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西野神社 社務日誌

2006-02-10 稲荷信仰

稲荷神

今日は初午(はつうま)の日です。初午というのは、2月最初の午の日のことで、この日は、稲荷神社の総本宮である京都伏見稲荷大社をはじめ、全国の稲荷神社で「初午祭」が斎行されます。和銅4年(711年)2月の午の日に、稲荷神が初めて三ケ峰(稲荷山)に降臨され、これが伏見稲荷大社の御鎮座の由来となっているため、全国の稲荷神社では特にこの日を重要な日として祭典を斎行するのです。

初午の日に稲荷詣をするという習慣も古くから盛んで、清少納言の「枕草子」にも、2月の午の日に伏見稲荷に参詣したことが記されています。また、初午の稲荷詣では、稲荷詣のシルシとして杉の一部を持ち帰るということも一つの慣わしとなっていたようです。

ところで、稲荷神とは切っても切れない関係にあるのが狐です。稲荷神と狐との結びつきがあまりにも強いため、「稲荷神=狐」と誤解している人も結構多いのですが、狐はあくまでも稲荷神に仕える「神の使い」であって、「稲荷神」そのものではありません。狐を神様としてお祀りする狐塚というものもありますが、狐と稲荷神はあくまでも別の存在です。私は3年前に、伏見稲荷大社で正式参拝をさせていただいたことがあるのですが、そのとき、伏見稲荷の職員さんも「お稲荷様と狐を混同している人が未だに多い」ということを仰っていました。

では稲荷神とはどのような御姿をした神様なのかというと、もともと神様に実体(有限な存在としての肉体)はないのですから、その御姿はあくまでも人々が描くイメージに過ぎませんが、だいたいは、稲を背負った白髪の老人の姿で描かれることが多いです。今回貼付の写真が稲荷神のその代表的な御姿で、この絵では、左手に丹塗の柄の鎌を持ち、右肩には天秤棒で稲を荷っています。五穀や食料を司る、すなわち「稲を荷う」農耕の神様として人々から信仰されてきた形態が如実に反映されている御姿といえます。

なお、稲荷神は、京都市伏見区に御鎮座する伏見稲荷大社を総本宮とする神社神道系の稲荷神と、愛知県豊川市豊川稲荷を総本山とする仏教系の稲荷神に大別されますが(豊川稲荷は神社ではなく、妙厳寺という名の曹洞宗に属する寺院です)、神道系の稲荷神が前述のように稲を背負った老人の姿で描かれることが多いのに対し、仏教系の稲荷神は、インドの茶枳尼天(だきにてん)という女神と習合しているため、白狐に跨って空を飛ぶ天女の姿で描かれることが多いです。茶枳尼天は、もともとは、人の心臓や肝を喰う恐ろしい夜叉神でしたが、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)に帰依してからは善神となり、日本に伝来されて以降は「豊穣の神」であるという一致から稲荷神と結びつき、仏教系の稲荷神の御祭神とされるようになりました。

神道系の稲荷神は、正式には宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)といい、もともとは京都の有力な豪族秦氏一族の氏神でした。昨年10月24日付の社務日誌「譽田別命」のなかで、八幡神は本来は宇佐という一地方の神様でしたが東大寺の大仏建立を機に全国へと進出しました、ということを記しましたが、稲荷神も八幡神同様に、当初はあくまでも一地方の神様で、全国的には無名の神様だったのです。しかし、平安時代の初頭に、稲荷神を氏神として奉斎する秦氏が真言宗の開祖である空海に全面的に協力し、東寺建造用の木材を稲荷山から切り出して提供するなどしたため、稲荷神は東寺の守護神として祀られるようになり、以後、稲荷神は真言密教と強く結びつき、さらに仏教の現世利益の考えを取り入れ、仏教の庶民への浸透とともにその信仰を全国へと拡大していきました。

稲荷神は、本来は豊作の神様であることから、当初は農村を中心にお祀りされることが多かったのですが、やがて都市部へも急速に広がっていくようになり、大名屋敷町屋にも勧請され、江戸時代には、比喩としては不適切で不敬な表現だと思いますが、数の多さの例えとして「町内に、伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで云われるようになりました。稲荷神は、商業地域では商売の繁栄約束する神様として、また漁村では漁業の神様として信仰されるなど、人々のあらゆる願いに応じたことによりその信仰は全国に拡大し、現在、稲荷系神社の数は全国におよそ3万2千社もあり、全国の神社のほぼ3分の1を占めており、神社の御祭神としては全国で最も多く祀られています(以下、八幡大神、天照大神、菅原道真公、という順番で多く祀られています)。

伏見稲荷大社以外の代表的な稲荷神社としては、茨城県笠間稲荷神社や、佐賀県祐徳稲荷神社などが挙げられ、この3社を「三大稲荷」と称することもあります。ただし、一方では伏見稲荷、豊川稲荷、最上稲荷を「三大稲荷」と称する場合もあり、「三大稲荷」とされる寺社は厳密には決まっていないようです。ちなみに、最上稲荷(岡山県)は、「最上稲荷教総本山妙教寺」という名の寺院で、豊川稲荷同様、仏教系の稲荷神です。

なお、狐がいつ頃から稲荷神の神使とされるようになったのかは不明ですが、民俗学的には、春に山の神が里へ降りて田の神となり、収穫の終わる秋には山へ帰って行くという「山の神信仰」と、里に降りてきて穀物を食い荒らすネズミを捕って食べたりする狐の姿が重なって、神の使い(あるいは神の化身)と考えられるようになった、と云われているようです。

(田頭)

田頭田頭 2006/02/13 15:17 伊勢の外宮(豊受大神宮)でお祀りされている豊受大神は、内宮(皇大神宮)でお祀りされている天照大御神の食物を調達する御饌神として稲荷神と並ぶ代表的な農業・豊穣の神様ですが、食物を司る御饌神という同一の性格から、稲荷神とは同一神と見なされることがしばしばあります。
しかし、それはあくまでも神学上の話であり、信仰する側の人々にとっては、稲荷神と豊受大神は全く別々の神様として受け止められおり、絵図などでも、稲荷神(宇迦之御魂神)が翁の姿で描かれるのに対し、豊受大神は女神として、全く別の神様として描かれています。

ところで、稲荷系神社の総本宮である京都の伏見稲荷大社は、神社本庁の包括下にはない単立の神社ですが、神社本庁とは、極めて良好かつ緊密な関係を維持しています。
稲荷神の崇敬者は全国におよそ8百万人いるともいわれており、全国各地には、崇敬者らにより稲荷講や初午講などの結社が数多く結成されていますが、それら全国の稲荷(神道)系の講社は、伏見稲荷大社に置かれている「伏見稲荷大社講務本庁」に統轄されています。

れふとれふと 2006/02/26 22:53 有名神社にはいくつか単立の神社があるようですが、祭祀に関する規定などは神社本庁のものを共用しているのでしょうか?
神職さんの資格(?)も神社本庁と共通なのでしょうか?

田頭田頭 2006/03/14 10:28 その神社によって違いがあるので一概にこうだとはいえませんが、教派神道系の神社や、昔から単立である神社などでは、独自の祭祀規定に基づいて祭祀を行っていることも少なくありません。
ただし、本庁から離脱したことにより単立となった神社や、あるいは、昔から単立であったとしても、そこの神社の職員が本庁包括下の神社にも職員として在籍している場合などは、本庁の祭祀規定に基づいて祭祀が行われていることが多いです(本庁包括下の神社と単立の神社を兼務する場合は本庁の統理の承認を得なければなりませんが、現実には、未承認のまま兼務しているケースが見受けられます)。

もっとも、祭祀に関しては、本庁の規定に記されている文言よりも「一社の故実」の方が優先されるので、歴史や由緒の深い神社では、古来からその神社に伝わる独自の慣習に基づいて祭祀が行われていることも多いです。「一社の故実」とは、概ね明治維新以前の故実を指します。

神職の資格(階位)についてですが、本庁が定める階位は、上から順に「浄階」、「明階」、「正階」、「権正階」、「直階」の5つがありますが、これらの階位は、あくまでも神社本庁包括下にある神社でだけ効力を発する資格です。
ただし、本庁の階位を取得しているということは一定の勉強や実習を積んできた証でもあるので、現実には、単立の神社であっても本庁の階位を取得している人しか神職としては採用しない、という所は多いです。
つまり、階位本来の効力は、本庁包括内の神社でしか通用しないのですが、現実には、これは適切な表現ではないかもしれませんが、本庁包括外の神社に対しても、本庁の階位は一種の“箔”としては十分に通用しています。

本庁指定の神職養成機関に入学する学生の中には単立神社の神職の子弟も少なくありませんが、単立の自社を継ぐためだけであるなら、わざわざ養成機関に入って階位を取得する必要はないわけですから、そういった学生は、やはり階位の取得を神職としての一つの“証”と認識していたり、あるいは、宮司である親が、氏子をはじめとする周囲の人々に対して我が子の神職としての適正を納得させる一つの材料として入学させる、といったケースが多いようです。

田頭田頭 2018/02/07 15:36 この記事「稲荷信仰」の本文中には、以下の記述があります。

『最上稲荷(岡山県)は、「最上稲荷教総本山妙教寺」という名の寺院で、豊川稲荷同様、仏教系の稲荷神です』

実際、この記事をアップした当時は、その記述通り、妙教寺は最上稲荷教の総本山だったのですが、妙教寺はその後(平成21年)、傘下の寺院と共に日蓮宗に復帰し(昭和29年に日蓮宗から独立するまで、元々は日蓮宗に所属する寺院でした)、それに伴い包括宗教法人としての最上稲荷教は解散し、現在、妙教寺は日蓮宗の一寺院となっております。