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西野神社 社務日誌

2018-03-13 青函トンネル開業から30年

平成20年3月12日付の記事「青函連絡船廃止・青函トンネル開業から20年」では、『昭和63年3月13日に、北海道と本州を結ぶ交通の大動脈として世界最長のトンネル「青函トンネル」が開業してから、20年が経ちました』という事を詳しく書かせて頂きましたが、その記事をアップしてから、早くも10年の月日が経ちました。あれから10年が経ったという事は、青函トンネルの開業から、本日(平成30年3月13日)を以てついに丁度30年経った、という事でもあります。

青函トンネル開業

昭和63年3月13日は、青森駅函館駅の間を海上で連絡する青函連絡船の通常運行最終便と、津軽海峡の海底下に造られた青函トンネルを走行する初めての通常営業列車が、同日に運行された日、つまり、青函連絡船と青函トンネルそれぞれでの通常営業が重なった最初で最後の、唯一の日であり、北海道や青函圏などの郷土史に於いてのみならず、我が国の交通史・物流史に於いても確実に大きな節目となった特別な日でした。その日から、もう、30年も経ったのです。

下の写真は、青函トンネル開業日、つまり丁度30年前の今日、北海道と本州を結ぶ一番列車(函館発・盛岡行特急「はつかり」)が、青函トンネルを抜けた直後の様子です。“青函新時代の幕開け”を象徴するシーンでもありました。

青函トンネル開業時の特急「はつかり」

ちなみに、青函トンネル開業の前年には、国鉄の解体が行われ、その翌日には国鉄継承法人として新たにJR各社が発足しており、そして、青函トンネル開業の翌月には瀬戸大橋が開業し、その開業によって日本の本土4島(北海道・本州・四国九州)が初めて鉄路で繋がるなど、あの頃は、我が国の近現代史や鉄道史に於いても後世に語り継がれていく事になる大事業が続いた時代でもありました。


青函トンネルに対して抱く私の個人的な思いなどは、前出の平成20年3月12日付の記事の中で述べた通りなので、今回の記事では割愛しますが、ただ、あの記事をアップしてから今日に至るまでのこの10年間で、青函トンネルを取り巻く状況はいろいろと大きく変わっており、改めて振り返ると、その変化の早さや大きさには少なからず驚かされます。
世界一長いトンネル」という座を他のトンネルに譲り渡した、という事も挙げられます。青函トンネルは、海底下のトンネルとしては今も依然として世界一の長さと深さを持つ交通機関用トンネルですが、海底や山中などの全てを含めた交通機関用トンネルとしては、平成28年6月に開業したスイスゴッタルドベーストンネルにその最長記録を塗り替えられ、現在の青函トンネルは「世界で2番目に長いトンネル」になりました。

しかし、そういった形式的なランキングの変動よりも、青函トンネルを利用する人達や私達北海道民にとってずっと大きな出来事だったのは、やはり、平成28年3月の北海道新幹線開業です。
北海道新幹線が新青森〜新函館北斗間で暫定開業した事により、青函トンネルは開業から28年の時を経て、漸く、建設時に想定されていた本来の用途に供される事になり、現在は、10年前は走っていなかった北海道新幹線の最新の電車(JR東日本のE5系と、JR北海道のH5系)が毎日青函トンネルを疾走しています。

青函トンネルから出る北海道新幹線H5系電車

しかし北海道新幹線の開業に伴い、逆に在来線海峡線)の旅客列車は、ほぼ全てと言っても差し支えない程廃止されてしまい、10年前青函トンネルを走っていた寝台特急「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」、特急「白鳥」「スーパー白鳥」、急行「はまなす」などは、残念ながら今はいずれも運行されておらず、それらの列車で使われていた車両の中には、廃車されるなどして既に現存していないものも多数あります。
平成30年3月現在、青函トンネルを走る在来線の旅客列車は、JR東日本が運行するクルーズトレイン(周遊型臨時寝台列車)の「TRAIN SUITE 四季島」のみで、これも時勢とはいえ、個人的には何とも寂しい限りです。
このように、この10年という短いスパンで、青函トンネルを走る列車は、完全に一新されたのです。

ちなみに、北海道新幹線の開業に伴い、同新幹線の並行在来線に当たる江差線(五稜郭〜木古内駅間、37.8km)が、JR北海道から経営分離され、その江差線を引き継ぐ経営母体第三セクター)として「道南いさりび鉄道」が発足した事も、道南地域、特に江差線沿線の人達にとっては、間違いなく大きなニュースでした。


ところで、まだ着工は決定していないものの、最近になって注目されている大規模な構想のひとつに「第二青函トンネル構想」というものがあります。
現在の青函トンネルは、新幹線と在来線が共用する三線軌条による複線ですが、この線路容量では、北海道新幹線が新函館北斗から札幌まで延伸した際大幅に旅客需要が増えるにも拘わらずこれ以上の列車の増発がほぼ不可能であり、また、トンネル内では安全確保のため、低速な在来線の貨物列車に合わせて新幹線も低速で走行せざるを得ないなどの大きな不都合もあるため、青函トンネルをもう一本造って新幹線と在来線を完全に分離させる事でそれらの問題を一挙に解決しよう、という構想です。

複数のゼネコンやコンサルタント会社により発足した「鉄道路線強化検討会」によると、第二青函トンネルは、工費は約3,900億円、工期は約15年を想定しており、この計画では、現在の青函トンネルは新幹線専用に、新しく建設する第二青函トンネルは在来線専用にするとしています。
また、この構想以外にも、工費や工期は更に大幅に増すものの、第二青函トンネルに自動車道、送電線、ガスパイプラインなども併設しようという構想もあります。
ただ、我が国には既に青函トンネル建設のノウハウがあるため、第二青函トンネルの建設は技術的には十分可能なのでしょうが、やはり事業費が莫大なものとなるため、そういった事情から、現時点ではまだ実現の目途はたっていません。

第二青函トンネル構想

他にも、現在の青函トンネルを新幹線専用にしてトンネルでの在来線の列車運転を全て取りやめた上で、第二青函トンネルは建設せず、在来線による貨物輸送は、青函トンネル開業以前に青函連絡船で行なっていた「車両航送」に戻してはどうか、という提案もされています。
車両航送というのは、鉄道車両を線路の上を走らせて桟橋から船内へと積み込む事により、時間と手間のかかる貨物の積み替えを省略して列車ごと船で運搬する方式の事で、下の写真が、かつて行われていた青函連絡船でのその車両航送(到着した連絡船からの車両の積み降ろし)の様子です。連絡船との乗り換え駅であり桟橋と直結していた青森駅や函館駅では、かつてはこういった光景日常的に見られていました。

青函連絡船での車両航送

但し、この構想の実現のためには、船内の一部甲板に線路が敷かれた専用の大型船や、陸上の線路と船内の線路を繋ぐ特殊な構造の桟橋(青函連絡船が運航されていた時代は青森駅と函館駅にそれぞれありましたが今は現存しません)などを新たに建設する必要があり、当然それらの建設には巨費がかかります。しかし、それでも青函トンネルをもう一本新たに掘るコストに比べると安上がり、というメリットがあります。
ただ、船での航行となると、鉄道車両がトンネルを直接自走するよりは所要時間が相当長くなり、また、その運航の可否は常に津軽海峡の天候に左右される、といったデメリットもありますが。


これら以外の構想としては、第二青函トンネルや、連絡船での車両航送などの、前述の鉄道連絡とは性格が異なるもので、しかも今では事実上廃案になったに等しいのですが、「津軽海峡大橋構想」というものもありました。
これは、津軽海峡が最も狭くなる区間である、函館市(旧・戸井町)の汐首岬と、青森県大間町大間崎との間に、世界最大・最長の明石海峡大橋をも上回る超長大な吊橋(全長約19km、中央支間長4km、4車線)を架橋して北海道と本州を道路で直結させようという、壮大な構想でした。

津軽海峡大橋 イメージ図

現存する青函トンネルも、まだ構想の段階にしかない第二青函トンネルも、どちらも基本は鉄道トンネルであるのに対し(但し青函トンネルには、線路以外にもKDDIやソフトバンクの光ファイバーケーブルが敷設されており、同トンネルは北海道と本州を結ぶ通信の重要な管路ともなっています)、この構想では鉄道の線路敷設は想定されておらず、あくまでも自動車道としての建設構想であり、また、建設される場所も青函トンネルとはかなり離れているのが特徴でした。
しかし、莫大な建設・維持・管理費用がかかる他、橋脚施設の塩害対策、道路上の強風・積雪路面凍結時等の対策、津軽海峡の荒波対策、津軽海峡の水深・航路確保など、直ちに解決する事が困難な技術的な課題も多く、当初は主に青森県側から積極的に提案されていた構想でしたが、その後は話題にもならなくなり、現在、この津軽海峡大橋構想は、実現に向けた活動は何ら行われていない状況です。


兎も角、新幹線にとっても貨物列車にとっても、現状の青函トンネルでは容量不足である点は否めないため、今後の需要拡大を考えると、今から10年後、20年後、青函トンネルにはまた更なる大きな変化が訪れていそうです。

青函トンネルの建設が実際に始まる前まで、津軽海峡にトンネルを造るという構想は、ほとんどの人達から「そんなの、まるで現実性の無い、夢物語に過ぎない」として、一笑に付されていました。
実際に青函トンネルを造った人達の述懐を本などで読み返しても、これから現場の最先端でトンネルを掘る事になるというトンネルマン達ですから、工事に従事する事が決まった当初は「本当にここにトンネルが出来るなんて、あの頃は俺たちでさえ、誰も本気では思っていなかった」と語っておられる程です。
それを思うと、今から10年後、20年後に、今はまだ「実現の可能性は乏しい」としか思えないような大きな変化が津軽海峡に起こっていたとしても、それはさして驚く程の事ではないのかもしれません。


(田頭)

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