「鰯雲」と「鰊雲」

六月三日の毎日新聞が、受動喫煙対策強化を目的とするいわゆる「原則禁煙法案」の提出が今国会では見送られると報じていた。厚生労働省自民党の方針に隔たりがあり、会期が延長されたとしても法案提出すら極めて厳しい状況にあるという。なんとかという厚生労働大臣は盟友安倍首相の政治決断に期待しているが首相は森友と加計学園をめぐるスキャンダルでそれどころではないらしい。
いっぽう飲酒については二0二0年東京オリンピックに向けて従来の喫煙に加え、飲酒の害をなくすよう徹底して行くとのニュースがあった。
「原則禁煙法案」の先行きはわからないものの酒もたばこも難儀なことではある。
大沢在昌『狼花 新宿鮫 9』で広域暴力団のある幹部が「基本的にクスリをやる奴に利口はいない。俺がいうのも何だが、夢がない、未来がない、生きていても楽しいことのない奴が、最後の楽しみで手を出すのがクスリだ。その点でいや、ガキがクスリをやる国は、もう終わりだ。日本はそうなりかけている」と言っていた。
このセリフにあるクスリを酒に置き換えたらどうなるのだろう。晩酌の日、お酒大好きなわたしは夕暮れが近づくと心ウキウキになる。その延長線上にクスリがあるのか、それとも次元の異なる話なのかは気になるところで、飲酒の害を徹底してなくすという政府はクスリと酒を同一線上に位置付けているようでもある。健康増進をテコとした全体主義か、それとも権力によるありがたい国民皆健康か、いずれにせよ権力が酒や煙草にあれこれ口出しするのはよい兆候ではない。
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本屋さんで中村明『小津映画 粋な日本語 』というちくま文庫の新刊を見た。これまで知らなかった小津関連書籍だから以前であれば即購入だったが年金老人は出費節減に努めなければならず、スマホで検索したところおなじ著者の『小津の魔法つかいーことばの粋とユーモア』(明治書院)が図書館にあり、おそらく本書の文庫化と見当をつけて借り出した。
『小津の魔法つかい』の文庫化が『小津映画 粋な日本語 』とすればこの新刊はオススメ本だ。現職の方々は身銭を切って損はない。小津と野田高梧による脚本からその言葉遣いの特質が明らかにされ、また分析されていて、たのしい読み物となっている。
たとえば「東京物語」で小学校の先生である香川京子が「行ってまいります」とあいさつすると父親の笠智衆は「ああ、行っておいで」、母親の東山千栄子は「行ってらっしゃぁ」と返すのだが、これぞ美しい日本語の本則とする中村先生の目に「行ってきます」「行ってらっしゃい」は均衡を失した応答と映る。
「行ってきます」という敬意不足の言葉にいちいち「行ってらっしゃい」と応じていたのでは採算がとれず「毎日子供を送り出すたびに累積赤字がふえ、そのうち敬意不均衡からあいさつ摩擦が生じるかもしれない」のである。
振り返るとわたしは親に「行ってまいります」とあいさつしたおぼえはない。小津映画の日本語は「凛とした時代」「品位を保とうとした時代の空気」の所産だった。

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『小津の魔法つかいーことばの粋とユーモア』を読むうちにNHKBSで「麦秋」の放送があった。五回目か六回目の視聴だが、今回はデジタル修復版でずいぶん映像がくっきりとしていた。
以下二、三の覚え書き。
東京の勤め先に向かう朝の北鎌倉駅のホームでの紀子(原節子)と謙吉(二本柳寛)とのやりとり。
「面白いですね『チボー家の人々』」
「どこまでお読みになって」
「まだ四巻目の半分です」
「そう」
ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』の翻訳は仏文学者山内義雄先生がライフワークとした。十代のときから気になりながらいまだに無縁のままだが読破の希望は捨てていない。
紀子が、奈良から東京に出てきた大叔父の茂吉(高堂国典)に年齢を訊かれて「二十八歳です」と答えると、茂吉は「もうお嫁に行かなきゃ」と言って「ウーム、嫁にゆこじゃなし婿取ろじゃなし、鯛の浜焼き食おじゃなし・・・・・・ハハハハ」と奇妙なセリフを口にする。いまもって鯛の浜焼が出てくる意味がよく分からない。
麦秋は夏の季語で、初夏の頃をいう。映画では麦秋の前、鯉のぼりがたなびくシーンがある。空には鰯雲のような雲が浮かんでいるが、これは秋の季語だから春の季語である鰊雲としなければならない。
ついでながら成瀬巳喜男監督に「鰯雲」という作品がある。淡島千景が夫を戦争で失い、姑をかかえ、一人息子を育てながら農事に精出す主婦を演じている。
鰯雲は小さな無数の雲が疎らに、また薄く広がる秋の空を、鰊雲はニシンの形状ではなく産卵のため群でやって来る時期の雲り空をいう。
春、見上げれば雁や鴨などの渡り鳥が北方へ帰っていくころの雲り空では渡り鳥が北を指し、川では産卵のため鰊が群来する。人間はといえば「また職をさがさねばならず鳥ぐもり」(安住敦)。鳥ぐもりは鰊雲の別称。
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戦後すぐのころ警察とヤクザは蜜月の関係にあったと言われる。「仁義なき戦い」にもそんなシーンがあったし、おなじ深作欣二監督「県警対組織暴力」は警察とヤクザの関係をうがったなかなかの作品だった。
両者は対立関係にありながらも犯罪という核心のいちばん近くにいるから、そこに親近と「交流」が生まれて不思議はない。闇の世界だから実証は難しいだろうが感覚としてはわかる。
大沢在昌『狼花 新宿鮫9』には「過去、日本がアメリカに占領統治されていた時代・・・闇市の利権をめぐって外国人勢力と日本人が対立し、警察は無力だった・・・そのとき多くのテキ屋や愚連隊が日本人の側につき、警察はそれを黙認した」とあり、鮫島が上司の桃井に「もしかすると、日本人の官憲哲学の中には、外国人勢力の排除に、旧来の職業犯罪集団の力を利用する、という発想が埋めこまれているのかもしれませんね」と口にする。
「歴史意識の古層」(丸山眞男)に関連するようでもあり、この種のことを古典の世界に探ってみたい気がした。
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「トマス・キニーリー『シンドラーズ・リスト』(幾野宏訳新潮文庫)を感銘のうちに読み終えた。主たる舞台はポーランドの古都、クラクフ。一月に行ったポーランド旅行の余得で、クラクフを訪れることがなければこの本と巡り会えなかったかもしれない。それにしてもこれほどの本が絶版なのは残念だ。

前にも書いたが出版業界には、本が売れないと嘆く前に、かつての刊行物から優れた作品を選び、電子化し安価に提供する努力を望みたい。二、三作読んだまま長らくご無沙汰だった大沢在昌新宿鮫』シリーズの電子版を知り、シリーズ十作品を読んだ。一作品ワンコインの五百円はありがたいし、こうした電子版の提供は新たな読者を開拓するにちがいない。
シリーズ全作品を読み切ったところで早くも記憶の混同が激しくなって苦笑いである。小津さんの映画はおなじようなシーンがあって、どれがどれやらこんがらがってしまうと言う人の気持がよくわかる。もしも将来、鮫シリーズのことをすべて忘れたときこの面白さを再度味わうんだと思うといまからたのしみだ。
その大沢在昌『絆回廊 新宿鮫10』にあったちょっといいセリフ。
「肝硬変や糖尿病、痛風は、やくざの職業病だ。その治療に最もよいのが服役だ、といわれている。規則正しい生活と質素な食事で健康をとり戻すのだ。考えれば皮肉な話で、国は、犯罪を働いた者の体を刑務所でオーバーホールしてやり、再びしゃばで悪事が働ける元気を与える」
シリーズはいまのところ二0一一年刊行の『絆回廊』が最新作だが、まさかこれで大団円とはなるまい。巧みなストーリーテリング、テンポがよくキレのある会話が魅力のシリーズ新作を待ちたい。併せて、長篇のほかに『鮫島の貌』という番外短篇集があるけれど鮫シリーズは長篇でグイグイ押していただくよう望みたいし、スピンオフの作品も出てきてほしいと願う。
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「職退いてからの冷房嫌ひなり」(伊藤白潮)。
この数日は七月並みの気温だったとか。そこで重ね着を止して半袖のTシャツにしようとしたが行きつけの喫茶店の冷房が強いことを考えて元に戻した。上の句のように退職して冷房が嫌いになったのではないが余計に効くようになった感はある。
夜が冷たい、心が寒い。六十代半ばを過ぎると冷温が一層身にしみるようになるのか、それとも以前と比較して体温が下がった、もしくは血行の問題なのか、いずれにせよ加齢と体温との関係が気になる。
街ゆく人を見るに半袖の人はけっこういるが、わたしは今のところ肘くらいまでの長さは欲しい。つい昨日までは七月並みの気温となればTシャツ一枚で大丈夫だったのに。
そういえば真冬に「あなたの傍にいると暖かくてポカポカする」と言われたのも今は昔。いつしか「寒い!」と避けられるようになった。
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毎日新聞で、前文科省事務次官前川喜平氏が「安倍一強」の政治状況について「首相秘書官や首相補佐官が各省の大臣より偉くなった」と語り、その例えに側用人として徳川綱吉に仕えた柳沢吉保みたいな人が各大名よりも偉いような状況にある、と解説していた。なるほどよくわかる。頭のよい人だなあ。同氏の加計学園の政府答弁の嘘を暴いた気骨ある発言には敬服したが、いっぽうで文科省天下り問題で引責辞任に追い込まれた私怨から職務上知りえた情報を広言しているとも見えた。頭のよさと処世術という点で興味を引かれる方だ。ついでながら柳沢吉保シンクタンク荻生徂徠を抱えていたことで、そこらの首相秘書官や補佐官とは格が違うぞ。
ともあれ政官界はいまヘビに睨まれたカエルによる忖度がまかり通っているらしく、その「安倍一強」のなか麻生副総理は比較的自由に発言できる立場にあるのか、トランプ大統領地球温暖化をめぐるパリ協定からの離脱について、国際連盟の創設に関わりながらメンバーには加わらなかった歴史を引き合いにアメリカ合衆国という国はその程度の国なんですよ、と語っていた。漢字には弱いらしいけれど、吉田茂の孫にあたる人はなかなか皮肉で気の利いたジョークをおっしゃる。祖父が聞けば微苦笑なさるだろう。