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スローボートからのつぶやき

2018-04-20

猫の恋、亀の声

桜の開花が待たれるころ猫は恋の季節を迎える。猫が交尾する時期は年に四回あるそうだが、いちばん盛んなのは早春で、発情した雄は昼夜を問わず鳴き声もかまびすしく雌を追い求め、雄どうしの争いの激しいばあいは武闘が起こる。こうして「猫の恋」は春の季語である。

山本健吉『基本季語五百選』(講談社学術文庫)「猫の恋」の項に「妻恋ふ鹿」が和歌の題、「猿の恋」が詩の題、「猫の恋」が俳諧の題と、それぞれのジャンルの特質が指摘されている。猫の生態は王朝和歌の美意識とは関係しない、というかその制約から解き放たれたところに見出されたもので、俳人視線がこの卑近な事象を俳諧の題としたのだった。

「麦めしにやつるる恋か猫の妻」(芭蕉

巡礼の宿とる軒や猫の恋」(蕪村)

「猫の恋」は多くの季語とおなじく日常生活の観察にもとづいているが、なかには空想の季題もあり、おなじ春の季語である「亀鳴く」もその一つに数えられる。「亀が鳴くことはないが、春になると亀も雄が雌を慕って鳴くとする空想の季題」(『今はじめる人のための俳句歳時記角川文庫)で、猫が交尾をすれば、亀も雌を追いかける春である。

寺田寅彦柿の種』(岩波文庫)に、根津権現(写真)に数人の大学生がいて、夜がふけてあたりが静かになったころ、ふくろうの鳴くのが聞こえたときのやりとりがある。

「ふくろうが鳴くね」

「なに、ありゃふくろうじゃない、すっぽんだろう」

「だって、君、すっぽんが鳴くのかい」

「でもなんだか鳴きそうな顔をしているじゃないか」。

はじめこれを聞いて笑った寅彦だったが、やがて思い直す。「過去と未来を通じて、すっぽんがふくろうのように鳴くことはないという事が科学的に立証されたとしても、少なくも、その日その晩の根津権現内では、たしかにすっぽんが鳴いたのである」と。

「亀鳴くを鬱(ふさ)ぎの虫の聞き知れり」(相生垣瓜人)

亀の鳴くのを聞いて鬱ぎの虫にも恋の春がやって来たようだ。

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2018-04-18

ドイツ連邦議会議事堂前で

一九三三年二月二十七日夜、ワイマール共和国国会議事堂炎上し、事件はヒトラー独裁権力を掌中にする重要な契機となった。

炎上した議事堂が完全に修復されたのは一九九九年、東西ドイツの統一によりベルリン首都機能が戻され、かつての議事堂が連邦議会議事堂として用いられることとなった。

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放火の実行犯はマリヌス・ファン・デア・ルッベ、オランダ共産党に所属するコミュニストだったが、そのじつナチの手先で、ヒトラーは炎上事件を徹底的に利用して独裁を固めた。

ヒトラーが権力を掌握する過程を目の当りにしたアメリカ人ジャーナリスト、ウィリアム・シャイラーは「ナチが計画していたまさにそのとおりのことをやろうとしていた共産主義者放火魔をナチが見つけた、という偶然はほとんど信じがたいが、にもかかわらず証拠に裏付けられている」「ファン・デア・ルッベがナチの手先として利用されたのは間違いないようである」と述べている。(『第三帝国の興亡1』(松浦怜訳、東京創元社

ところが、ルッベは手先ではなかったとの説もあって、長年「ニューズウィーク」誌に在籍し国際報道従事したアンドリュー・ナゴルスキ『ヒトラーランド』(北村京子訳、作品社)には、事件後まもなく放火犯はナチの手先で、大規模な弾圧を行うための口実づくりに利用されたとの憶測が飛び交ったが「後年、多くの歴史家によって、ルッベはやはり単独で犯行に及んだと思われるとの結論が出されている」とある。

同書を読む限り、国会議事堂放火犯はナチの手先ではなかったとする説が有力のようだが、反対の説が完全に否定されたわけではないらしい。

およそ半世紀まえの高校の授業ではナチの手先が放火したと習い、高校の教員になり世界史を担当したときにはわたしも同様の話をした。いまの高校生はどんなふうに教えられているのだろう。

2018-04-15

「ラッキー」

ハリー・ディーン・スタントンが「パリ、テキサス」で主役を務めたのは五十八歳のときだった。個性派俳優の記念碑的作品となったこの映画から三十余年、かれは「ラッキー」を遺作として二0一七年九月十五日、老衰のため九十一歳で亡くなった。

遺作はスタントンに当て書きされており、その実人生と思いをバックボーンとしている。あえていえばそこには演技ではなくてありのままのスタントンがいる。かれをよく知るジョン・キャロル・リンチ監督(「ファーゴ」で名を知られるようになった名脇役のはじめての監督作品)や長年にわたる盟友デビッド・リンチをはじめとする出演者たちに囲まれ、本作で掉尾を飾ったその役者人生は見事というほかない。

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ずばり、これはアメリカ版『徒然草』だ。

ひとり暮らしの九十歳、目覚めるとコーヒーを飲み、タバコをふかし、クロスワードパズルを解く。なじみのバーで知り合いたちと酒を飲む。結婚生活はなく、孤独という人もいるが自身はそうは思わない。「孤独と一人暮らしは同じじゃない」。

ある日、ラッキーは気を失う。懇意の医者の診察と検査を受けたが、結果は、異常なく、年齢を重ねるとともにそんなことも起こる、というものだった。

よき友として、物くるる友、智慧ある友、医者(くすし)を挙げたのは吉田兼好だが、こういうむやみな医療行為に奔らない医師が近くにいるのはありがたい。医療と精神は通じ合っていて、この体験はラッキーに人生の最後の時間のあり方を考えるきっかけをもたらした。自身の過去を振り返り、また周囲の人たちとのやりとりのなかでかれは思いをめぐらせる。

そんなある日、ラッキーはよく利用するエスニック系のコンビニに勤める女性から息子の誕生日のパーティに招かれ、そこで演奏していたマリアッチのバンドに閃くものがあったのだろう、ふいとスペイン語で歌をうたいはじめると、バンドのメンバーがコーラスを付ける、その姿に『徒然草』の「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」の一節が心に浮かんだ。

日にちが経つとともに静かな感動の度合が高まっている。

(三月三十日ヒューマントラストシネマ有楽町

2018-04-13

アドロン・ホテル

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ベルリンブランデンブルク門のすぐそばにあるアドロン・ホテルは『第三帝国の興亡』の著者ウィリアム・シャイラーや『ヒトラーに会った!』のドロシー・トンプソン(夫はノーベル賞作家のシンクレア・ルイス)といった1930年代在独米国人ジャーナリストの定宿、また同国からやって来た著名人の多くはここにチェックインした。

ことし一月にベルリンへ行った際、現地ガイドさんから、ここが映画「グランド・ホテル」のモデルだったと聞いた。さまざまな人物がひとつところに集い、そこでの出来事が巧みに組み合わされて進行するドラマ、いわゆる「グランド・ホテル形式」の原点がここにある。

「グランド・ホテルは変わらない。人々が来ては去ってゆく。すべてはもとのままだ」。このセリフに作品のモチーフが表現されている。製作は1932年、同年ドロシー・トンプソンはヒトラーにインタビューを行い『ヒトラーに会った!』を著し、なかでヒトラーが政権を取ることはまずないだろうと論じたのだったが・・・。

2018-04-10

「排除の論理」余話

昨年の衆議院議員選挙に際して朝日新聞が「安保法今は昔」の見出しとともに民進党から希望の党へ転じた何人かの議員をとりあげていた。

集団的自衛権を認める、自衛隊の活動範囲や使用できる武器を拡大するといった内容を盛り込んだ通称、平和安全法制整備法について、民進党は反対、希望の党は適正な運用に努めると立場を異にしている。当時希望の党代表だった小池百合子東京都知事の排除云々にはこの問題が大きくかかわっていた。

民進党から希望の党へ移籍を希望する、すなわち排除されたくなければ安保法反対の看板は下ろさなければならない。朝日の記事では、釈明気味の人もいれば、開き直ったような人もいた。

政治家であるためには選挙で当選を続けなければならない。落選しても医師、弁護士、会社経営者などはともかく、さっそく就活をはじめなければならない人もいる。下手にスジを通して排除されたりすると大変だし、当選のためには釈明も開き直りもありだと考える候補者がいて当然で、命あっての物種、当選あっての政治家であれば、かれらがスジを通すことにさほど期待を寄せてはならない。サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙に落ちるとタダの人となるからまずは当選優先、失業阻止で、もともとタダの人にはなりたくないのが議員センセイなのだ。

いまの政治家の家計の具合はどうだろう。恒産なくして恒心なし、すくなくともスジを通すにも恒産がなければ通しにくい世の中である。衆議院解散は議員の失業にほかならず、選挙戦で負けるとたちまち就活をはじめなければならない連中に安保法の反対から容認へ立場を変えたと非難するのはむなしい。

スジ論で申せば自民党も脛に傷をもつ点で変わりはない。

昨二0一七年は日中国交正常化四十五周年の年だった。そのまえわが日本国政府つまり自民党政権は何をしてきたかといえば、台湾中華民国中国の唯一正統政府であるとして中華人民共和国政府の国連加入に一貫して反対してきた。反共陣営の一員として蒋介石を礼讃し、スジを通していたのである。ところがキッシンジャー国務長官が訪中したのを機に米中の国交がなされるとそれまでの態度は振り捨てて日中国交回復へと走った。(写真は蒋介石の座像、於台北

中共政府の国連招請が決まった際に台湾政府は国連総会を退席した。それまでのことを考えると日本国政府もごいっしょするべきだった。その昔、わが日本だって国際連盟を脱退しているのだ。さりながら中華人民共和国と台湾を天秤にかけるのは国益であり、スジを通すことと国益とは必ずしも一致するものではない。

話は戻るが希望の党から排除されたくなくて安保法反対の看板を下ろしたセンセイがたもきっと国益を考えての行動だったに違いない。

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