Hatena::ブログ(Diary)

西野神社 社務日誌

2013-05-03 宗教者としての聖と俗のバランス

私は、神職になってからのこの9年間で、多分40〜50件くらいは、将来神職になりたいという希望を持っておられる方々の相談に応じてきました。
このブログでは過去に何度か、階位(神職の資格)取得の方法や、神職養成機関についての記事をアップしているため、それらの情報を求めてネット検索をしているとこのブログの当該記事がヒットし、そのため、このブログの管理人である私に、ブログのコメント欄西野神社公式サイト内の掲示板、神社へのメール等で、階位や奉職に関しての質問をしたり、あるいは、直接私から話を聞きに当社まで来られる、という事例が、年に数件はあるのです。

神職の子弟の場合は、階位を取得する伝手は大抵あるので、私が相談を受けた人達の9割以上は、社家(神職を世襲している家)の出身ではない、所謂一般家庭出身の人達でした。
ただ、私自身が一般家庭の出身なのでよく分かるのですが、一般家庭の出身で神職になる事を志す人は、概ね、神職というものに対して想い描く理想が高過ぎる傾向にあります。

自分がこれからなろうとしている神職に対して、理想が高いという事自体は、別に何ら悪い事ではありません。
ただ、神職養成機関に入学して神社で神務実習をするようになってから、もしくは、神職養成機関を卒業して神社への奉職を果たし現職の神職になってから、理想と現実とのギャップに勝手に落胆して、周囲と衝突したり、孤立したりするなどして、この世界から去っていってしまうといった事例を、残念な事に私は今まで何度も見てきました。

神職に限らず宗教者に憧れる人達は、宗教者に対して、厳しい求道者というイメージ(例えば、深山幽谷に籠って滝に打たれるなどの苦行をしたり、質素なものだけを食して清貧な生活を貫いたり、只管一心に祝詞もしくはお経を書いたりするなどのイメージ)を持っておられる方が多いように感じられます。
また、山間の草庵のような場所で一人静かに神仏に祈りを捧げたり、あるいは、大勢の信者や崇敬者の前で派手に加持や祈祷を修する、といったイメージを持っておられる方も少なくはないようです。

それはそれで間違っている訳ではないのですが、ただ、そういった求道者タイプ、あるいはスピリチュアルタイプを目指す宗教者は、勿論一概にはそう言えませんが、信仰が自己完結的・オタク的である事が多く、社会や他者と深く関わる事でこそ機能する宗教者本来の役割を果たし切れず、例えば、宗教法人である以上当然必要な神社仏閣教会等の経営やその財産管理、宗教法人の代表役員(神社の場合であれば宮司)やそれに準じる立場として登記をしたり対外的な契約を締結するなどの実務、神社仏閣教会等を日頃から支えて下さる氏子・檀家・崇敬者・信者さん達とプライベートでも親しく交流したり時には彼らと一緒にお酒を酌み交わしたりする事など、そういった「俗」の部分に、どうしても世俗的ないやらしさを感じてしまい、「こんなの、自分が想い描いていた理想とは違う!」と失望し、その結果、性急な改革を行なおうとして周りと摩擦を起したり、途中で見限るなどして、志を持って入ったはずのこの世界から去ってしまう、という事例が意外と少なくはないのです。
また、神職・僧侶等が一人もしくは数人程度しか常駐していない社寺では、その少人数でほぼ全ての事を行なわなければならないため、どうしても実務や雑務に追われてしまい、本来最優先すべき神事・仏事等への事前の準備が必ずしも万全では無くなるという事も時には起こり得ますが、それを許容する事ができず、あくまでも神事・仏事を最優先し(宗教者としてはその姿勢はむしろ正しいのですが)、その結果、社寺を支えて下さる周囲の方々と関係が円滑に行かなくなるという事もあります。

伝統仏教教団のある宗派では僧侶を公募して養成しており、また、あるプロテスタント系のキリスト教団でも社会経験のある人を牧師として養成しており、このように近年は、閉鎖的になりがちな宗教団体に外部から社会経験のある人材を求めるという動きが見られますが、現状としては、そういった人達の社会経験が宗教者になってからそのまま活かされるという事例は、やはりあまり多くはないようで、宗派や教団が育成したいと思っているタイプの宗教者(その地域に根ざした宗教者、ボランティアリーダー的な立場の宗教者、寺院や教会等の経営者としての宗教者)と、外部から高い理想を抱いて入ってきた宗教者(静かな環境で一人で黙々と勉強や修行をしていたい求道者タイプの宗教者)との間に、少なからずギャップがある事は否定できません。

勿論、だからといって私は何も、宗教者はもっと「俗」的な存在であるべきだ、などと声高に主張している訳ではありません。宗教者である以上、言うまでもなく「聖」の部分は絶対に必要であり、神仏に仕える身としてこの世界に入った以上、「我々だって俗世間に生きる普通の人間さ」と開き直って宗教者にあるまじき行動に走ってしまうような事は許されません。
神職がそのような行動に走ってしまっては、神社本庁が「敬神生活の綱領」で“神職のあるべき姿”として謳っている「神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと」や「世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと」は到底叶いませんし、そもそも、余りにも俗物過ぎる神職は、氏子・崇敬者や世間一般からも信頼も失ってしまいます。やはり、不断の反省と欠かす事のない真摯な祈りこそが、宗教者の日常であるべきなのです。

しかし、だからといって私達宗教者は、「聖」を重視する余り、世俗間との縁を断絶する事はできませんし、そもそも、断絶する必要もありません。
宗教者は、「俗」である社会と深く関わりながら、その上で、確固とした信仰心を元に、自分の時間を惜しんで積極的に宗教活動を行ったり、本来の宗教活動に付随して医療・教育・保育・教誨等の活動にも関わる事で、人様の役に立ったり、様々な人達の生活向上や福祉に貢献するという役割を社会から期待されているからです。
つまり、宗教者にとっては、「聖」と「俗」のバランスをいかに上手に保てるか、という事が極めて重要なのです。

神仏に仕える者として、時には、周りから「あの人ってちょっと浮世離れしている」と揶揄される程のストイックな生活や態度をしなければならない事や、自らに厳しい修行や斎戒を課す事なども必要にはなってきますが、しかし、カトリックやオーソドックスの観想修道会(原則として一生修道院から出ずに、そこで祈り・観想・労働の生活を送る修道会)に入るような場合は別かもしれませんがそういう特殊な例外を除けば、「聖」の部分だけでは宗教者としては機能しませんし、「聖」の部分を強調するだけでは、かえって社会と対立する事態になる事すら有り得ます。反対に、「俗」の部分しかない宗教者も、やはり宗教者には成りえません。
「聖」と「俗」、その両方のバランス感覚がとても重要であるという事は、この世界に入るに当って志が高過ぎる方には、是非予め御理解戴きたいなと思います。


平成24年 秋季例祭

▲ 神職としての「聖」(公的)の姿。 昨年9月に斎行された西野神社例祭の折に撮影された私と越川権禰宜。神明奉仕をしている時は常に、揺ぎ無い信仰心(この写真に写っている幟に書かれている「敬神崇祖」の念)と適度な緊張感、そして、大神様に対しての感謝と畏れの念を持って奉仕させて頂いております。


平成24年12月 某忘年会にて

▲ プライベートでの「俗」の姿。 昨年12月に豊平区某沖縄料理店で開催された忘年会で撮影された私と越川権禰宜。個人的な友達とお酒を飲んで楽しく語り合っている時や、家族もしくは恋人と一緒に過ごしている時など、完全にプライベートな時間まで、自分の「俗」な部分を押し隠して、「自分は聖職者である」という神職としての自覚を常に前面に出し続けなければならない、なんて事は勿論ありません。


(田頭)

人気blogランキングへ

渡辺渡辺 2013/05/05 22:16 一般家庭出身の正階取得者です。こちらではいつも勉強させていただきお世話になっています。ありがとうございます。私も神職課程を通して「聖」と「俗」とのバランスを上手に保つことが大切なことであると実感いたしました。どちらに偏りすぎてもいけないことだと思っているのですが、そのバランスをいかように保っていくのかが自身の課題だと思っております。今回の内容を拝見してコメントを書かせていただきました。失礼いたしました。

タナカタナカ 2013/05/05 23:53 田頭様
川越様
先日は誠にお忙しい中、突然の訪問にも関わらず、希少なお時間を頂き、誠にありがとうございました。一般家庭から神職として奉仕する現実の難しさを痛感しましたが、本人次第で可能性はゼロではないと感じ、一握の希望を抱きました。本当に有難うございました。
また、「聖」と「俗」のバランスのお話は自分に「聖職」が務まるのか、不安でしたが、とても安心できました。
神職への道は非常に厳しいですし、自分にその資格があるのか分かりませんが、今一度自分に問い、できることから始めようと思います。
もし、覚悟ができた時にはまたご相談にのって頂けると幸いです。
本当に有難うございました。

田頭田頭 2013/05/10 11:24 >渡辺様

コメントを付けて戴き、ありがとうございます。
また、このブログをいつも読んで下さっているとの事、どうもありがとうございます!

神職として「聖」と「俗」とのバランスを上手に保つとい事は、渡辺さんのみならず、私自身の課題でもあります。
今後も宜しくお願い致します!

田頭田頭 2013/05/10 11:32 >タナカ様

先日は、御多忙の旅程の中、わざわざ当社にお立ち寄り戴き、どうもありがとうございました。

私は今まで何度も、神職になりたいと希望する方の相談に応じてきました。
私も外部からこの世界に入った人間ですから、当初はそういった人達をかつての自分と重ね合わせて、可能な限り丁寧に応じてきましたが、しかしなかには、何度も質問に答えたり直接会って話し合うなどをしていても、ある日突然音信普通になったり、あるいは、とても意欲に燃えていたはずなのに実際に神職養成機関に入学すると、一年も経たずに退学してしまったり、また、神職になる事を希望する人をある宮司さんに紹介してその神社で実習をして貰った所突然何の連絡も無しに失踪してしまい結果的にその宮司さんにも多大な迷惑をかけてしまったりと、正直、かなり失望せざるを得なかった事も多々あり、自分自身もちょっと感情移入し過ぎだったり、性急過ぎた所もあったかもしれないと、今は反省をしています。
そういった事から、 近年は、私に相談をする方には努めて冷静に対応し、ちょっと距離を置いたり、時にはあえて厳しい事も言うようにしています。

タナカさんに対しても、今回はやや厳しい事を言わせて頂きましたし、もしかすると今後も、そういった事を言わせて頂く事があるかもしれませんが、それでもなお、この世界に入りたいという思いが挫ける事なく、その伝手も自分で構築する事ができるのであれば、勿論私は(越川も)歓迎致します。

こちらこそ、今後も宜しくお願い致します!

渡辺渡辺 2013/05/22 14:26 田頭先生

ご返信ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。お世話になります!