20170109

GAPのバーゲン(年中やってんな)で買ったダウンジャケット着て出たけどそんな寒くなかった。映画見に新宿行こうとしたけど山手線止まってて無理と判断し六本木に変更。無駄にしてしまった…。デヴィッド・ロウリー『ピートと秘密の友達』見る。紛れもなく『セインツ -約束の果て-』の監督の作品。あまりにもアメリカの映画すぎて感動した。ブライス・ダラス・ハワードの母親っぷり凄まじい。しかしマーベルにしろSWにしろ、こういう監督のフックアップするディズニー、やっぱやばいな。
初渋谷ウェンディーズハンバーガーとチリポテト。隣に座った成人式帰りの女性2人が仲よさそうに会話してた。また本で散財。坂口恭平『現実宿り』、篠原雅武『生きられたニュータウン 未来空間の哲学』、矢野和男『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』、スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』、川口慧海『チベット旅行記』買った。
夜は味噌汁、切干大根煮物、玉葱と挽肉のカレー炒め作った。
加藤幹郎『映画館と観客の文化史』読み始める。めちゃ面白い。この本に書いてあることを無理矢理根拠にして映画史的に正しいことは何かを振り回していきたい。

デヴィッド・ロウリー『ピートと秘密の友達』


家族、自然、フォークロア、子ども、冒険、友情、別れ(喪失、lost)と出会い(新しい集まり、union)。"古き良き"アメリカの映画。
家族を失い孤児になったピートは、自身をその境遇から救ってくれた者に、"迷子"の犬の物語からエリオットと名付ける。エリオットという迷子になった犬の名を、迷子になったピートがドラゴンに名付ける。というところに、lostという言葉の広がりがある。
lostするというのを、"消えた"自分を探す者が"いなくなる"ということに言い換える。ピートが、不可視の能力を持つドラゴンにエリオットと名付けることは、両者がlost状態にあることと、しかしお互いがお互いを見つけた/見つけることができる、ということになる。
lostするだけでなくて、lostしたものを取り戻す/獲得するまでの物語(グレースは隅々まで知り得ていると自負していた森の新しさ=ピートとエリオットに出会う)。
炎を吐き橋を破壊するのと同時に落下しそうな車をせき止める行為があからさまな喩えになっているけれど、竜は人間を襲いもし救いもする自然の象徴で、完全に御することなどできない。