昨日の日記を書いて改めて思い出した事

前に嘉門さんのベストアルバムについて書きましたが
それで思い出した事をさらに書いて行きたいと思います。


「THE BEST OF KAMON TATSUO」はビクター移籍後から
「替え唄メドレー」ヒットまでのベストアルバムですが
ビクター移籍直後は「ハンバーガーショップ」が
有線でよくかかってたり
平成天才バカボン」の主題歌に起用されたり
それなりに調子良かったんですよ。


ただ、その後「替え唄メドレー」がヒットするまで
一年ぐらい時間がかかっちゃったんですよ。
なんでか?というと「天才バカボン」の後に出したシングル
(「FUTAMATA」「勝手にシンドバット」「やってミソ!」「カラオケNo.1」)が
どれも鳴かず飛ばずでそこで勢いが止まっちゃったんですよね。
ファンの間でもこの辺の曲は正直不評でしたし。


しかも、この4曲ってどれも「新田一郎テイスト」なんですよね。
反面「替え唄メドレー」や「ハンバーガーショップ」は
フォークソングや音曲漫談のテイストがミックスされた
嘉門達夫テイスト」だと思うんですよ。


そう考えると嘉門さんが新田一郎と組んだのは
失敗だったかな?と改めて感じます。


特に「FUTAMATA」は天才バカボンの一ヶ月後にリリースされてて
しかもアルバム「バルセロナ」からのシングルカット。
でも普通に考えたらシングルカットするのは
ハンバーガーショップ」ですよねぇ。


そしたらもっと早い段階で嘉門さんは、大まで行かなくても
そこそこブレイク出来てたし
替え唄メドレーでイキナリブレイクみたいな事になって
おかしくなる事もなかったんじゃないでしょうか?


結局あそこでハンバーガーショップにならなかったのは
単純に二人のチカラ関係が大きいでしょうね。
今でも嘉門さんは新田一郎に頭が上がらないようですし。


でも、そこはビクターの人がなんとか言うてくれよって思うんですよw
でもそうならなかったというのはたぶん当時
ビクターからも相手にされてなかったんでしょうねw
ビクターが嘉門さんに本腰を入れるようになったのは
「替え唄メドレー」が売れてからですし。


結局、新田一郎が嘉門さんの為になったのって
「替え唄メドレーの元曲の許可を新田一郎
ネームバリューで取りやすくした」ってだけですからね。
いや、それはもちろん大きな事なんですが
それだったら変に出しゃばらずに
縁の下の力持ち的な感じで
嘉門さんのやりたい事の手助けみたいな事を
すればいいのにって思うんですが
あの人の性格だと無理でしょうねぇ。