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スローボートからのつぶやき

2017-05-25

「心のにごり」(関東大震災の文学誌 其ノ十九)

「元暦二年のころ、大地震(おほなゐ)ふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず」。

上は『方丈記』にある元暦二年七月九日(一一八五年八月十三日)午後に発生した大地震(元暦地震あるいはこれを機に文治に改元されたので文治地震と呼ばれる)の記事で、このあと鴨長明は大地震に遭って「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし」(そのときは、人皆、ものごとの空しいことを言って、少しはこころのにごりも薄らぐかと思われたが、月日が重なり年数が経てば言葉に出して地震のことなど言う人さえいなくなってしまった」と人心の変化に言及している。

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同様のことがらが寺田寅彦津波と人間」にあり、三陸災害地を視察してきた人の話として、ある地方では明治二十九年の災害記念碑を建てたが、いまでは二つに折れて倒れたままになってころがっており碑文などはまったく読めない、また別の地方では同様の碑を通行人の多い目につくところに建てたものの新道が別にできると旧道はさびれて碑は見捨てられたままになっているとある。

喉元過ぎればたちまち熱さを忘れ、そのうちに鬱陶しいことはさておいて世の中気楽に、厚かましくといった気持が強くなる。権力者の側にしても総じて早く忘れてもらったほうが都合がよい。鴨長明の言う「心のにごり」はなかなか薄らぐものではないから後代においても繰り返される。

寺田寅彦の言うように「人間も何度同じ災害に遭っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。東京市民と江戸町人と比べると。少なくも火事に対しては今の方がだいぶ退歩している。そうして昔と同等以上の愚を繰り返しているのである」(「時事雑感」)。

こうして鴨長明の「心のにごり」は「人間も何度同じ災害に遭っても決して利口にならぬもの」の原型もしくは「古層」(丸山眞男)であり、この延長線上に東日本大震災避難した人々がもといた地に帰れないのは自己責任だとか、まだ東北でよかったとか言い放つ政治家がいる。

ならば「心のにごり」の度合をできるだけ少なくするにはどうすればよいのだろう。

寺田寅彦は「二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼き払われた」ことに鑑み「人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はない」(「津波と人間」)としたうえで学校教育の重要性と、政権においては少なくとも国防問題とおなじ程度に自然災害対策の重要性をわきまえておかなくてはならないと言う。

おなじく鴨長明の提起した問題を考えた人に和辻哲郎がいて関東大震災直後に書いた「地異印象記」(大正十二年九月)で所見を述べている。

いくら地震への備えを喚起されても人々はなかなか耳を傾けようとしない。どうしてか。それは「人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものだからである。死は人間の避くべからざる運命だと承知しながらも我々の多くは死が自分に縁遠いものであるかのような気持ちで日々の生を送り、ある日死に面して愕然と驚くまでは死に備えるということをしない。それと同じように、百年に一度というふうな異変に対しては、人々はできるだけそれを考えまいとする態度をとる。在来の地震から帰納せられた学説は、この種の信じたがらぬものを信じさせるほどの力は持たない」。

ここで思い出されるのは、多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていないとするユリウス・カエサルの故智であり、これを拡大してゆくと和辻の言う「地震の予言に耳を傾けるほど人間が聡明」ではないところに行き着く。

その克服のために和辻は、欠陥があればそれを取り除くことと「相互扶助の精神に基づく最善の予防法を講ずべき」ことを不可欠としなければならないと主張する。また「相互扶助の精神」の対極には放火略奪の流言から発した朝鮮人虐殺があり、和辻はこれを「社会的大地震」のひとつとしている。

吉村昭『関東大震災』によると、凶器をかざして食糧、酒類金銭等をおどしとって歩いた横浜の無頼者集団がいて、これが他の不良分子に影響し、集団で民家に押し入り略奪行為を繰り返し、不穏な空気の中で朝鮮人が放火したといった風説が流れ、多くの市民がその風説、憶測に同調した、つまり横浜の日本人無頼者集団の犯行が庶民により朝鮮人のものとして解釈されたのである。

震災という自然災害は「社会的大地震」を生じさせ、社会の弱点を露わにする。自警団による朝鮮人の虐殺は当時の日本社会の最大の弱点、少なくともそのひとつであった。

「地震、大火、流言において我々が今経験したごときことを、再び社会的大地震において経験するならば、その災禍はとうてい今回のごとき局部的なものには留まらないであろう」。

和辻の推測は原発問題を照らし、鴨長明の見た「心のにごり」は関東大震災における朝鮮人虐殺や先日辞任した復興担当大臣の不見識な放言にまで及ぶ。

2017-05-20

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

第一感は直球勝負の本格派投手のようなドラマ、だった。つぎに、本格派投手の前に類まれな、と加えなくてはと思った。

類まれなのなかにはマンチェスター・バイ・ザ・シーという町の美しく引き締まった映像の成分が多分にある。冬の町の凍てついた風景は人々の喪失感と閉塞感そして心の震えの心象風景であり、そこにマット・デイモンが参加する製作陣、ケネス・ロナーガン監督、ジョディ・リー・ライブス撮影監督等スタッフたちの凜とした姿勢とこの町に寄せる愛惜を感じた。

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ボストン郊外で便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイーシー・アフレック)のもとに心臓の難病を抱える兄ジョーカイル・チャンドラー)の訃報が届く。その報せでリーは二度と戻りたくないと思っていた故郷マンチェスター・バイ・ザ・シーに帰る。

短気で血の気の多いリー、朴訥なジョーはともに離婚していて、息子の親権者である兄は遺言で弟を十六歳の息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指名していた。

帰郷を機に元妻ランディ(ミシェル・ウイリアムズ)との再会を含め過去の悲劇と向き合わざるをえなくなったおじと、父の死に気丈に耐えつつもこれからの生活に不安を覚える甥がともに何日かを過ごす。

リーが故郷を離れたいきさつが回想シーンをつうじてだんだんと明らかになる。後悔と自責の念からマンチェスター・バイ・ザ・シーに居場所はないと思い続けてきたリーと、この町に住み続けたいパトリック。今後の住まいさえ定まらない二人がわだかまりをかかえながらもいっしょの時間を過ごすなかで互いの理解と支え合いの糸口を見出してゆく。

季節は冬。雪が積もり、空は厚い雲に覆われている。マンチェスター・バイ・ザ・シーの仄かな哀しみを含んだ光景は二人の孤独と心を閉ざした関係そのものだ。そうした二人がとりあえずこれからの生活の方針を決めて、ジョーが遺したボートで釣りに行くラストシーンに淡い青空が見えている。

絶望と再生、鎮魂と希望が入り組んだ水滴が心に沁みた。

(五月十七日新宿武蔵野館)

2017-05-15

時代を透視する力

ことしの一月ポーランドを旅したのを機に、この国とスターリニズムとの関連を知りたくてひさしぶりに林達夫「『旅順陥落』」(平凡社ライブラリー、初出は「新潮」一九五0年十月号)を読んだ。さいしょに読んだのは二十代のはじめで、それからいままで何度となく手にした。

思想家を定義するなんてわたしの手に負えないが、すくなくともその生きた時代を透視する力は必須のひとつと考える。人びとがあとから振り返って「ああ、そういうことだったのか」と気づく、透視力とはその謂にほかならない。その点で林達夫はまぎれもなく近代日本の思想家の一人である。

「『旅順陥落』」で著者は日露戦争をめぐるレーニンスターリンの所論を採りあげ、両者の相違を拡大して見せた。

レーニンは、日本のブルジョアジーは日露戦争に勝利したが、敗北したのはロシア人民ではなくツァーリズムであり、これを機にロシア革命の好機がもたらされたと論じた。革命に向けた政治的リアリズムからするとレーニンにとって日本はツァーリズムを倒した友軍であった。

そのうえで着目したのが一九四五年八月のソ連の対日戦争参加をめぐるスターリンの言説だった。ここでスターリンはソ連軍満洲侵攻と赤軍将兵の駐屯はかつて日露戦争で受けた国民的屈辱の仇をそそぐ行為であるとした。

スターリンの戦勝演説には「日露戦争におけるロシアの敗北はロシア人の意識に苦痛な記憶を遺した。それはわれわれの歴史に汚点を残したのである」「われわれ古い世代はこの汚点を四十年のあいだ取り除こうとして待っていた。この日がついにやってきた。今日、日本は敗北を認め、無条件降伏文書署名した」とある。(長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』中公文庫より)

日露戦争で敗北したのはツアーリズムであり、このことが革命の大きな要因となったと論じたレーニンにたいし、スターリンは日露戦争の敗北を「苦痛な記憶」「歴史に汚点を残した」ものとした。こうしてレーニンの正統的後継者とされたスターリンは林にとって専制主義とツァーリズムの後継者であり簒奪者であった。

「『旅順陥落』」の六年前、一九四四年七月戦局の好転をうけてポーランド地下軍がようやく同国駐留のドイツ軍に蜂起を企てた。はじめは順調と見えたが、ともにナチスと戦っているはずのソ連軍の陰険狡猾な行動によりポーランド軍は苦汁を嘗めさせられた。ソ連軍がワルシャワにいるドイツ軍を攻撃したのは初めだけ、ポーズと言ってよいほどで、まもなくソ連はポーランドへの支援を事実上拒否した。英米が飛行機で援助物資を運ぼうとすると、ワルシャワの盲目的な冒険とは関わりを持ちたくないからと、物資を運んだあとのソビエト領着陸を拒否したのである。

この動きについてウィンストン・チャーチルは『第二次世界大戦』(佐藤亮一訳、河出文庫)に、ソ連軍はポーランド国民の救援に向かいつつあると見せかけながら「彼らは非共産主義ポーランド国民が徹底的に亡ぼされること」を期待していたと書いている。実質的にはソ連の裏切りであり、ワルシャワの戦いにおいてはポーランド地下軍四万のうち一万五千人が仆れた。

「『旅順陥落』」が執筆された時点でこの事実は著者に伝わっていなかっただろう。しかし、林にとってこのソ連の行動は自明の理であった。当時はさかんにスターリンの神格化がされていた時期にあたるが、このときこの思想家はすでにスターリニズムの本質に迫っていて、多くが「ああ、そういうことだったのか」と気づいたのはだいぶんあとになってからであった。

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時代を透視するといえば荻生徂徠『政談』巻三に、幕府朝廷との関係にけじめをつけておかないと将来憂慮すべきこととなるかもしれないとのくだりがある。天下の諸大名は将軍の家来であるのに宰相とか中将少将といった官位京都の朝廷から頂戴しており、なかには朝廷がほんとうの主君だと内心思っている者や、幕府の威勢を畏れてとりあえずその家来になっているだけと考えている不心得な大名がいないとも限らないと指摘したうえで徂徠はこれを「安心なりがたき筋」としたのである。

大政奉還論や公武合体論が沸騰した黒船前後の政局を予見しているようで、元禄の世に幕府のためにこんなことを考えている徂徠は凄いの一言に尽きるし、自身の生きる時代を透視する力は後代の問題を指摘する力に通じている。

いまわたしが気になっている人にエリック・ホッハーがいて、沖仲士をしながら哲学政治学の研究に従事した知的カリスマは「未成年の時代」において、無為を余儀なくされ、自分が有用で価値があるという感覚を奪われてしまうところに、過激主義や政治的、民族的不寛容が受け入れられやすくなる基盤があると述べている。およそ半世紀前のこの言説は現代の不寛容で過激な集団の出現を見据えている。

2017-05-10

「カフェ・ソサエティ」

「ねぇ、ねぇ、このまえ『ミッドナイト・イン・パリ』でごいっしょしたきみたち、こんどは僕とあのころのハリウッドとニューヨークへ行ってみないか。おもしろい話があるんだよ」。

そんなウディ・アレンの親しい語りかけが聞こえてきそうな「カフェ・ソサエティ」。監督みずからナレーターを務めているという事情もあるけれど、それよりも語りたくてしようがないといった気持が作品に溢れていて、前作の「教授のおかしな妄想殺人」と比較すると心の弾み具合がだいぶん違っているとみた。

これまで作劇上の重要な要素としてきた恋のさや当てや混線する人間関係失恋の苦さ、屈折へのこだわり、またユダヤ人というアイデンティティの揺らぎや上流社会への皮肉なまなざしなどは相変わらずだが、華やかな夢の時代を背景に、これらを巧みにブレンドした自家薬籠中の物語はシニカルな薬味を添えて心をなごませてくれる。

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一九三0年代ハリウッドの黄金期。ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)という青年が、映画の世界で働きたいと業界のフィクサー的存在である叔父のフィルを頼ってニューヨークから西海岸にやって来る。

念願かなってフィルの下で仕事をするようになったボビーの一目ぼれした相手がフィルの秘書でヴォニーの愛称で呼ばれているヴェロニカ(クリステン・スチュワート)だった。たちまちふたりは親しくなっていったが、やがてボビーはヴォニーに思いがけない恋人がいるのを知る。

ハリウッドの実状にいささかげんなりしたボビーは早々に見切りをつけ、失恋の痛手を抱いてニューヨークへ戻り、兄の経営するナイトクラブの仕事をはじめる。セレブやギャングスタ―とも上手につきあいながら順調にクラブを運営するボビーの前に現れたのが、かつて夢中になったヴォニーとおなじ名前をもつヴェロニカ(ブレイク・ライブリー)だった。

二人は結婚し、しあわせな家庭生活を送っているところへヴォニー夫妻がボビーの店に現れる。

映画スターのゴシップ社交界の話題で賑わうハリウッドとニューヨークの上流社会を背景とする、実直なボビーとふたりのヴェロニカのドラマはふんだんに散りばめられたジャズスタンダードナンバーとあいまってまるで風俗絵巻のよう。

というのも、撮影は本作でウディ・アレンとはじめてコンビを組んだヴィットリオ・ストラーロが担当していて、「暗殺の森」や「地獄の黙示録」の名カメラマンが撮ったハリウッドとニューヨークはノスタルジックな魅力の色彩を放っており、とりわけマンハッタンやセントラルパークの光景にはうっとりさせられた。

(五月五日TOHOシネマズスカラ座

2017-05-05

「フリー・ファイヤー」

その昔、関西を本拠とする大暴力団が分裂して衝突を繰り返していたころ、ある飲み屋で、かたぎのおじさんたちが抗争ネタを話題にしているうちに、なかの一人が、どこかひとところに連中を集めてドンパチやらせたらよい、そのほうが市民に迷惑がかからない、と言ったところ傍にどちらかの系統の組員がいて不穏な空気になったとか。

マーティン・スコセッシ製作総指揮、ベン・ウィートリー監督「フリー・ファイヤー」はあのおじさんの意見を娯楽作品として昇華させた、じつにおもしろい密室銃撃戦映画だ。

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一九七0年代、ボストンの廃屋となった工場にアイリッシュ系ギャングと武器商人の一味が大量の銃火器の闇取引のためにやって来る。ブツとカネを確認しあったところで取引は無事に終わろうとしていた。ところがそこで思わぬイザコザが起き、こじれたあげく銃撃戦となり、廃工場は女性一人を含む十人の登場人物罵声と銃弾が飛び交うところとなる。

難を言えば人物描写は簡単に切り上げてアナーキーな抗争に突っ込んだものだから人物によってはどちらの陣営に属しているのかわかりにくい。些細なことだけどね。

ブリー・ラーソンアーミー・ハマー、シャルト・コプリー、キリアン・マーフィら役者陣が演ずるのはいずれも一発必中のスナイパーとは真逆の、むやみに撃ちまくる凡庸なチャカの使い手ばかりだ。殺(と)れ、殺(と)ったれと意欲は旺盛だが技術が追いつかないために弾が当たるのは肩、脇腹、太腿といった中途半端な部位が多く、そのためスピード勝負とはならず、銃撃戦は長期戦の様相を帯びるのだった。

豪華キャストのなかで紅一点、「ルーム」のブリー・ラーソンがかっこ良さとうさん臭さを併せ持つ格段の魅力を放つ。

「あんた、まさかFBIじゃないだろうね」

「あたしはJTY」

「それって、なんだい」

「じぶんのためにやる」

この映画を敢えてジャンル分けすればクライムアクションではなくコメディの範疇に入れる。閉ざされた空間での銃撃戦は笑劇に転じやすいのだろうか。そういえば「仁義なき戦い」は喜劇映画としても一流だった。

対立する二つの組員を一箇所に集めて闘わせるという例の意見はかたぎに累を及ぼさないという社会正義に発するものだったとしても、渦中にあって命を懸けた者に笑いの匂いを及ぼしていたはずで、不穏な空気になるのは避けられなかったのである。

(五月三日新宿武蔵野館)