鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <26>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<26>
2011年11月28日 「六浦谷間の集会一周年」 


聖書の言葉
信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブエサウのために祝福を祈りました。信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。
ヘブライ人への手紙11章20節、21節)



11月27日は待降節第一週を迎え、一本のローソクに火が点灯された。次週は二本になり、クリスマスが近づくにつれ、次第に世の中が明るくなることを示している。このような意義のある礼拝であるとき、この日はこの六浦谷間の集会が始められて一周年になる。小さな集会であるが、一年間導かれたことを感謝している。昨年の3月末に30年間6ヶ月、大塚平安教会牧師及びドレーパー記念幼稚園園長を退任する。4月から9月まで横浜本牧教会の代務者となり、付属の早苗幼稚園の園長を務める。そして10月からはすべての職務から解放され、無任所教師になる。横須賀上町教会の森田裕明牧師が、私が代務者として担った横浜本牧教会の牧師に就任したので、横須賀上町教会は後任が決まらず、湯河原教会の金子信一牧師が代務者として歩むことになった。そのため毎月第一日曜日の礼拝は私が担当することになった。昨年の10月は連れ合いのスミさんと共に、私の出身の清水ヶ丘教会に出席したり、スミさんの出身の高輪教会に出席したりしている。そして11月の第二日曜日は、菊池丈博牧師が大塚平安教会に就任したので、就任式出席を兼ねて礼拝にも出席する。第三日曜日は森田裕明牧師の横浜本牧教会牧師就任式に出席するため、礼拝にも出席したのである。これで母教会にも挨拶したし、就任式にも出席したし、責任を果たしたのである。そして、11月第四日曜日を迎えようとしているとき、さて、これからの礼拝出席をどうしようか、どこの教会に出席しようかと思案したのである。そういう中で、10月から無任所教師になっても、毎週日曜日の説教のために御言葉に向かい、説教を作成していたので、これはやはり主の導きにより説教の準備が導かれているのであり、礼拝で語られなければならないと示されたのである。そして昨年の11月28日の第四日曜日から「六浦谷間の集会」として、連れ合いのスミさんとたった二人だけであったが礼拝をささげたのである。




六浦谷間の集会、第1回の礼拝順序。



第10回の礼拝順序。



週報第20号として発行。表側は礼拝順序、報告、教勢報告等。



裏には「スペイン滞在記」を掲載している。



折しもその日は待降節第一週の礼拝であった。たった二人で始めた礼拝であるが、追浜で生活されている大塚平安教会員の小澤八重子さんは、大塚平安教会の礼拝に出席するには遠距離であり、娘さんの送迎をいただきながらこの礼拝に出席されるようになった。車で10分も要しないのである。私達の子ども達も時には出席し、また知人も出席されているので、平均すると毎回3名の礼拝出席者になる。この六浦谷間の集会を、いずれは教会にするということは考えていないが、所属する教会に出席できない方がおられるならば、この六浦谷間の集会が開放されているで、これからも一緒に礼拝をささげることで、この集会の意義となると思っている。
2010年11月28日から六浦谷間の集会として始められるが、2011年11月27日は待降節第一週あり、この日で36回目の礼拝となった。毎月第一日曜日は横須賀上町教会の礼拝を担当し、4月と5月の6回の礼拝はスペインでささげている。10月30日は船橋の薬円台教会の礼拝説教に招かれている。一年間は52週であるが、36回の礼拝が導かれているのである。当初は礼拝にあたり、礼拝順序をプリントしていた。5月22日までそのスタイルであったが、5月29日から週報を発行するようになった。11月27日で第20号を発行している。小さな群れで、ほとんど報告事項は無いが、私自身の予定や報告を記している。また裏面には「スペイン滞在記」を記し、内容に即して第一面に写真を掲載しているのである。もっといろいろな報告や記事を掲載したいと模索しているところである。月報もいずれは発行しようかと思っている。
こうした小さな集会であるが、神様の慈しみが与えられているのである。この集会を通して礼拝をささげることができるからである。高齢になったヤコブが、家族と共に、その場において、杖に寄りかかって神様を礼拝したと言う聖書のくだりは、私自身に重ねているのである。



六浦谷間の集会として礼拝をささげている鈴木家。



百合子が作ったスパゲッティーをいただきながらお祝いする。