Hinemos amo!

2010-05-01

クローディアの秘密

| 00:09

幸福というのは、わき立つ感情が心の中に落ちつき場所を見つけること

(――E.L.カニグズバーグ/作、松永ふみ子/訳、1975年岩波書店

f:id:nisuseteuryalus2:20100502001227j:image:left


午後五時半を回ると、メトロポリタン美術館は二人だけのものになります──少なくとも、二人にはそれは間違いない実感でした。


クローディアの慎重な計画、ジェイミーの財務大臣の手腕。この二つをもって、この兄弟はメトロポリタン美術館に家出をしに行ったのでした。(ただあるところから逃げ出すのではなく、逃げ込みたかったからです。)その所持金、およそ三十五ドル(うち二十五ドルがジェイミーです)。


美術館を選んだのは、大きくて、気持ちのよくて、屋内で、その上、美しい場所だったからです。そして人で「ごちゃごちゃ」なので、かえって誰何される心配もありません。夜になるとがらんとした世界を楽しみ、クローディアはマリー・アントワネットになり、屋内にある「願いの噴水」で二人、水浴びをします。


そして、あやうく見つかりそうになったことも何度かありました。


いちばんこまるのは、九歳のジェイミーのからだの中の、細胞という細胞がどきどき脈うって今にも走りだそうとするので、そのエネルギーを一つにまとめて押さえつけて、おとなしかたまりにしなければならないことでした。


「今にもごろごろころがりそうなジャガイモの山」と、その時のジェイミーの様子が描かれています。美術館に隠れ住むという秘密を持っていることは、こんなにも少年を「一つのもの」に引きしめるのでした。


さて一方クローディアにとって、今回の家出の目的は「前の自分と違っている」ことでした。それは冒険のためでも、女英雄(ヒロイン)になることもはなく、「以前は持っていなかった秘密を持ち帰る」ということでした。


クローディアはなぜ家出が楽しかったのかを悟ります。それは、計画することも、美術館に隠れることも、「秘密」だったからです。単なる家出だけでは、終わりがあります。クローディアは、いわば「終わりのない秘密」を持って帰りたかったのです。


そのようなクローディアの心をひきつけたのが、美術館の「天使像」でした。競売で二百二十五ドルで入手されたこの小像を、製作したのは、ミケランジェロではないかという噂が、ここ毎日、美術館をにぎわせているのです。


クローディアはとくに、彫像にとってじぶんが重要な人になりたいと思いました。じぶんで、このなぞをとこう! そうすれば、像がおかえしに何か重要なことをしてくれるわ。


クローディアはこの天使像の「秘密」を解こうと決心します。そしてジェイミーを相棒にかけずり回り、ついに、天使像の「もとの持ち主」のことを突きとめます。最後に、彼女たちは美術館を出て、はるばるニューヨークからコネチカットにある屋敷を訪れます。


こうして、天使像のもとの所有者だったフランクワイラー夫人は、二人の珍客を迎えることになります。けれども「天使像がミケランジェロの作かどうか」という子供たちの熱心な問いに、「それはわたしの秘密よ」と言って、すぐには教えてくれません。一方、クローディアたちも負けてはいませんでした。


「この一週間、あんたたちはどこにいたの?」

「それはあたしたちの秘密です。」

クローディアはあごをあげていいました。


と、夫人の問いかけにやり返したのでした。ここではじめて、クローディアとフランクワイラー夫人は、お互いが「のっぴきならない秘密」を抱えていることを知り合います。


夫人は、クローディアが、美術館での冒険や興奮を自分の外にあふれ出させることなく、そっとしまい込める点で、彼女が「幸せである」ことを見てとります。だからこそ、クローディアの秘密と、自分の秘密とを交換するという「商談」を成立させます。


「なぜなら秘密というものは、それを持つだけで、その人を内側から支え、前とは違った人物に変える力を持っている」というのがこの作品のメッセージですが、こうして「天使像」という秘密を抱くことができたクローディアは、もはや当初の目的であった、「女英雄になって家に凱旋すること」をしなくてもよくなったのでした。


「もしここにある綴じ込みがみんな秘密で、それに秘密ってものが人の内側をかえるもんだとすると、フランクワイラーおばさん、おばさんの心の中って、おそろしくごちゃごちゃで、みたこともないほどかわったもんだろうね。」


と、クライマックスのシーンで、ジェイミーは感嘆します。ジェイミーはなにより「ふくざつ」なことが好きなのでした。そしてこの作品の原題には、このフランクワイラー夫人の綴じ込み場所を探すシーンから、mixed-up(ごちゃごちゃの)という言葉を持ってきています。


天使は、そうしたフランクワイラー夫人の秘密の "mixed-up field" に、羽根を休める場所を得たのでした。そう、わきたつ感情が落ち着き場所を得ること、それが幸福だという、彼女の信念とともに。