高校生の間にも格差社会

先日、子どもの頃より福祉系の仕事に就きたいと思っていて大学受験で福祉系の学部を志望している高校3年生の子と話す機会があった。
なぜ福祉系の仕事をしようと思ったかと聞くと「なんとなく」、そもそも福祉系っていってもいろいろあるけど、具体的に何がしたいのかと聞いてみても「なにがあるのかよくわからないけどとにかく福祉系」。子どもの頃からずっと福祉系を目指していたとのことだから本気で「よくわからない」わけはないと思うけれど、子どものころから興味を持っているその子よりも「福祉系」にはとんと疎い僕の方が知識が豊富だったことに軽い衝撃を受けた*1
まだこの高校生の例では、漠然としてではあるけれども、将来の目標があるだけましで、本気で何も考えていないような高校生もたくさんいるんだろう。もちろん、それと同じくらいの数の賢く立ち回っている高校生もいるんだろうと思う。問題なのは、危機意識の高い連中と低い連中との間の差がとんでもなく広がっているように感じる。もちろんこれを日本中歩き回って調査したわけではないので、僕の住んでいる土地の地域性の問題であるというだけかもしれないけど、日本全国の高校生全体の傾向であると考えても差し支えないのではないかなと思う。
別に今の高校生はけしからん、とおっさんくさいことが言いたいわけではない。僕もよっぽど若造ではあるけども、子どもたちの中にこのような諦観を作り出してしまったのは大人の責任であろう。いわゆる学習塾での指導法を一般の方々が知っているだろうか。
「何も考えるな。とにかく俺の言うことを聞け。今日はこれを覚えろ。そして明日はこれを覚えろ。なんでこれを覚えなければいけないんですかだって?そんなことを考えてる暇があったらとにかくこれを覚えろ。第二次世界大戦って何ですかだって?そんなこと考えてる暇があったらとにかく1945年終戦とだけ覚えろ」
確かに成績は上がるが、自主性は奪われる。ゲームを見てみても、ファミコンドラクエ2の理不尽な難しさを今の小・中学生に乗り越えられるだろうか。復活の呪文を携帯のカメラなどという便利な道具などない状態で、ペンとノートだけで「あ」と「め」の書き写し違いの恐怖に耐えられるだろうか。ファミコンのマリオ1において、8-4のクッパ城で正しいルートが見つからずに延々とループし続け、残りタイムが100秒を切った時の音楽の恐怖に耐えられるだろうか。子どもは絶対に甘やかしてはいけない。材料だけ与えてあとは自分で組み立てろ、と突き放すだけの態度が絶対に必要だと思う。何を書きたいのわからなくなってしまったのでこの辺で。

*1:高3と比べりゃ10年近く長生きしてるので当然といえば当然だけど