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西野神社 社務日誌

2006-01-18 神葬祭

霊璽

【 注 意 】 この記事には一部不正確な情報や修正すべき点などが含まれていたため、この記事の改訂版として新しい記事をアップロードさせて頂きました。この記事ではなく、新しく書き直した平成23年4月6日付の記事のほうをお読み下さい。宜しくお願い致します。


一昨日と昨日の2日間は、祭員として神葬祭の奉仕をさせていただきました。私にとって神葬祭の奉仕は半年ぶりくらいのことで、初めての経験ではないものの地鎮祭上棟祭程に慣れている訳ではないので、少し緊張しながら奉仕をさせていただきました。

神葬祭というのは、神式で執り行われる葬儀のことで、日本で最も広く普及しているのは周知のように仏式の葬儀ですが、近年は、神式で執り行われる葬儀もだんだんと増えつつあります。仏式の葬儀の場合は、故人の家が檀家となっているお寺(もしくは宗派)の僧侶が葬儀を執行しますが、神葬祭の場合は、故人の産土神社や崇敬神社の神職が、その葬儀を執行することになります。最近は、家の宗旨等の信仰上からの理由ではなく、仏式の葬儀よりも費用が安い、戒名料もいらない、等の経済的な理由から神葬祭を希望する方も増えてきています。

一口に神葬祭といっても、その内容や式次第等は地域によってかなり異なる部分があり、同一地域においても、神社によってはかなり異なっているということが少なくありません。特に北海道は、全国各地から渡道した屯田兵によって開拓された歴史を持つため、様々な地域の慣習が雑多に混じり合っており、神葬祭も実に多様性に富んだものとなっており、同じ北海道内でも地域によって大きな差異があったりします。札幌近郊においては、一般に、「帰幽奉告・枕直し」→「納棺」→「前夜祭」→「葬場祭・発柩祭」→「火葬祭」→「帰家祭」という流れで執り行われることが多く、“神葬祭”という言葉は、これら一連の儀式の総称として使われています。

この流れに従って葬儀が斎行された場合、「帰幽奉告」から「帰家祭」に至るまで、一般には3日間かかります。ただし、「納棺」と「前夜祭」の間が1日空き、その日に「前々夜祭」が行われるケースもあり、その場合は、葬儀は4日間に渡って執り行われることになります。何人の神職が奉仕するかは、喪主や御遺族の希望に合わせて決めるため、葬儀毎に異なるのですが(だいたいは1人、2人、3人のいずれかで奉仕)、当社の場合は、2人奉仕で葬儀を受けることが最も多いので、以下、斎主・祭員の2人奉仕による場合を例に、当社の神葬祭の流れを簡単にまとめてみます。

■帰幽奉告・枕直し (1日目)

「帰幽奉告」(きゆうほうこく)とは、故人宅の神棚と祖霊舎に帰幽(亡くなったこと)を奉告する儀式で、神葬祭はこの「帰幽奉告」から始まります。本来は、遺族の代参者が産土神社に赴き、その神社の大前にて家族の帰幽を奉告するのですが、実際には、家庭の神棚に対して奉告するという形に代えて行われています。「帰幽奉告」の後は、神棚の前面に白紙を張ります。「枕直し」(まくらなおし)とは、遺体に白木綿の小袖を着せ、守り刀の刃を遺体と逆方向に向けて枕元に置き、故人の安らかな眠りを祈る祭儀です。

「帰幽奉告」と「枕直し」は、本来は意味合いの異なる別々の儀式ですが、当社で葬儀を執行する場合は、この両儀式は神職が故人宅に赴いた際に同時に行います。なお、神職が2人で奉仕する神葬祭の場合でも、この両儀式は斎主のみが奉仕し、祭員は赴きません。斎主は、まず神棚の前で帰幽を奉告し(帰幽奉告)、それから遺体に対して祭詞を奏上します(枕直し)。このときの斎主の装束は、鈍色(にびいろ)という灰色に近い葬儀専用色の狩衣もしくは格衣です。

ただし神社によっては、「帰幽奉告」や「枕直し」には神職は一切奉仕しないという所も多くあり、実際、全国的にみると、近年は「枕直し」は遺族や近親者だけで行い、神職は「前夜祭」(通夜祭)から奉仕するというのが一般的になってきているようです。

■納棺 (2日目)

「前夜祭」の斎場に行く直前に、遺体は柩に納められます。当社では納棺の際には神職は立ち会いませんが、神社よっては「納棺祭」を執り行う所もあるようです。この「納棺」までは、全て故人宅にて行われます。

■前夜祭 (2日目)

「前夜祭」(通夜祭)とは、仏式の通夜に相当するもので、故人の御霊を慰めるため「葬場祭」の前夜に執り行われる祭儀です。

前述のように「枕直し」は神職が一人で奉仕しますが、「前夜祭」からは2人での奉仕となり、鈍色の衣冠を着装した斎主と、鈍色の狩衣を着装した祭員とが奉仕いたします。なお、仏式の通夜もそうなのですが、現在はこの「前夜祭」が事実上公式な“夜の葬式”になっており、翌日の「葬場祭」と合わせて葬式を2度行うかのようになっていて、「前夜祭」本来の機能や意味は変質してきているといえます。参列者の人数も、本来の意味での“お葬式”の「葬場祭」よりも、「前夜祭」の方が圧倒的に多いです。

霊璽(れいじ)への遷霊(せんれい)の儀は、この「前夜祭」のなかで執り行われます。当社で執行する葬儀で使われる霊璽は白木の「みしるし」で(写真参照)、これは仏式でいう位牌に相当し、遷霊とは、故人の御魂をその霊璽にお遷しすることをいいます。まだ亡骸に留まっている故人の霊魂は、この“遷霊の儀”で霊璽へとお遷しされます。“遷霊の儀”が執り行われるときだけは斎場の照明を一斉に落とすのですが、その暗闇の中、祭員の警蹕(「オー」という低い声)と遷霊の鈴の音だけが響き渡る“遷霊の儀”は厳粛を極め、これは神葬祭最大の特徴の一つといえるでしょう。ちなみに、遷霊が終わったからといって、神道においては亡骸を“なにもない空っぽのモノ”としては扱いません。実際、「前夜祭」の翌日に火葬場で行われる「火葬祭」では、霊璽にではなく、亡骸に対して祭詞が奏上されます。

なお「前夜祭」は、道内においては各地域毎になぜか様々な呼称が使われており、札幌近郊においては一般に「前夜祭」と称されていますが、道外では、ほとんどの地域で「通夜祭」と称されています。

■葬場祭・発柩祭 (3日目)

「前夜祭」翌日の午前に斎行される「葬場祭」(そうじょうさい)は、故人に対し最後の訣別を告げる神葬祭最大の重儀で、仏式でいう葬式、告別式に当たる祭儀です。北海道では、「葬場祭」は一般に「前夜祭」と同一の斎場で執り行われます(道外においては喪家で行われる地域もあります)。弔事の奉呈や弔電の奉読なども、「葬場祭」のなかで行われます。

神職は、「前夜祭」同様の装束で、引き続き2人で奉仕します。また、これから火葬場に葬送することを柩前に奉告する「発柩祭」(はっきゅうさい)は、「葬場祭」と合わせて執り行われます。建前としては、「葬場祭」と「発柩祭」はそれぞれ独立した別の祭典なのですが、実際には同一会場で続けて執り行われるため、参列者の立場からみると、「葬場祭」と「発柩祭」は連続した一つの祭典と写るようです。

■火葬祭 (3日目)

「発柩祭」が終わると、遺族の方々は葬儀社の用意したバスで、柩とともに直ちに火葬場へと移動します。現在、札幌市では手稲山口に新しい火葬場を建設中ですが、現時点では、札幌にはまだ里塚にしか火葬場がないため、里塚の火葬場はいつでも大変込み合っており、火葬場に到着しても遺族の方々はすぐには建物には入れず、大抵は、火葬場に到着しても暫くの間、バスの車内で待つことになります。札幌市における葬儀習慣により、その日火葬される遺体の約9割が、午前10時から正午までの2時間の間に集中して火葬場に到着するため、特にこの2時間は酷く込み合います。

柩が火葬場の斎場(炉の前室)に入ると、そこで「火葬祭」が執り行われます。「火葬祭」は、鈍色の狩衣もしくは格衣を着装した祭員が1人で奉仕します。「火葬祭」の斎行時間は10分程度と短く、これが終わると、柩は直ちに火葬炉に入れられます。「火葬祭」で祓いの具として使われた大麻(白木ではなく榊の大麻)は、祭典後柩の上に載せられ、そのまま柩とともに火葬炉に入れられます。御遺族にとってはこれが故人の顔の見納めとなるため、それまで平静を装っていた方でも、ここで泣き崩れてしまうという方は少なくありません。

なお、当社では神職が2人以上で奉仕する場合に、そのうちの一人が火葬場に赴き「火葬祭」を斎行しており、神職が一人のみで奉仕する神葬祭の場合は、「火葬祭」は斎行しておりません。

■帰家祭 (3日目)

お骨になった故人が、御遺族とともに、「前夜祭」や「葬場祭」の斎場となった会館やホールに戻ると、すぐに「帰家祭」(きかさい)が執り行われます。「帰家祭」とは、御霊前に対して葬儀が滞り無く終了したことを奉告する祭典で、本来はその名称の通り、火葬(もしくは埋葬)を終えて家に帰ってきたことを霊前に奉告する祭典なのですが、現実には、故人の家庭で「帰家祭」を斎行できるだけのスペースは確保できないことがほとんどなので、通常は「葬場祭」の行われた会場で執り行われます。

だいたい「葬場祭」は午前10時から斎行されることが多く、それから火葬場に発柩し、火葬場の着くと暫く待たされて(込み合っているときは1時間近くも待たされます)、それから「火葬祭」が行われ、火葬されるので、「帰家祭」は早くてもだいたい昼の2時半以降、遅い場合だと夕方4時頃から斎行されることになります。

「帰家祭」では、斎主は斎服、祭員は浄衣というそれぞれ純白の装束を着装して祭典に臨みます。「帰幽奉告」から「火葬祭」までは、神職は葬祭専用の鈍色の扇(せん)を手に持って奉仕しますが、神葬祭最後の祭儀である「帰家祭」では、神職は通常の祭典で使うものと同じ形の笏(しゃく)を持って奉仕します。この「帰家祭」の終了を以って、神葬祭は終わります。

■霊祭

神葬祭が終わった後は、「十日祭」、「二十日祭」、「三十日祭」、「四十日祭」、「五十日祭」、「百日祭」、「一年祭」、「三年祭」、「五年祭」、「十年祭」と霊祭が続きますが、二十日祭から四十日祭までは省略することが多いようです。仏式でいう初七日は十日祭、四十九日は五十日祭に当たります。

霊祭は「五十年祭」まで行い、一般にはその五十年を一つの節目として「まつりあげ」を行い、「まつりあげ」以降は、個人としてのおまつりは行わず、歴代の祖先とともにおまつりをします。

(田頭)

田頭田頭 2006/01/24 06:46 本文のなかでも述べましたように、神葬祭は地域によって大きな違いがあります。以下に、その違いのいくつかをまとめてみます。実際には、これ以外にも多くの相違があります。

●東北、北関東、甲信越などの一部の地方では、神式・仏式を問わず、先に火葬を済ませてから通夜を執り行う「骨葬」という慣習があります。北海道でも、道南の一部ではこの骨葬が行われているのですが、道南で骨葬が行われるようになったのは、2166名が死亡した昭和9年の大惨事「函館大火」が一つのきっかけと云われています。

●斎場で柩を安置する位置は、本来は祭壇の一番奥のはずですが、札幌では、発柩の際に柩を出しやすいよう、祭壇の手前(饌案のすぐ後)に柩が置かれることが多いです。これは葬儀社の都合による事情で、神社がそのような置き方を推奨しているわけではありません。なお、昨年は空知管内の神社が執行する神葬祭にも助勤に行かせていただきましたが、そこの斎場では、柩は祭壇の一番奥に安置されていました。同じ北海道でも、柩の安置する位置は地域や葬儀社によって違いがあるようです。

●当社では霊璽は一つしか用いませんが(全国的にもそれが一般的だと思いますが)、神社によっては霊璽を二つ用意し、一方の霊璽を、火葬祭のときに柩の中に入れたり、あるいは遺骨と一緒にお墓の中に入れたり、または産土神社の祖霊舎に納めたりする、といった所もあります。西日本では霊璽を二つ用意する所が多く、九州の一部では、三つ用意する所もあるそうです。

●本文のなかでも述べましたが、「前夜祭」という呼称は北海道(特に札幌近郊)独特のもので、道外においては「通夜祭」という呼称が一般に使われています。「前夜祭」という言葉は道外ではまず通じません。

●前夜(通夜)祭を喪家で、葬場祭を葬儀場にて執り行う場合は、発柩祭は前夜祭と葬場祭の間で斎行されます。その場合の発柩祭は、葬儀場へと発柩するための儀式であり、遺族たちはその儀を終えてから葬列を組んで葬儀場へと向かいます(近年は霊柩車を使うケースがほとんどで、実際に葬列を組むということは極めて少なくなりましたが)。しかし、本文でも述べましたように、北海道では葬場祭と発柩祭は同一の斎場で続けて斎行されることが多く、この場合の発柩祭は、火葬場へと発柩する儀式であり、同じ名称の儀式でも、どの時点で発柩祭を斎行するかにより、その意味合いは微妙に異なってきます。

●当社では帰家祭で大祓詞を奏上しますが、神社によっては、納棺の際や、前夜祭で大祓詞を奏上する所もあるようです。

●神葬祭における神職の装束は神社によって違いがあります。本来は鈍色の装束を着装するのですが、葬儀を執り行う機会が滅多にない地方の民社では鈍色の装束を揃えていない所も多く、そのような神社が葬儀を執行する場合、神職は斎服や浄衣などの白い装束を着装します。当社では、帰家祭からは斎服や浄衣を着装しますが、帰幽奉告から火葬祭までは、鈍色の装束を着装します。また当社では、帰幽奉告から火葬祭までは神職は「中啓」という扇の一種を手に持ち奉仕しましが、葬儀の際に笏を持つか中啓を持つかは、道内の神社でも見解が分かれています。なお、男性神職の場合、葬儀以外で扇法を用いることはまずありません。

●忍手(音をたてない拍手)をいつまで行うかは神社によって見解が異なり、一般には、五十日祭まで、という所が最も多いようですが、火葬祭まで、帰家祭まで、一年祭まで、という所もあるそうです。

田頭田頭 2006/03/03 19:28 本文の「火葬祭」の項目で、私は「現時点では札幌にはまだ里塚にしか火葬場がない」と記しましたが、それは私の早とちりで、改めて調べてみた所、実は市内にはもう一箇所火葬場がありました。手稲にある「手稲火葬場」です。ただ、里塚の火葬場(里塚斎場)が30基の火葬炉があるのに対し、手稲火葬場はたった1基しか火葬炉がないらしく、そのため市内に2箇所の火葬場があるとはいっても、実態としては里塚斎場1ヵ所で市内の火葬の大部分を行っています。ですから、札幌市民でも手稲火葬場の存在は知らない人の方が多いのです。

本文中で述べた手稲山口に建設中の新しい火葬場「山口斎場」は、今年の4月から供用を開始する予定です。山口斎場は、里塚斎場とほぼ同等の規模を誇り、4月以降は、市域を豊平川で東西に区切り、亡くなった方の住所もしくは葬儀場の住所が豊平川よりも西側の場合は山口斎場で、豊平川よりも東側の場合は里塚斎場で、それぞれ火葬を行うことになります。
なお、山口斎場の供用開始に伴い、手稲火葬場は3月31日で閉鎖されます。

田頭田頭 2006/10/22 15:56 記事の中でも述べましたように、当社で執り行う「前夜祭」に該当する祭典は、全国的には「通夜祭」という呼称が一般的です。そのため、当社でも平成18年春より、「前夜祭」の名を「通夜祭」に変更致しました。
(平成18年10月16日追記)