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西野神社 社務日誌

2008-10-22 神社庁包括下の神社は存在しません

「あの神社は神社庁に加盟している」とか「あそこは神社庁に入っていない単立の神社だ」といった言い方をする人がたまにいます。神社によく出入りしている人でも(時には神職でさえも)勘違いをされている方が少なくないのですが、実はこういった言い方は(実際上はともかく法解釈上は)正しくありません。なぜなら、神社庁に加盟している(包括されている)神社など、そもそも最初から存在していないからです。勿論、西野神社も神社庁の包括下ではありません。

どういう事かというと、例えば、「宗教法人西野神社規則」の第四条には『本神社を包括する宗教団体は、宗教法人「神社本庁」とする』という規定があり、西野神社は神社本庁の包括下にある事が神社規則により明確に定められています。これは、西野神社が神社本庁に加盟している根拠となっている重要な条文です。しかし、この神社規則の中には、西野神社が神社本庁以外の団体にも被包されている事を示す条文は一切ありません。つまり、西野神社はあくまでも「宗教法人神社本庁」と包括・被包括の関係を設定しているのであって、「宗教法人北海道神社庁」とは、何らの包括・被包括の関係にはないという事です。ちなみに、「神社本庁と神社庁って何が違うの?」という方は、平成17年8月5日付の記事「神社本庁」と翌18年6月25日付の記事「神社庁」をそれぞれお読み下さい。

そして、この事(神社本庁の包括下にはあるが神社庁の包括下にはないという事)は何も西野神社に限っての話ではなく、神社本庁の包括下にある全国全ての神社に共通している事です。なぜなら、宗教法人法の第二条では宗教団体の定義を以下のように定めているからです。『この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。 一、礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体。 二、前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道院、司教区その他これらに類する団体。

これはどういう事かというと、第一項でいう団体(礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体)を単位団体、第ニ項でいう団体(前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道院、司教区その他これらに類する団体)を包括団体とすると、『単位団体にあっては礼拝の施設を備える事を要し、包括団体にあっては、必ずしも礼拝の施設を備えることは要しないが、単位団体を包括する事を要する。従って、包括団体のみを更に包括する上位の包括団体のような団体は宗教団体に該当しない』という意味です。

つまり、宗教法人法では、宗教団体(例えば神社本庁)の包括下にある宗教団体(例えば北海道神社庁)の更に包括下になる事は禁じられているという事であり、神社本庁の包括下にある神社庁が他の法人(神社)を包括する事はできないのです。ですから、もし「ウチの神社は神社規則により○○県神社庁の包括下にあります」という神社があったとしたら(ないはずですが)、その時点でその神社は宗教法人法の規程に反している事になるのです。

このように、「神社本庁に包括されている」という言い方と、「神社庁に包括されている」という言い方は、神社関係者同士の会話の中で使われる分には実際上の意味に相違はなくても、宗教法人法の立場からは全く意味が異なるので注意が必要です。

では、神社庁と神社はどういった関係にあるのかというと、現実には、神社庁と神社の間には、仏教本山と末寺の間のような明確な上下関係はないものの、緩やかな縦の関係は厳然としてあります(但しここでいう縦の関係とは、あくまでも法人としての事務レベルの話であり、御祭神の序列や御神徳など信仰的な事柄とは全く関係ありません)。例えば、神社本庁から各神社へ通達などが出される時は、その通達は「神社本庁→神社庁→支部→神社」の順に下降していきますし、逆に神社が本庁に対して何らかの申請をする時は、これとは全く逆の順(神社→支部→神社庁→神社本庁)に上申していく事になります。それが皆無とは言いませんが、間に神社庁を置かずに本庁と各神社が直接各種の事務手続きのやり取りをする事は、原則としてありません。

ですから、組織の実態としては、神社本庁・神社庁・神社の間にはやはり序列があります。しかし、今まで述べてきたように少なくとも建前としては(宗教法人法の立場・解釈からは)、各神社庁と各神社との間には何らの上下関係も存在せず、同じ「神社本庁の包括下にある一宗教法人」として、各神社庁と各神社は全く同格の法人なのです。

実は、全国の神社が本宗と仰ぐ伊勢の神宮でさえも、信仰上の尊貴という点では勿論他に比類のない至上のお宮なのですが、少なくとも一宗教法人としては、他の神社や各神社庁と全く同格です。宗教法人法は伊勢の神宮だけを他の宗教法人に比べて特別に優遇するとはしていませんし、また、神社本庁憲章の第二条では『神社本庁は、神宮を本宗と仰ぎ、奉賛の誠を捧げる』と、神社本庁庁規の第七十三条では『伊勢の神宮は、本庁の本宗として奉戴する』とそれぞれ規定されていますが、「奉賛の誠」「本宗として奉戴」という言葉に示されているように、これらの条文はあくまでも崇敬の念についてだけ述べているものであり、神宮が法人として他の神社よりも優遇されるべき事が示されている訳ではないのです。

ですから、組織としての規模・崇敬者の数・歴史や伝統などから、社会的な地位や立場、影響力、ネームバリューなどは勿論個々の神社に当然差があり、一律ではありませんが、少なくとも法人としては、職員を何十人も抱えているような大きな神社も、神職が常駐していない祠のような小さな神社も、宗教法人としてはその立場は何ら変らず、あくまでも同格なのです(戦前は神社のランクを示す「社格」という制度があり、各神社の扱いに差が付けられていましたが、これも「法人」としての神社に着目した制度ではありません)。

以上の概念を(かなり簡略化していますが)分かりやすく図示すると、概ね以下のようになります。ちなみに、以下の図で示されている「神宮」とは、俗に“伊勢の神宮”と称される「宗教法人神宮」の事です。北海道神宮熱田神宮平安神宮、その他の神宮号を持つ神社は、以下の図では全て「各神社」に含まれます。

組織概念図

上の右側の「宗教法人法の概念図」では、左側の「実際の組織概念図」にある「支部」がありませんが、これはなぜかというと、支部は、神社庁や神社のように法人格を持っていないため、宗教法人法では無視される事になるからです(大半の神社庁は宗教法人ですが、一部にある、法人格を取得していない神社庁も、やはり宗教法人法では無視されます)。

ちなみに、神宮司庁は「庁」という文字を使ってはいますが、あくまでも「神宮」一社の事務を統括する部署(一般の神社でいう社務所に相当する機関)であり、神社庁とはその役割や立場は異なります。神宮は三重県伊勢市に鎮座しておりますが、神宮に関しての事務はあくまでも神宮司庁が掌握しており、三重県神社庁は神宮の事務には基本的には関わってはいないという事です。

なお、平成20年10月現在、東京都神社庁HPトップページには、『東京都神社庁は、東京都内にある1,398の神社を包括している組織です』と記されており、また、北海道神社HPの「神社庁とは?」というページには、『現在、道内の神社約600社が加盟しており、全道の神社神道系宗教法人の約8割を包括しています』と記されており、「包括」や「加盟」という言葉が使われていますが、以上で詳しく解説させて頂いたように、実はこの書き方は正確ではありません。では、HPではなぜあえてこのような書き方をしているのかというと、神社庁がどのような団体であるのかを全く理解されていない方や、名称に「庁」という語が入る事から神社庁を官公庁のひとつと勘違いされている方も現実には少なくないため、神社庁の役割を一般の人々にも分かりやすく伝えるという趣旨から、便宜的にこのような書き方をしているのだと思われます。

ちなみに、京都府神社庁HPの「神社庁について」というページには、『京都府神社庁は、天照皇大神を奉斎し、礼拝の施設を備え、神社神道を宣布し、祭祀を執行し、其の道を信奉する者を教化育成し、併せて府内に所在する神社の興隆を図るために必要な諸方策を実践し、その他本神社庁の目的を達成するための財産管理その他の業務及び事業並びに、統理の指揮を受けて神社本庁の事務を行うことを目的としています』と記されており、また、愛知県神社庁HPの「神社庁の紹介」というページには、『神社庁は伊勢の神宮を本宗と仰ぐ、全国約80,000社の神社を包括する宗教団体である神社本庁の地方機関で、各都道府県に置かれています。愛知県神社庁は33の支部に分かれ、県内3,313社の、神社の伝統を重んじた祭祀の振興、神社や神職の指導など、神社に関わる事務をとるほか、地域活動の振興を推し進める仕事をしています。(中略)神社庁は神社活動PRの窓口です』と記されておりますが、神社庁の説明としては、これらはかなり正確な書き方であろうと思います。

ところで、浄土真宗本願寺派(俗に言う西本願寺)では現在、包括団体としての本願寺派と、単位団体としての本山本願寺との関係を今後どうすべきであるか、という事が議論されており、これは神社界に置き換えていうと、包括団体である神社本庁と、信仰の上では本宗でありながら宗教法人法の解釈では一単位団体である神宮との関係に当たる事から、他所の教団の事ながら私も関心を持っています。

この件について少し詳しく書くと、宗派と本山本願寺はあくまでも別々の宗教法人なのですが、宗派の総長は本願寺の執行長を、宗派の総務は本願寺の執行を兼務しており、また本願寺の予算も宗派の宗会で審議されるなど、実質的には宗派と本願寺は一体的な組織運営が行われています。しかし、宗派の財政が別法人である本願寺からの回金制度により支えられている事、宗派の宗会が本願寺の予算など重要事項の審議権を有している事、「宗教法人本願寺寺法」の変更など本願寺の重要事項の決定には宗派の宗会の承認が必要な事などには、「法的に問題がある」との指摘もあり、また宗派の総局が交代した場合には本願寺の執行長、執行など重要な人事にも影響が及ぶ事にも問題があると指摘されています。

そもそも、宗教法人法では、本願寺と一般寺院は共に宗派に包括される被包括法人として並列的に位置付けられているのですが、それはあくまでも法律上の位置付けに過ぎず、宗教的・歴史的に見れば本願寺と一般寺院は所謂“本末関係”にあり、本願寺の法律上の地位と、実態としての本願寺との間には明らかな溝が生じています。本願寺派が、本山本願寺と門主を中心とした宗門である事は多くの宗門人が実感している所でありう、またそうあるべきとの思いを抱いているからです。

こういった事を踏まえ、今年に入ってから宗務所で定期的に開かれている宗門基本法規制定調査会では、宗派と本願寺との関係を中心に審議が行われており、現在は以下の4案が提示されているそうです。 (1)本願寺を中心として宗派と本願寺を一体化する (2)宗教法人本願寺を解散し、宗派を中心として両者を一体化する (3)現行体制通りに宗派と本願寺は別個の宗教法人とするが、その運営は一体的に行う (4)宗派と本願寺は別々の宗教法人とし、それぞれの独立性、区別、役割を明確にした上で協力体制を築いていく。

検討の結果、調査会ではとりあえず(1)と(4)の案をベースとする事にしましたが、しかし、単位法人である本願寺が包括法人の宗派を包括する事には無理があるとして(1)の案には所轄庁の京都府が難色を示しており、また、形としては(2)の案の復活となる「境内はそのままにして本願寺を解散して本願寺教団のような包括法人として、ここに宗派を包括する」という、委員の一人が提案して議論に一石を投じた案も、実態としての本願寺に変更はなくても法人としての本願寺を解散するという考えには他の委員達の抵抗感が強く、このため、今後は(4)をベースとして議論が進んでいく事になると思われます。

こういった議論は他の宗教団体でも今後十分に起り得る事なので、この件については、私としては今後も注目をしていこうと思っています。

(田頭)

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田頭田頭 2008/10/23 20:31 今日の記事を書くに当たっては、某神社庁(北海道ではありません)の参事さんに直接電話をして質問等をさせて頂きました。N参事さん、御多忙の所丁寧に答えて下さり、どうもありがとうございました。

keinoheartkeinoheart 2008/10/27 20:47 こんばんは!(* ^ー゜)ノ-☆
初めて知りました。神社本庁の下に神宮から各神社庁、普通の神社まで包括されるということなんですね?宗教法人法って規制がいろいろとあるんですね。浄土真宗にもそういう面倒が起きているのも元はといえば法人の型に無理やり合わせようとしているからですよね。
私からすれば、中の組織図は自由にしても良いと思うんですけど、でも宗教法人は最低でも100年以上の歴史があるところにしか、法人を認めるべきではないと思っています。インチキ教祖が生きている内に、変なカルトがバァーって増えないようにする為(笑)これなら古来よりの神道と仏教、後は外来のキリスト教と少数宗派ぐらいしか生き残れないだろうから。

田頭田頭 2008/10/30 14:27 >keinoheart様

こんにちは。
宗教団体が法人格を取得する最大のメリットは、その宗教団体の名で財産を所有し維持・管理する事ができるようになる事で、逆にいうと、この点にそれ程のメリットが感じられない場合は、無理に宗教法人になる必要はないといえます。
しかし現実には、法人格を取得する事は「社会的に認知された」という一種の承認もしくはステイタスであると感じている人もいるようで、そのため、宗教団体には相応しくない怪しい団体が法人格を取得すると、それによってその団体への信用度が高まり、結果的にその団体に騙される被害者が増えるという事態も少なからず起こっています。
そういった経緯もあって、近年、宗教団体の法人格取得は規制される方向で進んでいるのでしょうね。

山田光造山田光造 2014/08/16 17:05 詳しく説明ありがとうございます。この頃、神主様への不信感が頂点に位置しています。願わくば冠をお取り願いたいと思います。いずこの神主様も同じでしょうか。悲しい事ですね。山田光造・ブログ本人です。時間を有り難うございます。

田頭田頭 2014/08/28 13:51 >山田光造様

こんにちは。返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
この記事は今から6年前にアップした古い記事ですが、少しでも参考になったのであれば幸いです。

浅学菲才の身故、恥ずかしながら「願わくば冠をお取り願いたいと思います」という言い回しの意味が分かりません。諺でしょうか?

立山立山 2018/01/04 14:06 神社を勉強しているのですがここまで深く説明してある記事はなかなかありませんので勉強になりました。
私も神社本庁があり、各神社庁があり、その下に神社庁所属神社があるという構造かと思っていました。
神社界は古い体質なのか、例え法律で定められていても戦後に作られた法律に反抗しているといいますか、名目上は現在で実際は戦前の体制のように感じています。

最近疑問に思うことは、冨岡八幡の神社庁離脱を始め、単立になる神社は神社庁となにか対立した場合もあると思います。
そもそも現実は各神社は神社庁の言うことを聞かなければいけないものなのでしょうか。
崇敬者としても、神社が神社庁での立場を良くするのに必死で神社の存在意義というものは眼中にないように思えるのです。神様には人間の存在は必要ないものかもしれませんが、私たちにとりまして、氏神様は大切な存在で私たちの神様という認識をしています。
最近では神社の境内で憲法改正の旗を掲げたりしているようです。それに対して私の賛否は言いませんが、
神社とは何なのだろうか…と考えてしまいます。
参拝し、時にお祭りに参加し、人生に寄り添っている神社が神社庁、神政連の方針だからと…

もちろん、神社本庁があり今の神社が守られたのだとは思いますが
最近じゃ腑に落ちなくて単立の神社にばかりお詣り行くようになりました。宗教法人が違うのだからキリスト教と仏教みたいに別物かと思うのですが、「神社」ですし御祭神が一緒だったりすると単立の神社にも何かしら介入しているのでしょうか…

iyokaniyokan 2018/01/08 01:19 >立山様

はじめまして。

祭政一致の時代を別にすれば、戦後は神社が最も自立的に運営されている時代です。江戸時代までは様々な面を仏教寺院に頼りがちであり、近代は近代で国家の強い管理を受けました。それが何もないところに放り出されたのです。この状況に対応するための互助組織が神社本庁なのだと思います。

出雲大社ほどの大神社なら単独で後継者を育成し祭祀を伝えていくことも可能でしょうが、一般的な神社では困難です。一握りの神社が全国に布教して信者を集めるので良ければ統一組織は要らないでしょうし、そうした信仰も「講」という形で歴史的に行われてはいましたが、やはり地域社会に根差した崇敬が本流でしょう。

伝統的な崇敬のあり方は守りたい、しかし神社本庁のような組織は嫌だとなると、あとは仏教に従属する形での神仏習合を復活させるしかないと思いますがいかがでしょうか。

田頭田頭 2018/02/07 15:18 >立山様

返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。
10年近くも前にアップした古い記事ですが、コメントを付けて下さり、ありがとうございます。
以下に、私の回答を記させて頂きます。参考になれば幸いです。


【単立になる神社は神社庁となにか対立した場合もあると思います】

仰るように、対立した結果として、神社本庁を離脱する神社もあるでしょうし、特に対立はしていなくても、その神社の内部事情により神社本庁を離脱する事もあるでしょう。離脱の理由や経緯は、決して一元的ではなく、それぞれです。
本庁から離脱して一旦単立になった後で、再び本庁に復帰するといった事例も、多くはありませんがたまに見受けられます(近年でいえば、明治神宮がそうです)。


【現実は各神社は神社庁の言うことを聞かなければいけないものなのでしょうか】

少なくとも建前としては、神社庁は各神社に対して命令する立場にはありません。神社庁と神社の関係は、本社と支社、上司と部下のような上下関係ではありませんから。
しかし時には、少なくとも外部から見ると、神社本庁もしくは神社庁が、本庁包括下の一部の神社に対して強権を振るっているかのような誤解を招きかねない事例はあったかもしれません。
ただ、そういった場合も、神社本庁もしくは神社庁の側に問題がある場合と、そうでなく神社の側に問題のある場合があるでしょうから、どちらに否があるかはケースバイケースで判断しなければならないと思います。
神社の側に問題があった場合は、本庁が積極的に介入してくれたおかげで事態が好転した、問題が解決した、という事だって有り得るでしょうから。勿論、それとは逆のパターン、つまり、本庁が介入したおかげで、事態がより複雑化・悪化した、という事だって可能性としては起こり得ますが…。


【崇敬者としても、神社が神社庁での立場を良くするのに必死で神社の存在意義というものは眼中にないように思えるのです】

なかにはそういった神社もあるとは思いますが、そうではない神社も、沢山あります。
本庁・神社庁・支部・神青協・神政連などの活動には全く参加も協力もしない神職も沢山いますし、神職身分の昇級などにも何の関心も無い神職、生涯末端の一神職であり続けたいと思っている神職も、全国には沢山います。
私自身も、神社庁での立場を良くしたい、などという思いは全くありません(笑)。


【最近では神社の境内で憲法改正の旗を掲げたりしているようです】

そういった政治的な活動に対しては、違和感を感じている神職・氏子・崇敬者も少なくはないと思います。
私も、活動内容の程度にもよりますが、神社・仏閣・教会等の宗教施設で、露骨に政治的な活動を行う事に対しては、少なからず違和感を感じます、宗教者としてもっと他に優先すべき事があるのではないか、と。
ただ、特定の寺院や、一部の教会などでは、逆に「憲法改悪反対」などの旗を掲げた活動をしていたりするので、結局は主張している意見が違うだけで、政治的な活動を行っているのは何も神社だけに限った事ではないとも思いますが。


【最近じゃ腑に落ちなくて単立の神社にばかりお詣り行くようになりました】

神社本庁の包括下であるか、もしくは単立であるか、というのは、所詮は“俗世間での話”であり、神様か見られた場合は全くどうでもよい事であり、個人の信仰とは全く別の問題、と私は理解しています。
ですから、神社本庁包括下の神社ばかりをお参りしてあえて単立の神社にお参りするのを避ける、というのはどうかと思いますが、同じように、単立の神社ばかりをお参りしてあえて本庁包括下の神社にお参りするのを避ける、というのも、やはりどうかとは思います。
お参りする神社の所属先について、そこまで頑なに拘る必要はないのではないでしょうか。


【宗教法人が違うのだからキリスト教と仏教みたいに別物かと思うのですが】

一般には、神社本庁包括下の神社も、単立の神社も、教派神道系の一部の神社を除くと「神社神道」という同一宗教に分類されます。キリスト教と仏教みたいに別物、と言い切ってしまうのは、さすがにちょっと違うかもしれません。


【単立の神社にも何かしら介入しているのでしょうか】

かつての先輩と後輩、かつての上司と部下などの、個人的な人間関係から、本庁や神社庁の役員・職員等が単立の神社の宮司さんなどに対して何らかの要請をしたり協力をお願いするといった事は、もしかするとあるかもしれませんが(別にそういった事例があった事を確認したわけではなく、あくまでも私の推測ですが)、少なくとも、神社本庁としての公式の立場から、単立の神社に対して何らかの介入をするという事は、まず無いでしょう。
神社本庁と靖國神社の関係などごく一部の例外を除くと、そもそも介入するも何も、本庁と単立の神社には接点がありませんから。