Hatena::ブログ(Diary)

庭仕事

2018-03-18

リー・アンクリッチ『リメンバー・ミー』

f:id:niwashigoto:20180415142343j:image

死者、音楽、記憶といった1つ1つがかなりヤバイモチーフの繋げ方、取り扱い方の、針の穴通すような正確なコントロールっぷり。そして、「行きて帰りし」物語、無鉄砲で未熟だけど信念のある主人公、旅を経てなされる成長、ってつくづくピクサーの凄まじさを感じた。

祭壇、祀ること、銅像と写真とビデオとレコードとフィルムといった人間の外部に形作られ残るものと内部に収められるものとしての記憶(引き出しの中の写真と手紙)のモチーフの扱い方もまた良いのだった。

3分の1から3分の2にかけて、このあと起こることがある程度わかってしまうんだけど、それが些かも障害にならず、むしろその「到来」を待ち望んでる自分がいるわけで、それと凡百の作品との違いはなんなんだろうなーと考えてた。

2018-03-03

ライアン・クーグラー『ブラックパンサー』

f:id:niwashigoto:20180331174457j:image

1992年のプロジェクト、バスケットコート(子供達が、ティム・ハーダウェイみたいに……と言っててうわっカニエじゃん、と思った。"Like Tim, it's a Hardaway"……)から子供達が見上げる曇天越しの飛空艇の光。それはまるで宇宙から飛来したUFOのよう。そのUFOは彼ら黒人の祖先がこの地球にやってきた時の乗り物でもあり、死した彼らを遠い地へ運ぶものでもある。この「UFO」云々ってのはもちろん比喩だしそんなこと本編にはないんだけど、ことエリックにとっては、まさしくこのように感じられたのではと思ったりする。

と考えて、あのシーンだけではないけど映画全編にアフロフューチャリズムというかブラックサイエンスフィクションというかPファンク感というか、そういうものを感じた。ビジュアルの強烈さには、ジャック・カービーという人の偉大さを門外漢ながら感じたので、何か作品を読んでみたいとも思ったり。そして宇宙から飛来したヴィヴラニウムという設定もそれを匂わせてるように思えた。これに関して、序盤のナキア登場シーンのジャングルで助けられた人々が見上げる様子とかにもそれを感じた。そもそもアフリカに隠された圧倒的力を持つ超国家、その存在を知る者もいるが他言無用、というある種の陰謀論に近い設定もそうだと言えるのかなと。


もう一つ、印象的なモチーフといえば「紫」韓国でのカーチェイス、夜景の色彩の統一感。紫色のネオン、ブラックパンサーの体を走る光。紫は高貴な色にして、昼と夜のあわいの色、あの世とこの世が交わる空間の空の色。その中では、あったこととなかったこと、ではなくて、あったかもしれなかったこと、現実の過去にはあるはずのなかったやりとりが起こってしまう。常に非常の決断をする王と革命を志す過激派は、悩める若者でもあり、sの両者の立場は交換可能であることが示唆される。だから彼らが結末を迎えるのは夜でも昼でもなく美しい夕焼けの中だ。


そして、新しい世代は、結局前世代と同じことを繰り返してしまうんだけど、それでも、エリックは父が為せなかったことを為して、ティ・チャラも父ができなかったことをしてあげれたんだ、というのが、終盤の数分のシーンにおいて、役者の力によって成立させられてしまっている。エリックの結末、演じるマイケル・B・ジョーダンの圧倒的力によってめちゃくちゃ意義深いものになり、めちゃくちゃ泣いてしまった。クリードに続いて、美しく心を打つ泣き姿(途中めちゃくちゃ『クリード』じゃん!てとこあった)。

f:id:niwashigoto:20180331174712j:image

にしてもラストの、ある現実の政策に向けてのそのものズバリなセリフ、内容もなのだけど、それを陛下が世界に向けて演説するという形で描いた"そのもの"さも強烈だったな。置き換えられたり、喩えだったり、そういう間接さが全くない描き方。キャスティングも含めて、言葉通りの2018年・現代の最重要作品とするしかない。あの部屋にPEのあのポスターはさすがに直截すぎるだろと思ったがしかしそういうものなのだ(?)、それが現代なのだ、ということ。


それにしても、"妹ヂカラ"すごかった。けどただ、007に過剰に思い入れがある人間ではないけど仮に本作が007であるならその妹のシュリとティ・チャラのやりとりの中で「壊すなよ」があった方が良いし、カジノシーンも戦闘に入る前にもっと充実した描写ギャンブル描写とか、お酒とか、男女のやりとりとか)があるべきなんじゃないかとは思う。

2018-03-01

クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』

f:id:niwashigoto:20180123115335j:image

とりあえずイーストウッドでいうとまさかの『ヒアアフター』の系譜だったの驚いてる。卑近な言い方してしまえばスピリチュアル的な、運命論的な。と考えて、最近のイーストウッドはみんなそうかと思い至った。

しかしこれ本当に一体なんなんだろう。いや何もくそもなく、「映画」だよってことなんだけど、じゃあ「映画」って何?と聞かれても、「さあ…なんなんですかね…」としか答えようがなく、終わります。

例えばラスト、あのニュース映像の使い方、繋げ方は、『パトリオット・デイ』や『スノーデン』見てて「いやこれはさすがに…どうなん…」と思ったことと同程度のことをイーストウッドがかましてるのでおお…となった(ほとんどなんも言ってない)。「開き直り」の半端なさ。

あと、スペンサーの部屋に『硫黄島からの手紙』のポスターが飾られてたのは事実なのかどうか、とか、あと星条旗も本当に飾られてたのか?とか……。

そしてナレーションで始まるのだけれど、なんと驚くべきことに(驚くべきことに?)その話者によるナレーションはそれのみ、ラストは異なる人物による語りにやって終わる。じゃあ冒頭のナレは一体なんなのか?

つまりとりあえずここ数年のアメリカ映画の実話物、実録物の流れにありながら、堂々と逸脱してるのは間違いない。

そしてもちろんAmerican Hero("Sacrament Hometown Heroes")の映画でもある

そういう意味で硫黄島のポスターがあるのは正しいってことか。

あと、序盤の2人の母親と教師の面会シーンから、もちろんタイトルも含めてやたらと時間が強調されているのと、「黒人は狩猟はしない」というフレーズの『ゲット・アウト』への目配せ、が気になりました。

2018-02-23

マイケル・グレイシー『グレイテスト・ショーマン』

f:id:niwashigoto:20180311193936j:image

P.T.バーナムという「マジでヤバイ」人が今際の際に熱("Your fever")にうなされて見た走馬灯のような映画(バーナムが「どうしよう……そうだ!"ユニーク"な人だ!(目キラッ)」ってなるのとか言い換えの怖さ感じた)。夢と妄想と理想と願望が入り混じって区別がつかず、結果何に一番近いかと言えば「悪夢」です。

ミュージカルが現実と非現実の境目を揺らがせ非現実が力づくで現実を歪めてしまい現実を改変し問題解決してしまうものなら、今作は、その「現実」に「非現実」を代入してる。徹頭徹尾全てが虚構、まやかし、嘘、ペテン。なぜなら最初から最後まで劇場から外に出ないから。

例えば、パーティーに加わろうするバーナムサーカスの面々がその当のバーナムに疎まれて排除されるシーンで「This Is Me」が流れ始めるからてっきり乱入すんの?と思いきや会場は素通りして彼らは意気揚々と劇場へ戻る、でそこで喝采を浴びて歌が終わる。ある人物のセリフで、劇場=家(サーカスの仲間=家族)という内容の言葉が出てくるんだけど、まさに、劇場にとらえられ、そこから出られなくなる男ないし人々の物語だった。金を稼げること、優秀なこと、がその立場の弱い人間を救う、という思想、まあわかるよとなる一方でわかっていいのか…?ともなるから心中複雑。

それに、エンドロールのストーリーボードみたいなもの?を提示する演出まじでなんなの。「全ては描かれた絵でしかない」とでも言いたいのか。あと、気になったのは20世紀FOXロゴが冒頭2回出てくること。1度目はカラーでおそらく昔のもの、2度目は今のものモノクロにしたもので、それがそのままオープニングクレジットへ繋がっていく。これにどんな意味があるのか……(多分「入れ子」的なイメージなのかもなと思う)。


あとサントラ聴いてるんだけど、さすがにジェニー・リンドの歌はレベッカ・ファーガソンではなかった。そうならめちゃすごいなと思ってたけど。

2018-02-11

ニコライ・アーセル『ダークタワー』

f:id:niwashigoto:20180311191928p:image

はっきり言って大好き100万点。めちゃくちゃ良かった。

神話のない国アメリカで、病的で狂ってパラノイアックな物語を紡ぎ続け、我々の想像力を豊かにしてくれている偉大なるスティーヴン・キングへ敬意を表し感謝したい、と強く思った。病んで狂った神話が、世界の真実であり、世界を救うという、それ自体がまさに狂っているといえる発想よ。表層的には全く似通ってないけど、この作品を見てる間頭をよぎっていたのはエルロイだったりする。エルロイとキングという、1歳違いの2人の小説家は、共にイルでマッドで仄暗いアメリカの擬似的神話をぶちあげ続けて、その偽物=物語でもって登場人物や読者を絶望させ救済する。

そしてファーストカットで、まさにアメリカの昏さの徴とも言える、一見平穏な住宅地の風景、しかし色味の抑揚はなく、化けの皮一枚剥がせばそこには異形の悪意が潜む(突然けたたましく鳴り響くサイレンは、明らかに敵襲警報の寓意では?)、という画が作られてるのだけでうれしくなる。そして舞台で言えば、廃墟と化した古い一軒家、ボロボロの木の板、は最早キングのイコンですね(しかもその木材が、敵へ重要な情報を伝えてしまうという)。

さらにふと、関係ないんだけど、『マトリックス』はあまりにキングすぎるな…もはやキングの二次創作じゃん、と思った。

f:id:niwashigoto:20180311192826p:image

しかしあらためてマシュー・マコノヒーないしマコナヘーa.k.a.マコ兄は「面(ツラ)」の俳優だよなあとしみじみしたね。ツラで全部持ち去ってしまう。