Hinemos amo!

2012-10-07

山のあなた

| 17:26

f:id:nisuseteuryalus2:20121007162414j:image:w360


昨日、Youtubeでたまたま落語を見ていたら、桂枝雀さんの『山のあなた』という噺をはじめて知りました。初高座は1994年で、枝雀さんの晩年の創作落語に類するそうです。


12分かそこらの短い噺で、何となくその題名に惹かれるまま、これが在りし日の、枝雀さんの亡くなる5年前の姿なんだなあ…と思っているうちに、いつの間にか作業を止めて、聞き入ってしまっていました。

(Youtubeの下のコメントに、「落語の域を超越している」「落語もここまで来ると法話」とありましたが、私もまったく同感です^^)


シチュエーションは山の中の一軒茶屋。とある所帯持ちの男が、短い休日を利用して、都会の喧騒を離れ、山奥にやって来る。たまの旅にすっかり開放された気分になり、気持ちがよくなったところに、一軒の茶屋を見つける。そこのおばあさんに、男は、挨拶代わりに「山のあなたの空遠く、「幸」住むと人の言う』と言うけど、その幸いというのは、きっとこのあたりにあるんやろうな」と冗談めかしく言う。すると、おばあさんは「はいはい、おります」と大真面目に請合う。それはどういうことかと男が聞くうちに、いつぞやおばあさんの身の上話になり…。とまあ、こんな感じに噺は始まります。


男の独白によると、毎日同じことの繰り返しで、朝目が覚めるなり、嫁さんにぎゃあぎゃあ言われて仕事に出ては、仕事に追いまくられる。帰りにちょっと発散せなあかんと思って酒を飲むと、今度はその酒で疲れて、また明日の朝に頭が痛いということで、嫁さんにがみがみ言われて…ということの繰り返し。そのようなことに嫌気が差して、違う意味での発散をせねばと、山に活を求めてきた次第です。


以下は私の耳での抜き書きです。正確ではないと思いますので、もしご興味のある方は、記事の終わりの方にあるリンク先から元の動画をどうぞ。


「ほんまの話かいな」


「わしはほんまの話じゃと思うとりますけど、年寄ってきますと頭ぼやけてきますでね、貴方のような方が聞いとられましたら、『こしらえ話』のように聞こえるかもわかりませんが、わしには『ほんのこと』ですけどな」


「あぁそう。いやゃま、どっちゃでもかまへんけど…。いやぁしかし、とてもやないが、ひょっとするとおるにしても、そら、(幸せを)『だっかまえる』ような『だっかまえん』ようなことには、とてものことに、とて…わしらには無理やな。いやもうなんじゃで…」


「いや、そんなこともありません。あらら、見なせえ。おてんとさん、西の山、お帰りになりますですよ。


今日も一日、有難うございました(拝む)ですね。明日もよろしければどうぞ(拝む)、お姿をお顕しくだせえませ。それでね、ご機嫌悪ければ、お休みになってもよろしゅうございますよ、ご加減悪ければね。たまにはお湿りも有難いことですけえ(拝む)。でも、お湿りがありましてもね、お湿りの上に貴方さまがおられますことは、よう知っとりますけえ、はい、心配はしませんけねえ、はい(拝む)、有難うございますっちゅうことですね(微笑む)


ところで私は、「お湿りの上に貴方さまがおられますことは、よう知っとります」という台詞に、ふと好きな「ポスト・ヌービラ・ポエブス」(Post nubila Phoebus:雲の後ろに太陽)という格言を思い出しました。こちらはラテン語なのですが、postには時間的な「後ろ」のほかに、空間的な「後ろ」という意味もあり、もし後者で意味を取れば「太陽は見えようと見えまいと、いつでもある」ということになります。


そのpostが、題名である『山のあなた』の「あなた」に当たるのかなとも思い、そんなわけで、「落語の中からラテン語が飛び出してきた」ような気がして、不思議となじみを覚えたのでした。「太陽の下に」ではないですが、時と場所が変われど人のいるところで思うことは同じなんだなあ…と。


さて、上の引用の続きからです。


「うーん。よっしゃ、ま、とにかく(苦笑)その…私にはちょっとわからん。で、ま、あきらめて帰るわ」


「いやあきらめることはありませんですよ、はい。あなた帰られました町にも、幸いはおりますから


「おばあさん、馬鹿なこと言いなさんな。昔から言うでしょう。どっかの本に書いてあんねん。山のあなたの空遠く、「幸」住むと人のいう』ちゅう、『山のあなたの空遠く』にしか、幸いはおらへんねん」


「そんなことはありませんです。それはそうですけどね。『山のあなたの空遠く』から見れば、あなたのおられますとこが、『山のあなたの空遠く』ですけねえ」


普通、創作落語というと、くすぐりばかり多くて、筋があまりしっかりしていないもの(型や筋の悪さをごまかしたもの)というレッテルを、すぐに私なんかも貼ってしまいがちなんですが、枝雀さんの新作落語はというと、その完成度の高さをもってして、もはや「別次元」ですね。とりわけサゲが見事だと思いました。


そして、そのサゲまで一貫してキャラを崩さない「おばあさん」の話しぶりには、聞き手の内面から必然的・逆転的な発見と、それによる浄化作用を引き出す点で、話術としての一つの到達点を鑑賞しているだけでなく、枝雀さんのそれまでに磨いてこられた人間性のにじみをも感じました。


何よりこれが短い噺だということが、いわば枝雀さんの「独白」のようであり、無駄をとことんまで切りつめた芸術性を感じさせます。そしてなぜ『山のあなた上田敏の訳詩集海潮音』で有名になったカール・ブッセという人の詩)に取材したのか、枝雀さんという「作者という文脈」も含めると、それは必然にさえ感じます。


枝雀さんはこの噺を、英語落語でも『Happy』という題名で演じているそうですが、おそらく最初からそのつもりで、この噺を創作されたのではないかと思います。そのように、日本の中にあるものだけでなく外からも新しいものを取り入れて、それを中に提供するだけでなく外にも翻案して返すという、その目的意識の高さと、それに見合う熱心さには、背筋の伸びる思いがします。


そのようなわけで、この噺を通して、ご自身もまた「山のあなた」を見ているのであろう、枝雀さんのことが彷彿とされたのでした。


Youtubeで今なら視聴できます。

『山のあなた』桂枝雀


また、「あなたとわたしを分けること」また「どこまでもどこまでも楽しいことを追い続けなければならない」というモチーフのつながりで言えば(これは枝雀さん自身の創作ではないのですが)、次のような噺もあります。そちらも併せてご紹介します。


『茶漬えんま』桂枝雀