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庭仕事

2017-10-16

マット・リーヴス『猿の惑星:聖戦記』

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最近ほんとに涙腺がおかしいので、カメラが中空からゆっくり動いて戦闘の様子を捉え、ロケット弾が画の中で黒い煙の軌跡を描き着弾するまできっちり見せるのと、木々越しに馬で走るシーザーの横移動のカットバックがある、冒頭の森のシーンが、見たいものすぎて泣いてしまたったし、このシーンと、最後の徹底して細部が充実してる雪山の、2つの戦闘シーンの演出や構図が素晴らしい。"映画史"の参照具合も、このくらいがちょうどよい(最近やりすぎなやつが多かったから)。

そして、CGなのか、それともロケなのか、セットなのか、判別つかないけど、序盤の、寂れた港町のような場所や、予告でも使われた広大な砂浜などの風景、そこの時間帯のセレクトや、曇天の空も含めて、それだけで叙情が宿っているのが感じられるし、閑散としていたり無人だったりする風景にすでに「語り」があり、見ていて高揚した。

マイケル・ジアッキーノオールドスクールな作りのサウンドトラックもめちゃくちゃ良かった。好きなのは砂浜のシーンと、雪の中の追跡シーンのときの曲。

3部作として考えると、差異の視線劇としての『創世記』(http://d.hatena.ne.jp/niwashigoto/20111029)、友愛と分断の「手」のドラマとしての『新世紀』(http://d.hatena.ne.jp/niwashigoto/20141018)を経て、『猿の惑星:聖戦記』はさしずめ、言葉と思想の歴史物語(HISTORY)かね。

今作で描かれているのは、本能的な恐怖とか、事件に瞬発的に対応していくことではなくて、すでに構築されてしまっている思想/信条(それは他者とぶつかり合うこともせず、ただその場に立ち尽くし、その身を葬ってくれる者の到来を待ち構えている)なので(とは言いつつも、それが実際に語られてしまう演説シーンに停滞を感じてしまったというのはあるんですが……)。

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そして、もうひとつ、モチーフとして挙げるならば、「元に戻る」こと、「退行」かと思う(エイプたちの「進化」に対してアンビバレンツかとは思うけれど)。

人間たちと雌雄を決するために、そして復讐を為すために、集団から離脱し、ある場所へとたどり着くことになるシーザーの道行自体が、まず、自分が離れたはずの場所へ引き戻されてしまうこと、を示している(誰しも「過去からは逃れられない」のだろう)。

しかもその場所で行われているのは、かつてエイプたちが置かれていた状況の再現とも言える。シーザーも1作目同様に、檻の中に入れられ、その中で、(再び)孤立から連帯へという身振りと、そこからの脱出が為されることになる。

そして、今作中で描かれ、未来が示される人間の種としての末路と、物語終盤、ある破滅を引き起こすディザスターを逃れるためのエイプ達の行動・「運動」もまた、ある意味「かつての姿に戻ること」と言える。

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