しがない SE やってます。
2009-08-02 (Sun) ダイアログ・イン・ザ・ダーク
何か月もブログ放置してもう死んだんじゃねーかという感じですが、何の前触れもなく更新してみます。
一か月以上前になりますが、ダイアログ・イン・ザ・ダークというのを体験してきました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークって何なんだよというわけで、公式での紹介文によると、
目以外のなにかで、ものを見たことがありますか?
暗闇の中の対話。
鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、土の匂い、森の体温。水の質感。
足元の葉と葉のこすれる枯れた音、その葉を踏みつぶす感触。
仲間の声、乾杯のグラスの音。
暗闇のあたたかさ。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、まっくらやみのエンターテイメントです。
参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入り、暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験します。
その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。
私がこのダイアログ・イン・ザ・ダークを体験してみたいなと思ったのは、以前に何かの折でこちらの文章を読んでからです。
この文章を読んだとき、私はハッとさせられました。
盲学校が近所にあることもあって、コンビニでもたまに白い杖を持ちながら店員に案内されて買い物する人を見かけることがあります。そういった人がコンビニで物を買い、支払を済ませるには必然的に通常の人より少し時間がかかることがあるわけです。店内が混んでいるときにそういう光景があったとき、「遅いなあ」と浅薄にもイライラを感じたことがなかっただろうか?
さきほどリンク先の引用の「僕は自分の罪の深さに、心が乱れた。」という文に、自分は当てはまらないなどとはとても言えない、と思ったのです。
目が見えないというのはどういうことなのか?
普段生活する限りではこれを体験することはまずないだけに、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という催しがあることを知ったときは純粋に体験してみたいと思いました。なかなか東京で行われることが少なくて機会がなかったのですが、ここ最近は東京での開催がされていることを知ったので、後輩を誘って参加してきました。
最初に真っ暗闇に入ったとき、まあいきなりパニくるわけです。
「自分の足元さえ見えない!」
「目を開けても閉じても変わらない!まじっすか!」
入ってほんの10秒でこの調子では、いったいコリャどうなっちまうんだと途方に暮れてしまいました。数人での参加であり他のメンバーも同様の状態でしたから、なんか絶望的すぎてもういっそのことみんなで笑うしかないな!っていうくらいでした。ところが、しばらくすると慣れてくるというか、声を出し合いながら、体をふれあいながら進むことの安心感により、徐々に怖さが無くなってくるのです。むしろ暗闇が身近にさえ感じられてくるというのはなんとも不思議なものです。
人によっては、視覚を遮断されることで、それ以外の聴覚・嗅覚・触覚などが鋭くなったと感じた人もいるようです。自分でもある程度はそう感じました。
自分としては、それしか頼る情報がないのでマジで必死だったので、本当に感覚が研ぎ澄まされたのかどうかは自信がありません。でも音や声の感覚、モノを触った感触、匂いなどは、それしか情報が無かった分、ヴィヴィッドというか、不思議なリアルさがありました。普段はリアルじゃないのか(笑)
そして私が強烈に感じたのは、謳い文句でもある、「コミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します」ということ。文字だけを見れば、そりゃ当たり前だろと。思うのですが、こればっかりは体験しないと分からないのかもしれません。それほどコミュニケーションが致命的に重要であり安心感に直結する体験でした。
そして終わった後、別の意味で印象的だったのは、普通の生活に戻ってからはものすごい速度でその体験時の感覚を忘れていく、ということです。あれだけ自分の能力における聴覚・触覚を総動員してその感覚が鋭くなった(ような気がした)体験さえも、視覚のある生活に戻るやいなや、どんどんその感覚を忘れていくのです。それだけ視覚の情報量が多くてそれ以外の感覚を凌駕している、ということなのかもしれません。
参加にはちょっぴりお金がかかるし、こういうことに面白そうと思わない人には勧めにくい内容ではありますが、「普段ではありえない新鮮な体験」ということは確かだと思います。
2008-11-23 (Sun) 秋の夜長と上海の長い夜
- 作者: 鄭念,篠原成子,吉本晋一郎
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1997/11
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 4回
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『上海の長い夜』は、中国で1960年代後半から始まった文化大革命を体験した著者の回想録である。著者は文革の波にのまれて無実なのに拘留されてしまうが、その時点ですでに51歳の未亡人であった。その「51歳の未亡人」という印象とは裏腹に、この悪夢を生き抜いた彼女の姿が実に凛々しいのである。
拘留中での取り調べで印象に残った箇所があるので、少し長いが引用したい。
(取調べの)男はカウンターの下から小さな茶色の紙ばさみを取り出すと、それに目を落とした。
・・・中略・・・
そこにはフランスクラブがまだ上海にあった頃、50年代初めに、私がスイス人の友人と踊っている写真が入っているのが見えた。
・・・中略・・・
「これを愛国的と言うのか?」と若い男は、まるで私がなにか恐ろしいことをしている現場を押えたかのように、厳しい調子で言った。
「踊りと愛国主義と、どう関係があるんです?」私は本当にびっくりしてしまった。
「お前は、外国人と踊っていたんだ。それに外国人と踊っていて、とても幸せそうではないか。これは明らかに愛国心のないことだ」
私は男の攻撃の矛先に、むしろまごついてしまった。しかしすぐ立ち直ると、いかにすれば議論を自分に有利なほうにもってくることができるかを見つけ出した。私は続けた。
「外国人と踊ることが、愛国心のないこととは知りませんでした。でもあなたの優れたご判断は、受け入れなくてはならないでしょう。あなたは、物事に精通しておられるマルクス主義者で、革命派の方ですから。しかし、もし私が愛国心がなかったにしても、少なくとも私は役に立っていましたよ。それはほめられていいと思いません?」
「どういう意味だ、役に立ったというのは?」
「あのー、今あなたが言われたように、外国人と踊ることは愛国心のないことでした。スイス人の友人と踊ることによって、私はスイス人を愛国心のない人間にしていたんです。だってスイス人にとって、私は間違いなく外国人でしたから。もしダンスをするという簡単なことで、他の人の愛国心をなくすことができるのなら、それは役に立っているんじゃないでしょうか?そういう観点から出てくる可能性を考えてみて下さい。あなたは世界中の中国の敵とダンスをするため、私をそれらの国々へ送り込むだけで、彼らを愛国心のない人間にできるのです。そうしたら、一発も銃などを撃たずに、敵をみんなやっつけられますわ。これ以上役に立つ方法ってあるでしょうか?」
私はおかしくて仕方なかったので、最後まではっきり言うのがたいへんだった。
しかし、若い男は愉快でなさそうだった。男は怒りで顔を真っ赤にした。取調室のドアを指さして、大声で言った。
「出て行け!出て行け!お前を銃殺にしてやる」
男が、私めがけてすっとんできそうなほど恐ろしい剣幕だったので、私は急いで取調室を出た。
私はこの箇所を読んでいて、開いた口がふさがらなかった。どれほどの機転なのだろう!また筆者は毛沢東の語録を暗記していたので、会話中に必要に応じて語録のひとつを効果的に引用することで尋問や取調べを自分に有利な流れに切り返すことができた。
冬には極寒になる過酷な独房、看守の高圧的な扱い、不条理な嫌疑、など、通常の人間ならとっくに精神が参ってしまう状況に耐えながらも、相手の理論に則って反論し、自分への嫌疑を晴らすためと決意した忍耐はまさに鉄の意志である。この例のみならず、随所にある明敏な考察、少ない情報からも裏側の本質を知ろうとする態度、など、著者が強靭な精神力を持つと同時に非常に頭の切れる女性であったことが窺い知れる。
著者はスパイであるという嫌疑をかけられていた。もちろんそんなことはなく、物的証拠などは尚更存在しない。中国共産党にとってこのとき必要だったのは、資産家や外国企業と関係していた人に対して「お前はスパイだっただろう」などと無茶苦茶な容疑をつきつけ、本人を肉体的に、経済的に、そして精神的に追い詰めることで、ありもしない事実を自白させることだった。中国共産党にとってはその自白こそが、「自分たちの主張が正しかったことを立証する証拠」として一定数以上必要であり、これが党員に課せられていたノルマであったのだ。
狂っている。
だがその狂気が降りかかってきて標的にされた資産家にとってみれば、もうこれは悪夢にほかならない。突如として自分の周りの人間が悪意を持って脅迫してくる様はとてつもない屈辱であり、自殺者も少なくなかった。本書を読んで当時の状況を推測する限り、実際には犯してもいない罪を「自白」した人の方が圧倒的に多かったように見受けられる。おそらく、最後まで徹底して否定し続けたのはほんの一握りの人々だけだった筈だ。それだけに、著者の鉄の意志には敬服せざるをえない。
著者は結局6年余りも投獄され、自由の身になった後には最愛の娘が自殺していたことを知らされる(その娘の死も自殺かどうかが疑わしいほど当局の情報が曖昧であるのだが)。悲嘆に暮れてアメリカに渡り著したのが本書である。当時はベストセラーになった。
著者はこの体験を通し、文化大革命どころか文化大絶命であったと嘆く。文化大革命のせいで中国の発展は20年遅れたと言われるが、資産家や知識階級が全てこういった文革の害意ある攻撃に晒されたのだ。さもありなんである。
2008-09-15 (Mon) AK47
AKB48 というアイドルグループがいるそうだ。アキバ系のアイドル 48 人のユニットだとか。
アイドルグループというのはいいが、なんせ48人である。落ち着けと言いたい。
さて、AKB48 と AK47 は名前は似ているが、意味はまるで似ていない。
AK47とは1947年式カラシニコフ自動小銃のことだ。世界中で内戦やクーデターが起きるたびに登場する、たぶん世界一有名な自動小銃である。「小さな大量破壊兵器」とも言われる。
- 作者: 松本仁一
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2004/07/16
- メディア: 単行本
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AK47 がこれほど広まった理由は、使いやすく(部品が少ない)故障が少ないということにある。雨にさらされても、砂埃をかぶっても、銃の手入れを忘れても、弾が不良品であっても、とにかく弾詰まりせず暴発せず発射できるのである。
2003年8月のAP通信によれば、イラク戦争の米兵さえ押収したAK47を使っていたという。米軍のM16は砂埃でしょっちゅう弾詰まりをしていたからだ。
そんなAK47は、開発から半世紀が過ぎた今でも、使いやすさで他の自動小銃の追随を許さない。その使いやすさゆえに、途上国のゲリラにおいて11歳の少女ですら「兵士」になれるのである。
かつてAK47は植民地解放闘争の主役だった。アルジェリアでも、ベトナムでも、キューバでも、アンゴラ、モザンビークでも。AKが生み出した新しい国は数多くある。しかしいま、その国の多くが不安定化し、銃の氾濫に悩む。AKのために崩壊の危機に追い込まれた国さえある。
ひとびとや国家にとって、銃とはいったい何なのだろうか。
本書では開発者であるミハイル・カラシニコフや、シエラレオネの11歳の少女兵などへの取材を通して、AK47が変えた途上国世界の有様を描いている。
カラシニコフの特徴や途上国の悲惨な描写も読み応えがあるのだが、私にとって驚きだったのは、第6章の「銃を抑え込む」という章だ。ソマリランド共和国では、5万もの大量の銃を回収することに成功し、治安が回復しているというのである。ひとたび銃社会になってしまうと二度とそれを回収することはできまいと思っていたので、住民から自主的に和平を求める声が高まって実現したというこの銃の回収事例は新鮮であり、銃社会になっても治安を取り戻す希望があるのだと知ることができた。とはいえこれはかなり稀な成功例であり、銃が広まっている多くの第三世界がほぼ例外なく悲惨な状況になっていることには変わりない。
どうでもいいことだが、AKB48 は AK47 に名前が似ているので、ひょっとしてアイドルの供給過多をもってして、AK47の氾濫で沈みゆく第三世界の暗喩として日本の現状を憂うという高度な社会風刺なのかと思ったが、ぜんぜん関係ないようだ(笑)。
2008-08-18 (Mon) 志木みたく栄えてればいいのにね
最寄の護国寺駅前のジョナサンでサラダとコーヒー2杯を費やし、会社の同僚から薦められた本を読み終わった。
心に残る本を読んだ後は、しばらくぼーっとしていることが多い。深夜のファミレスなら尚更である。素晴らしい映画を見た後はスタッフロールを最後まで観ているように、何事も感動の後は心にそれを沈着させる静かな時間が必要だと思う。
そんなわけでぼんやりしながら飲み残ったコーヒーを啜っていたところ、後ろの席の女性2人の会話が耳に入ってきた。今まで没頭していたので後ろに客が居るのも忘れていたが、どうやら女子大生あたりのようだ。
「それにしても護国寺って冴えないよねー」
思わずコーヒーを噴出しそうになるのをなんとか堪えることに成功した。
代わりに今までの感動が頭から吹き飛んでいった。
「もっと志木みたく栄えてればいいのにね」
どうやら志木駅前に比べて護国寺駅が負けているということらしい。
まあ同意せざるを得ないね。
数年住んでる自分が言うのもなんだが、正直いって護国寺駅前には何も無い。おっと、お寺はありますよ。
志木駅前には詳しくないが、駅前で護国寺駅が勝っていると考えるにはたぶん空を飛ぶ鳥のように自由な想像力が必要である。そんなわけで、絶望的に何も無い駅前に燦然と輝くジョナサンはほとんど奇跡にさえ見える。独り暮らしの民にとってもはや食事処を越えた精神的な拠り所といっていい。いつもドリンクバーで粘るために、深夜の紳士的な若いウェイターに顔を覚えられてるのは私だけではあるまい。こないだ近くに食品館ができたのだけど、スケールとしては今ひとつに留まっている。
ああそんなことはどうでもよくて、本を読んだのだった。やれやれ、読後感も何もあったものではないよ。代わりにコーヒーを噴出しておけばよかった。
2008-06-24 (Tue) ローバー、火星を駆ける
どうやら火星に水があったということらしいので火星にちなんだ本の話を。
ローバー、火星を駆ける―僕らがスピリットとオポチュニティに託した夢
- 作者: スティーヴスクワイヤーズ,Steve Squyres,桃井緑美子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/09
- メディア: 単行本
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『ローバー、火星を駆ける』は、マーズ・エクスプロレーション・ローバーの計画(スピリットとオポチュニティ)のミッションの研究代表者を務めたコーネル大学教授スティーヴ・スクワイヤーズによる、火星探査プロジェクトの一部始終である。面白かったので一日で読んでしまった。
2008年6月24日の時点で今まさに活躍しているのはフェニックスだが、それに先だってのスピリットとオポチュニティの活躍も記憶に新しい。しかもつい先日、NASA がこの探査機の太陽電池に積もった塵を落とすアイデアを募集していたので、スピリットとオポチュニティは当初に想定していた探査期間を超えて驚くべき長期間の活躍をしたことになる。
きっと NASA ともなれば金と技術と一級のプロジェクト管理を注ぎ込んで万事うまくいっていたのだろう、と思っていたのだが、現実はまったく違ったようだ。打ち上げまでの期間はとにかく時間と予算と重量の制限との戦いだったようである。
特にスケジュールは凄まじい。 NASA がローバーの製作にOKを出したときには、すでに2003年夏の打ち上げまで34ヶ月しかなかった。高度な火星ミッションの準備に34ヶ月というのは相当に短かったようだ。
その上、OKの直前にローバーを1台ではなく2台にすることが決まったのである。
1台でもスケジュールが炎上しそうなのに2台!?常識的には考えられないが、様々な理由があったようである。実は、これに先立っていた2つのミッション、マーズ・クライメイト・オービターとマーズ・ポーラー・ランダーが失敗していたため、NASA はどうあっても次を成功させる必要があった。しかもマーズ・クライメイト・オービターは、計算をメートル法とポンド・ヤード法とをごっちゃにしたために宇宙の藻屑に消えたという笑えない失敗である。
そんなわけで冗長性を考えて、ロケットエンジンも、ランダーも、ローバーも、何もかも2台ずつ、というのはリスクの分散には素晴らしい手だ。かつ、2台のローバーをほぼ同じ構成にすることでテスト工程を完全に並行して実施できることで、2台だからこそ短い期間で完成することができたという。これには恐れ入ってしまった。
それに当たり前のことかもしれないけれど、火星は月より遠い。最大の接近時でも光で3分以上かかる距離になる。探査機の打ち上げのチャンス、つまり火星が接近するタイミングは26ヶ月に1回しかない。それを逃せば次のチャンスが更に26ヶ月先になると考えると、スケジュールに敏感になるのも無理はない、というところだろう。
というわけで様々な困難が降りかかりながら探査プロジェクトは続いていくことになる。
尚、NASAの火星探査で撮影された地表の画像などは公開されているのでいつでも見ることが可能だ。
今では私も視力が弱いけれど、子供のころは空を見上げて、赤い火星を目視できた記憶がある。
その火星の地表を、まさかこれほど精細な画像で見られるようになるとは!遥か彼方にあるはずの火星のリアルな地表パノラマ写真を見て、興味が湧き起こらない人は居ないと思う。
スピリットとオポチュニティの成功があってこそ今のフェニックスの活躍があり、そのフェニックスが水の存在を強く示唆する証拠を確認したのだから、火星探索のミッションは着々と成果を上げているようである。
著者が大学で火星に思いを馳せてから26年後に、スピリットとオポチュニティを打ち上げて火星探査を遂行するまでの困難の連続の顛末を読んでいると、後半のスピリットとオポチュニティの活躍をまるで他人事ではないように感情移入して読むことができる。
2008-03-22 (Sat) ひとり聞き間違い
ちょっと変な夢を見た。
何やら校庭でストレッチをしていて、横に中学の同級生が体操着でやはり柔軟をしている。十年以上会ってない奴が自然に登場しても違和感がないのが夢の不思議なところである。
私は普通に、「足大丈夫?」と訊いた。彼が昔足を悪くしたのを知っていたからだ。
すると彼は、「明日なら大丈夫だよ。社長面接が2つあるけど日程はずらせるし」と返答してきた。
私は、「いや、tomorrow のあしたじゃなくて、足だよ足。怪我はもういいのかよ。」と訊き返す。そこから先の記憶はなく、気付いたら目覚ましを止めていたので、そこで起こされたようだ。
中学生が体育の時間になぜ就職活動の最終面接のアポみたいな返答をしてきたのかは大いなる謎である。まあでもそこは夢だしそっとしておきたい。脈絡ゼロのくせにナチュラルな会話展開は夢によくあることだ。
そんなことより、起きて夢を思い出した私が驚いたのは、相手が「聞き間違えた」ということだった。「足大丈夫?」を「あした大丈夫?」という風に聞き間違えたのである。
これが普通の会話ならわかるんだ。確かにありそうな聞き間違いだよ。
でもこれは「夢」でしょう?
夢の中で会話していたかつての中学の同級生は、眠っている私の脳が作り出した虚像である筈なのに、なぜ聞き間違いをするんだろう?
理由なんか知るかよ、ってところだけど、自分の夢で体験するとすごく違和感があるのだ。私がストレートに相手の足の具合を心配していたのと完全に並行して、私の無意識が「足」と「あした」を聞き間違えさせるべく準備して同級生にそれを喋らせたということになる。
それに加えて、私の脳みその配線のどこをどう繋げば社長面接の予定という返答が返ってくるのかは益々もって意味不明である。しかも2つ。ダブルブッキングです。
もしかすると普段覚えていないだけで、夢の中ではよくあることだったのかもしれない。でも比較的記憶に残る夢の中では、話しかけた相手がリアルな聞き間違えをしたことは一度もなかったように思うのだ。多重人格者は自分の心の中だけで、人格同士が会話することがある、というのを昔読んだ気がするのだけど、そこでも「聞き間違い」は発生するのだろうか?夢でもこんな調子なのだから、案外にありそうではある。
そんなわけで、起きた後でも、自分が語りかけていたのが本当に自分の無意識が作り出した虚像だったのかどうかに自信がなくなるような、不思議な感覚が残る夢だった。
天気はスカッとしていたから余計に、この夢の奇妙な印象が一日中残っていた。
2008-03-02 (Sun) 或るSEの抽象的な叫び
三ヶ月も空けてしまった。
ブログというか Web で日記もどきを書き始めて初めてかもしれない。放っておくとフェードアウトしそうなので、自分なりに抵抗しておこう。しばらく読書感想文日記になっていたのに、それさえできなかったし。
あんまり仕事の愚痴とか書いても建設的じゃないと思っているんだけれど、久しぶりだしちょっと愚痴っぽくSEの叫びでも書いてみたい。感涙にむせぶほどありがたい二週間ぶりの休みの余韻があるうちに。
昨年後半からずっと、会社のとある古いシステムを新しいのにするべく悪戦苦闘してきたわけである。んで、システムを置き換えたり保守したりする人は身を以て知っていると思うのだけれど、要するに残されていたシステムのプログラムがひどい。とにかくひどい。
全ての元凶は先代のプログラマ達なわけだが、私は新入社員の頃にその人たちの仕事風景を見ていたことがある(彼らは他社の人であり、しばしの協働期間の後プロジェクトを離れ、今は何処で何をしているかも知らない)。稀に若い人も居たが、中心的な仕事をしていた彼らはみな基本的に中年であり、経験がありそうな人たちだった。
その彼らが作ったプログラムのアルゴリズムが絶望的にヒドい内容であることに気付いたとき、私は心底腹が立った。抽象化が足りない何度も現れる無意味な繰り返しと、何百行にもわたるアホな SQL に吐き気がするほどのクソのようなコードを書いた「上級」プログラマ達に、自分より数段上の給料が払われているはずだったからだ。なんだよそれ。
その「上級」プログラマ達が数ヶ月間、設計と開発を経ても適切な抽象化のアイデアさえ出てこなかったのならば、彼らは凡庸だったのではなくバカだったのだ。きっと何年かけても乗り越えられないバカの壁が聳え立っていたのだ。
多くの社内IT部門でもそうだと想像するが、大抵のプログラムは絡み合ったスパゲッティーのようになっているものの、それをまっすぐ伸ばすように作り直すような時間も金もかけることは許されない。それゆえに、無能なプログラマの書いた派手に間違ったコードが、後々の保守要員たちにボディーブローとして効いてくることになる。じわじわ、いつまでも。
根本的に直せずしかし場当たり的な対応が重なり、絡み合ったスパゲッティはもはや二度とほぐせなくなり、いつしか水分が干からびて硬化した小麦粉のカオスへと退行してゆくであろう。アーメン。
私が数年働いてきて気付いた、当たり前とも思える事実はこうだ。通常はIT部門に高度な抽象化技法の能力は求められていない。関数型プログラミングの知識どころか、オブジェクト指向や構造化プログラミングさえも知らなくて再帰も C のポインタも理解していなくていい。VBさえわかればいいんだ。いや、ひょっとしたらそれさえわかってなくてさえいいのかもしれない。IT分野の人気低下に伴い、本当に優秀な人材の確保は難しい。人手が足りないなら、必然的に全体の質は下がるのだろう。ごくたまにびっくりするほど凄い人に出会うけれど、それはとても稀な幸運なのだと思う。
そういえば以前医龍ってマンガで、朝田という腕っこきの医者がこんなことを言っていた
「技術のない外科医は、それだけで罪だ。」
すごい言葉だ。高圧的だが反論を許さない説得力があるね。私はこの言葉をプログラマにもあえて適用したい。技術のないプログラマも十分に罪なのだ。
外科医に技術が無い場合、下手すると人命に関わる。その点 外科医と異なり、プログラマのスキルの無さは大抵、人命に関わりはしない。
しかし、だからこそ余計に罪なのだ!
そして何より、後任で保守をしながらボディーブローを喰らい続けている担当者、要するに我々に対して!
抽象化という重要なスキルを司るはずの部位が頭からネジごと抜け落ちているバカが、どうせ人が死にゃしねぇだろうとふざけた品質のコードを書き下す!冗談じゃない!人は死なないがみんなの心は死んでいくのだ!せめて我々の休日を返してくれ!有休と代休がはかない夢のように消えてしまう前に!
2007-12-02 (Sun) タバコ・ウォーズ
- 作者: フィリップ・J.ヒルツ,Philip J. Hilts,小林薫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1998/08
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著者のまえがきにある通り、この本は喫煙や喫煙者に関する書というより、むしろ企業行動に関するものである。
喫煙と肺癌との関連性を示す証拠が増えていくにつれ、企業がいかにしてPR作戦を展開して大衆を煙に巻いてきたかが描かれており、いくつかの内容は喫煙しない人間にも(あるいは喫煙をしないからこそ)興味深い。
私にとってもっとも衝撃的だったのは、6章の「タバコを始める人のために」という内容だ。
≪ニューヨーク・タイムズ≫の記者として、タバコに関する記事を書き始めた当初、私は奇妙なことに気がついた。どんな質問をしたところで、業界側の返答はつねに予想通りの退屈なものばかりだったのだが、話題が子供の喫煙におよぶと微妙にそのトーンに変化が生まれるのだった。
驚くべきことであり、かつ、ほとんど認識もされていないと思うのだが、タバコ・ビジネスの運営は、子供たちに積極的に働きかけなければならない、というのである(ここでは「子供たち」とは、高校生から大学生に相当すると思われる)。このことがタバコ業界の人々を落ち着かなくさせている源泉となっているのだという。
このビジネスの根本となっているニコチンの中毒性は、成人たちを蝕むものではない。喫煙を21歳以上になって始めた人々の間では、90%以上がまもなくその習慣をすっかりやめてしまう。ニコチンの中毒性がしっかり身に付くには1年以上、時には3年もかかる。成人はそこまで喫煙を続けようとしないのだ。
(中略)
タバコ・ビジネスにおけるもっとも重要な基礎事実は、生涯にわたってタバコの得意客となると思われる人の89%は19歳までにすでにタバコの愛用客になってしまっているということである。事実、4分の3の人は17歳までに、すでに愛用客の列に加わっている。
これって恐ろしい事実ではないだろうか?本書がアメリカの話であることを割り引いて考えても、日本だからといってそうそう大きな違いがあるとも思えない。
もしタバコ各社が常々言っているとおり、彼らが子供たちには近づこうとしていないというのが事実だとすれば、タバコ産業はわずか一世代のうちに崩壊してしまうに違いない。だがもちろん、タバコ産業は崩壊してなどいない。つまり、彼らはまさに子供たちをターゲットにしていて、かつそれに成功していることにほかならない。
カリフォルニア大学サンディエゴ校のジョン・ピアス博士らによる歴史的データの研究結果は、これまで明らかにされた文書の中でタバコが特定の年齢層を狙っていると記されていても、実際には18歳以下の年齢層で最大の効果を上げていることを示しているという。
また、カリフォルニア州保健局は広範な調査を実施し、州内5773か所のコンビニの店頭に置かれているタバコの広告と宣伝用パンフレットを調べた。コンビニの店頭こそ、タバコ会社が資金を注ぎ込む場所であり、最終的にタバコ会社の真の意図を示す場である。条件がすべて等しければ、広告やパンフレット類は最終的に各店に平等に配布されていなければならない。ところが実際は異なっていた。学校から1000フィート以内の店の方が、それよりも遠い店よりも多く置かれていた。しかもパンフレット類が置かれていた場所は、キャンディのカウンター近くが最も多く、ディスプレーの高さは3フィート以下に設置されているケースが多かったという。このような不均衡は偶然に発生したものではないだろう。広告は意識して配布されているだけでなく、慎重に管理してさえあると言える。
このように18歳以下の年齢層に効果的に広告していたにも関わらず、タバコ業界の表向きの発言はこうである。タバコ会社が史上最も激しく攻撃された1994年、いくつかの会社が一流新聞に広告を出した。
R・J・レイノルズは「自由社会における喫煙について」という題の広告で、次のように強調した。
「われわれはいかなる環境下にあっても、子供たちがタバコを吸うのを望むものではない。われわれは年齢制限を強制適用させるプログラムを積極的に後援するものである」
どの口がそれを言うのだろう!
本音と正反対の建前を平然と言ってのけるタバコ業界のPRには呆れるしかない。著者も語気を強めて糾弾する。
こういった話は面白いなどという代物ではない。ゆるがせにできない事態なのだ。アメリカの有権者にとって、これ以上同意できる主題はないと言ってもいい問題なのだ。北部、西部、中西部はもとより、南部のタバコ諸州ですら、調査回答者の90%以上が、タバコ会社は子供だけには手を触れずにおくべきだと信じているのだ。子供には売ったり、広告したり、話しかけたり、いかなる形でもその心の中に入り込むべきでない。
決して認めようとはしないが、タバコ会社の人々は、どういう子供たちがタバコを吸い始めるのか、いつ、なぜ吸いはじめるのか、また、やめたいと思うのかどうか、さらには子供たちがタバコに何を求めているのかを探り出すことが、彼らにとって最も心配しなければならない事実であることを知っている。そして、業界の将来を考えて、この最も重要な使命を一般大衆の目に映らないように遂行しようとしているのだ。彼らは子供にタバコを売らなければならず、そのうえ、必要ならば宣誓をしてでも、それを否定しなければならない。
著者によれば、彼らがこの難問に取り組んでいると主張する解決策さえもハッタリであるという。
タバコ会社は、問題の解決に懸命に努力し、一見すると第一線で取り組んでいるかのようにふるまう。しかし効果は無いのだ!そりゃそうだろう、効果があっては困るからだ!むしろ効果がないことは承知のうえで、巨額の資金を投入して注目を集めるプログラムを展開し、その一方で実効力のある法律を施行すると市町村や州から脅かされながらも、ロビイストと資金を繰り出して前進する...
ちなみに、著者はタバコ会社の役員たちの本音の姿も見出している。本当は彼らにしてみても、嘘をつき続けるのは嫌なのだ。子供に害を及ぼすものなど社会的に排除して後ろ暗い姿勢をやめ、声高にクリーンな発言ができるようになりたいと本心では望んでいるのだという。
しかしながら、この問題の持つ背反的な本質がそれを困難にしている。子供への害を排除することはすなわち、タバコ業界が存続できないことを意味するからである。
かくして、子供の喫煙をめぐる問題が他のあらゆる問題と異なる理由は、それがタバコ・ビジネスを持続させるうえで最も重要であることと、タバコ業界にとって最大の弱味を露呈しかねないためである。最重要であると同時に最大のタブー!なんという明暗の二面性だろう!
2007-10-25 (Thu) 迷惑な進化
- 作者: シャロンモアレム,ジョナサンプリンス,Sharon Moalem,Jonathan Prince,矢野真千子
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2007/08/25
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『迷惑な進化』は、進化医学という視点から、なぜ病気の遺伝子がこれほど多くの人に受け継がれているのかを説明している本だ。
『病気はなぜあるのか』と同じテーマなので内容が被る部分もあるのだが、それでも十分に面白い。新しい知見を得ることができる。
特に、成人病や遺伝性の病気が何故、人類の進化の過程で淘汰されずに残ってきたのかという理由を説明するのに持ち出してくるアナロジーが軽妙である。
40年後に死ぬと分かっている薬を飲むのはどういうときか?
と問い、こう返している。
それが明日死ぬのを止めてくれる薬だからだ
本書は、共著がクリントン元大統領のスピーチライターだった人であるからなのか、文章構成に一流の巧みさが表れていて、読ませる文になっている。私は一気に最後まで読んでしまった。
2007-08-28 (Tue) ベスト&ブライテスト、マクナマラ回顧録
ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)
- 作者: デイヴィッドハルバースタム,David Halberstam,浅野輔
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1999/06
- メディア: 文庫
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『ベスト&ブライテスト』は、1960年代のアメリカにおいて、ケネディ元大統領とその周辺のエリートスタッフ達がいかにしてベトナム戦争にはまり込んで行ったかという過程を冷静に描写したジャーナリズムである。
著者のデイヴィッド・ハルバースタムが先日亡くなったという報道があり、代表作が本書だということで読んでみたのだけれど、ピューリッツァー賞受賞という名声に相応しく、一流ジャーナリストの仕事に違いない。権力奥深部の人間ドラマが生々しく描かれており、政策決定をどのようにして間違っていったかという過程は、下手なフィクション小説よりずっと面白い。
特に本書の随所において現れる、大統領の周辺スタッフ達に対する批評が印象的だった。たとえば、世間に「マクナマラの戦争」と言われるほどベトナム戦争の中枢に居続けた国防長官ロバート・マクナマラに対しては、
彼は知的であり、勇気があり、上品で、かつまた強力な人間であった。彼は人間のすぐれた資質のすべてを持ち合わせていた。だが、ただ一つ欠けた点があった。それは英知である。
と、端的な言葉でありながら痛烈な批評を込めて言及している。ハルバースタム自身がベトナム戦争の従軍記者であった経験があるため、アメリカをこの戦争へと駆り立てた張本人達への静かな怒りが表れているのかもしれない。
ケネディ政権発足時のワシントンに参集したメンバーはまさにエリート中のエリートであったらしく、さながらオールスターチームのようであったという。しかしながらその輝かしい知性こそが、つまり、アメリカ最大の愚行とも言うべきベトナム戦争へと政策を決定して行った面々が、単なる凡人ではなく、そこそこのエリートですらなく、むしろ「最良にして最も聡明な(タイトルの意味)」人材と謳われた当代随一のエリート集団であったこと、そのことこそが本書の伝える矛盾の本質であると思う。彼らがそれほど頭が良かったなら、なぜ致命的なまでに間違い続けたのだろう?フランス人が敗退した敵にアメリカ人ならば勝てると思い込んだのは何故なのだろう?
その思い上がりのエリート達が下した政策決定の過程がおのずと、彼らに真の意味での英知がなかったことを物語っている。そして彼らは反共とドミノ理論という強迫観念にあまりにも拘泥し、やがてベトナムという泥沼から身動きが取れなくなってゆくことになるのである。
- 作者: ロバート・マクナマラ,仲晃
- 出版社/メーカー: 株式会社共同通信社
- 発売日: 1997/05
- メディア: 単行本
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他の多くの政策参画者が、後年自分を弁護するような発言や本を残している中で、マクナマラはハッキリと間違っていたことを認めて回顧録を著している。真摯な姿勢が伝わってくる文章であり、過去の過ちがあったとはいえ冷静な自己批評が評価されている本であるようだ。
これらの本によって、ケネディ就任当初の栄光と興奮に憑かれた時代、そしてそれに続く苦悩と挫折のアメリカ現代史とを伺い知ることが出来る。
それにしても、「共産主義との戦い」→「テロとの戦い」と置き換えると、イラク戦争と似ている点がいくつか見えるように思う。どちらも戦争を正当化するため、「反共」「反テロ」としつこく訴えている。どちらも旧政権崩壊後の新政府では国内が安定せず内戦等が泥沼化している。トンキン湾事件は後のペンタゴン・ペーパーズで自作自演だったと判明し、イラクの大量破壊兵器も無かったので、どちらも開戦理由がグレーである(というより黒)。最初はアメリカ国民が支持 → 状況悪化 → 反戦気運の高まり 、という流れなど。
とはいえ、もちろん異なっている点も沢山ある。むしろ、個人的には最大の相違だと思う点こそが、根源的な問題を包含していると思う。










最後の風刺がそうだったらいいなと思います。
ゴルゴ13はAKではなくM16を愛用しているそうですが、
最近、読んだ漫画でゴルゴがM16を使う理由が出ていました。