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西野神社 社務日誌

2007-04-18 神社界の学閥

有栖川宮幟仁親王

仏教系やキリスト教系の大学は全国に沢山あります。例えば仏教系ですと、主要な大学だけでも、天台宗系の四天王寺国際仏教大学、真言宗系の高野山大学・種智院大学、浄土宗系の佛教大学、浄土真宗系の大谷大学・龍谷大学・同朋大学、日蓮宗系の立正大学・身延山大学、臨済宗系の花園大学、曹洞宗系の駒澤大学・愛知学院大学、天台宗・真言宗智山派・真言宗豊山派・浄土宗の四宗派立である大正大学などが挙げられます。

キリスト教系の大学は更に多く、カトリック系であれば上智大学・聖心女子大学・南山大学・英知大学・白百合女子大学・清泉女子大学・ノートルダム清心女子大学・聖母大学・聖カタリナ大学・長崎純心大学など、アングリカン(聖公会)系であれば立教大学・聖路加看護大学・桃山学院大学・平安女学院大学・神戸松蔭女子学院大学・神戸国際大学など、プロテスタント系であればルーテル学院大学・関東学院大学・青山学院大学・関西学院大学・静岡英和学院大学・名古屋学院大学・酪農学園大学・明治学院大学・東北学院大学・北星学園大学・同志社大学・東京神学大学・東京基督教大学などがあり、また超教派としては国際基督教大学・東京女子大学・津田塾大学・中部学院大学などがあります。

しかし、それに対して神社神道系の大学というのは、國學院大學東京都渋谷区横浜市青葉区)と皇學館大学三重県伊勢市・同県名張市)のたった2校しか存在しません。そのため、大学卒の神職は、大抵は國學院大學(以下、国大と略)もしくは皇學館大学(以下、皇大と略)のどちらかの卒業生であることが多く、こういった事情から神社界には国大系と皇大系の二大学閥が存在します。

一般に国大の卒業生は「院友」、皇大の卒業生は「館友」と称されるのですが、大学としての規模や卒業生の数などでは国大の方が優っているため、全国的にみると、館友よりも院友の方が数は多く、地域別に見ると、両大学のそれぞれの立地の関係から東日本は院友や国大系の神社(院友を優先的に採用している神社)が特に多く、皇大のお膝元である近畿圏や東海圏などは、他地域よりも館友や皇大系の神社(館友を優先的に採用している神社)が多い傾向があります。

幸いにして私のいる北海道では「この神社は国大系であの神社は皇大系」などというように神社が学閥によって色分けされていたり、学閥同志の対抗意識が強い、といったことはほとんどなく、私は京都國學院を卒業して札幌に帰って来た直後、江別市内の某神社の宮司さんに挨拶に行ってきたのですが、その時その神社の宮司さんは、「こっちには学閥とかそんなものはないよ。北海道で国大系だとか皇大系だとか言ったら笑われるよ」と仰っていました。北海道の場合は、何十人もの神職を抱えているような規模の大きな大社は北海道神宮一社のみで、あとはほとんど親子や夫婦だけで奉仕しているような規模の小さな民社ばかりなので、そもそも学閥という概念が発生し辛いという状況もあると思います。また北海道には、私のように両大学の出身ではない神職(養成所出身や講習会で階位を取得した神職など)が多いこともその一因として挙げられるでしょう。

しかし、私が階位を取得するため2年間生活した関西では、規模の大きな神社は概ね国大系、皇大系のどちらかにはっきりと分かれていることが多かった気がします。参考までに、関西に鎮座する別表神社のうち、在籍する職員が院友もしくは館友のどちらかに特に偏りを見せている神社を以下にまとめてみます。但し以下に挙げたデータは全て、平成17年1月に神社新報社より刊行された『平成16年 全国主要神職名簿』に掲載の情報を元にしており、最新のデータではないことを御了承下さい。(一応補足しておきますと、以下に列記した神社はあくまでも、在籍する職員が院友もしくは館友のどちらかに偏っている別表神社のみを取り上げたものであり、実際には、出身校に拘らずに職員を採用している神社の方が多いです。なお、別表神社とは何なのか、ということについては昨年3月4日付の記事「神社の社格」の「別表神社・諸社(戦後)」の項を御参照下さい。括弧内の内訳の「他」は、一般大学出身者や階位検定講習会で階位を取得した人などを指しています。)


【関西の国大系神社】 I清水八幡宮…神職数26名(内訳→国大卒13名、皇大卒3名、京都國學院卒9名、他1名)。 K茂御祖神社…神職数18名(内訳→国大卒11名、皇大卒2名、京都國學院卒4名、他1名)。 K野天満宮…神職数15名(内訳→国大卒10名、京都國學院卒5名)。 Y田神社…神職数7名(内訳→国大卒4名、京都國學院卒3名)。 M川神社…神職数16名(内訳→国大卒13名、皇大卒3名)。 F見稲荷大社…神職数40名(内訳→国大卒39名、皇大卒1名)。

【関西の皇大系神社】 A宕神社…神職数8名(内訳→皇大卒7名、他1名)。 M尾大社…神職数18名(内訳→皇大卒13名、京都國學院卒3名、他1名)。 Y坂神社…神職数16名(内訳→国大卒1名、皇大卒13名、京都國學院卒2名)。 I宮戎神社…神職数11名(内訳→国大卒2名、皇大卒9名)。 S吉大社…神職数26名(内訳→国大卒1名、皇大卒21名、京都國學院卒1名、熱田神宮学院卒1名、神宮研修所卒1名、他1名)。 I弉諾神宮…神職数9名(内訳→皇大卒9名)。 I楯兵主神社…神職数13名(内訳→皇大卒12名、他1名)。 N田神社…神職数10名(内訳→国大卒1名、皇大卒7名、熱田神宮学院卒1名、他1名)。 T賀大社…神職数27名(内訳→国大卒3名、皇大卒16名、京都國學院卒2名、熱田神宮学院卒3名、神宮研修所卒2名、他1名)。


関西圏以外の神社についても、在籍する職員が院友もしくは館友のどちらかに特に偏っている別表神社を、参考までに以下に一部だけ列記させて頂きます。

【全国の国大系神社】 D羽三山神社…神職数23名(内訳→国大卒14名、出羽三山神職養成所卒9名)。 S波彦神社S竈神社…神職数17名(内訳→国大卒13名、京都國學院卒1名、志波彦神社塩竈神社神職養成所卒3名)。 K取神宮…神職数16名(内訳→国大卒10名、皇大卒1名、神宮研修所卒1名、他4名)。 T岡八幡宮…神職数37名(内訳→国大卒37名)。 I雲大社…神職数35名(内訳→国大卒16名、皇大卒4名、大社國學館卒15名)。 H崎宮…神職数15名(内訳→国大卒14名、他1名)。 U戸神宮…神職数11名(内訳→国大卒6名、京都國學院卒3名、大社國學館卒1名、他1名)。 K島神宮…神職数15名(内訳→国大卒14名、皇大卒1名)。

【全国の皇大系神社】 A田神宮…神職数48名(内訳→国大卒2名、皇大卒41名、熱田神宮学院卒5名)。 T度大社…神職数11名(内訳→国大卒2名、皇大卒8名、他1名)。 T大神社…神職数20名(内訳→国大卒2名、皇大卒14名、神宮研修所卒2名、他2名)。


実は、国大と皇大とでは、学生が教わる祭式にも微妙に差異があります。これは皇大文学部神道学科講師の伊藤雅紀先生が私にメールで教えてくれたことなのですが、例えば(ひざつき)舗設の方法は、国大の祭式では「横にしたまま一旦膝前に置き、それから持ち替えて縦にし、開く」そうですが、皇大の祭式では「跪居になったら直ぐ縦に置き、開く」のだそうです。

また、国大内にも小野系と沼部系という二つの流派があるらしく、例えば膝進・膝退の回転の方法は、国大小野系は「膝を決してあげない」のに対し、皇大と国大沼部系は「膝は少しあがる」そうで、また袴の結び目についても、国大小野系は「後腰の紐は、下腹の前で諸鉤に結び、その後袴の他の紐の中にかいこむ」のに対し、皇大と国大沼部系は「諸鉤のまま」なのだそうです。両大学ともそれなりの理論があっての違いなので、統一理論を導き出さないと一元化は厳しいかと思いますが、現場が困るだけなのでこういった差異は早く統一して戴きたいですね。

ところで、私は京都國學院という神職養成所で階位を取得したのですが、その京都國學院は、校名からも分かるように“皇學館系”ではなく“國學院系”の養成機関です。国大と京都國學院の両校は、ともに明治15年に神道学校として創立された「皇典講究所」を母体に開学された学校で、両校ともに、皇典講究所総裁であられた有栖川宮幟仁(たかひと)親王の令旨を奉戴しており、そういった歴史的な経緯から、京都國學院は“國學院系”とされているのです(ちなみに、現在の日本大学も皇典講究所を前身とする学校です)。

有栖川宮幟仁親王(文化9年〜明治19年)は、当時の皇族中の最長老にましまして、皇室の御信任も頗る厚いものがあり、皇典講究所総裁として常に講究所の発展と有能な人材の養成に御心を労されました。今日の記事に貼付させて頂いた肖像写真が、“國學院の祖”とされるその有栖川宮幟仁親王です。

有栖川宮家は、嫡子(11代)が早世されたため大正時代に廃絶されましたが、有栖川宮家の祭祀は現在の高松宮家に引き継がれており、京都國學院普通課程の学生達は、2年次の本庁研修(神職養成機関普通課程生徒合同実習供砲播豕に行く際には、有栖川宮御一族が鎮まっておられる豊島ヶ岡皇族墓地を訪れ、有栖川宮幟仁親王の陵墓の御前で拝礼を致します。なお、京都國學院の正式名称は「学校法人 京都皇典講究所 京都國學院」といい、皇典講究所が現存しない今日においても、その校名に皇典講究所の名が残されています。

では、学校創立の歴史や、親王の令旨を奉戴している点以外で国大・京都國學院両校が共通している点は何なのかというと、多分探せばいろいろあるのでしょうが、正直、私はあまり思い浮かびません(笑)。過去に遡れば母体は同じ学校であっても、その後国大と京都國學院は別の学校として発展し、両校間の交流や連携等が行われることもほとんどなかったからです(私が京都國學院で習った祭式は国大系でしたが)。そもそも、積極的な交流をするには両校は地理的に離れ過ぎており、京都國學院に在学中、私は国大に対して同じ系統の学校と意識するようなことはほとんどありませんでした(立地的な条件から、助勤先などではむしろ皇大生と会う機会の方が多かったです)。

なお、国大と京都國學院以外に「國學院」の名を冠する学校としては、短大では「國學院短期大学」(北海道滝川市)と「國學院大學栃木短期大學」(栃木県栃木市)、大学・短大以外の団体としては「國學院大學幼児教育専門学校」(神奈川県横浜市)、そして浪速高校・中学の運営母体である「学校法人 大阪國学院」(大阪府大阪市)、通信制の神職養成機関である「財団法人 大阪國學院」(大阪府大阪市)があります。浪速高校・中学の運営母体である大坂國学院(元の浪速学院)と、通信制の神職養成機関である大阪國學院は、同一の名前でありながら、ややこしい事に別法人です。

最後に、平成4年3月に神社新報社より刊行された『年齢を重ねて 明治生まれの神職は語る』という本に掲載されていた、神社新報社の渋川社長熱田神宮の篠田康雄名誉宮司の対談の一部(今日の記事の内容と特に関わりのある部分)を以下に転載させて頂きます。篠田康雄名誉宮司は、明治41年に生まれ、昭和5年に皇學館を卒業し、以後、神社新報社社長、熱田神宮宮司、神社本庁総長、皇學館大学総長などの要職を歴任された神社界の重鎮です。


(渋川)篠田さんは人事の篠田、館友のボスとして恐れられた。

(篠田)人事に対する基本的な考えは「人事は早く決める」に尽きると思う。神社の宮司が空席になる。これほど神様にご不便をお掛けすることはない。常日頃から多くの人に接し、人材を知り、各神社の関係者とも親密になるよう心掛け、必要が生じたときはこの人を思う者をすかさず推薦した。平素からのこういった心掛けは、人事を任されるようになった者の努めだと思う。皇學館卒ばかりを強引にはめ込んだとは思っていない。私の人事の結果を見ればわかる。國學院卒の立派な方を多数推薦・決定したし、第一、私が新報の後継者にした君はどこの卒業だね。いまだに知らないままだ。

(渋川)しかしまごうことなく一時は皇學館系のボスとして活動された。院館の学閥の対立をどう思うか。

(篠田)私もこんな対立は好ましくないと思ってきた。だが、その気持ちの質は若干、時とともに変化した。戦後、皇學館大学の再興に奔走していたさい、結果としては実現しなかったが、一橋大学の中山伊知郎先生に学長になってくれないか交渉に行ったことがある。そのとき、「お恥ずかしながら神社界には國學院と皇學館の学閥の対立がありまして」とお話したら、「いいことではないですか。対立があってこそ切磋琢磨して立派な人が出てきます」と答えられた。なるほどと思った。醜い足の引っ張りあいはよくないが、競いあうことはプラスの面もあるのだと考えたのはそのときだった。私は皇學館の篠田。しかし同時に神社人の篠田でもありたいと思った。


(田頭)

田頭田頭 2007/04/19 11:02 今年度の国大・皇大への入学生の数は以下の通りです。

【国大】 …… 学部2,309人(そのうち神道文化学部は229人)、専攻科34人、別科16人
【皇大】 …… 学部694人(そのうち文学部神道学科は84人)、専攻科30人