Hinemos amo!

2017-03-11

第十八花『ポエブス(一)』冒頭部分(2017/3/11)


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十九歳になった理絵は、あの日、六時間ほどかけて新しい紙に一枚の絵を描き終えた。その絵を督促状のそばに置き、スタンドライトを消すと、ベッドで弱まる握力を感じながら目を閉じた。机上に眠る絵は母を模した鉛筆画だった。一方、パステルによる自画像の方は枕元にそっと寝かされていた。彼女はそれに「描きかけ」と呼びかける気はもう起こらなかった。なぜならその絵からは生気がとうに抜けていたからだった。冷凍庫にしまった雪玉のように温存しても甲斐のないことを彼女はようやく認めたのだった。

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2017-01-14

『ポスト・ヌービラ』あらすじ(2017/2/19)


自己愛的な思い込みとしてのファンタジーが昇華して消えるまでの、主人公理絵における、十九歳の誕生日を挟んだ両三日の出来事。


彼女は芸大の二度目の受験を控えている。去年の面接で「必然のない絵」だと言われたことを克服しようと一枚の自画像を描くことを試みる。だがうまくいかず過去の後悔を慰めるという別の課題と向き合うことになる。


彼女は、引越した十三歳の頃から「思い出の土地の上書き」による喪失感が自信喪失の原因だという主観的な思い込みを抱いている。そこで十三歳の頃に宛てられた図書館の督促状を見つけ、返却の有無を憶えていない『冥王星の金枝』という題名に不安を覚える。さらに以前の町の図書館と水源地という二つの場所のことを思い出す。

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2017-01-08

水仙の花

最近読んだ本で、以下の箇所に感動を覚えたので、書きとめておくことに。


幼児の正常な誇大性に対する健康な親の「申し分ない」関与を例示するために、私が目の当たりにした、ある父親の2歳の男の子が興じたゲームについて話したい。


そのゲームは、男の子が父親の伸ばした腕の手のひらに乗ってまっすぐに立とうとするものであった。その小さな子は父親の開いた手のひらに乗り、ついで何かとバランスを取ろうとして少し体を動かしたあと、まっすぐ高く立ち上がった。


父親は誇らしげに、「世界チャンピオンだ」と宣言し、一方の少年は頭上に勝ち誇ったように手を突き上げ、満面の笑みを浮かべた。彼らは彫像のように、力を合わせてしばらく立っていた。そして少年は頃合いを見計らって、二人で歓喜の抱擁を行うかのように、父親に向かってその腕のなかに飛び込んだのであった。


そのゲームは、息子の顕示的な自己愛父親が関与して文字通り支えるという交流の微笑ましい例である。息子の誇大性を父親が快く受け入れることは、少年の顕示性が自己に円滑に統合されるのを促進する父親は少年の誇大性を妥当化し、受け入れ、穏やかに反響する心理的な鏡の機能を提供した。


父親がゲームに参加して、息子の高揚感に呼応して大いに喜んだことは、誇大性の発露の激しさを調整する。父親は、少年の自己愛が恥や罪悪感、当惑、過剰刺激によって、妨害されることなく存在することのできる安全な遊び場を創出したのである。


同じ親子によるもう一つの体験は、異なった鏡体験を鮮やかに示している。父親と息子は、私が兵役従事していたときに私のもとにやってきた。私たちは空軍基地を見て回り、広い格納庫に入ることが許された。


私たちがその大きな建物のなかを通り抜けようとしたとき、戦闘機が私たちの目の前で滑走路に向かった。その轟音は耳につんざくほどであった。地面は揺れ、熱波で歪んだ空気が、鳴り響くエンジンから噴き出した。それは私たち全員にとって恐ろしい体験であった。


何秒かのことであったが、「世界チャンピオン」は恐怖のあまり泣きわめいた。しかし、少年の強力な顕示性を支えた手と同じ手が、今度は彼を抱え上げ、以前とは異なった抱擁によって彼を助けた。歓喜の抱擁ではなかったが、このときの抱擁は、「チャンピオン」の恐怖をそれとして理解して受け入れ、以前に彼の高揚感を支えた強さと同じ強さでもって「チャンピオン」のもろさを支えた。この抱擁は少年の恐怖に対して、恥や屈辱感にさらすことなく妥当化をはかるという効果をもたらした。

──『コフートを読む』(シーゲル著、岡秀樹訳、金剛出版)p122-3


イーリアス』に出てくるヘクトールとアステュアナクスや、『アエネーイス』に出てくるアエネーアスとユールスを連想したりも。


自己愛の二つの基底路線。「理想化された親イマーゴ」と「誇大自己」(高揚した自己)。やがてはこの父親もまた完全ではなくて限界のある存在(要するに人間)だということを、その少年が徐々に知っていき、自分にも限界があるという現実と憂鬱にも持ちこたえ、内面で受け止めることができた時。その時、自己の延長として内面に体験された他者(自己対象)であるところのかつての父親との思い出は、適切な欲求不満であるところのしばしばの幻滅と一緒に、その後の彼の内面における調停役(超自我の一部である自我理想)へと変容していく。


その自己の水辺には、これまでの鏡映しに対するありがとうの、お供えとしての水仙の花が咲くのだろう。

2017-01-04

謹賀新年2017

本年もよろしくお願い申し上げます。

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絵は、『人間の土地』(サン=テグジュペリ堀口大学訳/新潮社)の表紙を拝借。模写。