二遊間

2018-06-11 6/11

  Dr.DOWNERの『Goodbye, bright city』が素晴らしくて、繰り返し聴いている。これほど自分の日常と現実に真摯(という言い方はおかしいかもしれないけど)に向き合っている音楽を知らない。というかたぶんない。日常と現実のことしか歌っていないからこそ、突き刺さる。その態度はひたすらかっこいい。ふつうはそんなこと怖くてできない。音楽を聴いて励まされたり、慰められたりしたことは今までに何度もあったけれど、それはどこか現実とは地続きではない感じがあった。でもこのアルバムはそうではない。音楽を聴いて、初めて知った希望かもしれない。


 私は5月6日に永福町の「鶴吉」という飲み屋で年に何回か行われている、一人持ち時間10分ほどで弾き語りを行うイベントに参加したのは三度目か四度目で、ひょっとしたら五度目だったかもしれないが、三曲演奏したうちの二番目の曲を私は作った、私は三曲目に演奏した「醤油」という曲を作った人は友だちで、もういまは生きてはいないが、二番目の曲はその人のことを考えながら作った、しかし作曲の方法やメロディに関して私は全然わからないので適当にありきたりなコード進行を弾きながら歌ったにすぎないが、その友だちのことを本当に思って書いた歌詞を私はいま正確に思い出すことができなかった。私はその弾き語りイベントに前回も誘われたが断ったのは友だちがもう生きていないからだったが、今回も誘われて出た理由は友だちのことを歌いたかった。
私は朝、通勤をするときに西荻窪から乗る中央線よりもすいている総武線に乗りたいが、寝坊こそしないものの仕事に行きたくなくてついダラダラしてしまって中央線に乗らなければ間に合わない朝があって、西荻窪中央線のホームで私は友だちの死を聞いたのはそういう朝だった、その歌はそういうところから始まる、私はその日そのまま仕事に行くか悩んだが、とにかく仕事へ行くそういう日々を続けている今も私は御茶ノ水総武線中央線を降りる、そして勤務先のある神保町のほうへ続いていく坂道を下るとき、その友だちが死んでからしばらく聞くことはなかった友だちが作った曲を最近また聞くようになった、と歌詞には書いたが、私は友だちが死んでからも友だちが生きていた頃のようにかわらず友だちが作った曲を聞いていた、だからその歌詞が私自身のことを書いているならそれはウソだった、坂道をくだった十字路の角にドトールと隣り合うローソンがあって、ローソンの「鶏から 旨塩」が本当においしいから週に二、三回は鮭おにぎりと一緒に買ってしまっている。私はこれからも友だちのことを思い出していくはずなのに、友だちのことをどんどん忘れていっているということに気づいて愕然とする。
私はその友だちは「鶴吉」の夫婦と子供の頃からの友だちで、友だちの墓がある新潟の住所を聞いた、私は去年友だちは新潟樹木葬だというウワサを聞いたので、新潟樹木葬をやっている霊園は2つしかないというインターネットからの知識をもとに五月の連休にそこをたずねたがいずれの霊園にも友だちはいなかった、私は新潟に到着した日にたずねた霊園のひとつめは柵で囲まれた芝生のなかに立っている樹がとても貧相で、これをシンボルツリー呼ぶのは酷ではないかと思った、いくら費用の安価な埋葬の仕方であってもこんな貧相な樹を墓標に見立てるのは詐欺だと思った、柵の横に石作りの掲示板のようなものがあってそこに小さな名前の彫られた石の名札がはめ込んであったが、そこに友だちの名前はなかった、並んでいる名前は赤と白で彫られているその理由を私はわからなかった、二日目にたずねた霊園は一日目と比較にならないくらい大きく樹も立派で芝生に埋められたスプリンクラーがまわって水のなかに虹を見た、やはり同じような掲示板があるそこに友だちの名前はなかった、私は名前がなかったから一日目も二日目もその樹の写真は取っていない、今となっては樹木葬というそのガセネタがどこから聞こえてきたのかもわすれてしまったが、友だちの友だちであるその夫婦に教えられたそこは樹木葬ではまったくないらしかった、私はそこにかなり行きたいが車でなければ行けないような場所にあって私は車が運転できないからタクシーで行くしかない、あるいは誰かに連れて行ってもらうしかない私はタクシーを待たせてその友だちの墓を見つけ、しばらくずっとそこに立っていたいし、話しかけるようなこともしたいし、小説にも書きたいと思うが、タクシーのメーターはぐんぐん上がっていった、その墓の近くには温泉があるそうだ。私はその歌をうたいながらこんなに涙が出るものかと思いながら、コードは四つしかなかったし、いまは正確に思い出せなくなった歌詞も覚えていたから嗚咽しながらも歌うことはできた、私はその友だちが生きていないのに私は生きていてビールなど毎日飲んで酔っぱらっていることが不思議でならない。


 上半身をそらしてカーテンの裾を掴み、反動をつけて左に引っ張りながら自分の身体も半回転させて仰向けになったが、よく晴れた空と電柱電線と道を隔てて前にある米屋さんが住んでいる土地に立つ名前のわからない木の緑色と、その隣にあるアパートかマンションが建つらしいやはり米屋さんの敷地にたぶん昨日まではなかった赤と白のクレーンが見えたものの、カーテンは開ききらず、また元のように閉じてしまった。
 別に明るさが欲しかったわけではなく、光はカーテンの隙間から漏れているし、隣のテレビのある部屋の窓からもじゅうぶん届いていた。「こちらは廃品回収車です、ご家庭で不要になりましたテレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機……」という声が聞こえてきて、休日だなあと思う。何曜日だってこの時間にこうして横になっていれば聞こえてくる声なのだろうが、ガンガン何かを叩いている工事の音も、「車がバックします、ご注意ください」という廃品回収車よりももう少し機械的な声も、十年も住んでいるのに一度も乗ったことがないが、百円で乗れるらしいこのあたりを循環するバスが家のすぐそこにあるバス停にやってきて、扉を開けるときの「べーっ」というブザーも、いつも職場に向かうときに乗る総武線中央線か、あるいは甲府のほうに向かう特急「かいじ」なんかが走っていく音も、それらを個別に聞き分けることをするのも休日だからだ。
 今日は土曜日だから、中央線は最寄駅である、この家からは徒歩九分ということになっている西荻窪を通過する。通勤快速とか中央特快はもちろん、特急はいつだって止まらないが、同じ電車が走っていく音でも「二種類」というほどの厳密さはないけれど、明らかに違って聞こえるときがあって、ちょっと鈍くて重くて低い、どこか緩慢な感じがするのは西荻窪に到着するか出発するかする総武線で、カシャンカシャンカシャンという機械的な、そして聴覚を離れていく(?)ときにしゅーんと余韻を残して消えていくようなのは、西荻窪を通過する中央線特急ではないかと思うのだが、もしカーテンが開いていても米屋さんの家の樹に隠れてしまって、電車が走っているところは見ることはできなかった。
 天井は六本の線で仕切られていて、両端とその間にある五つの区域では大きさが違う、なんていうことに気づくのもまた休日だからだ。七つの区域を見て、七文字の言葉を当てはめてみたくなり、う、え、だ、こ、う、す、け、とすぐにリズムよく浮かんで、夢に上田がでてきたことを思い出す。そのままテレビがついたように夢のイメージも一気に頭のなかに流れ込んできた。それを見るために目をつぶった。


 5月20日のマエケンライブのチケットを取っていたが、行かなかった。怖くて行けなかった。新しいアルバムも購入日いらい全く聴いていないが、そのこととライブに行かなかったことは関係ない。ABCDと各方面に違うことを言っていて、つまりはウソをついているのだが、それを同時に成立させるコミュニケーション能力というのか、人間的魅力のなせる業にはお手上げというしかない。そのウソに気づいたとしても、それを指摘する側のほうが「みっともない」ことになる世界を作り上げている。極めて邪悪だ。いっこくもはやく滅びて欲しい。
 保坂和志の小説論三部作を読み返していて、最後の『小説、世界の奏でる音楽』をそろそろ読み終わる。休憩時間は『こことよそ』をノートに写している。とてもいい。金曜日はこのところずっと西荻のスナックビルにあるカラオケ居酒屋に行っている。そこはもう何年も通っている店なのだが、毎週欠かさずといった感じになったのは最近で、そこでは20曲歌うとボトルが1本サービスになるそれを毎週達成している。と言って20曲も歌うのは普通のカラオケならともかく(それでもかなりきついが)、一曲200円だからそれだけで4000円になってしまって大変な浪費だし、そもそも他にもお客さんが沢山いるわけだから20曲歌うのは相当な時間がかかってしまうし、歌う曲にも気を遣う必要があるのだが、個人ではなくグループで20曲でも可、ということになっていて、私は必ず毎週金曜日の早い時間からその店にいる飲み屋のセンパイがすでに歌っているところに駆けつけて20曲の手伝いのようなことをしている。あるいは20曲になるよう先んじて店にいて、テキトーに歌い、あとはセンパイにお任せするようなこともある。そのサービスボトルを二人で飲みきり、また20曲歌って新しいボトルをもらうという永久機関的(?)なことを私はしている。小説が書けない。小説を書き始めようとすると、胸の中にどろどろと不穏で不快な気持ちが渦巻いてきて、これはなんなのか、小説を書く事への絶望なのかなんなのかわからないが、とにかく嫌でたまらない気持ちになる。だったら小説など書こうとしなければいいし、距離を置けばいいのだが、そういうことができない。書こうとしなければそれはそれでやはりどろどろと、小説というものが重くのしかかってくるような気分になる。だからベッドで寝転がりながらパソコンを立ち上げ、wordを開き、とにかく書く。小説を前に進める。どろどろとした気持ちで少しずつ書くとそれは浄化されていくような感じがする。1000字ぐらい書いたところで、まあ今日はいいや、よくがんばったという感じになる。次の日にはまたドロドロとした気持ちがわきおこる、その繰り返しだが、ある程度、一万字とか一万二千字とかになったくらいで、その浄化されるような感じはなくなり、耐えられなくなって、また別の書き出しを見つける、ということを繰り返しているが、その浄化されるような感じなどきっとあってはならない。なにをバカなことをやっているのか。不快な気持ちが、絶望がそのまま希望に転化するようなものを書き続けろ。カラオケ居酒屋を出るのはだいたい四時過ぎになっているからこの季節だともう明るい、朝マックを食べたいと思うがまだ始まっていない、センパイたちは富士そばへ行く、高架下を歩きながら私は友だちのことを考えるのは、そうやって四時を過ぎたりするときにその人もいたことがしょっちゅうあったからだ。赤いリュックを背負って職場へ向かう坂道をくだる、家でひとっ風呂浴びてから楽な服装に着替えてビーサンを突っかけ22時過ぎから飲み屋のある駅の方まで歩いていく、途中のセブンイレブンは明るくて、酔っぱらって帰ってくるときでもまだ明るくて、本当は自分だって消えてしまいたいと、自分のほうこそ消えるべきだと思う私は、それでも小説が書きたかった。

2018-01-22 日記

 肩から胸にかけてどかーんとやけどがあるのだが、それが冬になるとむちゃくちゃ痒くなるので、ざくざく搔きむしっている。やけどの理由は不明である。物心ついたときからそれはあり、地球やまねこ座銀河団くらい疎遠になった親曰く、幼い頃に味噌汁をひっくりかえしたからだ、と言っていたが、どうも怪しいのではないかと疑っている。疑っているというか、なんというか、まあ、やけど地帯になっているところと、そうでないところがあるので、なにかしら飛び散った影響であるのではないかとは思われるが、それが味噌汁というのは、なんとも所帯じみているというか、ところで味噌汁といえば、ドイヨシハル先生の影響をうけて、出汁を入れなくなった。具材をちゃかちゃかと炒めてから煮立てて味噌を放り込めば、それで十分である。ああ、やけどがあるなあ、ということは一年に何度か意識する。こういうものはなかったほうが、多少はマシになったであろうと思う。まず痒さがないだけでもぜんぜんいい。小学校のころなどはやたらと気にしておったのだが、ヤマダ(仮)といういいやつがいて、おまえな、そんなん隠しとったら、まわりが余計気にするだけやで、どーんと見せたらええんや、どーんと見せたらええんや、オマリー最高や!とか言ってくれて、それで別にどーんと見せるということは特にしなかったのだが、ヤマダ(仮)はその後、体育教師になったという話を聞いた。今も教育の現場でどーんと見せたらええんや、メッセンジャー最高や!と、内気な子供たちを励ましているのだろうか、ぜひそうあってほしい、ヤマダ(仮)は体育教師になるくらいだから、それは運動神経抜群で、陸上部であったが、たまにわれわれテニス部のところへやってくるなどして、われわれテニス部はむちゃくちゃ弱い、運動神経があんまりない人ばかりが集まっていたものだから、初めてラケットを握ったヤマダ(仮)を、それでもいちおう圧倒はしていたけれども、ああ、これは一週間もすればあっというまに追い抜かれてしまうなあ、やはり持って生まれた才能というものはあるのだなあ、などと無常を感じていた。エレベーターにはいつでも一人で乗りたい。そのころ、筋肉少女帯などをよく聴いてましたね。活動停止する、ちょいまえのことです。とうぜん、だからオーケンのエッセイとか読んでいましたね。雪が降るらしい。帰宅困難とかになってしまうかもしれないらしい、あの震災のときは、職場から家まで歩いて帰った、途中、大久保の韓国料理屋でマッコリをガバガバ飲んで、熱いスンドゥブをほおばって、阿佐ヶ谷のバーみたいなところでもカクテルをすいすい飲んだ。歩く前、外に出る前、テレビで震災のニュースを見て、これは原発がやばいんじゃないのか、と言った人がいて、原発がやばいの、なんで?というくらいに何もしらなかった。おろかだったとおもう。雪はつもるんだろうか。雪がつもったら帰宅困難になるらしいので、できればつもらないでほしいものだけれど、雪がつもったならば、それを掴んで投げたりできる。


 ひらがなの名前の人はふりがなを書くときちょっとさびしいだろう


 短歌を4か月にひとつくらい作ってみて、先日、上述のようなものができた。いかにも素人がつくったような感じがしますね。きっと歌人のひとが同じような発想に行き当たって短歌を作ろうとするならば、もっといいものになるだろう。「ちょっとさびしいだろう」とかが、きっと、もっとああ!とか、なるほど!とか、わかる!になるんだろう。ぜんぜん違う風な表現ですごくなるんだろう。ひらがなの名前の人は、とかいうのも、ちょっとへんだ。もう十三年とかもっと前か、イアンソープの短歌を作れと言われたから作ったことがあって、それはイアンソープはむちゃくちゃ強いから孤独です、みたいな(?)内容の(?)歌であったけれど、その孤独うんぬんを「イアンソープは帝王だから」としたほうがいいね、といったのは友人の五島諭という男で、友人と書いたものの、果たして今は友人なんだろうか。なんだろうか?このあいだ、2017年が終わったばかりだが、一年が終わるということになると、ああ今年もいよいよ五島諭に会わなかったなあと思う、のが、最後にあったのは2013年の12月のおわりなので、かれこれ4年続いている。あのときは大船で居酒屋にいって五島くんと居酒屋に行くのは初めてであって、もう最後かもしれない。知らぬうちに結婚していたから、「わたしは、五島さんは恋愛とは無縁の人物だと思っていた」みたいな文章でいぜん、「わたしの五島さん」という散文を書いた身としては、本当におどろいた。だるい。去年はどういうわけか、プレイステーションvitaとプレイステーション4とニンテンドースイッチと、三つもゲーム機を買うなどして、ちょっとトチ狂っていた。しかも買ってはいるけれど、ぜんぜんやっていない。スプラトゥーンなんてむちゃくちゃ流行っていて、なんだかむちゃくちゃ楽しそうじゃないですか、ね、なんか、みんなやってるし、だけど、一時間くらいやって、あ、これはあかん、そもそも協力プレイとか、対戦とかダメだわ、戦犯とか言われるこわいわ、とか思ってやめて、本を売るならブックオフに売った。でも人生にゲームが必要だったことは間違いない。ドラクエ11とかクソ面白かった。たのしかった。最近はどうも読んだり見たり聴いたりすることの興味が薄れていっているような気がして、薄れているというか、なんかそれを享受することの意味がいまいちよくわからなくなりつつあり、それは自分が小説を書いていることと無縁ではなく、そういうものに触れてしまったら、自分が小説を書いたりすることの意味が、というか、はっきり言えば才能の無さみたいなものをつきつけられるような気がして怖い、という気持ちも確実にあるのだろうけれど、というかそういう気分がそもそも自意識過剰で、自分には才能があると思っていることの証左に他ならないのですが、だって滝口悠生の小説とかすごいじゃないすか。うわーって思う。素晴らしすぎる。現場からは以上です、みたいな。お金が欲しい。それでもなんでか、知らないが、小説というのはことに、自分の書く小説というのは自分のなかで希望になっている、やばいよなあ、一生唐揚げを食べられないことと、小説を二度と書けないことであれば、俺は間違いなく唐揚げを捨つる、唐揚げにかぎらず、揚げ物全般であっても、揚げ物全般を捨つる、酒をいっしょう飲めないなら、酒を飲まなくていい、本も音楽も聴けなくなっても俺は小説を書かせてもらうが、好きな人との生活プロ野球だけはちょっと許して欲しく、ようするに好きな人との生活プロ野球と小説があればいいみたいに、なっている。それは全力全身で守る。つか、プロ野球が好きなんですよ。早く始まって欲しい。野球友だちがほしい。ひいきが違っても全然かまわない。ここで、2018年セントラルリーグ順位予想をしておくと、


1、巨人ファンだから)
2、広島(強いから)
3、阪神(安定しているから)
4、横浜(去年がよすぎたから)
5、中日(ポジティブ要素がないから)
6、ヤクルト(同上)


という感じだと思います。パントラルリーグのほうは、


1、ソフトバンク(強いから)
2、西武西武はずっと強くあってほしいから)
3、オリックス(いよいよ、そろそろ強くなりそう)
4、日ハム(ポジティブ要素がなさそうだから)
5、楽天(去年がいくらなんでもよすぎたから)
6、ロッテロッテだから)

という感じだと思います。脳内でエルドレッドの応援歌が流れている。


 ヤマダ(仮)というのはそう、たいへんいい奴なんだけれど、中学二年の終わりだったか、三年のはじめだったか、生徒総会という大変うさんくさい催しがあって、そこで生徒会なのか先生なのかが提案してきた、というか、その提案は事前に資料で配布されていて、まあそこでは採決するだけのようなものなんですけど、その提案、みんなの学力向上のためにね、放課後にちょっとだけ勉強しましょうよ、小テストとかやりましょうよ、みたいな提案にヤマダ(仮)はたいへん憤慨していて、こんなんおかしいやろ、部活できへんくなるやんけ、そらグリーンウェル帰国するわ!と激昂して、ぼくも確かにそのとおりだと思った。ぼくは部活がとても好きだったし、めちゃくちゃ弱かったけれど、変なサーブの打ち方とかルールに抵触しない奇声の上げ方とかを研究したりするのが楽しかったから。しかも、その放課後勉強時間に使用する小テストの問題は先生ではなく、頭のいい学生ベストイレブンみたいな、要するに特に優秀な生徒、選ばれしもの、当時の言葉でいうところの運命を仕組まれた子供たちが作成することになっていて、ぼく、本当にこのことに、部活の時間を取られること以上に腹が立った。なんなん、頭のいい学生ベストイレブンて、いみわからへん、そんで、そういう、問題つくるーとか、そういうことでまた内申点獲得するやつやん、ずるいやん、俺だってエヴァにのりたいよ、ぼくは、テストで、中間テストで、五十点満点で五十点、期末でも五十点満点で四十九点とって、にーついたことがある。5段階評価でにー、ですよ。ちょっと、ひどすぎやしないだろうか。それは確かに、国語のテキストに出てくる単語の意味を辞書で調べてきて書き写すという謎の宿題に、わからぬ単語などないから、そのかわりに司馬遼太郎の『坂の上の雲』の適当な部分を書き写して、それも(バカだから)結構はりきって色々と書き写して、そうしてそこにはよくわからない単語もあったので、それをあれこれ調べて提出するという、自習的なことをして、まあ、先生をおちょくってはいる、不真面目な態度であるといわれるならわかるし、実際そうやったですけど、その先生、今でも覚えているフジイさんという先生、なんて言ったと思います?先生ね、フジイさん、「あの、ちょっとごめんなさい、あまりにもおかしくて、」「どうしたんですか、先生」「あなた、司馬遼太郎読んできたんだ」「ええまあ」「恥ずかしいね」「え」「恥ずかしいって言ってるの」「なにがですか」「司馬遼太郎なんか読んでいることがよ」「え」「私が教えている生徒に司馬遼太郎なんか読んでいる痴れ者がいることがよ」「痴れ者」「Oh nooo! Big black shape with eyes of fire」「え?」「つーかシバリョーとかブンガクじゃねえんだよ、そんなこともわかんないやつはとっとと死ね」と、およそこのようなことを言って突き返してきて、ひとり一人にダルマを配って回ったんですよ。俺は痴れ者なのでダルマをもらえなかったんですけど、つうか司馬遼太郎文学かどうかは、先生が決めることじゃない、歴史が決めることで、まあ僕もあんまり文学じゃないと思う、そこは賛成するけど、で、ヤマダ(仮)と俺は怒った。怒って、よっしゃ、生徒総会で一発かましたろうやないかい、わいらで廃案にしたろうやないか、勉強法案絶対廃案!廃案!廃案!とか意気込んで、それで、言うことになったんですよね、やめてよって。そもそも放課後は自由なのだから、自由に過ごさせてって。それで、先ずはぼくが先鞭を切って、ヤマダ(仮)が後に続く、すると、みんなこんなむちゃくちゃな法案、内心では嫌がってるに決まっているから、あとからあとから賛成意見が出るに違いないっていう算段だったわけですよ。それでもう私は、その日、人前でしゃべるのとか全然ダメなほうなのに、言ってやったんですよ、おかしいじゃないか、勉強するとかしないとか、そんなの個々人の自由じゃないかと、部活やっている人もいれば、早く家に帰ってゲームをしたり、それこそ一人で勉強したい人もいる、タバコを吸ったりケンカに明け暮れたりしたい人だっている、笑い声とため息の飽和した店でピンボールハイスコアを競い合ったりしたい人もいる、それはもちろん、窓ガラスを壊してまわったりしてはいけないけれど、五分でも十分でも我々の自由を縛り付けようとする先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか、みたいなことを。尾崎豊も好きだったんですよね。尾崎豊ってJロック好きな人からはダセーと思われがちで、まあ実際にそう思われても仕方なしみたいな要素はたくさんあるけれど、いい曲いっぱいありますよ。で、言ってやったら、それはもう、思いっきりしらけたんですよ。まあ予定調和の生徒総会という場で、自由がなんだの代弁者がどうだの、あとなんど自分自身卒業すれば、本当の自由に辿り着けるだろうとか、お前登場してくる年代まちがってんぞみたいな、いまナウ96年とかで広末涼子なんて途方もなくかわいい女の子が出てきちゃってる時代なんだぞと。お前広末好きだろ、好きですよ。むっちゃくちゃ好きで、当時好きだった女子がしかも広末にすごい似てたから、テレビでみたときに「え!○○じゃん」ってなったぐらいに好きなんですよ。いまも好きですよ。「元カレ」のヒロスエが特にいいすね。もちろん、だからそのヒロスエ似の女子も俺が戦いからの卒業とかこの支配からの卒業とかうるさくわめいていた体育館にもいたわけで、しかもよくないことに、むしろその女子はさっきのなんだっけな、頭いい人ベストイレブンみたいなのに入っているような人、仕組まれた子供だち、いわば惣流・アスカ・ラングレーだったから、余計にしらけたんですよね。アンタバカァ!?ってな具合で、好感度もぐっとさがったわけですよ。ときメモでいうところの、怒ってる顔の評価ですよ。校門前で会っても無言で立ち去られるやつですね。「あーお前やっちまったな」なんて好雄に電話で言われる感じですよ。だからそう、もう完全にぼくはやらかしてしまって、ヤマダ(仮)の方を見た。あとは頼むぞ、ヤマダ(仮)、道はどうにか切り開いた、獣道かもしれないが、とにかくやるだけのことはやった、お前のいい奴パワーで、あと顔もかっこいいからイケメン力でなんとかしてくれと。ヤマダ(仮)はうなづいて、マイクの前に立って一言、さすがですよ、「いまの意見は、取り下げます」完全にやばくなった俺をヤマダ(仮)が助けた構図ですよね。もちろんヒロスエ似とつきあったよね。というか、すでにつきあってたよね。

2017-11-01 その日

 その日。
 カツカレーが食べたい。たぶん、なにぶん夢のことなので確信は持てないけれど、俺が見る夢は全部モノクロのはずだ。なんかカラーテレビが普及して夢に色がついた、とかいう話を聞いたことがあるけれど、俺の夢はモノクロなんですよね、たぶん。もしかしたら最近見る夢に限ってということかもしれないし、まあだからそう、夢の話なんで、なんとも言えないんですが、思い返して、夢に色があるという印象がない。見ている夢に色はあったとしても、その夢の色のことが思い出せない(?)というべきか。先日、丸眼鏡を買おうと思ったんですけど、結構似合うんじゃないかと期待したんですけど、いざかけてみて、いろいろ試してみて、ちっとも似合わないのでやめた。基本的に眼鏡が似合う側の人間として生きているつもりで、だから度無し眼鏡をかけているのだが、本当に丸眼鏡は似合わない。小説を書こうと、次はこういう小説を書きたいという、強い気持ち・強い愛があるけれど、すこしその前に自分の心のなかにたまっている有象無象を文章化せねばならないだろう、と思って日記を書くことにした、けど、もう書きたくない。一年前から、友だちが死んだ小説、指輪をトイレに捨てる小説、友だちの友だちの墓参りにつきそう小説、金曜日から火曜日まで飲んだくれている小説、そのほか、断片をぺろぺろ書いてきて、一日の絶対達成文字数を決めて、盆正月も大晦日も休まずに書くか、書いたものの手直しをした。苦しかったけど、すぐやる。すぐ戻るから待っていて、小説。追いつくから待ってて、小説。行かないで、小説。
 仕事終わりにミニストップ缶チューハイを二本買って、ひさしぶりに古本屋Aさんの店にいった。以前は毎日のように仕事の休憩中に訪れて、Aさんの話に耳を傾けた、結構な掘り出し物があるのでよく買っていた。Aさんに会いにいく休憩のこと、Aさん観察日記みたいなものを書こうとしたことすらある。このところ休憩中は小説を書くか、本を読むか、寝るか、うちひしがれているかしていて、うちひしがれて後、寝ることが圧倒的に多いのだけれど、缶チューハイを手渡すと「なんか死にそうな顔してますけど、だいじょうぶですか」といきなりAさんに言われる。Aさんこそ大丈夫なんですかと聞くと、なんとか今月も切り抜けることができました、とにこやかに答える。しかしAさんにとっての切り抜けるというのは、どうにか家賃を「滞納」できたとか、借金取りをやり過ごしたということであって、Aさんと話すようになって8年ぐらい経つと思うが、もうずっと同じことを言っている。すごい。そして、そういう大変な状況を切り抜けると、必ず「運気がまわってきた」とか「来年はすごい店になってますよ」とニヤニヤした顔で言う。本当に言う。昨日も言った。だから超絶ポジティブなのかと思えば、それはどうかよくわからない。ネガティブなわけはないが、本当にそう思っているのか、自分にそのように言い聞かせているのか、あるいは特に何の感情も抱かずにテキトーなことを言っているのか、読み取れない。別に俺に対してだけそう言うわけではなく、他の客にも、俺よりもずっと親しい客にも、やっぱり同じようなことを言っている。どうにか切り抜けた→運気がまわってきた、のループ。Aさんは「いやいや、それってアウトでしょ」とつっこみたくなるような話を平然と披露して、どうしてこういう人が生きていけるのか不思議に思っていた。人徳という言葉では片付けられない、究極の人たらしというべきなのか。ある人にAさんのことを聞いたら、「あの人には他者がいないんだよ」と言っていた。他者がいない、だから人に迷惑をかけようが、ひどいことをしようが、気にならない、ということだろうか。


 自分のことをあくどい奴だと思うのなら、そうやって生きてきたのなら、落胆などせずにあくどさに忠実にいろ。あくどいまま生きろ。角田光代さん訳の『源氏物語』を買って最初の二篇くらい読んだ。おもしろい。源氏物語を読むのは初めてのこと。滝口悠生さんの小説『高架線』がたいへん好きなので、ノートに全部写そうと思っている。『茄子の輝き』も好きなところをたくさん写した。久しぶりに漱石でもどうかと『三四郎』を読んだらおもしろかった。与次郎がたまに真面目モードになって三四郎に語りかけたりするところなどがなぜかぐっときてしまう。読みながら次の『それから』のことも考えた。「そうやって死体だけ見せる気だな!」みたいなことを代助が言う最後の方の場面を思い出した。もう長いこと実家に帰っていないのは、実家に帰りたくないのは、好きではない母親に心底会いたくないから、そして好きだけれど父親のことがものすごく怖いからだが、小説を書くにあたって実家の間取りとか近くの風景を見たい。死んでしまった友人ではなく、死んでしまった、かつて自分が書いた小説の「俺」のことを書きたい。

2017-06-30

20170629

 黒い、京都保坂和志イベントのときにかった、黒い、ゲンちゃんが着ているようなTシャツを着る。
 朝、ローソンの旨辛チキンだったかのサンドイッチ。あたため推奨の商品だった気がするが、あたためるかどうかは別に聞かれることはない。ドリンクヨーグルトブルーベリーとともに。総武線は今日も遅れていた。出社、すこぶる機嫌がわるい。いらつく。似たような同僚が三人も会議に出ている。似ているのだから一人、せいぜい二人でもいいはずなのに三人出ている意味は分からない。似たような人間が三人寄っても文殊の知恵ということには、ならない。電話の音がうるさい。人の話す声を聞きたくない。久しぶりに休憩時間に外へ出た。最近は少し本を読むか、読まないかしてテーブルに突っ伏している。すぐに眠れる。腕にヨダレがだらだらとたれていることさえある。ミニストップで五千円おろし、むかつくのでおにぎりかパンを食べようと思ったが、いいのがない。有馬さんのところへ行くがいない。三省堂で買おうと思っていた木下古栗の本、それから滝口悠生の新刊をかう。ユウショウ、という文字を出すとき、いま「悠久」とかいて「久」を消そうと思ったのだが、一発目には有給と出た。有給、今年はよく使った。六月いっぱいでまた有給カウントが元に戻る。たぶん十三日ぐらいは休んだ。

 職場にもどって、滝口悠生の新刊を読む。滝口さんは優しいと思う。来週に大阪で行われるワークショップにとても生きたいが、大阪は四月に、山下達郎のライブでいったばかりだ。別に行ったばかりでも行ったっていい、ふところに多少の余裕、ボーナスの残りがまだある。
新しい小説を書き始めた。また谷底のことを書こうと思う。小説、フジファブリック「茜色の夕日」を奥田民生がカバーしているのをこの間youtubeで見た。聞いて、小説をこんな感じにしたいと思った。また一日1200字を目処に書く。いろんな人のことを書きたい。自分(語り手)のことなどどうでもいい。ペルソナ5をやる。

 夕食、twitterマクドナルドのポテトを食べている人がいて、食べたい、また、ビックマックをこの頃食べたいとずっと思っていたので、買いにいってもいいなと思って外へ出る。でも歩く内にやっぱりそれらはカロリーが高いなと思って、歩けばそう思いはじめることはわかっていたから、家にいるよりも諦められるだろうという気がしたから、歩いて、セブンイレブンへ入った。スプライトと牛しぐれのおにぎり。おにぎりは歩きながら食べる。家に帰って、食べなくてもいいと思ったのに、赤いきつねを食べた。

2015-06-24 6/24

 それいゆにいます、まだいますか、もうしばらくいます、ではいきます、ではのちほど、というやりとりがあったその頃はまだポメラを使っていた。ポメラはテープ起こし二本で得たお金の一部をもって、ひょこひょこ吉祥寺ヨドバシカメラへ行き、そのあとほれほれ新宿ヨドバシカメラへ行くと三千円ばかりなぜか新宿の方が安いからそちらで買った。これさえあれば私はいよいよ小説を書きはじめることだろう、待たせたな文学界、喫茶店でもファミレスでもいつでもどこでも座ってさえいれば小説を書きはじめることができる、こんにちは文学賞、日記ももっと積極的に赤裸々に綴ることだろうし、短歌もひょっとしたら作ってみるかもしれない、ただし友人は私に「お前には短歌の才能は絶望的にない、さあ絶望せよ、さあ!」と迫った、私はその友人の言うことをすべて信じているが、友人は私の言うことの大半をデタラメだ、捏造だという。けれどポメラを手にしても私はちっとも小説など書かなかった、持ち歩いてはいたけれど起動させることはほぼなく、毎夜飲み歩いては色んな人と疎遠になっていた。本当にクソみたいなできごとがいくつも起こり、しかしまた新たな出会いによって救われたりもし、酒ではレモンサワーを最も好むようになった、やがてこれではいかぬ、なんのためのポメラだ、お前はこれで小説を書くのではなかったのか、このほら吹きめ、やれノートPCは重いだの、ネットの世界に取り込まれてしまってどうも書く気にならぬ、その点ポメラはよいぞ、書くことにしかつかえぬからな、それがいいのだ、かわいい奴じゃ、ほれほれ、とか、吹聴してたじゃん、おぬし、なにさまのつもりよ、おぬし、もっと真剣にやらなきゃいけないよ、おぬし、ちょっと太った?うん太ったよ、ピザポテト昨日もたべちゃったし、でもそうだね、理解したよ、悟ったよ、おぬしことわたしちゃんと理解したよ、うそじゃないよ、オッケーオーライ、もう書く、さっそく書くよ、書いてくれるね、書くよ、とか、ようやくモチベーションも上がって、またポメラを持参し全国行脚、敵討ちの旅、の道中、おおお、うおお、なにやら着想を得たわい、これ天恵ってやつじゃね、まさに傑作の予感、涼しい風が吹いている、なにやらいい匂いがしてくる、よっしゃ、あすこのジョナサンでもいこかな、もちろんドリンクバー、最初は決まって健康のため、野菜ジュースをその場で飲みきってしまい、コーラ及びホットコーヒーを同時に席までもっていく、よし準備オッケー、さてさっきの着想カモン、ってポメラ開くと、電源はいんねえじゃん、電池このあいだ変えたばっかじゃん、全然たりねーじゃん、みたいなことがしばらく続き、別にポメラのせいでもなんでもないのだけれど、それからも続いた小説など書かないでいた日々(小説など書かないでいた日々!)。それいゆにいます、まだいますか、もうしばらくいます、ではいきます、ではのちほど、というやりとりがあった夢のなかでもポメラを使っていて、書いているのはちゃんと小説。だがしかしそれは探偵小説ニームラは恥ずかしがり屋だからいつも馬のかぶりものをしている、東京都杉並区南荻窪6879-46メゾンアテーナイに事務所を構えている、好きな食べ物はカオソーイ。夢ではないそれいゆでもその時はポメラで小説ではなく日記を書いていた。ウソばかりの日記だけれどそれは決して小説ではなく日記だ。夢ポメラは現実ポメラとは異なり、インターネット機能を備えている、それがために小説を書くことを妨げられるなどと言っていた現実の私とは異なり、ネット宇宙からも様々なヒントアイデア着想を得ながら、それいゆのクロックムッシュを食べながら夢私は小説を書いているがしかし探偵小説。Why?なぜに探偵小説?読んだことないじゃん。別にニームラのもとに依頼者なんてやってこない。来るのは友達のすーちゃんだけで、ニームラに冷やし中華を作ってくれるし、二人とも胡瓜は入れない派、ゴマだれ派という意見で一致している。馬のかぶり物を取ってあげるのはすーちゃんの役目だ。ご飯を食べたら一緒にお昼寝、ニームラが起きるといつもすーちゃんはいない。夜ご飯はミニストップ、ここのミニストップはおにぎりが手作りでおいしい、今日は唐揚げマヨとおかかチーズ、帰り道、さっそくおかかチーズから食べちゃうと「あれすーちゃんじゃん」「あ、ニームラなにしてんの」「ってかすーちゃんこそいつもなんで夜はいないの」「え、だって仕事」「え、すーちゃん仕事してんのなに」「え、なんかいろいろ」「え、やめてうちで働きなよ、助手になりなよ」「うん考えとく」隣に座ってその人も夢ポメラを駆使して私にチャットをしかけ、どこかへ行きましょう、と誘いかけてくる。現実の私たちは少しだけ言葉をかわした。何処へ?何処まで?何処へでも?文字を打つたびに歯がぐらつき、「では三崎へ」「いいですね」行くことに決まれば、がぼっと歯は外れてしまい、粉々になり、口の中がじゃりじゃりして気持ちが悪い。何年か前に三崎に行ったとき、私は風邪をひいていた。マグロ往復切符みたいなものを買って品川から三崎口まで、そこから先は京急バスに乗って三浦半島をくだっていく。油壺マリンパークではアザラシがDJをしていました。


 さいきんは週に1回、カラオケスナックに行って、カラオケスナックなんだからボトルをキープする。ボトルはだいたい二回か三回で空く。緑茶割り、あるいはオレンジジュースで割ることにさいきんグッとオオっときていて、当然基本的にはオレンジジュースみたいな味がするのだが、後から焼酎のカーッ、クワッーという鋭さ(?)、これは酒ですよ、どんなにごまかしたって、結局は酒なんですよという主張が迫ってきて、美味い。でもその主張自体はそう強烈なものでもなく、だから基本はオレンジジュースっぽいのでがばがばと飲んでしまうことになり、ボトルはすぐになくなってしまう。カラオケスナックのすごいところは大体のお客さんが歌を聴かせたい、聴いて欲しいと思っていることで、だからなのか、なんなのか、今日はこういうの曲にも挑戦してみようというような雰囲気が皆無絶無で、例えばすーちゃんは「木綿のハンカチーフ」(椎名林檎カバー)や「歩いて帰ろう」(絢香カバー)を必ず歌う、これが本当にまず間違いなく歌う。他の人も然り。だから毎回ものすごい既視感で、「あれこれ先週も見たような……」っていう風になり、ラーの鏡が欲しくなるんだけど、そして酒を飲みつつ騒ぎつつ、けれど歌にはしっかり耳を傾けて、上手い下手関係なく歌い終わればあたたかい拍手、コール&レスポンス的なのがあればみんなで応える、矢沢さんの「止まらないHa〜Ha」をニームラが歌えば「乗ってくれ!」「Ha〜Ha!」と誰しもが応え、おしぼりをちょっとだけ投げたり、する。センパイたちのうたう、布袋さん「サレンダー」やKYON 2「木枯しに抱かれて」とか、クリエイション「ロンリー・ハート」などに耳を傾けつつ、小説のことをよく考えている。企んでいる。マイクが来たなら十八番をひとつ歌うだけ、と中島みゆきの「悪女」なんかを歌う。おおむね、元気である。元気かなあ。どうだろ。ジャイアンツがもうちょっと、もっともっと勝ってくれると嬉しい。どうなっちゃったんだジャイアンツ、そしてセ・リーグは。今年はめずらしく時間が経つのがゆっくりのような気がする、というよりは馴染みの酒場がなくなってまだ半年しか経っていないのが信じられない、もう何年も前のような気がする。小説はぼへぼへ書いている。すーちゃんやニームラと同じように私も冷やし中華に胡瓜はいれないでほしいし、ゴマだれ派です。こんにちは。


 まだ持っていたんだそれはデニーズのおもちゃうりばで買ったピングー


 これは一角などでお世話になった土岐友浩さんの歌で、五島君から教わったのか自分で発見したのか覚えていないけれど、初めて知った土岐さんの歌がこれでその時すごい、いいと思った。それ以上に短歌ってすっげえなあ、こういうこと、こういう気持ち、こういう切り取り方、っていうのはなんなのかよくわからないが、小説ではとても及ばぬと思った、それはまた五島君かっけー永井さん超おもしれーみたいなものとは全然違う印象で、まだ小説はなんとなく書いている頃でポメラは入手していなかった。そのうち書かなくなり、ポメラ入手にいたり、でもやっぱり書かなくて、今また書いているのは土岐さんにハッパをかけてもらったおかげです。歌集おめでとうございます。今度京都獣肉食べましょう。獣肉といえば、いつか岐阜の柳屋にいってみたい、ついでに小島信夫のあれこれを確かめに行きたい、私は海を抱きしめていたい。久しぶりにまた人前で歌を三曲ぐらい歌うことになり、加地等の「酒」という曲はやろうと思っています。生きている加地さんを見たかったなあ。