『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』

時を忘れて没頭し、頁を繰る指に力がはいる。至福の読書であり、もしもこれがミステリーであればわたしはもうひとつスピード感をくわえよう。
例外を認めたうえであえて言う、しばしば滞って軽快に運ばないミステリーは困ったものだ。その点でA・J・フィン『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』(池田真紀子訳、早川書房)は申し分なく、上下巻およそ六百頁をグイグイと四日間で読んだ。

三十八歳になる精神分析医のアナ・フォックスはニューヨークのハーレムにある高級住宅街に建つ屋敷に、この十か月間一人でこもって暮らしている。広い場所に出ると恐怖や不安を誘発する広場恐怖症のせいで外へ出られない。精神障害を患う精神分析医が慰めにしているのはアルフレッド・ヒッチコック作品をはじめとするサスペンス映画とワイン、そしてカメラでの隣近所の覗き見だ。
ある日、彼女は新しく越してきた家庭の主婦が刺される場面を目撃し、警察へ通報する。ところが現場に事件を裏付ける物証はなく、またその一家に異変は認められなかった。アナは、刺されたなんてとんでもないという隣家の主婦ジェーン・ラッセル(「紳士は金髪がお好き」でマリリン・モンローとコンビを組んだ女優と同姓同名)は、カメラを通して見たジェーンとは異なっていて、別人がすり替わっていると訴える。しかし警察はアルコール依存症と服薬がもたらした妄想と相手にしてくれない。
ほんとうに妄想だったのか。でも警察に通報した数日後に、就寝中のアナの姿を撮った写真が匿名のメールで送られてきた。それは妄想ではなく現にパソコンにある。誰かが寝室に忍び込んで写真を撮ったのだ。これは女を刺したと見たことと関連していると考えざるをえない。
彼女は真相の究明に向かっていく。一室に閉じこもりながら。
ここまででおわかりのように『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』はコーネル・ウーリッチの「裏窓」とこれを原作とするヒッチコックの同名の映画の変奏曲であり、ミステリー・ファンはウーリッチとヒッチコックが提出した主題がどのような変化を施されていまに甦るのかをひたすら追う事態に陥る。こうしてどちらかといえば遅読に属するわたしの頁を繰るスピードは速まり、トップスピードで疾走したのだった。
アナが患ったについてはどのような事情があったのか、彼女の閉じこもりを機に別居したという夫と長女はどうしているのか、越してきたラッセル家の夫婦と長男はどのような人たちなのか、そして女を刺したと見たのはほんとうに妄想だったのかといった謎が「裏窓」のコード進行に則りながら奏でられ、解き明かされ、そこにサスペンス映画についてのアナのモノローグという素敵なオブリガートが付けられる。
上巻巻末にリストアップされた、本書に登場する映像作品は「陰なき男」(1934年)や「バルカン超特急」(1938年)の昔からいまの「ダウントン・アビー」や「グッド・ワイフ」まで六十二作品、一読後、映像作品の箇所を追ってみるのも一興だろう。