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西野神社 社務日誌

2008-06-13 神棚の御扉は開けておいてもいいもの?

神棚のお社の御扉

昨日、一昨日と続けて、複数の参拝者の方から「神棚のお社の扉は開けたままでもいいのでしょうか?」と質問をされました。実際、神棚の宮形(みやがた)の御扉(みとびら)を常時開けたままにし、宮形の中に納められている御神札(おふだ)が直接見える状態になっている神棚を見かける事は少なくありません。しかし結論を言いますと、「開けたままにしておくのが間違っているというわけではありませんが、原則としては、神棚の宮形の御扉は閉めておく」べきものです。

そもそも、神社の本殿の御扉は、大祭や中祭など重要な祭事が行われる時以外は常時閉められたままですし、祭事に於いて御扉を開扉(かいひ)する時も、大抵は外陣の御扉(参拝者から直接見える本殿外側の扉)を開扉するだけで、内陣の御扉(外陣よりも更に内側にある本殿の御扉)まで開扉する事はまずほとんどありません。もし内陣の御扉を開扉するとしたら、それは内陣を清掃する時か、遷座する(本殿の建て替えなどにより御神体を移動する)時くらいで、しかもその場合でも、内陣の御扉を開ける事ができるのは原則として宮司のみで、その神社の職員といえども宮司以外の神職が内陣の御扉を開扉する事はありません。また、内陣の御扉を開扉する時でも、内陣の内部(御神体が奉安されている空間)は外側からは見えないような措置がなされます。

なぜ、神社ではそこまでして内陣を隠したがるのかというと、それは一言で言うと、それ程までに神様は“畏れ多い”存在だからです。軽い気持ちで「どうぞどうぞ」と誰にでも見せられるような、そんな軽々しいものではない、という事です。ましてや、内陣の中に鎮まっておられる御神体そのものを直接参拝者に見せるという事は、絶対に有り得ません。最近ではそういった言い方はあまりしませんが、一昔前であれば、「御神体を直接見ると、あまりにも畏れ多くて目が潰れる」とまで言われたものです。ですから、参拝者がどんなに「お願いですから御神体を直接拝ませて下さい!」と強く懇願しても、神社としてはそれを許可する事は有り得ません。これは神社神道としての信仰の根幹に関わる事項ですから、こればかりは、どんな有力者から頼まれようとも、妥協したり譲歩したりする事はできないのです。

そして、この点が、神道と仏教の決定的に違う点であるとも言えます。たまに本尊を厨子の中などに納めて外側からは見えないようにしている寺院もありますが、大部分の寺院では、本尊である仏像は直接参拝者の目に触れる形でお祀りされています。そして、参拝者はその立派な本尊(仏像によっては国宝や重文に指定され、歴史的・美術的な価値が高いものも多くあります)を直接見て拝む事によって、仏様を感じたり、感動したり、ありがたみを感じたりするのです。ですから、神道と仏教ではその発想が全く逆で、神社では御神体を見えないよう覆い隠す事によって(俗な言い方をすると“もったいぶる”事で)参拝者に神様の御神威を感じさせ、逆に寺院では本尊を直接見せる事によって(俗な言い方をすると立派な仏像を“見せ付ける”事によって)、参拝者に仏様のありがたさを感じさせているのです。

もっとも、時代が下ると神社と寺院の双方がお互いの影響を受けるようになり、例えば神社でも「御神像」という彫像が作られてそれが御神体とされる事例が出てくるようりになりましたが、御神像は明らかに仏教(仏像)の影響を受けたものです。本来の神道には、神様を像という立体物で再現するという発想はなかったからです。また寺院でも、本尊を「秘仏」と称して参拝者の目には触れないように隠し、何年かに一度、あるいは何十年かに一度だけ、「御開帳」と称して参拝者にその秘仏を公開するという事例も出てきましたが、これは明らかに神道の影響を受けています。本来の仏教には、仏像を隠すという発想はなかったからです。

と、ここまで説明をすれば、神棚の宮形の御扉は原則としてなぜ閉めておくべきなのか、その理由を理解して戴けたのではないかと思います。つまり一言で言うと、神様の宿っておられる御神札(おふだ)を直接人目に触れさせるのは「畏れ多い」からです。ただ、今日の記事の冒頭で「開けたままにしておくのが間違っているというわけではありませんが」とあえて前置きしたのは、神社の御神体と、神棚にお祀りする御神札は、その性質は確かに似てはいますが、全く同じ性格を持つものではないからです。そもそも、神棚にお祀りする御神札を神社の御神体を全く同一に扱わなければならないのであれば、大部分の家庭では御神札に関わる事(神社に行って御神札を直接受けて来る事、その御神札を直接自身の手で神棚に納める事、神棚から古い御神札を出してそれを神社に持って行く事など)は一切できなくなってしまいます。

実際、神社の本殿内陣に奉安されている御神体と、各家庭の神棚にお祀りされている御神札とでは、その御神威(神様の発揮される力やその重み)には当然ながら差があります。ですから、御神札を見たり触ったりしたら「目が潰れる」などという事は決してありませんし、神様に対して敬意を表して恭しく扱うのであれば、御神札を見たり触ったりしても構いません。それが常時(毎日)でなければ、時には宮形の御扉を開けて御神札を直接見る機会があったとしても、それは構わないと思います。例えば、普段は宮形の御扉を閉めていても、お正月や、その家にとっては特別な日、節目となるような重要な日には、御扉を開けた上で家族全員で神棚にお参りするような事があっても良いと思います。

それが、冒頭で述べました「開けたままにしておくのが間違っているというわけではありませんが、原則としては、神棚の宮形の御扉は閉めておく」の意味です。

ちなみに、宮形の御扉を開けっ放しにしておくと、御扉の内部に埃が溜まったり、御神札が色褪せたり汚れてきたりする事もあるので、拝礼の対象となる御神札は常に清浄さを保つべきであるという点からも、やはり宮形の御扉は、通常は閉めておいた方がいいと思います。

(田頭)

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田頭田頭 2008/06/13 11:48 おふだのお祀りの仕方(神棚でのおふだの並べ方)については、平成17年10月4日付の記事『お札のお祀りの仕方』(下記URL)を御参照下さい。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20051004

また、神社での御神体の扱いについては、平成18年7月21日付の記事『御陵発掘調査と霊代拝観』(下記URL)の中の「公衆の霊代拝観」の項を御参照下さい。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20060721

だいすけだいすけ 2008/06/13 13:11 田頭様

11日のコメントでは文字化けに次ぐ文字化けで申し訳ありません。「まるいち」と「まるに」を入れたかったのです。

今日の記事の内容、実は私も疑問に思って色々と調べていた最中なので非常に興味深く拝見いたしました。

一般向けに書かれた神道の解説書には、7対3の割合で「御扉は閉める様に」と書かれています。しかし、地鎮祭や上棟祭でお世話になる神主さんに伺うと、8対2の割合で「御扉は開けておきましょう」と仰います。私見ですが、各國の一之宮以上のクラスの神社の神主さんは「閉めとく派」、その他の神社(特に神仏習合の色合いの強い神社)の神主さんは「開けとく派」が多いみたいです。

お宮の構造的な事から考えると御札の出し入れは、欄干と御扉のある前の壁ごと外して行う物が殆どで、御扉自体も欄干の付いた状態では開け閉め出来ない構造になっています。その様なことから御祀りの仕方は御扉を「ずっと開けておく」か「ずっと閉めておく」かの二者択一になるかと思います。

拙宅では御霊舎と一緒に御祀りしていますが、両方共御扉は「常時開けたまま」で御祀りしています。他にも瓶子、水玉、塩、米の並べ方等も諸説あり色々と気になる事は多いのですが、形に囚われる事の無い「敬神の心」が何よりも大事だと考えています。

田頭田頭 2008/06/13 15:42 >だいすけ様

宮形の御扉を常時開けておくように勧める神職もいるのですね。私の周りでは、宮形の御扉を「開けておいてもいいですよ」と言う神職はいますが(私もそのうちの一人です)、積極的に宮形の開扉を勧める神職はいないですね。これもやはり地域性による差なのでしょうか?
「7対3の割合」「8対2の割合」「一之宮以上のクラスの神職が閉めとく派」などについては、それらのデータの裏付けが確認できないので、私は何とも言えませんが、ただ米・酒・塩・水の並べ方については、神社本庁包括下の神社に於いては、原則としてその配置の仕方は統一されています。下記URLのページに掲載されている写真がその並べ方の実例です。

http://www.fumizuki.gr.jp/qa/qa_04.html

但し、神具店が発行しているカタログやパンフレットに掲載されている神棚の写真では、水器(水玉)が中央に置かれている事が多く(水器を中央に置くと各神具の配置が左右対称になるので見栄えは良いかもしれませんが)、また、教派神道系の教団では、その教団独自の並べ方を信者さんに指導している事もあります。

だいすけだいすけ 2008/06/13 17:43 田頭様

積極的に御扉の開扉を謳っている訳ではないのですが、東京・茨城・北海道・大阪の各神社庁のサイトに掲載されている神棚の写真は御扉が開いています。イラストでは、何方かが描かれた物を各神社庁が使い回ししている様でして、概ね御扉は閉っています。

神具店のカタログの写真では、略間違いなく水玉が中央に置かれていますね。矢張り見栄えが良いからなのでしょうね。

I 2008/06/14 02:14 どこなのかは忘れましたが、ネットで「宮形」や「神棚」で検索したときに、宮形の御扉を開けておくことが多いという地域があることを知りました。
お札を御神体の、宮形を神社のミニチュア版と考えるなら、閉めておくのが妥当なのでしょうね。お札を携帯する御守りのように見なすならば、御守りそのもの(外側の袋ですが)は見てはいいように、人目に晒してもいいのでしょうけれども。
宮形のお札を御神体と見なすか御守りと見なすか、どうなんでしょうね。

だいすけだいすけ 2008/06/14 04:35 田頭様・I様

江戸時代中期以降お伊勢様信仰が全国的に拡がった時に、御師が払い箱に入れて配った神札は、箱に入れたままかあるいは剥き出しで御祀りされていた様です。

それではあんまりだという事で都市部で神棚が「開発」されました。農村部では祭壇を設けて座して御詣りするスタイルが主流だった様ですので、やはり地域差はあるのでしょうね。

神棚は、立って御詣りしても不敬な感じがしない事から、短気で合理的な江戸っ子気質にピッタリだったんでしょうね。

だいすけだいすけ 2008/06/14 04:41 訂正

「払い箱」ではなくて、正しくは「祓箱」でした。

田頭田頭 2008/06/16 06:20 >だいすけ様

先日、北海道神社庁のサイトを製作している本人(某神社禰宜)に、「宮形の御扉を開けておくか否か訊かれた場合、私は、『開けたままにしておくのが間違っているという訳ではありませんが、原則としては閉めておくようにして下さい』と言うようにしているのですが、神社庁のHPに掲載されている宮形の写真は御扉が開いていますよね。あの写真では何で御扉が開いているのですか?」と電話をかけて訊いてみました。
すると、「知らん。俺はただ神社庁から提供された写真を載せているだけだから。でも、御扉について訊かれた時は、ウチでも基本的には西野さんと同じように答えている」と言われました。
そこで、その写真を提供した神社庁の某職員さんに直接尋ねてみる事にし、神社庁に電話をかけてみたのですが、生憎当人はお休みで、代わりに別の職員の方が、「その写真については私は知りませんが」と前置きした上で以下のように答えて下さいました。

「宮形の御扉を開扉するかどうかは、北海道内の神社でも、各神社によって見解はマチマチ。社殿の御扉に準じて閉じるべきである、と言う神職もいれば、社殿の御扉と宮形の御扉は同じではない、と言う神職もいる。しかしこれは、神道の教義としては統一できない事であり、明確な結論を出す事はできない。結局は当人の信仰の問題。だから神社庁でそういう問い合わせを受けた場合は、『どちらでも構わないです』『御扉を開けてお参りしたいのであれば、そのようにして下さい』というような回答をして、あえて明確な回答は避けている」との事。

そういえば、神棚のお祀りの仕方が紹介・解説されている神社本庁発行の各リーフレットなどを見ても、御神札の並べ方(神宮大麻、氏神様、その他の神社の順に並べる)や神棚をお祀りする方向(御神札を南もしくは東の方角に向ける)などは必ず記されていますが、なぜかどのリーフレットを見ても御扉を開けておくか否かについては触れられていません。これは、神社界でも見解が統一されていないので、あえて書くのを避けているのかもしれませんね。

ただ、神棚を設けてお参りする人にとっては、自分の拝む対象ははっきと見えていた方がいい、という気持ちはあると思いますし、何度も言っているように私としても(積極的に宮形の開扉は勧めないものの)それが間違っているとは思っていません。

田頭田頭 2008/06/16 06:21 >I様

宮形のお札を御神体と見なすか御守と見なすかと問われれば、勿論、実際にはそのどちらでもありませんが、あえて二者択一で答えるとすれば、御神体に近いような気がします。
ただIさんも仰っているように、御守の人目に触れる部分というはあくまでも外側の袋だけなので、御守であっても、その中身を人が見る事はありません。
最初から袋に入っていない、例えばキーホルダーやアクセサリーのような形をした御守はその限りではありませんが、巾着袋に入っている御守であれば、その中身はやはり「隠す」のが原則です。

タカタカ 2008/06/17 12:08 神棚の記事、興味深く拝見しました。

そういわれて見ますと、私の自宅の神棚は神宮大麻をお祭りして
御扉は開けっ放しにしています。

仏具店のパンフレットや神社でいただくパンフの写真には、
確かに神棚の御扉が開かれていて、中央に神宮大麻が祭られている
写真がありますが、あれはてっきり「神宮大麻はこのように祭るんだよ」という意味で御札の飾り方を分かりやすく見せるために、あえて開けっ放しにしているのかと思っていました。

御扉を閉める開けるというのは神道では重要な意義があるんでしょうけども、そのへんを厳格に議論しないのもまた神道らしいのかな
なんて思ったりもしています。

乱文失礼しました。

田頭田頭 2008/06/17 18:40 >タカ様

『仏具店のパンフレットや神社でいただくパンフの写真には、確かに神棚の御扉が開かれていて、中央に神宮大麻が祭られている写真がありますが、あれはてっきり「神宮大麻はこのように祭るんだよ」という意味で御札の飾り方を分かりやすく見せるために、あえて開けっ放しにしているのかと思っていました』とありますが、私は今でもそのように思っています。

つまり私は、パンフレット等の写真で宮形の御扉が開いているのは、あくまでも大麻や氏神様の御神札を宮形のどの位置に納めるかを示すための方便であると考えており、ですから、宮形の御扉を開けたままにしておくか否か訊かれた場合は、私としては今まで同様、今後も、「開けたままでも別に構わないのですが、原則としては、閉めておいて下さい」と答えさせて頂きます。

ただ、タカさんも『そのへんを厳格に議論しないのもまた神道らしいのかななんて思ったりもしています』と仰っているように、私としてもこの件については「開ける」か「閉めるか」を厳格に統一をする必要はないと思っています。結局は当人の信仰の問題であり、一番重要なのは「形」ではなくあくまでも「心」なのですから。

まさかずまさかず 2008/06/21 02:09 この事も神職によっても見解が分かれますよね。信徒宅には普段の時には閉扉の状態で、その地域の氏神様の祭典日には開扉して拝礼するように指導しています。また神饌の配置も神棚のスペースを考慮して、もちろん正式な基本を踏まえ、柔軟に対応するように教えておげてます。
大神様は、人間の清き赤き真心を持って奉仕する姿をお喜びになるでしょう。

田頭田頭 2008/06/23 06:36 >まさかず様

仰る通り、この件は神職によって見事に見解が分かれますね。
でも、この件についてはまさかずさんは私と全く同じ見解のようなので、ちょっと安心しました(笑)。

田中田中 2008/07/04 01:57 ご神札のことでお聞きしたいのですが、昇殿祈祷の際いただける祈祷札とご神札は同じものなのでしょうか?
また、大祓いの際いただけるお札(ご神札のような)は神札と同じと考えてよいのでしょうか?
どうかお教えください。

田頭田頭 2008/07/05 13:14 >田中様

御祈祷を受けた際に神社から授与される祈祷札(○○祈願、○○祈祷神璽、○○祈祷大麻などと記されているお札)と、宮形の中にお祀りする御神札(単に神社もしくは御祭神の名だけが記されているもの)は、同じものではありません。
厳密にはちょっと違いますが、一言で簡単に言うと、御祈祷のお札はその御祈祷(願意)の御神威が宿っているものであり、宮形に納めるお札はその神社の御祭神の御分霊が宿られているものです。

大祓の神事で授与されるお札は、このうちのどちらかに分類するとすれば前者に含まれるものですから、(神棚にお祀りするのは勿論構いませんが)原則として宮形の御扉の中にお祀りするものではありません。
ただ、当社では夏越の大祓ではお札は授与しておりませんから、大祓のお札についての詳しい事は、そのお札を頂いた神社に直接訊かれるのが良いと思います。

田中田中 2008/07/06 01:45 田頭さまお返事ありがとうございます。
同じお札でもいろいろ複雑のですね・・・。
やはり、神札だけでの祈願よりも昇殿参拝したほうが丁寧な祈願といえるのでしょうか?
どうかお教えください。

田頭田頭 2008/07/06 13:34 >田中様

「丁寧な祈願」か否かと問われれば、やはり、昇殿して御祈祷を受けられた方が、昇殿しないよりは神様に対して丁寧である事には違いありません。
しかし、昇殿しないからといって、それが所謂「失礼」に当るというような事はないでしょう。

昇殿して御祈祷を受けなければ失礼であるというならば、御祈祷を受けないでただお守りだけを受ける方や、お守りも受けずに賽銭箱の前でただ拝礼だけして帰られる方は、いずれも失礼な事をしているという事になってしまいます(勿論そんな事はありません)。

田中田中 2008/07/12 12:45 なるほど・・・別に無理に昇殿参拝はしないでも願掛けはできるということですね。
安心いたしました。お答えいただきありがとうございます。

田頭田頭 2011/11/15 14:17 今月(平成23年11月)、月刊「若木」と共に神社本庁から送られてきた、つい最近発行されたばかりであろう新しい教化リーフレット「暮らしに生きる神道 お神札と神棚のまつり方」には、神棚の御扉については「扉を閉める」と書かれていました。本庁発行の広報物で、この件についてここまではっきりと断言しているものは初めてみました。
更に、「扉は年末またはお正月に新しいお神札と取り替えるまでは基本的に閉めたままでようでしょう」とも補足されています。