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西野神社 社務日誌

2006-10-08 七五三

七五三

10月に入ってからは、七五三詣(七五三参り)の御祈祷が多くなってきています。特に昨日と今日の二日間は、土曜日・日曜日であったことから、平日よりも多くのお子さん達が御両親とともに参拝に来られました。

もっとも、多いとはいっても引っ切り無しに御祈祷が続いている訳ではなく、複数の家族が同時に来社するというようなこともほとんどありません。そのため、七五三詣の参拝者が引っ切り無しに訪れるような著名な神社や規模の大きな神社などでは、何十人ものお子さん達に同時に御殿に入って戴きまとめて御祈祷を行っているようですが、当社ではほとんどの場合、来社して戴いた家族毎に個別に御祈祷を行っております。こういったところは、逆に中・小規模の神社ならではの木目細かさとして、参詣者には御好評を戴いております。

昨年9月30日付の記事「七五三詣」でも詳しく書かせていただきましたが、そもそも「七五三」とは、3歳、5歳、7歳の子供(一般には、男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳)が、今日までの無事な成長を神様に感謝し、更にこれからの健やかな成長を祈願するため、親子揃って神社に参拝するという、都市を中心に発達してきた通過儀礼で、子供の心身の成長の区切り目としても重要な意味を持っています。男児が女児よりも早く祝うのは、その家庭の後継者としての意味合いもありますが、古来は女児よりも男児の方が生存率が低かったことも関係しているようです。

七五三が現在の形で定着したのは意外と新しく、明治時代に入ってからです。それ以前も3歳・5歳・7歳となった成長を祝う齢祝いは各地で行われていたのですが、地方によってその形式は様々で、齢祝いは全く行わないという地域も少なくはありませんでした。

全国的な習俗ではなかったものの、明治時代以前には、3歳の男女は「髪置」(かみおき)といって頭頂部の髪の毛を伸ばしてくくり始め、5歳の男子は「袴着」(はかまぎ)といって初めて袴を着用し、7歳の女子は「紐落とし」もしくは「帯解」(おびとき)といって幼児用の紐を解いて大人と同じ帯を用いるという儀式(通過儀礼)があり、この儀式が江戸時代中頃から商業の発達による影響もあって主に関東圏において広がっていくようになり、一般にはこれが今日の七五三の起源と云われています。

ただし、昨年10月13日付の記事「十三詣」でも書きましたように、上方では七五三詣よりも十三詣(十三参り)の方が、齢祝いの習俗としては一般的でした。今日でも十三詣は関西圏では盛んに行われています。

ちなみに、七五三の中でも特に重視されているのは、幼児期との境界とされる7歳です。かつては「7歳までは神のうち」とされ、それ以下の児童は神に近い存在とみなされ、7歳の祝いを終えるとその子供は「子供組」に加入し、一人前の大人となるための集団教育を受けました(現在でも、小学校に入学して集団教育を受ける年齢は7歳です)。また、正式に氏神の氏子となるのも7歳からで、7歳の祝いは七五三の中でも特別な扱いだったようです。

(田頭)