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西野神社 社務日誌

2011-11-02 伊勢の神宮のおふだを大麻と呼ぶ理由

神宮大麻

平成20年12月13日付の記事今年8月10日付の記事などでも紹介させて頂きましたが、三重県伊勢市に鎮座する「神宮」(所謂伊勢神宮)のおふだの事、一般には、その神宮を構成する125のお宮の中でも特に最も尊いお宮とされる皇大神宮(内宮)のおふだの事を、「神宮大麻(じんぐうたいま)、もしくは単に「大麻(たいま)」と云います。

しかし、神社関係者にとっては当たり前の事でも、どうして伊勢の神宮のおふだの事を「たいま」と呼ぶのか、その理由は、一般にはあまり知られていません。というよりも、そもそも大麻という言葉自体、神社関係者以外には周知されるに至っておらず、一般の人は大麻と聞くと、ほとんどの場合、神宮大麻ではなく薬物の大麻のほうを連想するのではないでしょうか。そういった事情から、私達神職(但しこれはあくまでも当社の場合であり、他所の神社でもこれと同一であるとは限りません)が「大麻」という言葉を使う場合、実はそのほとんどは神職同士もしくは関係者同士の会話に於いてであり、氏子さん、崇敬者、神社にお参りに来られた方々に対して言う場合、大抵は大麻という言葉は使わず、「お伊勢様」「天照(あまてらす)様」「伊勢神宮のおふだ」などと、判り易い別の言葉にあえて言い換えている事が多いのが実態です。

ちなみに、札幌では、神宮大麻の事を「神宮のおふだ」とはあまり言いません。札幌市内には北海道神宮という、神宮号を有するお宮が鎮座しているため、氏子・崇敬者の方が市内の各神社におふだを求めに来て「神宮のおふだを下さい」と言う場合、伊勢の神宮のおふだではなく北海道神宮のおふだのほうを指している事も多く、そういった事情から、混同を避けるために神社側としては神宮大麻の事をあえて「神宮のおふだ」とはあまり言わないのです。

では、なぜ伊勢の神宮のおふだの事を大麻と云うのでしょうか。その理由を求めると、平安時代末期にまで遡る事ができます。平安時代末期から江戸時代にかけて、伊勢には御師(おんし)と呼ばれる、参詣者を伊勢の神宮へと案内し、参詣者の参拝・宿泊などの世話をする人達がいました。御師は神宮に仕える祀官で、伊勢の地で諸国からやって来た参詣者の世話をするだけでなく、神宮の御神徳を広めるため自ら全国各地にも赴き、崇敬者の家を一軒づつ訪問するといった教化活動も行っていました。元々神宮は私幣禁断(個人的な祈願を受けない)のお宮でしたが、諸国を巡った御師の活躍によって、広く一般の崇敬を集めていったのです。

そして御師は、「檀那(だんな)」と呼ばれる崇敬者の家を訪ねる度に、幾度となく祓詞を唱えると清めの力が増すという数祓(かずはらい)の信仰に基づく「千度祓」や「万度祓」といったお祓いの御祈祷を行い、その際には、祓串(はらいぐし)を納めた箱などを檀那に持って行きました。この場合の祓串というのは、神社でお祓いを行う際に今でも使われる大麻(おおぬさ)を小型化した祓いの具のようなもので、その祓串を納めた箱が所謂「お祓い箱」で、これと共に、小さな祓串を剣先形に紙で包んだ「剣先祓い」も広く頒布されました。これは「御祓(おはらい)大麻」とか「お祓いさん」とも呼ばれ、今日の神宮大麻の原型になったと云われています。

明治4年、神宮に関する制度が一新されて、御師による祈祷・神楽・配札は全て停止され、翌年、明治天皇の思し召しにより、神宮司庁から神宮大麻が奉製・頒布される運びとなって全国に神宮大麻が頒布されるようになり、ほぼ現在の形になりました。ですから、伊勢の神宮のおふだの事を「大麻(たいま)」と呼ぶのは、祓いの具である「大麻(おおぬさ)」からきたものであり、本来は御師がお祓いを修した験(しるし)の祓串であったからなのです。ちなみに、伊勢の神宮以外の神社で、その神社で頒布しているおふだの事を「神社大麻」もしくは「大麻」と称している例が見受けられますが、これは伊勢の神宮の例に倣った呼び方です。

(田頭)

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