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庭仕事

2018-01-27

キャスリン・ビグロー『デトロイト』

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この構成の歪さ、異様さはなんなんだ。もちろん事実は小説よりも奇なりで、実在の登場人物たちの最早奇怪と言える現実の言動(そういった人物に対して何度も「ドラッグやってんの?」という問いかけがあるくらい)や、遭遇する有り得ない出来事によって要請されてるわけなんだけど。そして「狭く」て、延々と続く「蛇足」感の強いストーリー。

なんというか、うまく言えないんだけど、とりあえず事実とされる出来事をかき集めて、それをとりあえず時系列通りに並べ繋ぎ、そこから逆算してセリフや人物描写や人の動きを考え出して隙間を埋めたような感じ、みたいな……そういう意味で、今作をリアルだと評するの、正直よくわからん。


何度か劇中で「フォード」という単語が出てくるの、もちろん土地柄ということもありますが、創業者ヘンリー・フォードの政治性の事も考えさせようとしてるんではないかと思ってしまった。さらに、フォーディズム、そして大量工業生産の性質としての「動きだしたら止まらない」は、権力による暴力装置も同じじゃない?と暗に示してるのでは(考えすぎですが)。

もちろんこれって悪徳白人警官の事でもあるし、その警官が相手でも黒人が相手でも同じように恐怖で威圧し追い詰める取調室の刑事の事でもある。では、どちらが本当に恐ろしいのか、「止まらない機械」なのはどちらか。

さらに劇中に現れる裁判制度や、経済システムに組み込まれた音楽(これに、作中のある人物は強烈な拒否感を示すわけだけど)も同じなんじゃないか。いったん作動すれば停止できない。そしてもしかすると、逸脱するには「死」しかないのか?という。まあこれはあまりにひどすぎる推論ではあるけれど。ただ、これに対しては、無人の劇場で歌い、そして物語の最後も「その先」でも歌い続けるためにある選択をする人物が、一つの答えを示しているのかも、とも思う。

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例えばジョン・ボイエガ演じるディスミュークスという人物の曰く言い難さ、捉えがたさ。彼の持つ生き生きとした「仲裁」技術(コーヒーを持って出ていく手際の良さがもたらしてくれる鮮烈さ!)。おそらくその延長線上にある、事件への介入行為…それはしかし、結果論で言えば、ほとんど無意味かもしれない、ただそんな割り切って人は行動できない。機械の中で、決まりきった動きの中で、いかに状況にあらがうか、「この夜を生き延びる」(survive the night)か。彼が本当の意味で「何もできなかった」のか。そう言い切るのは、少し躊躇したほうがいいと思う。

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あと、デトロイト市警の激ヤバ警官三羽ガラスの1人、シング・ストリートの兄ちゃんじゃんか!と悲しくなり、ジョン・クラシンスキーa.k.a.エミリー・ブラントの旦那が颯爽と現れてまた「てめえ!!!(怒)」みたいな役で腹立った。

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