juvenile camp

2016-02-28 映画『大地を受け継ぐ』

井上淳一監督の映画『大地を受け継ぐ』が劇場公開された。

数年前、東日本大震災について「出日本記」(『新世紀神曲』所収)を書いたとき、私が考えていたのは「自殺した農家の男性」のことだけだった。

地震原発についてなら書くことも語ることもできる。しかし、震災にさいしてもっとも衝撃を受けたこの出来事については、書けない。「もう作物を作ることができなくなった」という理由で自ら死を選んだ人がいる。ここから始めなければ意味がないのに、それを語ろうとすると、自分が生きてしまっていることへの自問が生じる。それで、何も書けないまま、一年くらい、毎週のように自堕落に温泉に通ったり、否応なく与えられる勤め先の仕事をしたりしていた。

この映画の主人公の樽川和也氏は、自殺した男性の長男である。

樽川氏は放射性物質に汚染された父の農地を「受け継」いだ。それは「有害な食べものを他の人に食べさせている」(現実には厳しい測定のため放射性物質が含まれているものは出荷できないのだが)という「罪」の意識を受け継ぐことに他ならなかった。父は弱かった。何も死ぬことはなかったのに。だが、そんな弱く優しく誠実な心が、最高の食物を作り出していたのだ。氏は東京電力や政府の対応を厳しく批判する。それは絶対に必要なことだ。しかし、父が死を選ぶほど拒絶したことを、自分はやっている。そうやって生き延びてしまっている。おそらく、樽川氏を真に苦しめているのはこの矛盾であり、それは賠償では決して解消されない。にもかかわらず、氏の言葉や表情の重みを深めているのが、この矛盾と罪の苦痛であることもまた疑えない。現場を捨てて逃げた人間、正確には、何も「捨てる」ことなくたんに移動できたため、事件の前後で矛盾も葛藤も生じない人間には、思い及ばない世界だろう。

人生を省みて、あのとき死んでいればよかったと思う瞬間があって、その思いは時を経て強まるばかりなのだが、それでもこうして生きている。かつては閃きで書いていたが、今は、与えられた環境と、時折耳目に入る励ましに感謝しつつ、自分でも毒か薬かもわからないまま、毎月、祈るように書いている。

そんな自分の現在を樽川氏に勝手に重ねて観た。きっと同じように無数の人が自分を重ねて観るだろう。

東日本大震災についての映画は、震災後、おびただしい数が作られた。大小合わせれば数千本と聞いた。この映画は、映像としての派手さはないし、震災についての知識を得るという意味では、より相応しいものが他にあるかもしれない。だが、私の問いを正面から受け止めてくれる映画は、これしかない。

樽川氏が悲惨な出来事について語るときの歪んだ笑顔が忘れられない。首を吊った父を発見したときのことを、氏は、震える声で感情を押し殺すように笑顔で話す。涙を引き継ぐのは子供たちである。一人の男子学生の目から涙がこぼれる。女子学生はうつむき鼻をすする。こうした場面がこの映画には無数にある。これらは映像以外のどんな表現でも描くことができない。必要なのは知識や情報ではない。感情の伝達なのだ。

ではその逆はどうだったか。樽川氏が子供たちの感情に伝染され、氏の生に別の光が差し込む瞬間は記録されていたか。上映中に再度確認したい。

2016-01-05 今月の仕事

今年もよろしくお願いします。

以下、今月の仕事です。

連載「小林秀雄」第29回(「新潮」2016年2月号)。

浜崎洋介氏との対談「生きることの批評」(「すばる」2016年2月号)。

藤野可織氏『爪と目』(2015年12月23日刊行)の文庫版解説。

小林の連載は、日中戦争からノモンハン事件を経て、ついに第二次世界大戦に入りました。日独防共協定を無視しての独ソ不可侵条約、その直後のポーランド侵攻(第二次大戦勃発)という流れは、国家間における条約や協定の意味を改めて考えさせられます。また、話のいきがかり上、アウグスティヌスの『告白』と『神の国』を読み直しました。前者は山田晶氏訳が素晴らしいです。人を殺すことに苦しんだパウロの罪の意識がキリスト教を創り、その三百年後、十五年連れ添った内縁の妻を捨てても止まぬ情欲に苦しんだアウグスティヌスがそれを固めたとすれば、キリスト教を脱構築するとはどういうことか。

浜崎さんとの対談は、箱根の温泉旅館「福住楼」で、14時間に渡って(帰りのロマンスカーも含めて)行われました。浜崎さんと会うのは初めてでしたが、古い友人と語り合うような心が通った対話になりました。改めて浜崎さんに感謝します。誌面に反映されたものは、たくさんのことを話したなかの本当にごく一部なのですが、ちゃんと話している感じが出ている、よいまとめになっていると思います。分量だけで言えば、会議室で2時間も話せば十分なところを、じっくり温泉で話したいという希望を快諾して頂き、長時間に渡る対話に同席し、自らそれをまとめてくれた担当の努力のたまものです。この「すばる」には「批評を載せる」という編集者の思いが漲っており、他の著者の文章も気合が入っています。そうそうあることではないので、ぜひご購読を。

藤野さんの本の解説は「波」に寄せた書評の再録です。

三年目になる映画大学のゲスト講義では、思想家の前田英樹氏をお招きすることになりました。それで年末は氏の著作を読み直していたのですが、未読だった『ベルクソン哲学の遺言』に感動しました。ベルクソンについてベルクソンのように書かれたこの本は、読む者自身をベルクソンのようにしてしまう。これは僕の思う理想的な本の在り方なのですが、それが実現されることは極めて稀です。ベルクソンは大学時代にドゥルーズ経由で読みましたが、今は小林経由で読み直すなかで、そのすごさが改めてわかってきた気がします。ベルクソンの思考は驚くほど単純ですが、問いの立て方と答え方、あるいは「生きていること」への感度の強さにおいて、僕にはとてもしっくり来ます。あまりにしっくり来るので、むしろ批判的に見る必要があるかもしれない。

年末は友人たちと恒例の食事をし、朝の築地を回ったあと、上野動物園に行きました(目当ての国立博物館は休館中)。互いに無関心に草を食む猿たち、その間を走り回る子猿たち、群れの外れで睦み合う猿のペアなんかを見ながら、クラナッハの「黄金時代」を思い出していました。静謐な時間でした。

2015-05-11 最近の仕事

箱根が心配ですが、久しぶりの更新です。

この間の「小林秀雄」の連載の見出しは、19回(登山とスキー、深田久弥、「私小説論」)、20回(純粋と通俗、「思想と実生活」論争、中野重治)、21回(中野重治(続)、創元社)、22回(アラン、菊池寛)。次回は日中戦争と「「日本的なもの」の問題」について書くことになると思います。

連載以外の仕事は以下。いずれもまだ刊行されていませんが、数ヵ月以内に刊行されるはずです。

野呂邦暢『失われた兵士たち 戦争文学試論』解説(文春学藝ライブラリー

小島信夫『城壁/星 小島信夫戦争小説集』解説(講談社文芸文庫

北大路魯山人魯山人の真髄』解説(河出文庫

2015-01-07 今月の仕事

新潮」2月号の「小林秀雄」第18回は「ドストエフスキイの生活」について書きました。

すばる」2月号に「私批評」という批評文を書きました。単独の批評文としては2年ぶりです。なかなかひどい感じですが、力を尽くしたものでもあり、認識的な発見もありました。べつに勉強にはなりませんが──教訓はあるかもしれない──こういう文章を面白がってくれる読者がいることを切に望みます。

昨年末の映画大のゲスト講義では、郡司ペギオ幸夫氏をお招きしました。講義はたいへん面白く、打ち上げでは何度も爆笑しました。

利用中のプロバイダーサービスの終了に伴い、間もなくホームページがつながらなくなります(いずれべつのプロバイダーで復活させるつもりです)。

色々あっても「猫の生活力」(ドストエフスキー)で何とか生きています。

2014-11-09 最近の仕事

このところ更新が滞っていたのでまとめて報告します。

新潮」10月号の「小林秀雄」第15回は林房雄と喜代美夫人について、11月号と12月号(第16回と第17回)は2回にわたって小林の戦前のドストエフスキー論について書きました。『永遠の良人』、『未成年』、『罪と罰』、『白痴』、(『地下室の手記』)、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』。小林がこれらの作品をどのように読んだのかを追っています。同時に、ドストエフスキーを読んだことがない、あるいは読もうとして断念した人への導入になるように心がけました。

12月発売1月号は新年号のため連載は休載です。