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西野神社 社務日誌

2006-01-03 歳神様(としがみさま)

歳神様

お正月は、一年の初めの月であり、お盆とともに日本人の代表的な年中行事とされ、多様で複雑な行事が行われますが、元旦を中心とする大正月は、そもそもは歳神(としがみ)様をお迎えしてお祀りするための行事です。〆飾りや鏡餅なども歳神様をお迎えするためのものですし、玄関や門柱に立てる門松も歳神様をお招きするための依代(よりしろ)であるといわれています。

歳神様(年神様)とは、正月を迎えるにあたり、大晦日の夜にその年の吉方である恵方(えほう)より各家庭を訪れ、その家族に一年間の健康幸福を授け、小正月(旧暦の正月のことで現在の1月15日)の頃に再びお還りになられる神様で、正月様、歳徳(としとく)様などとも呼ばれます。歳神様は、農耕を司る「田の神」であるとする説や、御先祖様の神霊であるとする説などがあり、その実態ははっきりとはしておりませんが、ともかく私たち日本人は、古来より歳神様をお祀りすることが正月の大切な意味を成すと考え、正月行事として歳神様を迎えお祀りしてきました。ちなみに今回の写真は、当社で授与しているその歳神様の絵札です。

歳年様のお祀りの仕方は多様で、日本各地で様々な形が見られ、例えば、年徳棚とか恵方棚と呼ぶ年棚を臨時に設け、これに12個のお餅とお雑煮の野菜、御飯などをお供えてお祀りしたり、あるいは、床の間に歳神様の掛軸を掛けてお祀りし、お餅などをお供えする、などの形が特に代表的ですが、最近は、年棚を設置するスペースが確保できなかったり、床の間のない家が増えてきていることなどから、常設の神棚にそのままお祀りすることが多くなってきています。歳神様は、その年の吉方である恵方にお祀りするのが望ましいといわれていますが、恵方に適当なスペースがない場合や、恵方がわからない場合は、適宜の場所にお祀りして差し支えありません。ちなみに、今年の恵方は「南南東」です。

一般には、歳神様は、年末(ただし「苦立て」とされる29日と「一夜飾り」とされる31日は避けることが多いです)にお祀りし、小正月の頃に外して、「どんど焼き」でお焚き上げします。どんど焼きの煙に乗って天に還られる歳神様は、白髪のお爺さんの姿をしている、と伝える地方も広くあります。

民俗学者柳田國男は、歳神の元々の姿は祖霊であると考えました。しかし、様々な正月の行事が稲作と深く関連していることから、歳神は作神(農耕の神)としての性格も強く持っており、結論としては、祖霊と作神が一体化して歳神になったのではないか、と考えました。つまり、前述のように歳神様とは「田の神」であるとする説や、祖霊であるとする説などがあるのですが、柳田國男の説に従えば、歳神とはその両方を兼ねているのではないか、ということです。人間が死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き、ある一定の期間が過ぎると、その魂には個人の区別が無くなり「祖霊」という大きな集団、いわゆる「御先祖様」になり、その祖霊が、春になると「田の神」になり、秋が終わると山へ帰って「山の神」になり、そして正月には「歳神」となって子孫の繁栄を見守ってくださる、という考え方です。

ところで、秋田県男鹿市に現存する小正月行事の「なまはげ」は、全国的にもかなり有名ですが、このなまはげは、歳神の来訪を具現化したものと考えられています。なまはげは、鬼の面を被り刃物を持って異形の扮装をした者が、家々を回って子供を脅しつける行事で、一見恐ろしげな行事ですが、なまはげは最終的にはその家を祝福する言葉を述べ、家の主人も正装してなまはげを迎え、お酒を振る舞ったりすることなどから見ても、家を祝福する来訪神の姿を表したものだということがわかります。

また、歳神は昔話にも多く語り込まれており、例えば、大晦日に困っている旅人を泊めると翌朝旅人は死んでおり、三が日の間その旅人の死体を保存しておいたところ黄金に変わっていたという話や、年越しの火を消してしまった女中が、道行く葬列に火種を借りたところ代わりに棺桶を預けられ、放置しておくと、中身の死体が黄金に変わっていた、などという話で、これらのエピソードでは、旅人や葬列が、福を授ける歳神としての役割を担っており、いずれも歳神様をお祀りする由来を説明する内容となっています。

(田頭)