Hatena::ブログ(Diary)

スローボートからのつぶやき

2017-09-20

「三度目の殺人」

とくにジャンルにこだわっているのではないけれど、ここではミステリーのファンとして讃えたい。

「三度目の殺人」はミステリー映画史上の傑作である、と。

解雇された工場の社長を殺害したうえ死体を焼却した容疑で起訴された男がいる。三隅(役所広司)というその男は犯行を自供、しかも殺人の前科があり、このままだと死刑は免れない。弁護を担当することになった重盛(福山雅治)はなんとか無期懲役にできないかと事件の洗いなおしを試みる。

接見を重ねるうちに三隅は重盛に、殺害は被害者の妻、美津江(斉藤由貴)の依頼によるものだったと告げる。くわえて被害者の娘、咲江(広瀬すず)は、父親から性的暴行を受けていたことを重盛に訴える。三隅の借家の家主の証言によると、咲江は事件前に何回か三隅を訪ねていた。

三隅の語る真相、動機は釈然とせず、翻弄されつづける重盛は犯行がほんとうに三隅によるものか確信が持てなくなる。

f:id:nmh470530:20170914113048j:image:w230

二転三転の裁判劇が進む先には人間と裁きの不可解があり、事件の謎の深まりとともに着地点はますます見通せなくなる。ミステリー好きには堪えられない展開であり、オリジナル脚本を執筆した是枝裕和監督の作劇術には感嘆のほかない。

結審したあとも残される謎に隔靴掻痒の感をもつ向きもあるとおもわれるが、深層心理の不気味と怪異に本格的な謎解きはなく、哲学性を帯びた『検察側の証人』の裁判劇に霧は深い。

ときに「事実」を語り、また弁護士が提示する「裁判戦略上の事実」にも理解を示しながら、三隅は双方を手玉にとり、真実、真相を「藪の中」状態へと導く。はじめは露悪的で軽口をたたいていた重盛弁護士を戸惑いと翻弄が襲う。

その二人が向き合うのは接見室。数回にわたるガラス一枚を隔てたやりとりには法廷とは異なる静かなスリルが漂っていて、両者の反撥と共感が混在する忘れがたいシーンとなっている。

これほどの作品をみたあとに、三隅と五分で渡り合える、重盛の露悪など及びもつかないデーモンを具えた弁護士を配した別バージョンもあればよいのにと願ったのは贅沢に過ぎるだろうか。

(九月十一日TOHOシネマズスカラ座

2017-09-18

カンペイ(2015初夏台湾 其ノ一)

f:id:nmh470530:20150618101922j:image:w300:left

成田空港から台北桃園空港へ。はじめての台湾だ。中国語圏の旅となれば十年ほどまえに香港澳門広州を訪れて以来となる。旅程は三泊四日で故宮博物院、忠烈祠、中正記念堂など台北市内観光と淡水、十份、九份、基隆、野柳、三峡、鶯歌などを廻ることとしている。

大学に入学したのは一九六九年。ベトナム反戦運動パリ五月革命文化大革命全共闘運動、ヒッピー文化……感度の鈍い高校生だったわたしでも日本の、そして世界の若者の心のありようを含む社会の変革の渦中にいることは実感した。中国語を勉強したいと考えたのも隣国文革がもたらした余波だった。当時は日中、米中に国交はなく、中国を代表する唯一の正統政府は台湾だった。そうした政治の虚構と欺瞞に疑問は覚えても台湾の現実はまったくといってよいほど視野になかった。その単純さに後悔を覚えながら、夕刻のレストランでは明日からの充実した活動のため中華料理に舌鼓をうち、カンペイ、カンペイ、またカンペイを続けた。

(ゆっくりと旅日記を載せているうちに一昨年の記事をいまごろアップするはめになった。旅の足に記事を書く手が追いつかない。)

2017-09-15

「新感染 ファイナルエクスプレス」

ゾンビものには食指が動かない。腐った死体が歩き回るなんてバッチイし、お金と時間をかける気が起こらない。ところが韓国映画「新感染 ファイナルエクスプレス」の評判がたいへんよくて、さすがのわたしもそうはいっていられず新宿の映画館へ足を運んだ。結果は大正解、なるほど噂に違わないおもしろい映画だった。

ソウルプサン間の高速鉄道で突如謎のウィルスの感染が発生する。ゾンビ化した感染者は凶暴で、その手に捕らわれるとひとたまりもない。恐怖と混沌のなか乗客たちは生き残りをかけた戦いを強いられる。ノンストップ・サバイバル・アクションの開幕だ。

f:id:nmh470530:20170912093101p:image:w230

父と幼い娘がいる。父はソウルでファンドマネージャーとして働いており、いっしょに暮らすひとり娘にせっつかれてやむなくプサンにいる別居中の妻のところへ娘を連れて行っているところだ。

中年の夫婦がいる。妻は近く出産を控えている。

旅行をしているのだろう仲のよい高齢の姉妹がいる。

高校の野球部員たちと女子マネージャーがいる。

はじめ事態は不審な騒動とみえた。まもなくかれらはそれどころではなく、命懸けの極限状態のなかにいることを知る。そのなかで、世間の情などには見向きもしなかったファンドマネージャーの心に家族愛と隣人愛が甦る。身重の妻の夫は自分の生命を賭してまもなく産まれる子供と母親の生存を図ろうとする。いっぽうで、周囲の人を詭計にかけてでも自分だけは助かろうとする輩もいる。

壮絶な状況のもとでのさまざまな人間模様、とりわけファンドマネージャーにみられるゾンビ騒動と人情噺との巧みなコラボレーションが意表を衝く。落語と死神が結びつくくらいだから人情噺とゾンビが組み合わされて不思議はないけれど、それにしてもよくできた興奮と感動の物語なのだ。

そこのところへ寓意性を取ってつけるのはどうかとおもうけれど、ミサイル発射、核実験と何かと狂信、偏執の全体主義国家の動向が気にかかり、突如のゾンビ騒動とあの国家とがいやでも結びついてしまった。ひとまずそれを封印すると、極限状況のなかで人々がとったさまざまな対応、行動のなかに素晴らしさも嫌らしさもふくんだ人間の心性がくっきりと映った。

(九月七日新宿ピカデリー)

2017-09-13

タイ風ラーメン(2017夏タイ其ノ十三)

f:id:nmh470530:20170627113711j:image:w300:left

タイ料理中国カンボジアマレーシアラオスミャンマーなどの周辺諸国の影響を受け、香辛料、香味野菜、ハーブを多用し、辛味、酸味、甘味などを多彩に組み合わせた味付けに特徴があると説明されている。(Wikipedia参照)

といってもわたしがかろうじて知っていたのはトムヤムクンというスープで、なんでも世界三大スープのひとつなんだとか。あとのふたつはブイヤベースとふかひれスープ、もしくはいずれかに代えてボルシチを入れる。トムヤムクンの素は安くて軽くておみやげに最適だ。

バンコクのホテルの近くにタイ式ラーメン店があり、昼食を二度ここでお世話になった。麺は三種類(だった思う)具も何種類かあり、客が選択できる。いちばんポピュラーなのをよろしくと頼んで出てきたのが写真のラーメンだった。安くて(日本円で百二十円!)美味、といったところでタイの旅の記事はおわります。

2017-09-10

「ハクソー・リッジ」

少年時代、煉瓦で兄をひどく殴打した経験から「汝、殺すなかれ」を信念として従軍した男は、戦後多くの人命を救った功績により非武装兵士としてはじめて名誉勲章を受章した。

メル・ギブソン十年ぶりの監督作品はこの男の体験に即したもので、同監督がどうしてこの実話に着目し、映画化を果たしたのかという点でも関心があった。

f:id:nmh470530:20170718112313j:image:w230

米国第二次世界大戦への参戦を機にデズモンド・T・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は志願して兵役に就いたが宗教上の信念(宗派セブンスデー・アドベンチスト教会)から敵の殺害と武器の携行は拒否した。批判、軋轢は大きかったがドスは家族の支援やねばり強い説得でようやく衛生兵としての参戦が叶うこととなり沖縄戦に従軍した。人を殺す戦争に、人を助けるために戦地へと赴いたのだった。

戦地ハクソー・リッジ(ノコギリ崖)での現実は悲惨を極め、捨て身の日本軍の戦いにより米軍は一時的に退却を余儀なくされる。退却できない兵士は止まるほかない。その兵士たちの救出にドスは尽力する。なかには日本軍の兵士もいて、救出に敵味方はなかった。

この映画は総力戦としての第二次世界大戦で、武器を取らない人さえも力としたアメリカリベラリズムへの讃歌としての性格をもつ。そのこととハクソー・リッジでの悲惨な現実とが絡みあい、捩れあう。もとより戦場体験を持たないから推測でいうけれど本作における戦争シーンのリアリティはただごとではない。銃弾があたる、火炎放射器で殺される、その具体の描写は凄まじい。

高村薫は近著『作家的覚書』(岩波新書)で、日本国憲法改正の動きが高まる現状について、過去の戦争の影は薄れ、敗戦と日本国憲法とを結ぶきずなは弱まり「過去の戦争も憲法の条文もバーチャルリアリティとして再生・消費され、それを自然に受け入れる国民が大勢となった」と指摘していて、同様にメル・ギブソン監督のリアルに執着した戦場の描写も戦争を「バーチャルリアリティとして再生・消費」する傾向に対する批判精神の表れだとおもった。

ドローン象徴される無人化の攻撃は衛生兵をどのように位置付けているのだろう。

(七月二日TOHOシネマズスカラ座