ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

日心会中部ブロック RSSフィード

2014-07-13 国産ステルス機『心神』

いよいよです!

期待が集まる国産ステルス機『心神』。
その開発プロジェクトをTBS報道特集」が7月12日の放送で取り上げました。

f:id:nissinnkaicyubu:20140715103436j:image

f:id:nissinnkaicyubu:20140715103437j:image

2014-07-12 靖国参拝ありがとう!

1971年1月 反戦活動で有名なジョン・レノンオノ・ヨーコ靖国神社参拝。

f:id:nissinnkaicyubu:20140712183208j:image


ついでに・・こちらも反戦活動で有名な皆さんですよね。

f:id:nissinnkaicyubu:20140712184455j:image

以上、ネットでの拾い物です。m(_ _)m

2014-07-07 勉強会「極寒のシベリア抑留」 参加御礼

日心会中部のメールを転載します。


昨日はシベリア抑留体験者の河村さんの勉強会にご参加いただき感謝申し上げます。

大東亜戦争の開始から戦中、そして抑留まで貴重なお話を伺うことが出来ました。

今の平和な世の中では考えられない程の過酷さをご理解いただけたと思います。

   (当日の講演動画を7月14日付け記事にアップいたしました)

皆様にはどの様な印象を受けたでしょうか?
以下に皆様に頂いた感想をご紹介させて頂きます。

・生の声を聞くのと本で読むものではやはり頭に入ってくるものが違います。
・テレビや新聞、教科書ですらも全くわからないことがまだまだ沢山ある事を痛切に感じました。
・シベリア抑留の現実がよくわかった。遺骨収集が進むのを祈ってます。
・犠牲あっての平和であることを思い知りました。せめて国家の責任で遺骨収集を完了すべきと思います。
・ツィッターを見ていると若い人を中心に「傷つけるのが怖い」「傷つくのが怖い」というつぶやきがすごく多い。こういう(河村さんの)話を聞いてどう思うんだろう、と思います。
・実体験者の河村様のお話しは大変説得があり心打たれました。
・最後にみんなで合唱した異国の丘が忘れられないまさかの思い出となりました。
・河村様にはお元気で今後もご活躍いただきたい。

ご感想ありがとうございました。
お手元に配布させて頂いた資料によく目を通し、是非とも身近な方々に真実をお伝えしていただきたく願っております。

さらに皆様には当会にご寄付を賜り感謝申し上げます。

またこのような勉強会を開催させていただきますので是非再度ご参加下さいませ。


[シベリア抑留展示会のお知らせ]
一般財団法人 全国強制抑留者協会はシベリア抑留に関する展示会や集いを各地で開催しております。
愛知県では刈谷市で7月9日〜13日総合文化センターアイリスで、日進市では8月6日〜10日日進市市民会館で展示会が開催されます。より多くの方々にお伝え願う次第です。是非足をお運びください。

それでは今後共宜しくお願い致します。
本当にありがとうございました。





異国の丘
D

2014-06-13 中部ブロック勉強会のお知らせ

日心会中部ブロックの第14回勉強会を行います。
http://d.hatena.ne.jp/nissinnkaicyubu/00000101


●平成26年7月6日

●時間 14時〜16時

●場所 東生涯学習センター第2集会室
    (名古屋市東区葵1−3−21)

●参加費 500円


f:id:nissinnkaicyubu:20140612215911j:image

今回は講師にシベリア抑留愛知友の会会長であり、全国強制抑留者協会理事である河村廣康氏をお迎えし、お話を伺います。

河村氏は実際にシベリアで強制労働を経験された元抑留者です。
その理不尽な労働と過酷さを肌に染みつけて帰国されました。

戦争が終わったにもかかわらず中立条約を破り満州樺太等にソ連は攻め入って日本人を戦争捕虜として強制抑留を虐げました。

戦争終結後の強制抑留は戦争捕虜ではなく、大量集団拉致事件とも言えるでしょう。

小さな勉強会です。お気軽にお越しいただければ幸いです。

暖かいお風呂に入られ、ほかほかのご飯を食べ、ふかふかの布団で眠ることが当たり前になっている今、是非聞いていただきたいと思い企画致しました。

シベリアの凍土の下に眠る仲間たちの遺骨に思いを馳せる河村氏の体験談、お聴き逃しなく。

f:id:nissinnkaicyubu:20140613002221g:image:left

f:id:nissinnkaicyubu:20140613002224j:image:left

f:id:nissinnkaicyubu:20140613002222j:image:left

2014-06-09 小栗楓子さんと林義則大尉 その他のお問い合わせ

右のメールアイコンからのお問い合わせが1番多かったのは、小栗楓子さんと林義則大尉の記事でした。
http://d.hatena.ne.jp/nissinnkaicyubu/20140206


f:id:nissinnkaicyubu:20140520174723j:image:w640小栗楓子さん

2月に記事を書いたのですが、この記事は「愛は終わり無く」と題名が不明のコピー記事(楓子さんを書いた本のコピーで印刷が悪く読み取れない字や抜けているページあり)と、実際のインタビューで作成したものでした。
(追記:9月11日*コピー記事は産経新聞記者の宮本様の著書であるとのことが判明しました。)

その後、何度か楓子さんにお会いしてきましたが、いくつかの間違いがあることが分かり、ここに訂正させていただきます。


・12〜3年ぶりの再会である。
   楓子さんは兄の住む目白から渋谷にある女專に通っていて、卒業後昭和15年たまたま上京した時に専門学校へ通っていた学生服姿の林大尉とばったり渋谷駅で出会っていました。さらに昭和16年に隣町で勤めていた小学校に農教の学生だった林大尉が道を尋ねて来ていました。「学校で逢いし時、君、姉の如く。今軍に入りて、君、妹の如く思ほゆるも我ながらおかし。」の手紙はこの時の再会を思い出したものでした。
過去偶然の2度の再会が林大尉の心に残っていて「結婚はどうなの」と繋がったようです。


・「死なないでください。死んではいやです。」
   この手紙は林大尉の事故後に送られたものではありませんでした。楓子さんはよく押し花をして手紙の中に入れていて、故郷の花の香りを思い出させていました。「俺はお前に与えられるばかりで、俺は何も与えることが出来ない。今の俺に出来ることがあるなら何でもしてやりたいから言ってくれ」と便りがあり、その返事に書いたものでした。2人の共通の友人が「男にこれだけのことを言わせるとは!女冥利に尽きる!」と評されたそうです。


・基地に迷いこんだ子犬を「コロ」と名付け出撃まで可愛がったそうだ。
   正確には「ゴロ君」でした。そしてある日いなくなっていたそうです。「可愛がっていたゴロ君もいつの間にかいなくなってしまった」と便りが会った時、楓子さんは彼の心の寂しさがひしひし感じられたそうです。「ゴロ君も」と書いた林大尉の心中を想う時、楓子さんの心は尚締め付けられました。散って行った仲間たちと重ねていたのではと。


・1年間の文通の手紙も伊勢湾台風によって風に飛ばされた。
   楓子さんは戦後1度結婚をしました。その時に手紙までは嫁ぎ先に持って行けないと思い、友人に託したそうです。友人宅の2階屋根裏に隠してあったそうですが、台風の雨漏りやカビ、そしてネズミにかじられたりしてボロボロになり、「処分しました」と言われたそうです。よって伊勢湾台風ではありませんでした。戦後楓子さんは家族が近づきがたいほど落ち込んでいて、林大尉の手紙を繰り返し繰り返し読み込み、またノートに記していました。その記憶とノートを参考に「愛は終わり無く」を書き上げたそうです。


楓子さんは林大尉を「筆マメな人でした」と振り返っています。実際、林大尉率いる第105振舞隊は「第四降魔隊」として特攻が決まったのち、「大事な御子息をお預かりします」と部下全員の家族宛に手紙をしたためています。
f:id:nissinnkaicyubu:20140521133118j:image
出発の申告をする第四降魔隊
中央抜刀 林義則



その他のお問い合わせにいくつかお答えします。

・日心会中部は何人いるのですか?
   ん〜〜〜〜めちゃ少ないです。とほほ。

・ねずさんの講演は予定してますか?
   要望が多ければまた中部でやりたいと思います。

・街宣とかはやらないのですか?
   前に同じ質問を代表、会長に言ったことがありますが、日心会ではやらないそうです。他会のお手伝いとかは是非にとのことです。

・前回の勉強会からかなり時間が空いてますね。もうやらないのですか?
   去年関東まで行って、ねず本第2弾発売記念に総会をやろうと提案しましたが連絡なし状態で時期を過ぎました。時間が空いたのはダブらない為でした。近々勉強会をします。

・日心会は過去に問題があったと聞きました。どんな問題があったのですか?
   会計その他です。会は小さくなりましたが継続してます。

・会計報告がありませんね。何か問題でも?
   会計係りが忙しく時期を逃しましたが、中部は現在88,678円です。詳細はまたいつかに。

・オカッキーさんは日心会を割って出来た会の方たちと親しいみたいですが問題はないのですか?
   何が問題あるのかが分かりません。会の名に恥じない行動力と人柄を持つ方たちとのお付き合いは大事です。会と会とのお付き合いは無くとも人と人との付き合いは信頼が無くてはできませんよ。

・また議員さんとかの大きな講演を開催してください。
   しんどいですが機会があればやりますね。

・オカッキーさんは女目当てで保守活動をしてるって本当ですか?
   なんでやねん。


質問は大きく分けてこれぐらいでした。  
今後とも宜しくお願い致します。

2014-05-30 講演会の御紹介

当会は関与していませんが、名古屋駅すぐ近くでの講演会です。日本維新の会の分裂、石原新党立ち上げもあり、何か新しい情報が聞けるかもしれません。

f:id:nissinnkaicyubu:20140530072340j:image

2014-05-19 当会主催ではありませんが、皆様お越しください。

当会主催ではありませんが、主催の方と沖縄で出会えた縁があり、ここに勉強会の告知させていただきます。

名古屋東部支部 第九回 定例会■NEW

平成26年5月24日(土)
   ≪第一部≫
    勉強会 テーマ【保守政党について考えるVOL.2】
            座長 東部支部事務局長 加藤貴之
     午前9時 〜 午前11時45分 
       参加費:500円 
        場所:野並コミュニティーセンター二階 第三会議室
   
   ≪第二部≫
     街宣 テーマ【自主憲法制定】
      午後2時 〜 午後4時
      参加費:無料 
      場所:御器所交差点南西角地

           野並コミュニティーセンター
            名古屋市天白区野並2-39-1
               TEL 052-895-5105
f:id:nissinnkaicyubu:20140519153225j:image

2014-05-15 沖縄祖国復帰大決起集会とパレードのお知らせ

f:id:nissinnkaicyubu:20140516125728j:image

5月15日は沖縄祖国復帰の日です。週末の18日には東京文京区にて大決起集会とパレードが行われます。皆様是非ご参加ください。


f:id:nissinnkaicyubu:20140515141714j:image


以下、沖縄対策本部より転載

■【緊急拡散依頼】史上初のイベント!都内で開催する「5・18沖縄県祖国復帰式典祝賀パレード」
http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokka/e/25ac1d6939693c417fe84d851f0de501

 5月18日開催の「沖縄県祖国復帰42周年記念『祖国防衛の砦、沖縄死守!国民大決起集会』」が近づいてきました。

今年の沖縄は琉球独立を公約とする大城浩氏が立候補したり、東アジア共同体研究所を設立した鳩山由紀夫総理が沖縄に事務所を設立したり、県民の意思とは関係なく更に「琉球独立」の方向へ扇動されています。

これから、辺野古移設の工事が始まるとマスコミを介して「反日」「反米」、そして「琉球独立」を主張する沖縄の声ばかりが報道されてくる事は間違いありません。

中国共産党工作機関紙となった沖縄のマスコミは、沖縄のっとり工作のシナリオに沿った沖縄県民の主張を沖縄の世論のような報道をするからです。

そのような中で東京で開催される沖縄県祖国復帰の集会、及びパレードは重要な意味を持っています。

 沖縄では3年前から毎年、祖国復帰の祝賀式典とパレードを開催してきました。しかし、沖縄での開催は日本国民にも十分伝える事ができません。

しかし、東京で開催することにより、「沖縄県民は日本人であり、沖縄県祖国復帰を喜んでいる!」という声を世界に発信する事が可能になります。

 更に、共にパレードを行い、「沖縄県祖国復帰バンザーイ」とシュプレヒコールを叫びながら歩くことによりことにより心を一つにすることが出来ます。

パレードの開催情報を広く発信する事により、日本国民、そして世界に発信すれば世界中の人は、沖縄の独立工作にだまされる事がなくなります。

当日は、ニコ生放送、動画撮影、写真撮影は大歓迎です。

どんどん撮影して、どんどん拡散していただきたいと思っています。

ただし、主催者にご一報をお願い致します。(nakamura.satoru7@gmail.com)

開催の趣旨に沿ったプラカードの持ち込みは大歓迎です。

一人でも多くの皆様に、歴史的な集会、パレードにご参加いただいと心より願っております。

是非、お誘い合わせの上ご参加ください。

また、この情報の拡散のご協力をお願い致します。

f:id:nissinnkaicyubu:20140516131633p:image

2014-05-14 沖縄の真実を見てきました。

2泊3日で沖縄へ行ってきた。
f:id:nissinnkaicyubu:20140510120255j:image
f:id:nissinnkaicyubu:20140509132059j:image:w360f:id:nissinnkaicyubu:20140509160015j:image:w360
まずは那覇基地へ行った。一緒に来た友人の知り合いの娘さんが基地にいるので面会としてお邪魔させていただいた。
その後ひめゆりの塔へ行った。女学生で従軍していた学徒隊として有名である。
が、そこの語り部としておられる方と少しお話をしたのだが何故か会話がかみ合わなかった。語り部の方は生き残りらしいのだが、妙な印象を受けた。
「軍(自衛隊)にお金が流れることはあってはならない」「沖縄は(当時)本土に見捨てられた」等々である。どうやら財団法人化して周りが左翼職員に固められたため、やんわり考えが変えられていったらしい。平和祈念資料館内も酷かった。「アジアを支配下に置くことが八紘一宇」とか「持久戦の名のもとに沖縄は本土から切捨てられた」とか「兵士は靖国神社に行けると信じ込まされ、また疑念も持たないほど操られ戦わされていた」等々。こういう施設に限って修学旅行生が沢山来る。洗脳させるためであろう。資料館は無いが白梅学徒隊記念碑に行った方が遥かにマシだった。

夜は仲村俊子さん宅へ伺った。沖縄対策本部の顧問を務めていらっしゃる方だ。副代表で息子さんの雅巳さんともお会いしお話を伺った。俊子さんは92歳になられるお方だが本人は19歳と言うだけあって大変お元気な方だ。耳も良く聞こえ、語りはしっかりしていて良くお喋りになられる。そして笑顔が可愛らしい。彼女の沖縄に対する気持ちは月刊誌致知」5月号の102ページに掲載しているので割愛する。言わずもがな42年前の沖縄祖国復帰に尽力された強者だ。その祖国愛と私財をなげうっていまだに活動に邁進されるお姿は大和撫子そのものだった。


f:id:nissinnkaicyubu:20140510114057j:image:w360f:id:nissinnkaicyubu:20140510151513j:image:w360f:id:nissinnkaicyubu:20140510163350j:image:w360f:id:nissinnkaicyubu:20140510135729j:image:w360
翌日は沖縄祖国復帰記念として普天間宮から宜野湾市民会館までの記念行進に参加した。
行進前にやはり仲村俊子さんがマイクを通し激励の言葉を参加者に送られた。
行進は普天間宮から道路を挟んでの正面から始まった。沖縄祖国復帰42周年を祝う行進は日章旗を掲げ、また道行く通行人にも小さな日章旗を配布しながら声高らかに行われた。
オスプレイ反対の横断幕を掲げている宜野湾市役所隣の市民会館までの行進であった。そして市民会館前ではオスプレイ反対派の左翼連中が横断幕を掲げていた。当然日当目当てで志が無い連中である。市民会館2階で騒音訴訟の報告会があったらしく、その一派らしい。実に目障りだった。なので嫌がらせで日章旗を持って写真を1枚。

記念講演は2部構成で1部は記念式典で市議会議員の方たちも参加していた。1部前には幼稚園児たちによる教育勅語の奉読もあった。2部は池間哲郎氏による記念講演だ。
池間氏は実際にアジア各地を周っており、その目その耳で感じた日本の素晴らしさをスライドショーに合わせ語ってくれてとても分かり易く勉強になった。
そしてこの祖国復帰を祝う方々は各地から参加を頂いていた。地元の愛知県さらには岐阜県の方とも知り合いになれた。今後の交流が楽しみである。

f:id:nissinnkaicyubu:20140511124048j:image:w360f:id:nissinnkaicyubu:20140511141838j:image:w360f:id:nissinnkaicyubu:20140511171429j:image:w360f:id:nissinnkaicyubu:20140514151724j:image:w360
最終日はフェンスクリーン活動に参加。しかし向かう車の中でクリーン活動が既に終わったと連絡が入り、代わりにキャンプシュワブ内でのビーチクリーン活動へと相成った。
梅雨入りしているはずなのだがギラギラした日差しの中、体力のない自分はバテバテのクリーン活動となった。しかし米兵を含む仲間たちとの清掃活動は楽しく、沢山の話ができた。
その後は沖縄懸護国神社へ参拝に向かった。沖縄は激戦であった為10万を超える御英霊がお祀りされている。ここはどうしても訪れたかった場所なので行けて嬉しかった。


自分は中部地区に在住であるしマスコミを信用してはいないが、沖縄県民がどういう状況なのかが知りたかった。本当に独立を望んでいるのか?オスプレイ反対派が大半なのか?基地問題は?こちらからでは沖縄県民は左翼で溢れかえっているかの如くの報道だ。
さて真実は?帰宅後、以下のメッセージを頂いた。

        • 実は、基地反対派は、ごく少数です。しかも、中心は、イデオロギー闘争の為に本土から移り住んできた極左分子です。沖縄は、学校教育とマスコミが見事に左翼に占拠されてしまっているので、実際の県民の声は、県民すらわからない状況です。 「自分だけ、みんなと違う考えなのかな。人前では言えないな」とほとんどの人が感じていたのです。 で、勇気を出して声を上げる人がいたら、「私もそう思ってた」「実は私も同意見」という人がたくさん出てきました。 という感じでしょうか。 沖縄にいると、言論の自由は認められているのに、認められていないのと同じ状況を、マスコミは簡単に作り出せるということが、よくわかります。---

なるほど、左翼らしいやり口である。しかしこの状況は沖縄だけでなく日本全土に広がっている。そしてやはり疑問を持つものが声を上げ行動を起こしている。
マスコミは信用できないのだ。

移動でタクシーの運転手に話を聞いても基地反対やオスプレイ反対の方はいなかった。
ただ復帰後、地元企業が本土の企業に取って代わられ会社をたたんだ者も少なくないらしい。そして復帰に反対し海外へ移住した者までいる。
しかしその後町並みは激的に発展し、景観利便性も良くなって「こんなことなら海外へ移住するんじゃなかった」と後悔しているとのこと。左翼のキレイゴト思想に騙され、人生を棒に振らされた末路だ。

勿論、沖縄独立派も少数である。先のメッセージでも書いてあった様に本土からの工作員がほとんどだ。そしてマスコミが左翼である為保守側にちょっかいを出させ、それに何かしら反応すると「右翼」「危険思想」のレッテルを張り叩きに叩く。これも沖縄に限ったことではないが報道と言う手口でノンポリ層を取り込もうとする工作の1つだ。しかも何かにこじつけ沖縄では独立を煽る。

仲村雅巳さんがおっしゃった。「独立はあり得ない。もし独立したら戦没者遺族を煽って日本から賠償金を要求する運動が盛んになるだろう。まるでどこかの国の慰安婦賠償請求と同じだ。そんな恥ずかしいことはしてはいけないし、あってはならない。我々は日本人なんだ。」と。まさにその通りである。
更に1枚のビラを見せていただいた。左翼連中が捲いたビラらしい。そこには沖縄独立後の沖縄国通貨、そして沖縄国歌まで記載してあった。沖縄国歌の内容は日本に対しての恨み節だった。支那の国歌のような文言で開いた口が塞がらなかった。キチガイである。

左翼の活動も資金力にものを言わせ盛んに工作が行われているが、保守側も決して負けてはいない。むしろ左翼は本土からの応援が不可欠だが、保守側は沖縄県民が当たり前に大半を占めている。そして活発だ。さらにチームワークが良く知識も高く仲間意識も強い。
行動力も当たり前に高く、今回の沖縄復帰イベントしかりビラや国旗配布、フェンスクリーン活動や米軍との交流、更には住民監査請求書を出す猛者やFMラジオを通じて真実を配信する強者たちがワンサカいたのだ。これはマスコミの湾曲報道が蔓延している本土にいては分かりづらい。しかし沖縄に来れば分かる。皆が時間、精神力、資金、体力等を犠牲にして右に左に走り回っているのだ。これが沖縄の真実である。

大東亜戦争で幾多の御英霊が沖縄の地で果てた。これは大日本帝国軍人が本土決戦にさせまいと命を張った結果である。しかし反日左翼は沖縄だけが見捨てられたと煽り、独立を促している。この行為は沖縄懸護国神社に祀られる11万981柱の御英霊を犬死にさせるに等しい。沖縄は当然日本であり、その地へ来た敵と戦うのは当たり前の防衛である。反日左翼は奴隷を望んでいたのか。そうなら日本から出ていけと言いたい。御英霊に感謝を捧げるどころか利用し、国民意識を破壊しようなんてとんでもないのだ。


f:id:nissinnkaicyubu:20140509231003j:image

是非皆さんも沖縄へ行き、頑張ってくれている方々と触れ合ってほしい。
日本全土も問題が山積しているが、沖縄は日本が抱える問題の縮図であると言えよう。
この地を反日左翼に陥落させてはならない。


             中部ブロック長

2014-05-05 2014 知覧特攻戦没者慰霊祭に行ってきました

今年も知覧特攻戦没者慰霊祭に出席した。去年、受付で住所と名前を書いたのだが案内が届かなかった。どうやら代理出席であった為だろう。
そういうわけで今年も岩井鉞男さんに会ってきた。今年も都合が悪く行けないらしい。去年に引き続き自分が代理出席することとなった。

去年は2泊3日だったが今年は都合もあり1泊2日となった。急なことだったので飛行機も宿泊先もキャンセル待ち状態だったが何とか確保できた。去年お会いした友人たちと1年ぶりに再会できると思うと楽しみでならない。

5月3日当日、約10分遅れで鹿児島空港に到着、高速バス鹿児島中央駅に向かったがどうやら集合時間に間に合いそうにない。友人たちを先に知覧へ向かわせ駅から知覧行のバスに乗り込もうとしたが、地元鹿児島の方が1人車で待っていてくれた。この方には去年も大変お世話になった方で、分け隔てない粋な心意気を持っているお方だ。
駅で合流し、早速知覧へ皆の後を追った。

f:id:nissinnkaicyubu:20140503133303j:image:w640:left
f:id:nissinnkaicyubu:20140503133409j:image:w360:leftf:id:nissinnkaicyubu:20140503161241j:image:w360:left
































到着後、すぐ受付を済ませる。今年も岩井さんの代理である為リボンは紫色、遺族席に座れる証だ。来年は自宅へ案内が届くようお願いも済ませた。
受付が終わるとおにぎりが貰える。早速皆と合流し食事を済ませた。皆は去年と変わらない笑顔で迎えてくれた。1年ぶりの再会がとても嬉しい。ネットでの繋がりはあったのだがやはり顔を合わせ声を聞くのが1番である。この時だけは慰霊に来たのか友人に会いに来たのか分からないほどの感激だった。
途中、岩井さんから電話があった。「どうぞ宜しく頼みます。兄貴に宜しくお伝えください」と。岩井さんは長男がコロンバンガラ島で戦死、次男が特攻隊へ志願し亡くなっている。今年は岩井伍長はもちろん、小栗楓子さんの許嫁林大尉の為にも手を合わせたい

今年は慰霊60周年である。映画「永遠の0」やユネスコへの登録もあったせいか去年より参列者が多いようだ。喜ばしい限りである。
式典が始まる前に哨戒機が上空を通過する。皆がカメラを構えるがなかなかピントが合わない。この時は皆が一様に空を見上げていた。

f:id:nissinnkaicyubu:20140503134336j:image:w360:leftf:id:nissinnkaicyubu:20140503134121j:image:w360:left


















式典はお茶を献上する「献茶」から始まった。
自衛隊の音楽部の演奏も見事だった。遺族関係者だけができる焼香をさせていただいた。岩井伍長と林大尉の為に。勿論、国に散華なされた幾多のご英霊の慰霊のためにも手を合わさせていただいた。
遺族代表の方が数名、追悼の言葉を述べた。太平洋戦争という言葉は使っておらず、大東亜戦争と正しく述べていた。中でも土器手さんは兄が特攻で亡くなっている。その兄を想う気持ちは言葉を詰まらせつつ込み上げる涙を堪えながらの追悼であり涙を誘うものがあった。特に遺族の方たちには堪らないものだったのだろう。自分の隣にいた女性はしきりにハンカチで目頭を拭っていた。

そして参列者全員ができる献花も行われた。
更には自衛隊音楽部の生演奏による軍歌を参列者全員で歌った。自分はその時歌詞が書かれた式次第を紛失していた。軍歌は「加藤隼戦闘隊」と「同期の桜」である。歌詞を見ないでも歌えるので助かった。

知覧戦没者慰霊祭は15時には終了した。

f:id:nissinnkaicyubu:20140503170043j:image:w640
f:id:nissinnkaicyubu:20140503170100j:image:w360:leftf:id:nissinnkaicyubu:20140503170321j:image:w360:left


















去年はこのまま平和記念会館へ行ったのだが今年は早々に知覧を後にした。行き先は万世特攻平和祈念館である。万世は「ばんせい」とも読むし「よろずよ」とも読む。
万世陸軍飛行場と呼ばれた軍航空基地である。後に知覧と同じく特攻基地となった。
子犬を抱いた少年特攻隊員で有名な写真がある。第72振舞隊の隊員だがこの基地から飛び立ったのである。
まずは外にある慰霊碑に手を合わせた。

f:id:nissinnkaicyubu:20140503171418j:image:w640
f:id:nissinnkaicyubu:20140503171006j:image:w640


次に祈念館へと入った。1階は撮影が許可されている。入ってすぐに旧日本海軍機が展示されていた。
1984年には海没しているのを確認していたらしい。1992年に引き上げられた。機体のほとんどが砂に埋もれた状態であった為、戦後47年経っていた当時から保存状態は良かったとのこと。重要航空遺産に指定されている。
2階は隊員を遺品や遺書が展示されている。中でも「血書」は迫力があった。自らの血でその覚悟を文字にしているのだ。血染めの日章旗もあった。特攻隊員の国想う志の高さに尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

17時前にはその場を離れ鹿児島中央駅に向かった。皆の宿泊先が集中しているし、また、仲間たちと飲むためである。2次会はスナックへ。〆はラーメンで鹿児島の1日目を終了した。

2日目は仙巌園照國神社を案内してくれた。今年も大満足の鹿児島旅行だった。お世話をしてくれた方々、本当にありがとうございました。






しかしやはり去年と同じく平和の文字が目についた。

勿論平和が1番であろう。しかし今現在、日本は本当の意味で平和なのだろうか。
特攻隊員は家族と祖国日本の平和を願って散華されたのだ。ここをきちんと理解しなければなるまい。
f:id:nissinnkaicyubu:20140503125043j:image:w360:leftf:id:nissinnkaicyubu:20140503125028j:image:w360:left


















特攻の母と呼ばれる鳥濱トメさんが当時特攻隊員を送り出していた富屋食堂の前に「散るために 咲いてくれたか さくら花 散るほどものの みごとなりけり」と書かれた看板がある。「散ることがわかっているのに、それでも咲いてくれたか桜の花よ。しかし散っていく姿にこそ人も桜も本当の美しさがあるものだ」が意訳である。
特攻隊員たちは何故美しくも儚く、自らのさくら花を散らせたのだろうか。それは祖国日本に平和という大輪のさくら花を咲かせるためではなかろうか。

ペリー来航以降、日本は世界の荒波にさらされた。当時白人帝国主義のもと有色人種の国はことごとく植民地化されていた。日本がそうならない為には防衛力を身に着け経済を発展させ一等国になるしか道はなかった。富国強兵である。
しかし白人はそんな有色人種が気に食わなかった。戦争で勝ちえた遼東半島を返還させられたり軍縮を迫られたりし、日本はいずれもそれに応じている。しかし陰湿な妨害は続いた。ABCD包囲網やハルノートで日本は腹を決めた。平和を願うあまり国家間の摩擦を避け、要求に応じ続けた日本も祖国平和の為にその拳を上げたのだ。
そう、本当の意味で平和を願い、平和を欲し、平和を望み、平和による祖国の安泰に飢え、家族に平和な日本を残そうとした者こそ大日本帝国軍人ではなかろうか。その崇高でまっすぐな志は戦争末期に特攻隊として散華し我々に想いを託された。

平和というさくら花はあぐらをかいていては咲かない。自らその身を焦がさなければ咲かないのだ。

そして今の日本は平和だろうか。米軍に護ってもらうことが平和だろうか?押し付けられた憲法を護ることが平和だろうか?憲法9条を護ることが平和だろうか?人種平等を逆手に取られ慰安婦問題南京問題に言われたい放題が平和だろうか?
まだまだあるが・・・。

それでも今、日本に平和というさくら花が咲いているという人がいるなら気の毒でならない。その花は造花である。


f:id:nissinnkaicyubu:20140503133524j:image:w640:left



















中部ブロック長