「原発ガッカリ音頭」

わたしはランキンさんの新曲「原発ガッカリ音頭」を支持します。
というか、たぶん同じ流れの中にいます。
原発がすべて止まったことを喜ばしいことと思っています。それを祝うという趣旨のデモも、支持します。
3.11以降のデモで、最初からランキンさんの歌は流れていました。
今度の新曲はその流れの中でまったく自然なものです。たぶん日本の伝統の中でも。
まだ、きいていない方は以下で視聴できます。
http://extraclassic.net/blog/news/2012/9447

ですが、五月五日の集会のビデオで歌われていたのを見て、その歌に批判を加えた方たちがいます。

とりあえず、ツイッターのご自身の発言をまとめている植松さんの意見を読んでみました。

植松青児さんのまとめ
http://togetter.com/li/301523

菅井が注目したのは、以下の四つのツイートです。

《私は5/5のお祝いパーティや5/6の祝勝デモなどに「既に被害を受けた方々の姿が視野に入ってるの?」と違和感を表明し続けてきた(以下省略)》


《私たちも今後「大事な故郷さようなら」を余儀なくされる可能性がありますが、しかし可能性ではなく100%の現実として、既に「大事な故郷さようなら」を余儀なくされた方々が居られます。》


《さて問題の曲の1番の歌詞は、「明るい未来のエネルギー/甘い言葉に踊らされ/大事な故郷さようなら/いくら泣いても後の祭り」です。この歌詞の主語が、「大事な故郷さようなら」した人々(つまり大熊や双葉の人々)であることは明白でしょう。》


《私は、この1番のような歌詞(とりわけ「いくら泣いても後の祭り」という部分)を、「故郷にさよなら」したわけではない横浜生まれのランキン氏が歌うこと自体が大きな問題だと思います。ある意味、解釈以前の問題だと思います。》




以下、菅井の意見です。
一番目のツイートについては、植松さんが、私のように、原発がすべて止まるということを喜び、形にするということに不賛成なのだとわかりました。


二番目のツイートについては、可能性と現実の分け方に疑問あります。私の意見は植松さんとは違い、福島の原発事故は終息しておらず、放射能はもれつづけ、放射能は全国に拡散されつつある現在進行中であり、すべての日本人がすでに被害者です。日本のどこも、「大事な故郷さようなら」はもしかするとあるかもしれない可能性などではありません。


三番目のツイートについては、もちろん「故郷」で何を思うかは、聞き手が感じることですが、菅井は、日本ととりました。というか、それが唯一の正しい理解と思います。植松さんはそれを福島ととっています。ご自身が福島生まれの方なのでしょうか。


四番めのツイートは、日本の横浜がすでに汚染されているので、植松さんの

「故郷にさよなら」したわけではない横浜生まれのランキン氏が歌うこと自体大きな問題

という言葉には強い違和感を感じます。

菅井をはじめ、おおくの人は3.11の福島原発事故で、それまでの安全な日本を恒久的に失ってしまったのだと感じています。我々大人にとってはそれを防げなかった後悔、若者たちにとっては怒りが、行動の原動力でもあると思います。植松さんもそうではないでしょうか。