鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<251>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<251>
2014年5月14日「自分を見つめつつ」


聖書の言葉
斧がそれを振るう者に対して自分を誇り、のこぎりがそれを使う者に向かって、高ぶることができるだろうか。それは、鞭が自分を振り上げる者を動かし、杖が木でない者を持ち上げようとするに等しい。<どんな人間の力も、巨大な力ある存在に向かっては何もできないのに、斧やのこぎり、鞭と杖が、それを使う人間に向かって高ぶっている、との意。自分を知りなさいと諭しているのである。>
イザヤ書10章15節)



隠退生活は読書と散歩、あとは身辺整理であると報告している。しかし、生活しているのであるから、生活上の、しなければならないことがある。家の周り、庭の整理である。庭の管理は連れ合いのスミさんに任せているが、腰を痛め、過日は手術までしている身体なので、あまり力仕事はできない。庭の隅々は雑草だらけになっている。また、昨年の秋には源平桃の木の枝を掃い(はらい)、それが庭の隅のほうにうずたかく積み上げられている。この掃った枝をどうにかしなければならないと思っていた。枝を細かく切って、ごみの収集日に出すことである。その枝を細かくする作業は鉈(なた)ですることである。細い枝は鋸(のこぎり)で切るより、鉈で切ったほうが早い。鎌(かま)で切ることもできるが、あまり細かくはならない。だから鉈の作業が一番良いのである。しかし、鉈で作業をするには台が必要なのだ。いわゆる木の台である。まき割りをするとき、大きな木株のようなものを台にする。時々、テレビの時代劇を見ていると、そういう場面がある。テレビで見なくても、私自身の思い出の中にまき割りの台がある。我が家でも大昔はかまど(なべ・かまなどをかけて、その下で火をたいて煮炊きするための設備)で食事の支度をしていたのである。そのためまきが必要であり、太い木をまき割りして、かまどに入れやすくするのである。その頃は小学生の頃であるが、まき割りをした経験がある。
昔の家を建て替えたとき、それらしいまき割り台も処分してしまったのである。だから今の家でまき割りをするとしても、その台がない。大塚平安教会が新しい教会にするために、今までの会堂を取り壊す。その時、まき割りの台になるような木材があるわけで、ひそかに拾いに行こうかと思っていた。ところが、そんな泥棒のようなことをしなくても、格好のまき割り台を手に入れることが出来たのである。毎月第二日曜日は横須賀上町教会で説教と聖餐式の御用をしている。更に三崎教会でも礼拝説教の御用をしている。必ずしも毎月ではないが、しかし2月、3月、4月は続いて講壇に立たせていただいている。5月のお招きはないが、6月、7月、8月もお招きをいただいているのである。三崎教会には青山教会時代の山田満枝さんが出席されており、さらに清水ヶ丘教会時代の秋山さんも出席されている。昔、お交わりいただいた皆さんと再びお交わりが導かれていることを喜んでいるのである。三崎教会は2012年7月29日の礼拝説教を初めて担当させていただき、以後、毎月ではないがお招きをいただいているので、礼拝に出席される皆さんとのお交わりが深められているのである。その様な喜びを持ちながら4月27日の礼拝説教を務めさせていただいた。この日はスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子が一時帰国しており、羊子をはじめ他の子ども達、星子や百合子も共に三崎教会に出席したのである。そのことについては4月28日のブログの第244回、「日々、喜びつつ」で記している。
青山教会の山田さんと我が家一同が昼食を共にし、二台の車で行ったので、私たち夫婦は山田さんをお住まいのホームに送り、子ども達は先に帰って行った。山田さんをお送りしてからの帰路は大変な渋滞であった。日曜日はいつものようで、観光客の帰省でいつも車が渋滞している。その道沿いに古道具屋さんがある。いつも渋滞なので、店先にどんなものが置かれているのか見ることが出来るのである。この日も店先を見ると、かなり太い木株のいくつかがゴロゴロと置かれている。「まき割り台になる」と咄嗟に思った。しかし、渋滞でも通り過ぎてしまっていた。その手頃なまき割り台について隣のスミさんに話すと、「今すぐ車を停めて買いなさいよ」というのである。たまたま車を停めるような場所があったのでそこに停め、もはや20メートルも後にしているが、買い求めたのである。かなり重いものである。この渋滞で車を引き返すわけにはいかない。礼拝の帰りなので背広を着ている。お腹に乗せて運べば楽であるが、そういうわけにはいかない。それでも何とか車に運び込んだのである。
家に帰って子ども達に、いくらで買ったか問うてみる。結構大きな木株である。1万円とか3千円等と値段をいう。「50円だよ」というと皆びっくりである。私自身もあまりにも安いのでびっくりしているのである。子ども達が値踏みした1万円でも買ったかもしれない。そして、5月12日は天気も良く、かねてより希望でもあった掃った木の枝を切る作業を行ったのである。太い木株のまき割り台の上に掃った枝を置き、鉈を振り下ろして細かくしていく、なんとなく気分爽快である。鉈を振り回すことが気分爽快となると、物騒ではないかと思うのであるが…。



掃った枝を鉈で処理する。



鉈を使っている時が、一番楽しいなんて!!