、日中連携の可能性を憂慮していた。米英からの援助が少ないことに中国の蒋介石が落胆しているという情報を得ていた彼は、中国が連合国を離れてしまうとアジアが反西洋でまとまってしまうと、米国政府内の有力者に説いて回った。
 人種を軸に戦争を考えている者は、戦後秩序構想を検討する合同委員会にもみられた。外交政策諮問委員会内の会議で、海軍代表委員は、この戦争を東西文明の生き残りをかけた戦争であり、白人文明を守るために、国際的悪党である日本人を民族として根絶すべきとの意見を述べた。国務省からの委員も日本人の人口を減らすべきとの考えに同意し、日本を破壊するなら戦争継続中に行わなければならないと述べた。
 連邦議会内でも、ある議員が人種戦争の可能性について発言していた。将来、黄色人種と白人種の間に人種戦争が起きる可能性があり、日本が中国を率いて、その豊富な資源を欲しいままにしたなら、西洋文明は滅ぼされてしまうかもしれないというのである。
 戦場から遠く離れた米東海岸においてですら人種戦争的議論がなされていたことからも想像できるように、太平洋の前線では日本への敵意はより激しいものがあった。米海軍のハルゼー南太平洋方面司令官の口癖が「ジャップを殺せ、殺せ、もっと殺せ」であったことは有名である。兵士たちが、日本兵の耳をそぎ落として記念として持ち帰ることが広く行われていたが、ドイツ兵やイタリア兵に対しては同様のことは行われなかった。
 日本の敗戦で、米国は黄禍論から解放されたのか?
 こうした米国の過度な日本への敵意の中で、日本も米国を苛立たせるようなことをしていたのもまた事実である。その一例は、当時日本軍が中国大陸で配布している小冊子がそれである。1882年の移民法制定以来、米国への中国人移民の入国や帰化は禁止されており、いくら米国に味方しても、米国人は中国人を差別しており、中国人は米国に移民することも帰化することもできないと書かれており、中国人の米国に対する不安を煽っていた。
 このような日本軍の宣伝が説得力を持つ可能性を重く見た米国政府は、中国人排斥法の廃止に動いた。結果として、1943年に中国人排斥法は廃止されたが、1年間に認められた移民の数は僅か105人であり、便宜的な改正であったことは明らかである。
 もう一例は、同じ1943年に日本が開催したアジア諸国の首脳会議である大東亜会議である。日本の他の参加国はタイを除けば満州国や中国の汪兆銘政権など日本の傀儡国ばかりであったが、米国のメディアの一部はそのような日本の動きを危険視した。例えば、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙は、守勢に立たされた日本は必至で中国と手を結ぼうとするとして、もし、それが実現すれば極東の戦局は大きく変わるだろうと、日中連携の可能性を懸念した。
 このような中、戦局はますます日本に不利になり、日本軍は追い詰められていった。1945年4月にルーズベルト大統領が病死し、後を継いだトルーマン大統領は日本に対する原子爆弾の投下を許可した。原爆投下の理由として、トルーマンは「ケダモノを扱うときはケダモノとして扱わなければならない」と記している。また、カナダのマッケンジー・キング首相も、原爆が欧州の白人種ではなく日本人に対して用いられたことを、「幸運」と表現した。
 度重なる空襲によって日本の主要都市は壊滅し、米国を中心とする占領軍のコントロール下におかれることになる。米国は第二次世界大戦を共に戦った中国国民政府との友好関係を維持することで、黄禍論的悪夢からようやく解放されるはずであった。しかし、中国共産党の勝利によってその目論見は外れ、また、誰もが予想だにしなかった戦後日本の急速な発展によって、再び黄禍論が沸き起こることになる。
 次回は戦後世界における黄禍論の展開を見ていきたい。
 『Wedge』では、第一次世界大戦第二次世界大戦の狭間である「戦間期」を振り返る企画「歴史は繰り返す」を連載しております。『Wedge』2022年11月号の同連載では、本稿筆者の廣部泉による寄稿『今も米国に残る「黄禍論」 人種主義なる〝病〟と向き合うには』を掲載しております。
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 ウィキペディア
 隔離演説(英:Quarantine Speech)または防疫演説(ぼうえきえんぜつ)とは、アメリカ合衆国フランクリン・ルーズベルト大統領が1937年10月5日にシカゴで行った演説である。
 概要
 当時の米国において一般的であった中立・不干渉の政治的風潮に代わるものとして、国際的な「侵略国の隔離」を要求した。演説は米国の孤立主義的風潮を煽り、不干渉主義者や介入者による抗議を招いた。演説の中で特定の国が直接名指しされた訳ではないが、ドイツ、イタリア及び日本(後の枢軸国)を指すものと解釈された。ルーズヴェルトは、強硬ながらもあからさまな攻撃よりは直接的でない反応として、「経済的圧力の行使」を提案した。
 演説に対する世間の反応は様々であった。著名漫画家で4コマ漫画「スキッピー」の作者のパーシー・クロスビーは、ルーズヴェルトを痛烈に批判してきた人物であるが、彼はニューヨーク・サンの広告枠を2ページ分購入して演説を攻撃した。さらに、演説はウィリアム・ランドルフ・ハーストが所有する数々の新聞社やシカゴ・トリビューンのロバート・R・マコーミックから酷評されたが、のちに一部社説が示したところによれば、米国のメディアは概して演説を認めていた。
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 フランクリン・ローズヴェルト大統領の「隔離」演説
 西川 秀和
 はじめに
1. 第一次世界大戦後のアメリカの風潮
2. フランクリン・ローズヴェルトの意図
3. 国内外の反応
4. 結語


はじめに
本稿の目的は、第一次世界大戦後、深まる孤立主義的風潮(1)の中で、フランクリン・ローズヴェルト大統領(Franklin D. Roosevelt)が、どのような意図で「隔離演説」を行ったのかを明らかにすることである。さらにその「隔離演説」に対する国内外の反応が、ローズヴェルト外交政策にどのような影響を及ぼしたのかということを追求する。

2. フランクリン・ローズヴェルトの意図
 著名な大統領レトリック研究者であるライアン(Halford Ryan)は、隔離演説を以下のように評している。
 「ローズヴェルトの目的は、1941 年 12 月 8 日まで完全に達成されることはなかったが、『隔離』演説は、アメリカ国民を戦争に順応させ、戦争をアメリカ国民に適合させるレトリック的キャンペーンの始まりを告げるものであった」[Ryan 1988: 141]
 ライアンの指摘からすると「隔離」演説は、一種の戦争レトリック(6)であるということになる。しかし、ローズヴェルトの意図は、単純にアメリカ国民を戦争に順応させることではなかったように思われる。
 「隔離」演説に関する先行研究の中で代表的なものはボーグ(Dorothy Borg)の研究である。一般的な解釈によると、ローズヴェルトの「隔離」演説は、中立法による孤立主義を放棄し、ウィルソン的な集団安全保障体制に参加することを闡明したものである。しかし、ボーグは、そうした一般的な解釈とは異なり、ローズヴェルトが「隔離」演説で訴えようとしたのは集団不干渉主義の推進であり、枢軸国に対す る強硬姿勢を闡明したものではないと論じている[Borg 1957: 420]。
 ここで「隔離」演説作成の経緯を説明し、次に「隔離」演説の内容について分析していく。1937 年 9 月 6 日、ローズヴェルトは、世界の政府間の平和のためにアメリカが先頭に立って大掃除をする準備ができていることを公にするとモーゲンソー財務長官(Henry Morgenthau,Jr.)とハル国務長官(Cordell Hull)に語った。そうした問題には国民を事前に教化する必要があるとして両者は、大統領の意見に反対した。ハルが憂慮していたのは、アメリカ国内の世論が分裂している姿を諸外国にさらすことであった。そこでハルは、大統領の旧友のデーヴィス無任所大使(Norman H. Davis)と相談し、西部旅行の途上、孤立主義で凝り固まっている大都市の一つで、国際協力に関する演説を行うべきだと大統領に提案することにした。ローズヴェルトはそのハルの提案を受け入れ、演説草稿の作成にかかるように指示した。モーゲンソーとハルは、シカゴで行われる予定の演説によって、アメリカ国民が「三つの野蛮国家」の振る舞いに 嫌 悪 感 を 抱 い て い る こ と を 世 界 に 伝 え る こ と が で き れ ば よ い と 考 え て い た [Borg 1964:
379-380; Hull 1948: 544]。
 「隔離」演説の冒頭は、チョトークヮでの演説(7)の冒頭に非常によく似ている。チョトークヮでの演説の冒頭で、ローズヴェルトは、国内情勢だけでなく国外情勢にも目を向けるように国民に訴えかけている。同様に「隔離」演説の冒頭でローズヴェルトは、大恐慌期に比べて国内経済が好転していることを感慨深げに語った後に、「隣人と平和と友誼を以って共存していこうと望んでいるすべての諸国民と諸国家は、ますます悪化している世界の政治情勢に大いなる懸念と不安を抱いている」[Rosenman 1969: 407]と国民に訴えかけた。次いで戦争の恐怖に慄く世界では、ブリアン-ケロッグ平和協定(パリ不戦条約)の精神に立ち返ることが重要だとローズヴェルトは説いた。さらにローズヴェルトは以下のように国際的無法状態が世界に蔓延していることを強調した。
 「現在の恐怖と国際的無秩序の時代は、他国の内政に対する不当なる干渉、あるいは国際条約違反による外国領土の侵略を以って開始されたが、今日では当に文明の礎が甚だしく脅かされるに至っている。そして宣戦布告も警告もまた如何なる正当化もなく、女子供を含む市民が空中からの爆弾により容赦なく殺戮されている。所謂『平和』時に船舶が何等理由もなく無警告で潜水艦によって撃沈されている。ある国々は、未だかつて彼らに何も害を及ぼさなかった国の内乱に関与し、互いに一方に味方して内乱を助長している。ある国々は、彼ら自身の自由を要求しながらも、他国に自由を与えることを拒んでいる」[Rosenman 1969: 407]
 「女子供を含む市民が空中からの爆弾により容赦なく殺戮されている」という行が、1937年 4 月のゲルニカ爆撃事件を指していることは当時の聴衆にとって容易に推測できたに違いない。名指しを避けながらも明確に意図するところを伝えるというのは巧みなレトリックである。また潜水艦による船舶の無警告撃沈は、第一世界大戦参戦前のドイツのアメリカに対する仕打ちを聴衆に思い出させるものであった。ローズヴェルトの激しい非難は続く。
 「無実の諸国民、無実の国々は、正義や人道的な考えなど欠けらもない権力や支配の虜によって残酷にも踏みにじられている」[Rosenman 1969: 407]
 ここでローズヴェルトは、ヒルトン(James Hilton)の『失われた地平線』からの一節を引用する。
 「殺人の技術を手にして狂喜した人間が世界中を狂奔し、すべての貴重なものが危機にさらされる時代をおそらく我々は予見することになる。あらゆる書籍、絵画、音楽、二千年の間に蓄積されたあらゆる財産、小さく、繊細で、無防備なもの―すべてが蹂躙され完全に破壊されるだろう」[Rosenman 1969: 407-408]
 この引用部分は、主人公コーンウェイとシャングリ・ラ(チベットの秘境の名)の大ラマとが世界の行く末について話し合っていた時に、大ラマ自身が見た未来の世界の幻想をコーンウェイに語った行である。原文では、文末は「すべてのものは、リヴィウスの書籍[『ローマ建国史』]が散逸したように失われ、イギリス軍が北京の夏の離宮を蹂躙したように踏みにじられるだろう」[Hilton 1947: 127]となっている。当時、イギリスとの協調関係を模索していたローズヴェルトが、イギリスに対する非難につながるような箇所を削ったのは言うまでもないことである。ローズヴェルトは世界に忍び寄る脅威をこのように説明した後、それがアメリカにどのような影響を及ぼすか語る。
 「もしそうしたことが世界のその他の地域で蔓延したとしたら、アメリカだけがそれを免れ、アメリカだけが幸運を期待し、この西半球だけが攻撃されず、静穏かつ平和的に文明の精華や倫理を保ち続けることができるなどと誰が想像できるだろう」[Rosenman 1969: 408]
 ここでローズヴェルトは、西半球をアメリカの勢力圏と定め、その圏外からの干渉を許さないという所謂伝統的なモンロー主義だけでは、アメリカの安全を保証できないことを示唆している。こうした事態を避けるためにローズヴェルトは、平和愛好諸国に一致協力を求める。
 「平和愛好諸国は、今日、単なる孤立や中立によって逃れることなどできない国際的無法状態や不安定を生み出している、こうした条約違反や人間の本性の無視に一致協力して反対しなければならない」[Rosenman 1969: 408]
 「隔離」演説は単にアメリカ国民を対象としたものではなく、世界を視野に入れたものだとわかる。しかし、平和愛好諸国に一致協力して反対することを呼びかけたといっても、ここでは具体的な手段が明らかにされているわけではない。さらにローズヴェルトはいかなる国も現在の国際情勢の中では孤立したままでいることはできないと論を進める。
 「現代世界は、技術的、道義的に緊密に結び付き相互に関連しあっているので、どんな国も世界の他の部分で起きる政治的経済的動乱が縮小せずに拡大した場合、そうした政治的、経済的動乱から完全に孤立することはできない」[Rosenman 1969: 409]
 ローズヴェルトは関税障壁を取り除き、世界貿易を拡大させ、軍縮を行うことにより国富を軍備にではなく生産財に向けるようにしようと世界に訴えかけた。比較的穏やかな調子になりつつあった演説は、再び熱を帯び始め、この演説の通称の由来となった最も有名な行にさしかかる。
 「世界の九割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際的な秩序と法を破壊しようとしている残り一割の人々によって脅かされようとしている。法の下に、また数世紀にわたって広く受容されてきた道徳規範を守って平和に生きようとする九割の人々は、自分たちの意志を貫徹する道を見出すことが出来るし、また見出さなければならない。(中略)。不幸にも世界に無秩序という疫病が広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔離することを認めている」[Rosenman1969: 410
 この「隔離」の行は、実はローズヴェルトの独断で演説草稿に挿入されたものである。先述の通り、ハルは演説草稿にデーヴィスと共に携わっていたのだが、演説が実際行われるまでこの行があることを全く知らなかった[Hull 1948: 545]。デーヴィスが準備していた演説草稿によると、「隔離」の行の部分はもともと以下のような内容だった。
 「私は、平和主義を追求しようと決意した。だが、もし我々が自分達の権利と利益を守ることができないとしたら、我々は他国からの尊敬を失い、さらに自尊心をも失ってしまうだろう。我が国は、父祖たちが自らの生命よりも尊く、それなしでは生きる価値などないと考えた主義に殉じようとしている。もし我々が、自由と進歩の礎となる主義を、最善を尽くしてももはや守れない時が来たら、我々は偉大なる国家の遺産を犠牲にすることになり、我が国を維持するための活力を失うことになるだろう」[Borg 1964:627]
 疫病や隔離に関連するような表現は全くなかったことは明らかである。ローズヴェルトはいったいどこから疫病や隔離に関連する着想を得たのであろうか。
 九月頃、大統領はデーヴィスにしばしば世界情勢や国務省について語っていた。先述の通り、デーヴィスは、シカゴでの演説の草稿を準備していたが、その草稿には、「戦争は伝染病である」という文句はあったが、「隔離」のアイデアはまだ使われていなかった。デーヴィスの他にイッケス内務長官(Harold Ickes)も、度々、大統領と外交問題を話し合っていた。大統領が西部に出掛ける前の昼食会で、イッケスは大統領に、ローズヴェルトの声こそ、世界に残された民主主義を奮起させることができる唯一の声であると述べた。大統領は、イッケスが国務省の弱腰を非難するのに同意し、旅行から帰り次第、国務省を大統領自ら運営すると述べた。その時、イッケスは、国際情勢を病気に譬えて、近隣諸国は、感染の脅威に対して自らを「隔離」する権利があると話した。大統領はイッケスの話を遮り、その言葉を書き留めて、それをいつか使おうと言った[Rosenman 1972: 164-165]。
 またローズヴェルトは、ウェルズ国務次官(Sumner Welles)とも外交問題を話し合っていた。ローズヴェルトは、ウェルズに日本を隔離する計画の概容を話していたが、それをいつ公にするか詳しい時期については話していなかった。ウェルズは度々ローズヴェルトに対して、世界戦争を回避するために何らかの努力をとるべきだと主張していた。七月から八月にかけてローズヴェルトとウェルズはどういった行動を取るべきか話し合った。ローズヴェルトは、イギリス海軍と協力して戦略地点に部隊を派遣し、日本への輸出を阻止するつもりだと七月にウェルズに語っている。日本に対して領土拡大をしないように求めるか、もしくは禁輸措置をとる場合、太平洋でイギリスと共同戦線を張ることができるかどうかの可能性をローズヴェルトは探っていたのである。その時点でローズヴェルトが考えていた「隔離」とは、太平洋でイギリスと協力し、日本に対して海上封鎖を行うということだった。ウェルズはローズヴェルトに、我々がそのような措置を取るとなると戦争になるのではないかと危惧を示したが、ローズヴェルトは、戦争になるとは思わないし、イギリスはこの申し出を快諾するだろうと楽観的に答えた。
しかし、この案はイギリスの快諾が得られず、また戦争を誘発する可能性があるため議会やアメリカ国民には受け入れそうにないということで放棄された[Graff 1988: 180-182]。
 こうした閣僚達との話し合いの他に、先述の『失われた地平線』も疫病や隔離に関連する着想のヒントになっているようである。なぜなら『失われた地平線』は、シャングリ・ラがその他の世界から隔離されているので世の中に蔓延する欲望という名の疫病から逃れることができるというテーマを含んでいるからである。
 結局、「隔離」演説の中では、この「隔離」という概念がいったいどのような意味を持つのかということが大きな問題となるのである。それは次の節で述べる。
 ローズヴェルトは演説の最後で再度、疫病に関連する表現を述べている。
 「宣戦布告されていようがいまいが、戦争は伝染病である。戦闘が行われている場所から遠く隔たった諸国や諸国民を戦争は飲み込んでいく。我々は戦争の局外に立とうと決意したが、それでも、戦争の及ぼす破滅的な影響から身を守り、戦争に巻き込まれないようにすることはできない。我々は戦争に巻き込まれるリスクを最小にするために、戦争の局外に立つという方法を採用しているが、信念と安全が崩壊している無秩序な世界の中で完全に身を守ることなどできない」[Rosenman 1969: 411]
 孤立主義だけではアメリカを守ることはできないというテーマが伝染病という比喩が織り込まれ新たな形で繰り返されている。伝染病が逃れ得ないものであるのと同じく、戦争も逃れ得いものであると聴衆に納得させようとしている。伝染病のイメージが有効に活かされていると評価できる。最後にローズヴェルトは以下の言葉で演説を締め括った。
 「アメリカは戦争を憎む。アメリカは平和を望む。それ故、アメリカは平和を追求する試みに積極的に参画する」[Rosenman 1969: 411]
3.国内外の反応
ローズヴェルト、平和に向けて『一致協力』を求め、戦争屋を糾弾す」(8)
 ニューヨーク・タイムズは、一面でローズヴェルトの「隔離」演説について以上のように報じた。多くの新聞がローズヴェルトの「隔離」演説に対し好意的な反応を示し、大統領に寄せられた手紙の多くも、「隔離」演説を強く支持していた。例えばコロンビア大学学長のバトラー(Nicholas Murray Butler)は以下のような手紙をローズヴェルトに寄せている。
 「昨朝のシカゴでのあなたの演説は、まるで窒息しかけた世界に吹き込んだ新鮮な空気のようであった。あなたが表明したこと、指し示した道は、国際世論に大きな影響を与えた。私の見解では、それよりもさらに重要なことは、戦争に至ることなく、そして戦争の恐れを増すことなく、真の結果を生み出す政策と行動を闡明することができたことである。世界を導くのは我々である。そして我々の中に巣喰う最大の平和の敵は、孤立と中立という言葉が意味を全くなさない状況の下で、なおもそれらを説く連中である。シカゴでの演説であなたが示した方針よりも、むしろ彼らの考える政策のほうが、ずっと武力衝突に至る可能性が高い」 [Schewe 1983: 27]
 しかし、一部の新聞はローズヴェルトを辛辣に非難した。ウォールストリート・ジャーナルは、「外国への手出しをやめろ、アメリカは平和を欲する」というコメントを発表し、シカゴ・トリビューンは、大統領がシカゴを「戦争恐怖の世界的ハリケーンの中心」に変えてしまったと非難した[ルクテンバーグ 1968: 180]。実はハルも、演説草稿に携わったとはいえ、「隔離」の行については批判的であった。ハルは彼の『回顧録』の中で以下のように書いている。
 「この隔離思想に対する反響は大きなものであった。私の考えでは、この演説は、世論を国際協力の方へ向かわせるために我々が継続的に行ってきたキャンペーンを、尐なくとも六ヶ月は退歩させる結果になった。このキャンペーンに関わった人員は、演説、声明その他の方法を通じてできるだけ積極的に活動したが、同時に、孤立主義者の反発を煽り、かえって逆の効果を生むようなことがないように注意していた。[世間を]驚かすような声明を発表したり、早まった行動に出たりして激しい反発を引き起こし、世界に国内が二つ割れている姿を示すよりは、徐々に事を進め、無用の反対をまねかない方が、言葉や活動がそれほどダイナミックで強いものでなくとも、世界全体にははるかに効果があったはずである」[Hull 1948: 545]
 ハルは、平和主義団体が「隔離」演説に猛反発することを危惧したが、それはすぐに現実となった。戦争防止のための全国委員会会長のリビー(Fredrick Libby)は、「大統領のシカゴ演説は、中立法に基づく政策を覆すものである。そして、議会の平明なる法と精神は、台無しにされただけでなく侵害されたのである。大統領は、議会での圧倒的な票数で示された国民の意志を裏切っている。我々は戦争へ至る道を辿ることに反対する」[Marabell 1982: 205]とローズヴェルトを激しく非難した。
 またフィッシュ下院議員(Hamilton Fish)は、大統領は、戦争を避けることができないと言うことにより国中に戦争ヒステリーを捲き起こしたと

 一方、ディックホフ駐米ドイツ大使(Hans Heinrich Dieckhoff)は、ウェルズに面談した際、「隔離」演説についてはコメントを控え、ドイツの目標は平和的な手段により植民地を再復することにあると主張している[Department of State 1954a: 138-139]。ディックホフは、「隔離」演説について本国に報告を送っている。ディックホフは、もともと演説草稿には「隔離」の部分は無かったはずであり、大統領自らその部分を後から挿入したと推測している。そして、演説が行われた直接的な原因は、中国での日本の行動に大統領が危機感を抱いたことにあるとディックホフは示唆している。最後にディックホフは、おそらく、「隔離」演説には、外交問題を殊更に取り上げてみせることで、大統領を悩ませていた黒人問題から大衆の気を逸らせる意図もあったはずだと結論を下している[Rosenman 1972: 166]。
 この報告からは、ディックホフが「隔離」演説をドイツに対する警告であると受け止めた様子は全く窺えない。ディックホフからすれば、「隔離」演説はまさに単なるレトリックに過ぎなかったのである。
 「隔離」演説に対して最も過敏に反応したのは日本であった。毎日新聞(10)は、「米大統領の諷刺演説に應酬―率直にわが眞意吐露‘戦争’も已むを得ず」と大見出しを掲げ、「ルーズヴェルト米國大統領は五日シカゴにおいて一般民衆を前に國際政局の危機を指摘し平和愛好諸國民の協力を要請し侵略國を非難する大演説を試み暗に支那事變を諷するが如き言辭を用ひた」と報じた。さらに毎日新聞は、「紛争國“隔離”を提唱―米大統領演説」という見出しの下に「ル大統領は右演説で特定の國の名は擧げなかつたが、右がスペインおよび支那の事態に關聨せるものであるのは明らかである。聴衆中にはこの演説によりあるひは米國政府が將來さうした國々に對する何らかの制裁に參加するのではないかといふ如き意見を出すものもあつた」と報じた。
 同日の朝日新聞(11)も「米大統領獅子吼―平和確保に協力せん」という見出しの下に、扱いは毎日新聞よりも小さいものの、「特に國の名は擧げなかつたが、日支事變並に地中海の『海賊』潜水艦問題から更に満州事變及び伊エ戦争に遡つて『侵略國』を論難したのは頗る注目されてゐる」と報じている。
 一方、松方幸次郎(12)は、訪米直前に日本駐在のドゥーマン参事官(Eugene H. Dooman)と会見し、「隔離」演説に対する日本の指導層の反応を伝えた。松方の説明によると、陸軍から弱腰と非難されてきた海軍の指導層の感情は、10 月 5 日の大統領の演説によって完全に変化したという。彼らの感情は、合衆国に対する強烈な反感に転じ、もし合衆国が現在のような政策を続けるならば、日本は迎え撃つ準備をするだろうと彼らは言っていると松方はドゥーマンに伝えた[McJimsey 2002: 7-8]。
 この当時、日本が最も恐れていたのは、「隔離」演説がアメリカ国民の反日感情を喚起し、それをもとに、アメリカ政府が対日強硬策を推進することであった。アメリカ国民の反日感情を鎮めるため、毎日新聞主筆の高石眞五郎が、極東における日本の立場を説明するための親善大使としてアメリカへ赴くことになった。その航海の最中、高石は随行員に向かって次のように語っている。
 「モンロー主義を看板にして、アメリカは自らの四半球支配を天輿の權利と考へてゐる。それだけならいゝが、他の國がそれぞれの地域に自主的な共存圏を建設しようとすれば、直ちにそれを全世界支配の前提であるかのやうに、または全人類奴隷化の野心のやうに考へる。自己の世界四半だけが、世界の平和を保障するもので、これを承認しない一切のものを不正義、不道德と非難するのだから、その獨善と驕慢とは、およそ度し難いものかも知れぬ」[古海 1941: 24]
 この高石の言葉は、「隔離」演説に対する日本の反応をよく表しているように思える。駐日アメリカ大使グルー(Joseph C. Grew)も次のように分析している。
「大統領の 10 月 5 日のシカゴ演説と同月 6 日の国務省声明(13)発表後、合衆国に対する[日本国民の]感情が高まっている。こうした感情の高まりは、[合衆国により日本が]非難されたことに対する憤りと合衆国が日本に押し付けようとしている意図が漠然としているということから生じている」[Department of State 1954b: 633]
 グルーは、こうした「隔離」演説により惹起された憤りが、日本国内の穏健派の勢力を弱めることを危惧していたのである。
 このように「隔離」演説は、国内外に大きな反響を及ぼした。ローズヴェルト自身は、賛成意見ももちろん多かったものの、演説に対してなされる攻撃の多さに驚くことになる。それ故、「隔離」演説の翌日に開かれた記者会見[Rosenman 1969: 414-424]で、ローズヴェルトは「隔離」が具体的にどのような意味を内包しているのか(14)言質を与えることを巧みに避けた。会見冒頭から記者は「隔離」演説についての質問を大統領に浴びせた。

4. 結語
 10 月 6 日の国際連盟総会決議(16)に基づいて招請が決定されたブリュッセル会議(九カ国条約会議) が 11 月 3 日から 24 日にかけて開催された。ブリュッセル会議は、アメリカが「隔離」演説に基づいてどのような具体的方策を提案するかを世界が固唾を呑んで見守った場であった。
 デーヴィスがブリュッセル会議に出席するために出発する前にローズヴェルトは覚書を手渡している。その中でローズヴェルトは、ブリュッセル会議で、アメリカには次のような世論があることをイギリスに認識させるべきだと指示している。つまり、合衆国は必ずしも国際連盟と共同歩調を取るつもりはないこと、合衆国は、将来の行動において先導役を務めることなど予見していないこと、合衆国はイギリスの驥尾に付すつもりはないことといった世論である。そして、合衆国が共同歩調をとる場合も、それはあくまで合衆国とイギリス相互が独立した形で行われるべきであり、場合によっては共同歩調を取る必要もないとイギリス政府に認識させるべきであるとローズヴェルトはデーヴィスに伝えている[Schewe 1983: 129]。またウェルズは「[ブリュッセル]会議で日本を侵略者呼ばわりするのは我々の考えではない。日本を懲罰するのではなく単に意見を交換するだけだ」[Graff 1988: 206]と述べている。
 このようにアメリカはブリュッセル会議で「隔離」演説で示したような積極的な立場を示さなかった。この点について谷は次のように分析している。
 「隔離演説で訴えた明確なものが、ブリュッセル会議になぜ示されなかったのであろうか。それは恐らく、演説に反対を示した世論の動きにローズヴェルトが敏感に反応して、表面上は、一時的に後退したとみるべきである」[谷 1986: 46]
この谷の指摘はローズヴェルトが「隔離」演説の後の記者会見で示した姿勢からすると妥当な指摘であると考えられる。
 前にも述べた通り、ボーグは、ローズヴェルトが「隔離」演説で訴えようとしたのは集団不干渉主義の推進であり、枢軸国に対する強硬姿勢を闡明したものではないと論じた。しかし、そのように訴えたのは孤立主義者との正面衝突を避けようとする戦略であり、ローズヴェルトの本意は、集団安全保障体制に基づいて、アメリカが世界平和において積極的な役割を果たし、第一次世界大戦の轍を踏まないようにすることであった。
 またウェルズに加えて多くの研究者が指摘しているように「隔離」演説が時期尚早であったという議論も一理ある。何故なら「隔離」演説の約二ヵ月後にパネー号事件(17)が起きたが、それは周知の通り、戦争の引き金とはならなかったからである。
 パネー号事件は、1898 年 2 月 15 日のメイン号事件(18)、1915 年のルシタニア号事件(19)に類比される事件であるが、メイン号が米西戦争の直接的な引き金となり、ルシタニア号がアメリカの第一次世界大戦参戦の遠因となったのとは対照的に、パネー号はアメリカの第二次世界大戦参戦にほとんど影響を及ぼさず、すぐに落着している。これは、日本政府が速やかに賠償に応じたことも一因であるが、アメリカ国民の一般感情が強硬策を求めるまでに沸騰しておらず、第一次世界大戦後の孤立主義的傾向を完全に払拭するまでに至らなかったことに大きな原因があると考えられる。ローズヴェルトは、パネー号事件における日本軍の振舞いに激怒していた[ルクテンバーグ 1968: 182]が、「隔離」演説による教訓からか、パネー号事件をルシタニア号やメイン号と類比することはせず、激しい言辞を使うこともなかった。結局、パネー号事件は「真珠湾」にはならなかったのである。
(1) 孤立主義に関する先行研究については、[安藤 1996: 141-145]を参照されたし。
(2) 中立政策に関する諸観点の違いについては[中澄 1992]を参照されたし。
(3) 1935 年の中立法の条項の詳細ついては、[Department of State 1943: 266-271]を参照されたし。
(4) ブリッカー修正とは、1951 年から 1957 年にかけて、ブリッカー上院議員(John W. Bricker)を中心としたグループにより提議された憲法改正案である。それは、「第二次世界大戦以来、外交をめぐり行政府と立法府間で行なわれた争いの中でも最も重大な争いの一つ」[Garrett 1972: 189]であり、「アメリカの外交政策形成をリードするのは、大統領か議会のどちらか」[Schubert 1954: 258]を問うものであった。詳しくは、[西川 2005]を参照されたし。
(5) 1936 年に中立法は改正されている。主な改正点は、交戦国への借款を禁止した点である[中澄 1992: 2]。1937年の中立法の条項の詳細については、[Department of State 1943: 355-365; Garner 1937]を参照されたし。
(6) 戦争レトリックとは、大統領制のレトリック・ジャンルの一つである。狭義では、「アメリカが外国の敵と戦争状態に入っていることを議会が公式に宣言するように大統領が要請するスピーチ」[岡部 1994: 2-3]の中で、繰り広げられるレトリックを指す。しかし、20 世紀以降、戦争レトリックは狭義のものにとどまらず、広く国民に軍事行動の正当性を納得させるものであるのと同時に、国際世論をも喚起させる性格をもったものになっている。
(7) チョトークヮ演説は、1936 年 8 月 14 日、すなわち 1936 年 11 月の大統領選の前に行われた演説である。1936年の選挙戦でローズヴェルトは、共和党が弾薬を撃ち尽くす頃合いをねらうために、政治色の強い演説をひかえ、十月になってから大演説を四つか五つ行うという作戦を立てていた。チョトークヮ演説は、選挙戦で大演説を行う準備運動であった [シュレジンガー 1966: 484-485, 498]。
(8) The New York Times, October 6, 1937.
(9) Radio Address by Hon. Hamilton Fish, of New York, on October 22, 1937.
(10) 毎日新聞、昭和十二年十月七日。
(11) 朝日新聞、昭和十二年十月七日。
(12) 松方幸次郎(1865~1950)。松方正義の三男。神戸政財界の巨頭で川崎造船所初代社長。幸次郎は、1937 年当時、日本で不足しがちであった石油やくず鉄の供給を確保するために訪米を計画していた。松方幸次郎は、非公式の所謂「親善大使団」の一員であった。後に幸次郎は、ローズヴェルトと同窓生であった弟の乙彦(正義の六男)と共にローズヴェルトと会見している[McJimsey 2002: 211, 237]。ローズヴェルトと松方乙彦については、[五百旗頭 2001: 119]を参照されたし。
(13) 1937 年 10 月 6 日の国務省声明の内容は次の通りである。国際紛争を平和的手段で解決するべきだという考え方と条約の不可侵性をアメリカは支持し、大統領の「隔離」演説の要諦はそれを唱導することにあるとした。そして中国における日本の行為を、アメリカは九カ国条約とケロッグ-ブリアン条約(パリ不戦条約)違反だとみなし、声明は国際連盟の決議に沿うものだと認めている[Department of State 1943: 387-388]。国務省声明と「隔離」演説の大きく異なる点は、「隔離」演説では、日本が名指しされることはなかったのにもかかわらず、国務省声明では、はっきりと日本が名指しされていることである。
(14) 「隔離」演説直後、ローズヴェルトはシカゴ管区大司教マンダレイン(George Cardinal Mundelein)の家で催された昼食会に出席し、「隔離」の意味についてマンダレインと話し合っている。マンダレインはその翌日、在アメリカ法王大使のチコニャーニ(Amleto Giovanni Cardinal Cicognani)に以下のような手紙を送っている。「大統領の計画は、非道な侵略国に対する軍事行動や一般的に理解されるような『制裁』を行おうというものではなく、むしろ全条約加盟政府が一致して[非道な侵略国と]国交を断絶するという孤立主義である。もしその目標が、欧州とアジアにおける無法行為を抑制することであるなら、世界の文明化した諸国民の一致団結が不可欠である」[Schewe 1983: 25-26]
(15) 1937 年 10 月 27 日のビドルからの手紙に対する返書。ビドルはその手紙の中で「隔離」演説について、「あなたの見事なシカゴでのスピーチは、全欧州に深い感銘を与えた。外交政策を実行するに於いて明哲なる道義心を持つ諸国は、あなたの言葉を心からの熱狂を持って迎え、大きな刺激を受けている」と書いている[Department
of State 1954a: 151]。
(16) 1937 年 10 月 6 日、国際連盟は、日本の中国に対する軍事行動が、1922 年の九カ国条約、1928 年のパリ不戦条約に違反するものだという裁定を下し、九カ国条約会議を招請することを関係各国に通達した。
(17) パネー号事件とは、1937 年 12 月 12 日、日本海軍所属の爆撃機編隊が、揚子江の巡回任務に就いていた合衆国砲艦パネー号を「誤爆」し、撃沈したという事件である [Morison 2001: 16-18]。パネー号事件の真相については未だに研究者の間で決着がついていないが、陸軍急進派がパネー号「誤爆」を指嗾し、その責任を海軍の穏健派に被せようとしたという見方が主流である[ディングマン 1990; 山本 1993]。
(18) 1898 年 2 月 15 日、キューバハバナ港に停泊していた米軍艦メイン号が何者かにより爆沈された事件。いったい何者がメイン号を爆沈したのかは未だ研究者の間で決着がついていない。この事件を契機に国民感情は一気に沸騰し米西戦争の直接の契機になった[Campbell and Jamieson 1990: 106-108]。
(19) 1915 年 5 月 7 日、ドイツの潜水艦が、アイルランド沖でイギリス船籍の定期船ルシタニア号を撃沈した事件。1,198 名にも及ぶ犠牲者の中には、124 名のアメリカ人が含まれ、アメリカ国民を激昂させる事件となった [リンク 1974: 93-94]。
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 WEBVoice
 「疑似共産主義政権」だった? ルーズベルト政権の驚くべき実態
 2022年02月21日 公開
 渡辺惣樹(日米近現代史研究家)
 ルーズベルト大統領の周囲には、共産主義者たちが幅を利かせ、政権を操っていた形跡がある。信じがたいことに、容共思想家やソビエトスパイが大統領の側近として、その重要な「政治的決定」をリードしていた可能性が指摘される。
 ※本稿は、渡辺惣樹著『第二次世界大戦とは何だったのか戦争指導者たちの謀略と工作』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
 ソビエトを直ちに国家承認
 本稿では1933年に発足したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)政権が、実質共産主義者に乗っ取られていた「疑似共産主義政権」であったのではないかと疑わせる事象を扱う。
 米国民は、第一次世界大戦に参戦を決めたウッドロー・ウィルソン民主党)の外交に幻滅していた。パリ講和会議を経て成立したベルサイユ体制はすわりが悪く、戦勝国であった英仏は、ベルサイユ条約(対独)およびサンジェルマン条約(対墺)で成立した小国の強欲を抑制することに汲々とした。
 戦勝国は大国小国を問わず、ドイツに対する不正義(約束に反した懲罰的条約:ベルサイユ条約の規定する諸条件)を何とか正当化しようと試みた。しかし、結局はそれに失敗した(ベルサイユ体制の崩壊現象が第二次世界大戦である)。このことを理解しなければ、ドイツ国民がなぜヒトラー政権を誕生させたか理解できない。
 第一次世界大戦では、米国も参戦し、多くの若者を犠牲にした。しかしヨーロッパ大陸に安定は訪れなかった。
 米国民は建国の父たちの遺訓(ヨーロッパ問題非介入)の正しさに、「ひどい火傷」を負って初めて気づいたのである。米国民は、ウッドロー・ウィルソン政権以降、干渉主義政党である民主党にけっして政権をとらせなかった。民主党が、1932年の選挙でハーバート・フーバー政権を倒せたのは、1929年秋から始まった世界恐慌を奇貨としたからであった。
 歴代の共和党政権は、1917年の十月革命グレゴリオ暦11月)を機に成立したソビエトをけっして国家承認しなかった。しかし、ルーズベルト政権は政権1年目(1933年)に、直ちにソビエトを正式承認した。承認の条件は、けっして内政干渉しない(世界革命思想による政治工作をしない)ことであったが、ソビエトがそれを守るはずもなかった。
 米国内に跋扈(ばっこ)する共産主義者グループ、労働組合、左翼思想家など、「第五列」を利用した工作を開始した。スターリンは留学生を装ったスパイを全米の大学に送り込み、米国の最先端技術を盗ませた。
 ニューディール政策はただの「バラマキ」
 1933年、大統領となったFDRはニューディール政策と呼ばれる社会主義統制経済を始めた。筆者の世代(60代後半)だけでなく、その前の団塊世代も、「ニューディールは、世界恐慌からの脱出をめざした進歩主義的政策」と賛辞した教科書を読んだ。政策の目玉の一つにテネシー川流域開発公社(TVA)の設立があった。試験にもよく出題された。
 一方で、原爆開発プロジェクトによるウラニウム濃縮施設がテネシー州オークリッジに建設されたことや、濃縮にはTVAからふんだんに供給される電力が使われたことを知るものは少ない。日本に落とされた原爆の原料がTVAの電気を利用したテネシー産であったことを教える歴史教師はどこにもいなかった。
 ニューディール政策の中核組織に全国復興庁(NRA)があった。NRAは、すべての消費財をコード化し、価格や生産量を決定した。資本主義制度の根幹を否定する、ソビエトも驚く政策を次々と実施した。米最高裁がNRAを違憲組織と判断したのも当然だった(1935年)。
 ニューディール政策は、国家予算の「バラマキ」で、資金の出る蛇口に近い組織や人物を喜ばせた。しかし、経済成長を生むインフラ整備には役に立たず、失業者は一向に減らなかった。米経済の回復は、ヨーロッパの戦端が開き、英仏に軍需品供給を始めた1939年9月以降のことである。
 大きな政府は必ず全体主義化する「癖」がある。大きな政府は大量の役人を必要とする。その結果、FDR政権での政府機関職員採用時のバックグラウンドチェックは甘くなった。米共産党員でさえも防諜の要となるOSS(戦略情報局)に採用された。たとえば、レオナルド・ミンスは米共産党員でありながら、OSSの天然資源情報担当官となった。
 政権中枢では、容共思想のハリー・ホプキンスが大統領側近として米外交をリードした。財務長官ヘンリー・モーゲンソーは、FDRの親友の立場を利用して国務長官コーデル・ハルを差し置いて外交問題に口を挟んだ。モーゲンソーの右腕がソビエトスパイであるハリー・デクスター・ホワイトであった。日本を対米戦やむ無しと決断させた「ハルノート」を起草した人物である。
 「赤いファーストレディ」と呼ばれた
 国務省には、同じく「ヴェノナ文書」でスパイが確定したアルジャー・ヒスがいた。彼は、死期迫るルーズベルトに代わってヤルタ会談の実務を仕切り、ソビエトに日本固有の領土までも分け与える条件で対日戦争参戦を実現した。国際連合設立についても事務方のトップとして活躍した。
 ワシントン議会は、活発化する「第五列」運動に苛立っていた。米下院が、彼らの活動の調査を始めたのは1938年のことである(非米活動調査委員会)。39年の調査対象になった団体に米青年議会(AYC)がある。AYCは米青年共産主義者同盟と密接な関係にあった。
 調査が始まると、若き共産主義者たちは大挙して委員会室になだれ込み議事妨害を企てた。驚くことに、彼らの先頭にいたのはエレノアFDR大統領夫人であった。
 フェミニズム運動をきっかけに共産主義思想に染まり、「赤いファーストレディ」と呼ばれたエレノアの後ろ盾を得た彼らは強気だった。マーチン・ダイズ委員長(共和党テキサス州)に罵声を浴びせ、共産主義礼賛のビラを撒いた。その1人がジョセフ・ラッシュ(ロシア系ユダヤ人:アメリカ学生連盟書記長)だった。
 エレノアはこの男を気に入った(好きになった)。FDR3選を狙う選挙(1940年)では、彼を民主党全国委員会青年部長に推し込んだ。2人の関係を怪しんだ米陸軍情報部はエレノアの監視を始めた。彼女の私信をひそかに開封し、ホテル宿泊時には盗聴した。ラッシュも監視対象だった。陸軍は2人が1943年には愛人関係になったことを確認した。
 こうした事実に鑑みれば、ルーズベルト政権は「疑似共産主義政権」であった。日本は実質共産主義国家である米国と戦い敗北したのである。
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 フランクリン・デラノ・ルーズベルト(英語: Franklin Delano Roosevelt、[ˈfræŋklɪn ˈdɛləˌnoʊ ˈroʊzəˌvɛlt]、1882年1月30日 - 1945年4月12日)は、アメリカ合衆国の政治家。ニューヨーク州議会上院議員(ダッチェス郡選出)、海軍次官ニューヨーク州知事を歴任した。第32代アメリカ合衆国大統領(在任:1933年3月4日 – 1945年4月12日)。FDRという略称でよく知られている。尚、姓は、ルーズヴェルトあるいはローズベルト、ローズヴェルトとも表記する。

 隔離演説から参戦まで
 隔離演説
 1937年には、最高裁改革の失敗や労働争議の頻発、景気後退、さらにはまたルーズベルトと同じ民主党の保守派議員が、ニューディール阻止の為に共和党との超党派ブロックを結成するなどして、ルーズベルトは孤立し、議会に対する影響力を低下させており、その様子はまるで「まったく棄てられた指導者」であったといわれる。
 1937年8月30日、中華民国国際連盟に対して、盧溝橋事件などの日本の行動が不戦条約および九ヶ国条約に違反すると主張し、措置を取るよう提訴した。9月6日、ルーズベルトは「世界の政府間の平和のためにアメリカが先頭に立って 大掃除をする準備ができていることを公にする」と財務長官のヘンリー・モーゲンソーと国務長官コーデル・ハルに語り、1937年(昭和12年)10月5日、世界で行われつつあるとする侵略行為を非難するために「病人」になぞらえて隔離演説(隔離声明、防疫演説)(en:Quarantine Speech)をシカゴで行った。
 「世界の九割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際的な秩序と法を破壊しようとしている残り一割の人々によって脅かされようとしている。(中略)不幸にも世界に無秩序という疫病が広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔離することを認めている」 
 演説は直接には特定の国家を名指しすることはなかったものの、一般には従来の棍棒外交をあらためて否定し、ドイツやイタリア、日本などの国政実行を非難するルーズベルトの政策理念を表明する演説と考えられている。演説のなかでは、「宣戦の布告も警告も、また正当な理由もなく婦女子をふくむ一般市民が、空中からの爆弾によって仮借なく殺戮されている戦慄すべき状態が現出している。このような好戦的傾向が漸次他国に蔓延するおそれがある。彼ら平和を愛好する国民の共同行動によって隔離されるべきである」とも語られた。なおハルの証言では、アメリ国務省が作成した演説原案には「隔離」の部分はなく、演説直前にルーズベルト自身が入れた。
 翌1938年10月6日には国務省声明を発表し、中華民国における日本の行為を、アメリカは九カ国条約とケロッグ-ブリアン条約(パリ不戦条約)違反とみなし、声明は国際連盟の決議に沿うものとして、日本を明確に名指した。ただし、アメリカはその加盟国ではなかった。
 隔離演説の反響
 隔離演説はニューヨーク・タイムズコロンビア大学学長のニコラス・バトラーから賞賛される一方、ウォールストリート・ジャーナルは「外国への手出しをやめろ、アメリカは平和を欲する」という記事を掲載し、シカゴ・ トリビューンは、ルーズベルトはシカゴを「戦争恐怖の世界的ハリケーンの中心」に変えたと報じ、また国務長官であるハルもこの「隔離」や「伝染病」というレトリックは無用の反対をもたらしたとして批判した。さらに『クリスチャン・センチュリー』誌(en)は「もしアメリカが中国のために参戦すれば、その結果はひとりソビエトの勝利に終わるであろう」と警告した。挑発的な内容を持つこの隔離演説はアメリカ国内で非難を受け、演説後、6つの平和主義団体が「ルーズベルトアメリカ国民を世界大戦の道に連れて行こうとしている」との声明を出した。アメリカ労働総同盟は「アメリカの労働者はヨーロッパ、アジアの戦争に介入することを欲しない」との決議を行った。アメリカを参戦させないための請願に2500万人の署名を求める運動も始まった。
 日本でこの隔離演説が報道されると、毎日新聞は「米大統領の諷刺演説に應酬―率直にわが眞意吐露‘戦争’も已むを得ず」「紛争國“隔離”を提唱―米大統領演説」[38]と題した記事で、朝日新聞は「米大統領獅子吼―平和確保に協力せん」と題してこの演説が日本を指すものとして報道した。また松方幸次郎は日本駐在の参事官ユージン・ドゥーマンに対して日本海軍はこれまで慎重論であったが、この隔離演説に対して強烈な反感を抱いていると伝えた。
 駐米ドイツ大使のハンス・ディックホフ(en)は、演説の直接的なきっかけは、中国での日本の行動にあり、また大統領を悩ませていた黒人(アフリカ系)問題から大衆の気をそらせる意図もあるとドイツ本国へ伝えた。 なおニューヨークタイムズ記者のアーサー・クロックは「隔離声明以来、ルーズベルト大統領は、日本の敵意を煽り、枢軸側へ追いやるために、あらゆる手段を駆使した」としている。日独伊を敵視する一方で、共産主義の下に恐怖政治を敷いていたスターリンと親交のあったルーズベルトは、ソ連によるフィンランドポーランド、およびバルト三国侵略については黙認していた。
 また隔離演説は、アメリカ国民を戦争に順応させるレトリック的キャンペーンの始まりを告げるものであったともいわれる。
 レイシスト・「人種改良論者」
 ルーズベルトの人種観、特に異人種間の結婚に対する考えは、現代的な視点から判断すれば基本的にはレイシズムに基づいていると言えるが、その上でもやや一貫性のないものである。太平洋戦争会議(Pacific War Council)では、「人類は、均等な機会が与えられるのならば、うまく混ざるだろう。(戦後は)我々が知っているような人種差別は軽減されて、世界の国々は人種のるつぼのようになるだろう」と語る一方で、駐米イギリス公使ロナルド・キャンベル(Ronald Hugh Campbell)との私的な会話では、ルーズベルトは、スミソニアン博物館の研究者であるアレス・ハードリチカによる、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人種間の差異を重視し、人種交配によって文明が進歩する」などと語り、「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人は除外する」、「日本人が敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて奨励すべきである」などとキャンベルに語ったという。
 このような自らの人種差別的感情と、第二次世界大戦以前からのアメリカにおける日本人に対する人種差別的感情を背景に、1941年12月の対日開戦後には妻エレノアからの反対をも押しのけて、大戦中にアメリカ国内とアメリカの影響下にあったブラジルやメキシコ、ペルーなどの中南米諸国において、ヒトラーユダヤ人強制収容と同様の日系人の強制収容政策を推し進め、自由を束縛するとともに財産を放棄せざるを得ない状況に追い込んだ。
 さらに1944年6月13日には、アメリカの新聞が「ルーズベルト大統領が、フランシス・E・ウォルター連邦議会下院議員からレターオープナーを贈呈されたが、それが日本兵の腕の骨から作られたものである」と報じた。その後ルーズベルトは、レターオープナーの返還と適切な葬儀を命じている。
 「米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断」も参照
 原子爆弾の開発政策(マンハッタン計画
 ルーズベルトは、1939年にレオ・シラードとアルベルト・アインシュタインのからの書簡を契機に、原子爆弾の開発計画であるマンハッタン計画を推進した。1941年にイギリスからユダヤ系科学者オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの記した核エネルギーの兵器応用のアイディアを伝えられ、核兵器実現の可能性が高まると、1942年6月、ルーズベルトは国家プロジェクトとしての研究着手を決意する。プロジェクトの実施にあたっては「陸軍マンハッタン工兵管区」と名称が付けられた組織が行うこととなった。責任者はレズリー・リチャード・グローヴス准将が1942年9月に着任した。
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 2017年1月1日 産経新聞「入門・日米戦争どっちが悪い(5)
 日本を追い込んだルーズベルト 背景に人種偏見とソ連のスパイ
 米大統領フランクリン・ルーズベルトは、1939年9月に欧州で始まった第二次世界大戦でドイツに追い詰められていた英国を助けるためにも、参戦したいと考えていました。しかし米国民の圧倒的多数は第一次大戦に懲りて戦争を望んでおらず、ルーズベルトは1940年11月に3選を果たした際に「あなた方の子供はいかなる外国の戦争にも送られることはない」と、戦争しないことを公約にしていました。
 選挙公約に反して戦争たくらむ
 参戦するにはよほどの口実が必要です。米軍はドイツの潜水艦を挑発して、ドイツ側から攻撃させようとしましたがドイツは引っ掛かりませんでした。そのためルーズベルトは、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んだわが国を挑発するという「裏口」からの参戦をたくらんだのです。
 12月、米国議会は中国国民政府への1億ドルの借款供与案を可決。ルーズベルトは「われわれは民主主義の兵器廠とならなければならない」との談話を発表しました。翌1941年3月には、大統領の権限で他国に武器や軍需品を売却、譲渡、貸与することができる武器貸与法を成立させました。これによって英国や中国国民政府、ソ連に軍事援助を行いました。「戦争しない」と言って選挙に勝った、わずか半年後のことです。
 ルーズベルトの側近中の側近である財務長官ヘンリー・モーゲンソーは1940年、宣戦布告せずに国民政府軍を装ってわが国を先制爆撃する計画を政権内部で提案しました。「日本の家屋は木と紙でできているのだから焼夷(しょうい)弾で焼き払おう」と目を輝かせたといいます。米国は早くから関東大震災の被害を分析し、焼夷弾による空襲がわが国に対して最も効果的だと認識していました。
 モーゲンソーの案はそのときは採用されませんでしたが、米国はフライングタイガースと称して戦闘機100機と空軍兵士200人を中国に派遣し、前回紹介した退役軍人クレア・シェンノートの指揮下に置きました。戦闘機は国民政府軍のマークを付けていましたが、米国は実質的に支那事変に参加していました。日米戦争は始まっていたのです。ルーズベルト有権者への公約を破っていました。
 国民政府軍を装ったわが国への先制爆撃計画は翌1941年、息を吹き返します。7月23日、ルーズベルトJB355と呼ばれる文書に署名しました。その文書は150機の長距離爆撃機を国民政府軍に供与して、東京、横浜、京都、大阪、神戸を焼夷弾で空襲するという計画書でした。真珠湾攻撃の5カ月前にルーズベルトはわが国への攻撃を命令していたのです。
 しかも、この計画を推進した大統領補佐官ロークリン・カリーはソ連のスパイだったことが明らかになっています。
 JB355への署名から2日後の7月25日、米国は国内の日本資産を凍結。28日にわが国が南部仏印進駐に踏み切ると、米国は8月1日、わが国への石油輸出を全面的に禁止しました。そして英国、中国、オランダをそそのかして封じ込めを強めました(ABCD包囲網)。石油がなければ国は成り立ちませんから、「死ね」と言っているのと同じです。
 第一次世界大戦の後、侵略戦争を放棄しようとパリ不戦条約がわが国や米国、英国、フランスなどの間で結ばれていました。米国務長官フランク・ケロッグとフランス外相アリスティード・ブリアンの協議から始まったことからケロッグ・ブリアン条約とも呼ばれています。
 ケロッグは条約批准を審議する議会で、経済封鎖は戦争行為ではないかと質問されてこう答弁していました。「断然戦争行為です」。つまり米国はわが国に戦争を仕掛けたのです。
 戦争準備のため時間稼ぎ
 わが国は米国との対立を平和的に解決しようと交渉していました(日米交渉)。石油全面禁輸から1週間後の8日、首相の近衛文麿はハワイでの日米首脳会談を駐米大使の野村吉三郎を通じて米国務長官コーデル・ハルに提案しました。しかしルーズベルトはそのころ、大西洋上の軍艦で英国首相ウィンストン・チャーチルと謀議を行っていました(大西洋会談)。
 ここで発表されたのが有名な大西洋憲章で、「領土不拡大」「国民の政体選択権の尊重」「強奪された主権・自治の返還」がうたわれました。さんざん植民地を増やしてきた米国と英国に言われても説得力はありません。
 実際「政体選択権の尊重」はドイツ占領下の東欧のことを言っていて、アジアの有色人種に適用するつもりはありませんでした。ウィルソンの「民族自決」、ヘイの「門戸開放」などと同様、美辞麗句と行動が一致しないのが米国です。
 大西洋会談でルーズベルトは、参戦を求めるチャーチルに対して「3カ月はやつら(日本)を子供のようにあやすつもりだ」と述べました。戦争準備のため時間稼ぎをするのでしばらく待ってくれという意味です。ルーズベルトはわが国に対して「ハワイは無理だが、アラスカのジュノーでなら会談してもいい」などと回答して気を持たせましたが、初めから首脳会談を行うつもりなどありませんでした。
 実は前年の1940年10月、米海軍情報部極東課長アーサー・マッカラムが、日本を追い詰めて先制攻撃させる方法として8項目の覚書を書いています(マッカラム覚書)。そこには「在米日本資産の凍結」や「オランダとともに日本への石油輸出を禁止する」といった内容がありました。それがほぼ実行に移されたのです。
 1941年11月15日、米陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルは非公式の記者会見で「紙でできた日本の都市を燃やす」「市民を爆撃することに何の躊躇も感じない」と言い放ちました。
 26日、米国はわが国に中国大陸からの撤退などを求めるハル・ノートと呼ばれる最後通告を突き付けてきました。
 ハル・ノート起草したのはソ連のスパイ
 ルーズベルトは極端な人種差別主義者で、日本人を病的に蔑視していました。「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから凶悪なのだ」と大真面目に信じていたのです。駐米英公使ロバート・キャンベルルーズベルトとの会談内容を本国に報告した手紙で、ルーズベルトがアジアで白人との人種交配を進めることが重要と考え、「インド-アジア系、あるいはユーラシア系、さらにいえばヨーロッパ-インド-アジア系人種なるものを作り出し、それによって立派な文明と極東『社会』を生み出していく」、ただし「日本人は除外し、元の島々に隔離してしだいに衰えさせる」と語ったと書いています。
 「元の島々に隔離してしだいに衰えさせる」という妄想を言葉に出して、わが国に通告したのがハル・ノートなのです。
 もし米国が他国から「建国当初の東部13州に戻れ」と言われたらどう思うでしょうか。戦後の東京裁判でインド代表判事のラダビノード・パールは「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも合衆国に対して戈(ほこ)を取って起ち上がったであろう」という歴史家の言葉を引用しています。
 ハル・ノート国務長官のハルが手渡したためそう呼ばれていますが、原案を書いたのは財務次官補ハリー・ホワイトでした。ホワイトはJB355を推進したカリーと同様、ソ連のスパイでした。米国とわが国を戦わせるため、とても受け入れられない強硬な内容にしたのです(ホワイトがソ連のスパイだったことは戦後明らかになり、下院に喚問された3日後に自殺しています)。
 ハル・ノートを出す前に米国は暫定協定案を作っていました。わが国が受け入れ可能な内容でしたが、中国国民政府の蒋介石が強硬に反対しました。カリーの推薦で蒋介石の顧問になっていたオーエン・ラティモアが暗躍していたのです。米国のシンクタンク、太平洋問題調査会(IPR)にはラティモア共産主義シンパが入り込んでいました。わが国の昭和研究会と同じような役割を果たしたといえます。
 ルーズベルト政権には300人ものソ連への協力者が入り込んでいました。ソ連の浸透は、ソ連のスパイが本国とやり取りした暗号電報を米軍が解読したヴェノナ文書が1995年になって公開されて明らかになりました。
 前に述べた通り、ルーズベルト共産主義への警戒感はなく、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンについて「共産主義者ではなく、ただロシアの愛国者であるだけだ」と言っていました。妻のエレノアも共産主義に共鳴していました。ルーズベルトはわが国と米国を戦わせようというスターリンの謀略に影響されていたのです。
 こうしてわが国は追い詰められていきました。
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🎵25:─1─極東の島国と大国ロシアはなぜ開戦に至ってしまったのか?〜No.59No.60 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   

 2024年4月9日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「【日露戦争から120年】極東の島国と大国ロシアはなぜ開戦に至ってしまったのか?
 旅順港では、ロシア帝国海軍旅順艦隊の海上封鎖作戦が行われた。
 2024年は、日露戦争開戦から120年という節目にあたる。極東の島国が大国ロシアを撃破したというニュースは世界を駆け巡ったが、長引く戦(いくさ)は両国に甚大な被害をもたらした。では、なぜ日本とロシアは刃を交える事態に陥ったのだろうか。その理由を詳説する。
日露戦争開戦の理由を3つのキーワードで解説
 日露戦争開戦理由のキーワードは「寒さ」「植民地」「飢え」の3つの単語に集約される。まず「寒さ」だが、ロシア帝国は2200万平方キロと、日本の60倍近い国土で、鉄、石炭をはじめとする豊かな地下資源、「世界の穀倉」といわれ小麦生産量は世界一だったウクライナの大平原などを含んでいた。しかし、年間5カ月以上にもなる港湾凍結により、大量輸出ができなかった
 18世紀当時、英、仏、オーストリアに並ぶ世界の4大強国だったロシア帝国にとって、不凍港領有は、国家最大の願望であったのだ。これを実現しようとしたのが「南下政策」で、欧州方面では、まず黒海では、セヴァストポリオデッサをトルコから奪い、北極海ではムルマンスク、バルト海ではバルチック艦隊の母港ともなったリバウを開港した。
 極東方面では、ロシア帝国は国力の落ちた清に圧力をかけて、1860年に中国北部の沿海州とよばれる日本海沿岸地域を奪い、太平洋方面におけるロシア最大の不凍港ウラジオストックを開港した。ウラジオストックがロシア太平洋艦隊海軍基地となると、軍機密を守るため、近くにナホトカを開港し、貿易港として急速に拡大した。
 これら不凍港を取得したロシア帝国は、強大なウラジオ艦隊を編成、中国北部から朝鮮半島インドシナ半島まで勢力を伸ばそうとする。同時に、東進して樺太から千島列島の植民地化に成功した。英仏を中心とする欧州大国がアフリカからユーラシア大陸南部を植民地とした政策に、乗り遅れまいとしたからである。
 当然、その目は、日本にも注がれていた。まず、朝鮮半島北西部、黄海に突き出した中国本土再重要戦略拠点である遼東半島に対して、フランス、ドイツとともに、露骨なプレッシャーをかけてきた。日清戦争に勝ち、日本が清から割譲し遼東半島返却を求めたのである。
 「日本による遼東半島所有は、清国の首都北京を脅かすだけでなく、朝鮮の独立を有名無実にし、極東の平和の妨げとなる。従って、半島領有の放棄を勧告し誠実な友好の意を表する」
 これを「三国干渉」というが、はね返すだけの国力は日本になかった。清に返却後の遼東半島には、ロシアが重要拠点を植民地化する。まず、真冬でも凍結しない半島先端の大連港に、巨額の資金を投入して東清鉄道を建設してシベリア鉄道と連絡させ、港の整備を開始した。またフランスのパリをモデルにした大連市都市計画を作成し、郊外の旅順には巨大な要塞と軍港を建設した。
 1896年の露清密約により満洲における権益を増大させたロシア帝国により、1898年、満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、ハルビンは交通の要衝として、極東ロシア植民地政策の中心都市となる。人口が急激に増加し経済の発展をみるようになった。ロシア風の建造物が次々と建設され、ハルビンの市街地が形成される。
 ロシアの進出は郊外の原野にも及んだ。1900年には人口1000人だった小さな漁村が1903年には30万人の都市になっていた。日露戦争開戦時、ハルビンはシベリア駐屯軍、ロシア本国からの増援軍基地として、兵力28個師団36万4000人を集結させていた。
 一方、海軍は、日露戦争開戦直前に、極東太平洋艦隊へと再編された。この時点で、太平洋戦隊の艦船(戦艦7、巡洋艦10、水雷艇15、砲艦7)は旅順に拠点を置き(通称:旅順艦隊)、残りの巡洋艦戦隊(巡洋艦4、水雷艇10)はウラジオストクに残った(ウラジオストク巡洋艦隊)。
 19世紀後半から20世紀にかけて、ロシア帝国は、国力の大半を軍事力増強にあて、不凍港取得や植民地拡大に投入してきた。その結果、1880年から1900年にかけて、陸海軍兵力は、倍増することになったが、同時に国民は軍事力増強のための重税に苦しむようになる。
 その結果、ロシア各地で小規模なデモ、ストライキが起き始めた。増強された軍隊は、国外遠征に向けられず、国内治安維持に使われた。広大なロシア帝国内各地で、軍隊と農民、工場労働者たちとのあいだに、デモ、ストライキから暴力的衝突にかわっていく。
 国内不安を対外戦争でガス抜きするという、古今東西の権力者鉄則にのっとり、皇帝ニコライ2世は、小規模な軍事行動に出ようとした。対象国は、トルコ、清、そして日本である。まず、トルコが外された。英国、オーストリア・ハンガリー帝国などが軍事協定を結んでいたからである。次いで清もはずされた。当時の清は列強の草刈り場となっていて、清との軍事衝突は、獲物を横取りされたくないとする列強との大規模な戦争へとつながりかねないからである。
 最後に残ったのが日本だった。日本は英国と軍事協定を結んでいるが、フランス、ドイツ、アメリカとは中立関係にある。当時の露日軍事力比較は、陸軍が8対1、海軍が6対1、そして総力戦の指針ともなるGNP比は14対1と、圧倒的にロシア有利だった。さらに、日本との戦争に勝てば、北海道を占領できる。中国東北部から日本海を隔てて北海道まで南進すれば、極東北方海域の制海権が握れ、朝鮮半島までがロシア帝国領となる。
 国内の不安を一掃し、極東方面の植民地化を進めるとの一石二鳥の思惑があり、ニコライ2世中国東北部侵略をきっかけとする対日開戦へと踏み切ったのだ。
 日露戦争に関して、まだ語られることがほとんどないエピソードを2つつけくわえたい。ひとつは、日露開戦時、貧しかった日本は戦費不足にあえいでいた。このとき、日本に現在の価格で1兆5000億円の戦時国債を調達したのがロスチャイルド家を中心とするユダヤ資本だった。当時、ロシア絶対有利とする欧米列強に対し、ユダヤ資本は、ロマノフ朝の弱体化を鋭く見抜いて、日本へ莫大な投資をおこなったのだ。この戦時国債を日本が債務履行を終えたのは、第1次、第2次大戦をまたぎ、なんと1986年までかかった。元利あわせての返済総額は88倍になる132兆円となっていた。
 もう1つは、日本海海戦の新事実である。日露戦争のあらゆるデータを残すロシア陸軍幕僚大学戦史室には、日本海海戦での日露両海軍砲弾命中数比較が残されている。これによると、命中数はほとんど変わりない。変わりがあるのは、被害範囲だった。戦史室はこれに関して、ロシア海軍の砲弾火薬の劣化を最大の原因としている。乾燥した北海を基地としたバルチック艦隊には、防湿の概念が不十分で、アフリカ周りの熱帯航路での多湿による火薬類劣化まで注意されなかったのだろう。
 副田護
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 江崎道朗「戦没学徒からの宿題
 左派系への違和感
 世界における国家、民族の興亡の歴史を学べば分かることだが、自由と独立を勝ち取ろうと奮闘した国家と民族は生き残り、その努力を怠った国家と民族は滅んだ。
 日本が現在の独立を保ち、自由と繁栄を享受できるのは、先人たちの無数の奮闘の歴史があったからだ。そんな自明の、しかし意外と誰も意識しない冷厳な事実を私が意識できるようになったのは家庭環境の影響が大きかった。
 ……」(令和6年4月号『月刊 正論』)
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 日露戦争の勝利は、官民一体として政府、軍部、大学・研究機関、企業が戦争の為に協力したからである。
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 明治日本にとって、ロシア、清国(中国)、朝鮮の3カ国は戦争をする定めの敵であった。
 国力のある裕福な大国は、戦争と平和は自由に選択でいる。
 国力の乏しい貧しい小国は、選択できるのは絶望的戦争か無条件降伏の何れしかなかった。
 その意味で、日本にとってロシアとの日露戦争は避けられない戦争であった。
 戦争は、相手がいて起きる。
 大陸世界では、現代日本人が信じている「大国の良心」や「大陸の矜持」など存在しなかった。
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 専守防衛には、国内で自国民を犠牲にする消極的自衛戦争と国外で他国民を犠牲にする積極的自衛戦争の2つがあった。
 戦後の現代日本は、消極的自衛戦略で国内に閉じ籠もり、敵が国土内に侵攻し攻撃してきてから反撃するという「後手の戦術」を採用している。
 明治から昭和初期までの日本は、積極的自衛戦略で大陸の敵軍・侵略軍が進軍する前に先制攻撃・奇襲攻撃・騙し討ちをするという「先手の戦術」を採用していた。
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 日本にとって、ロシアによる日本侵略は江戸時代後期(老中・松平定信)から始まっていた。
 小国日本は、侵略してくる世界的軍事大国ロシアとの戦争に備えて開国、近代化そして軍国主義国家へと暴走した。
 日本における大陸戦争は、全て積極的自衛戦争であった。
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