2006-06-29 靖國神社と神社本庁 
今日は靖國神社の創立記念日で、靖國神社では「御創立記念日祭」が執り行われます。明治2年の今日、明治天皇が招魂社(靖國神社の前身)を東京の九段に御創建し、鎮座祭が斎行されたことから、今日が靖國神社の創立記念日とされています。ちなみに今回の写真は、靖國神社の第二鳥居と神門です(昨年5月に正式参拝した時に撮ってきました)。
靖國神社の創立記念日に因み、今日は靖國神社の由緒や創建の経緯などを書こうかとも思ったのですが、しかし靖國神社の歴史については、既にネットや書籍など多くの媒体で詳細に紹介されておりますので、今回はちょっと視点を変えて、靖國神社と神社本庁との関わりについて書かせていただこうと思います。
何日か前、ネットで検索していてたまたまヒットしたあるブログの中で、「靖国神社はなぜ神社なのか」と題する記事を見つけました。その記事の趣旨は、「戦没者を祀ること自体に問題はないし、その場所に政府公人が行って祈りを捧げることにも問題はないが、その場所が“神社”という形であることが問題だ」という内容でした。その記事の全文を要約すると、以下のようになります。
『戦死者を祀るのはわかるが、なぜ神社という形をとるのか。例えば、伊勢神宮は天照大御神、豊受大御神を祀っている。諏訪大社は建御名方神と八坂刀売神を祀っておられるし、春日神社では天児屋根命、武甕槌命、経津主命を御祭神としている。これらの古い神社や、八坂神社、琴平神社、熊野神社、お稲荷さま、八幡神社、天満宮、住吉神社、えびすさまは、神社本庁で公式に神社と認定されている神社である。
しかし、靖国神社や明治神宮は、同じく神社を称しているので誰もが混同するが、神社本庁傘下の正式な神社ではない。神社本庁傘下の東京都神社庁のホームページを見れば、東京の公式な神社は1,398社であり、靖国神社や明治神宮は入っていない。
この有名な二つの神社は死んだ人間の魂を祭る類の「パクリ神社」であり、本当は全然神社ではないのである。参拝方法を真似ており、神官の装束や建物の造りまでも真似ているが、神社ではなく、むしろ実態は「墓」や「社」に近い。なにしろ、御簾の向こうは死んだ「人間」なのだから。
死んだ人間と、存在していたかどうかわからない神様では同じようなものじゃないかという意見はわかる。しかし、死んだ人間は人間であったことが科学的に証明されうるが、天照大御神、豊受大御神、天児屋根命、といった神様は科学で存在を証明できないと同時に、本当にいなかったことも証明できない分、現時点ではまだ、日本の神々への信仰を科学は否定できないのではないか。
問題は靖国が神社を称していることだ。この「神社」が神社の体でなければ、例えば広島の平和記念公園のような形であれば、靖国神社を巡る諸問題はもっと単純化され、誤解も解消し、問題もおきないに違いない。実態は神社ではないのだから、改名・改築作業は急務とここに提言する。』
…という文章でした。どこから批判・反論すればいいのか思わず迷ってしまうくらい、何から何まで「トンデモ」な文章で、靖國神社について根本的に勘違いをしている文章といえますが、今回は、靖國神社と神社本庁との関わりという観点から、この文章を批判させていただきます。
私は、神社本庁が果たしてきた役割というのは、実は私たち神職が思っている以上に大きいと思っています。最近は現職の神職であっても、神社本庁はただの圧力団体であるとか、神職の資格を授与するだけの機関であるとか、本庁の役割はもう終わったのではないか、などと言う人がいると聞きますが、しかし、もし、終戦直後のあの混迷期に神社本庁が設立されていなかったとしたら、現在の神社界の発展はなかったはずですし(大多数の神社はGHQから財産や境内地を没収されて消滅していたことでしょう)、また、もし今日突然神社本庁が解散したとしたら、全国の神社を結束する拠り所が消滅することになり、神社同士の横の連携も取れなくなり、神社によっては特定の個人の意向により暴走してしまうお宮も多数出てくることでしょう(新興宗教と変わらなくなってしまうでしょう)。
そういった意味では、私は神社本庁を過小評価はしていません。本庁の果たしてきた役割は極めて大きいと思っています。しかし同時に、私は、神社本庁を過大評価もしてはいません。私は本庁包括下の神社の神職ではありますが、本庁の職員ではないですし、本庁の回し者でもないのではっきり言いますが(笑)、神社本庁は、あくまでも「全国の神社あっての本庁」であり、決して「本庁あっての全国の神社」ではありません。本庁の果たしてきた役割は確かに大きいですが、本庁がそのような大きな役割を果たすことができたのは、当然のことながら、人的な面でも金銭的な面でも、また精神的な面でも、全国の神社からの力強い支えがあったからこそなのです。
ところが前述のブログの文章の作成者は、本庁のことをかなり過大に評価されているようなのです。靖國神社や明治神宮のことを「パクリ神社」と貶めている理由のひとつに、これらの神社が本庁に加盟していないことを挙げているからです。つまり、本庁のことをとても権威のある団体(国家機関の一つとでも思っているのでしょうか?)と認識しており、それ故、本庁の傘下にない神社は全て非公式の神社であると解釈しているのです。しかし現実には、4日前の記事「神社庁」でも述べましたように、神社本庁はあくまでも民間の一宗教法人であり、本庁自身に、その神社が正式な神社か、ニセモノな神社であるかを判定するような権限はありません。それは氏子や崇敬者、もしくは世間が判断することです。
もし本庁に加盟している神社のみが公式な神社であるというならば、それ以外の神社は全て非公式な神社ということになってしまいますが、この文章の作成者が知らないだけで、単立の神社にも由緒ある有名な神社はいくつもあります(例えば単立神社の中でも、日前・國懸神宮、伏見稲荷大社、梅宮大社、鎌倉宮、出雲大神宮などは、官國幣社に列格されていたりその国の一の宮とされていた、由緒ある神社です)。また、神社本庁以外の包括団体に所属している神社のなかにも、伊勢の神宮にお仕えする斎王が伊勢へ行かれる前に身を清められた場所として有名な野宮神社や、日本の建国以前(神代)に創建されたとされる地主神社など、由緒ある古社は少なくありません。
そしてもう一つ、重要なことを言わせていただきます。確かに靖國神社は、神社本庁には所属していない単立の神社です。しかしそれは、神社本庁から離脱した日光東照宮や明治神宮とは明らかに事情が異なっています。靖國神社は神社本庁の設立時から本庁に所属していないため、本庁から離脱した経緯があるわけではなく、また、本庁に所属しなかったのも、本庁と対立していたような事情があったためではありません。靖國神社は、他の神社とは異なり国家護持を目指す特殊な立場にあったため、その目的を達成するため、神社界の総意として、神社本庁には合流しなかったのです。
靖國神社自身が、「時勢(日本の敗戦と米国による占領)により今は一宗教法人にならざるをえないが、いずれは国にお返しする神社なので、特定の団体の包括下になるべきではない」と判断し、神社本庁もまた、「靖國神社はいずれは国にお返しする神社なので、それまで単立であるべき」と判断し、そして全国の神社も同じように考えたのです。
そのため、靖國神社と神社本庁は包括・被包括の関係にはないものの、両者は極めて密接な協調関係を維持しています。神社本庁自身が、靖國神社崇敬奉賛会の法人会員となっていますし、靖國神社が首相の公式参拝を巡り靖國反対論者(主に左翼、浄土真宗、キリスト教関係者たち)から訴えられた裁判においても、神社本庁は全力で靖國神社を支援しています。
靖國神社と神社本庁は人事交流も盛んで、例えば今月6日に札幌で開催された道神青研修会で講演して下さった靖國神社の山口権宮司は、熱田神宮嘱託、神社本庁録事、山口県神社庁主事、神社新報社記者(神社本庁より出向)、防府天満宮権禰宜、山口県護國神社禰宜、神社本庁参事といったポストを経て、靖國神社の権宮司に就任されています。この事例以外にも、本庁包括下の神社から靖國神社に転任したり、逆に靖國神社から本庁包括下の神社に転任するといった事例はよくあることで、別に珍しいことではありません。
また、神社本庁では、本庁包括外の神社で奉職していた期間については、例え正職員の神職として奉職していたとしても、神職経歴としては認めていないのですが、これは某府神社庁の参事さんから直接聞いたのですが、靖國神社での奉職期間については例外的に神職経歴に含める処置をしているそうです。こういった事例以外にも、例えば私は学生時代、神社本庁研修所主催の研修会で靖國神社を正式参拝したことがありましたが、今述べましたこれら一連の事例は、いずれも、靖國神社と神社本庁が対立していたり、あるいは本庁が靖國神社を公式な神社と認めていなかったとしたら、絶対にありえないことです。
以上のことから、「靖國神社や明治神宮が神社本庁の傘下にはない」という理由で、「パクリ神社」であるとか、「本当は全然神社ではないのである」などと結論付けるのは、神社界の現状を何も知らないが故の妄言であるといえます。そもそも、靖國神社とともに、ここで明治神宮の名前まで出しているということは、このブログの作成者は、明治神宮が2年前まで神社本庁に加盟していたという事実も知らないようです(2年程前、明治神宮は一方的に神社本庁からの離脱を発表し、突然の離脱発表に驚いた本庁では、副総長を本部長とする対策本部を設置し、明治神宮側と協議を続け、離脱を撤回するよう強く求めたのですが、結局明治神宮側を説得しきれず、明治神宮は神社本庁との被包括関係を解消してしまいました)。
ところで、件のブログの文章では、靖國神社や明治神宮を「パクリ神社」と貶めるもう一つの理由として、これらの神社では神話上の神様ではなく実在した人間をお祀りしているから、ということを挙げています。神職としてこの暴論は無視するわけにはいかないので、これについても一応反論させていただきます。
一神教では人間と神との間には超えることのできない絶対的な断絶があるのに対し、神道では、人間と神との間の境界線はかなり曖昧で、基本的に、人は亡くなるとある程度の時間を経て祖霊神に昇華すると解しています。これは「神」という言葉をどう解釈するのか、という神学的な問題(全知全能の唯一神を信仰する一神教の立場では、神道の祖霊神の観念は理解不能です)でもあるのですが、神道における祖霊神の考え方については、今年1月19日付の記事「他界観」でまとめさせていただきましたので、詳しくはそちらを御参照下さい。
人物神をお祀りしている神社は全国各地に沢山あります。怨霊神(平将門、早良親王、崇徳院など)、南北朝時代の南朝方の皇族や武家(護良親王、楠正成、新田義貞など)、戦国時代の武将(武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など)、江戸時代の文人(保科正之、上杉鷹山、二宮尊徳など)、四十七士や幕末の志士たちなど、実に多くの人物神がお祀りされています。
全国各地に鎮座している天満宮・天神社などの天神系神社でお祀りされている御祭神も、菅原道真という実在の人物です。人物神を否定するのであれば、これらの神社も全て否定しなければなりませんが、件のブログの作成者はなぜか天神様は認めているようで、これでは論理に一貫性がありません。
このブログの作成者は、こうも言っています。『確かに日本では凄かった人を神に祀る習慣が古くからある。秀吉も家康も祀られた。しかし、靖国神社の中にいる方々はそれほど凄かったわけではない。明らかに、普通の人間だった人たちだ。戦争に行かされて、そのために死んだ人で、数は多くても歴史的な偉業を成し遂げたわけでもない。ここに最初の無理がある』と。つまり、戦国武将が御祭神として祀られることは容認しつつも(菅原道真も仮に認めるとしても)、歴史への貢献度という観点から、靖國神社で戦没者がお祀りされることは認められない、と主張しているのです。しかし、これはあくまでもこの人個人の主観であって、神道では、歴史への貢献度から御祭神を決める、などといったことはしません。神道にそんな価値観は存在しません。
ちなみに、全国各地に鎮座する八幡宮・八幡神社でお祀りしている八幡大神(譽田別命)という神様も、その実体は応神天皇という実在の人物です。明治神宮を「パクリ神社」と言って貶めるのであれば、全国の八幡宮や、同じように天皇をお祀りしている他の神社(例えば神武天皇がお祀りされている橿原神宮や宮崎神宮など)も否定しなければなりません。しかしブログの文章のなかでは、明治神宮を否定しておきながらも八幡神社は公式な神社と認めています。やはり、論理が一貫していません。
さらに言わせてもらうと、『神官の装束も建物の造りまでも真似ているが、神社ではなく、むしろ実態は「墓」や「社」に近い』とありますが、これもかなりデタラメな解釈です。例えば、靖國神社のすぐ近くにある「千鳥ケ淵戦没者墓苑」は、実際に遺骨が納骨されているため明らかに「墓」といえるものですが、遺骨も位牌もなく、ただ“神霊がそこに鎮まっておられる”という観念だけがある靖國神社や明治神宮の一体どこが、「墓」に近いといえるのでしょうか。
あと、これについては4日前の記事「神社庁」でも書きましたが、「神官」という言い方も厳密には間違っています。本当に突っ込み所満載な文章です。
===== 追記(平成18年11月3日) =====
平成18年11月1日、神社本庁の矢田部正巳総長が、靖國神社の総代に就任しました。記事本文中でも述べましたように、靖國神社は神社本庁の包括下にはない単立の宗教法人であり、その単立の靖國神社の総代に神社本庁の代表役員である総長が就任するのは初めての事です。神社本庁は靖國神社でお祀りされている所謂“A級戦犯”の分祀には明確に反対する姿勢を示しており、矢田部総長が靖國神社総代に就任した事で、神社本庁として靖國神社を擁護する姿勢がより鮮明になったといえます。
===== 追記(平成23年3月1日) =====
記事本文を書いた時点では、明治神宮は神社本庁から離脱し単立の神社となっていましたが、平成22年、明治神宮は再び神社本庁と包括・被包括の関係を復活させ、6年ぶりに神社本庁に復帰しました。ですから、現在の明治神宮は単立の神社ではなく、神社本庁包括下の神社です。
(田頭)




























