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スローボートからのつぶやき

2017-04-20

『俳句世がたり』

ジョギングコースのひとつで谷中にある小沢信男氏のご自宅前を通る。

何度かアンソロジーでお目にかかっており、表札を眺めてそのうち単著も読んでみたいと願っていたのだがこれまで機会がなく、ようやく昨年末に岩波新書で刊行された『俳句世がたり』を通読し、もっと早くこの人の著作に接するべきだったとおもった。

同書は二0一0年から雑誌「みすず」に連載された短文を収める。いずれも古今の有名無名の方の句を採りあげ、時代を往還しながら昨今の世相を練達の筆さばきでしるす。

雑誌初出の題は「賛々語々」。由来は「月々の季節の移ろいにつれて、または継起する天下の出来事に目をみはりつつ、あちらの先達やこちらの知友の名吟佳吟と、いささか勝手ながらおつきあいいただいて三々五々、連れ立って歩いていこう」というもので、古人近人とともにあゆむ一九二七年生まれの著者の足どりはじつにしっかりしていて、「よみじへもまた落伍して除夜の鐘」と詠んだその落伍ぶりがうらやましい。

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収められた七十三篇のなかから隅田川にまつわる二つの話を紹介してみよう。

まずは花火で、元禄宝井其角の句「千人が手を欄干や橋すずみ」が一気に第二次大戦後に跳び、昭和二十三年に隅田川の花火が復活したときの人々のよろこびの姿を撮った木村伊兵衛の写真に重なる。ところがせっかくの花火大会は昭和三十六年川の汚染により廃止となり、昭和五十三年に再復活したものの、このとき多くの地元住民に高層化したビルが衝立となり路地からの花火は目にできなくなっていた。

狭い路地裏の淡き夢が消えるいっぽうで絶好の眺めを提供したのが高層ビルの窓だった。このビル群にくわえ平成二十四年には六百三十四メートルのスカイツリーが聳え立った。そして結びには其角とはおよそ百歳ちがいの小林一茶が漂泊三十六年のはて信濃に帰郷した際の句「いざいなん江戸は涼みもむつかしき」が引かれる。元禄から平成のこんにちにかけての折々の社会相がいくつかの花火として隅田川の川面に映って見事というほかない。

もうひとつは永代橋の話題で、小沢さんは江戸中期の俳人炭太祇の「橋落ちて人岸にあり夏の月」を示したうえで徳川十一代将軍家斉のときの永代橋の崩落を引き合いに出す。

富岡八幡宮の十二年ぶりの大祭に大勢が繰り出した。このとき公方様の御座船が永代橋をくぐるので橋はいったん通行止になった。船が橋の下を通り過ぎ、東西の橋詰が同時に解禁されてあまたの人たちが橋上でかち合ったからたまらない。その圧力で橋の中ほどが崩れ落ち、あとから押し寄せてきた人たちも落下し千四百余名が落命した出来事は、蜀山人が「永代とかけたる橋は落ちにけりきょうは祭礼あすは葬礼」と嘆じた。

永代という美名にはご用心で「そうか。永代とは、安全神話のたぐいであったのか。してみれば、この地震列島に原発を五十四基も、交付金をばらまいて建てならべ、あげくに福島原発が崩壊して、家郷を追われた人々が十四万人。蜀山人の嘆きが、百倍にもなってこんにちに届くようです」というのが著者の嘆きである。

新書版で二頁ほどの短文はエッセイ、随筆、コラム、雑文いずれとも呼ばれようが、わたしは句作もされる著者の俳文としたくて念のため語釈を見ると「俳諧的な感覚で書かれた詩的散文」「俳人によって書かれた俳諧趣味を帯びた文章」とあった。本書は伝統の俳文が現代に甦りまた継承された一書に違いない。

俳文の名品として知られる横井也有『鶉衣』岩波文庫版の惹句には「高雅にして軽妙」「修辞的技巧を凝らしながら、機知に富んだ温かなまなざし」を身の回りに注ぐとある。本書もまた。

2017-04-17

ギリシャへ(2017春ギリシャ 其ノ一)

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一週間ほどギリシャを旅してきた。成田空港からドーハ経由でアテネ空港へ。そうしてアテネ(パルテノン神殿パナシナイコオリンピックスタジアム、新アクロポリス博物館等)、オシオスルカス(修道院)、アラホバ、デルフィ(古代遺跡)、カランバカ(メテオラ修道院)、エーゲ海クルージング)等をまわった。ありがたいことに東京より温暖で、天気にも恵まれた旅だった。

クリント・イーストウッド監督「父親たちの星条旗」を連想させる上の写真はエーゲ海のクルージングで寄ったポロス島で撮ったもので、わたしは六十代もなかばを過ぎ、これまでにも増して人間ができて、人格にもシブミがくわわり「馬鹿と煙は高いところが好き」といったこととはもはや無縁だと思っていたけれど、やっぱ高いところへ上がってしまったな。

念のため申し上げておくと「豚もおだてりゃ木に登る」のクチではなく、小生こういうことになると自然と積極的になる。

旅は自分を発見するよい機会である。

2017-04-09

「おとなの事情」

背広のポケットにそのままにしてあったラブホテルのマッチを偶然に奥様が目にしたとき、大兄(これを読んでいる男のあなた)はどうやって解決を図りますか。苦しいねえ。幸か不幸かそんな経験をもたないわたしには収拾策など考えられません。

マッチをスマートフォンに換えてみる。するとラブホのお相手が気をそそる電話をかけてくる、あるいはメールを送ってくる。もちろん中味があらわになるなんてまったくの想定外だ。

さて、と大兄ばかり問い詰めていては気の毒だ。妻の不倫だってあるから諸兄姉に問いかけよう。

どうなさいますか。

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反抗期の娘に悩むロッコとエヴァの夫婦の家に新婚のコシモとビアンカ、倦怠期を迎えたレレとカ―ロッタ、恋人にディナーをキャンセルされたペペたちがつどう。

食事をしているうちになりゆきで「メールが届いたら全員の目の前で開く」「かかってきた電話にはスピーカーに切り替えて話す」をルールとしようと決める。

拒否すると隠し事が疑われそうだから集団心理でみんなが賛成したところへいろいろな電話がかかり、メールが届く。なかには「きょうはパンティはいている?」なんてメールがあったりする。

こうして表面上はさしたる問題はないと見受けられた夫婦や友人たちのなかにスマートフォンが割って入り、夫婦間のもめ事や家庭の問題、隠された人間関係などを露呈させる。演劇的なワンシチュエーションコメディの構図にスマホプライバシーを絶妙に当て嵌めて、事態はスリリングに展開する。

嘘をついてはいけないが、知っていることをすべてさらけ出す必要はない。人間関係の円滑な運行には知らないでいるほうがよいこともあれば、ときに曖昧模糊や嘘の必要なばあいだってある。

ところが「おとなの事情」の七人は行きがかりとはいえ「この上になほ憂き事の積もれかし限りある身の力ためさん」(熊沢蕃山)とばかりにスマホのなかのすべてを出してしまい、そうするうちにスマホに入っていない事情も表に出てしまったりもする。

貴重な真実のためには虚偽の護衛をつけなければならないときもある。ハンドルにあそびのない車はかえって危険だし、正義と倫理に基づく完全無菌の理想社会は左右の全体主義につながりかねない。といってもことはすでに荒立ってしまった。この波風をどうやって収束させるのか。

イタリアアカデミー賞にあたるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞脚本賞を受賞したパオロ・ジェノベーゼ監督の本作にあるいささかほろ苦い知恵をご覧あれ。

(三月二十二日新宿シネマカリテ)

2017-04-05

雪崩

先月二十七日、栃木県那須町スキー場で起きた雪崩事故で栃木県立大田原高校の登山部員七名と引率教員一名の八名が死亡した。当日は他校の生徒や先生方とともに茶臼岳(標高1915メートル)への往復を予定していたが天候が悪くて中止し、ラッセル訓練(深い雪をかき分けて、踏み固めながら道をつくって進む冬山登山の技術)に切りかえて雪崩に遭った。

四十年あまり前、まったくの素人ながら一年だけ高校の登山部の顧問をした。専門的な指導のできる教員がいなかったため若さと体力を見込まれてお鉢がまわって来たのだった。高校生の競技登山に冬山やロッククライミング、スキーは関係ないのに、どうして雪山での講習会をしたのだろう。わずかな顧問体験があったぶん驚きの度合は強まったようで、これまでわたしは、仮に生徒が冬山に登りたいと言ってくれば、それを止めるのが顧問の役目だとさえ思っていたのである。

高校生の冬山登山はどことも厳禁と信じこんでいた。だから今回の事故で許可している県や学校があるのが驚きだった。冬山登山を認めるかどうかは各都道府県高等学校体育連盟の登山専門部に任されていて、事故後の報道によると高校生の冬山登山を許可している県が少数ながらいくつかあり、なかには冬山での競技を実施しているところもあった。

登山部の活動は生徒といっしょに顧問の教員も山へ登らなくてはいけない。引率教員はプレイングマネージャーなのである。夏山ならわたしのような素人でもその役目をなんとかこなせたが冬山となると無理だ。プレイングマネージャーは事故防止のため生徒が練習している傍で坐って見ているというわけにはゆかない。もし四十余年前に冬山への引率をしなければならなかったとすれば、と思うとぞっとする。

今回犠牲となった引率の若い先生は剣道部の顧問と兼務で本格的な冬山経験はなかった。

事故後のコメントでは、冬山登山技術の継承観点から厳格な条件のもとでの実施を述べられた方がいたが、とても高等学校の部活動が担えるものではない。


このほど雪崩が春の季語と知った。迂闊なことにずっと冬の季語と思っていた。『今はじめる人のための俳句歳時記』には「降雪期間中雪崩は尽きないが、特に春の雪崩は全層雪崩(底雪崩)となりやすく、大木や岩や土砂を巻き込んで山を轟かせ、被害の規模も格段に大きいので春の季語とする」とある。

2017-04-01

上野谷中の花の梢

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「上野谷中の花の梢又いつかはと心細し」。

元禄二年三月二十七日(新暦一六八九年五月十六日)松尾芭蕉江戸深川にあった芭蕉の草庵、採荼庵(さいとあん)から船に乗り千住で上がり、前途三千里のおもいを胸に抱いた。『奥の細道』の旅の出立であり、そのとき心に去来したのは上野谷中の桜花だった。

上野の花を見ながら『奥の細道』の冒頭にある芭蕉の花へのおもいを心に浮かべた。帰宅して加藤郁乎『江戸俳諧歳時記』を開くと「小僧きたり上野谷中の初桜」(素堂)が採られていた。ほぼ毎朝、不忍池上野公園を走っていて、いまは小僧に代わって若いサラリーマン諸氏が宴席のブルーシートを確保する姿を目にする。

上野谷中とくれば花は桜となるが、昔は梅も多かったようで、おなじく『江戸俳諧歳時記』に「紅梅やとても日当り谷中道」(訥子)があり、上野のほうから日暮里へ抜けるのが谷中道、近くに「いろは茶屋」があり、東叡山あたりの坊主たちが通っていたと註釈がある。僧侶には色の道の通い路でもあったわけだ。

きょうは四月一日東日本大震災の年の三月末で退職したから、七年目の隠居生活のスタートである。