不平等は正義だ。

昔、あるタイの村の子供たち(小中学生)に日本語を教えていたが、平等というのはできなかった。
えこひいきはどうしてもする。
人間である以上、子供全員を平等に好きになり、子供全員を平等にかわいがることなんてできない。
たくさんの子供たちがいると、私と親しくなる子供もいれば、私と距離を置いてしか接しない子供もいれば、私とケンカしてしまう子供もいる。
最近、youtubeで「女王の教室」というドラマを見たのだけど、昔日本語を教えていた時のことを思い出した。
ドラマのストーリーで先生と特別な生徒がカラオケに行っていたが、ばれてもう行かなくなったところと、スペシャル1の池内さんの回で先生と特別な生徒が交換日記をしていたがばれてもうしなくなったところにはちょっと考えさせられた。
先生と生徒は仲良くなってはいけないということか。
私の話に戻るが、
私自身にとって特別な子供と、どうでもいい子供はどうしてもできてしまう。
子供たちのほうも、特別を求めてくる子供と、平等を求めてくる子供がでてくる。
私の場合は特別な子供を複数作ったのだが、自分一人だけ特別になりたい子供や、平等を求める子供には不満があったようだ。
生徒の誰とも仲良くならなれば、不満に思う生徒もいないのかも知れないが、生徒全員と距離を置くのは嫌なので何も後悔していない。
関係あるようで全然関係ない話をついでにするけど、
この世に不平等というものが当然のようにあることをタイ人に教えたい。
頑張った人と怠けた人には差ができて、その不平等は公平であり、正義である。
タイ人は努力しないで金が空から降ってくるのを待つ人が多い。
黙って何もしなければ幸せが逃げるということをタイ人に教えたい。
努力なくして幸せになりたいという甘い考えの人が宗教にはまるのだ。