鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<443>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<443>
2017年7月4日「内藤留幸先生を偲びつつ」



聖書の言葉
すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
ヘブライ人への手紙12章14節)



前回はスペイン・バルセロナマルケスさんが召天されたので、追悼の意味で思い出を記した。私のような年齢になると(今年で78歳)、知人が順次召天されることになり、いろいろと昔を思い起こすのである。日本基督教団の総会書記を担っていた頃、総幹事であった内藤留幸先生が6月30日に召天されたというお知らせをいただく。訃報をお知らせくださったのは小林眞牧師であった。小林眞先生は、その頃、日本基督教団総会副議長であった。共に日本基督教団を担ったのである。2002年10月に教団書記に選任されたとき、総幹事は竹前昇先生であった。私が神奈川教区総会議長であった頃、竹前昇先生は東京教区の総会議長であり、その頃、教区連帯金配分委員会という組織があり、選任された四教区の議長が協議していた。東京教区も神奈川教区も配分委員会に選ばれており、竹前先生とはいろいろとお交わりをいただいていたのである。そして、竹前先生は教団総幹事に選任され、私は教団書記に選任されたので、何かとご一緒に働きの場が与えられていたのである。その竹前先生は2007年7月に退任される。その後、選任されたのが内藤留幸先生であった。内藤先生は2012年10月まで総幹事を務められる。5年間、日本基督教団の執行部責任者としてお勤めくださったのである。
総幹事は日本基督教団の執行機関の最高責任者であり、重い務めを果たすことになる。一方、総会議長は決議機関の最高責任者であり、私はその書記を務めたということである。総会議長、総幹事を中心に歩むのが日本基督教団なのである。そのような役職上の関わりもあるが、いくつか個人的なお交わりが忘れられない。毎年、6月になると新任教師オリエンテーションが伊豆の天城山荘で開催されていた。ある年、内藤先生が、私が車で行くなら一緒に乗せてもらいたいと言われる。そのため、内藤先生には京急線金沢八景駅までお出でいただき、一緒に天城へと向かったのである。約2時間、車の中でいろいろと懇談したことが忘れられない。先生はキリスト者の教科書の様で、キリスト者のあり方、教会のあり方等、また教会政治には正論を持っており、しばしば諸教会に招かれていた。日本基督教団は教憲教規を基として歩んでいるのであるが、その生き字引とも評されていたのである。大塚平安教会時代も、先生をお招きして教会員の正しい歩みについて学んだことがある。そのような堅物と思える先生であるが、意外と人間的な面もあることを知る。やはり内藤先生とお話をしていたとき、私が締めていたネクタイを見つめ、「いいネクタイをしてますね」と言われるのである。キリスト教を負って歩んでいる先生が、この世の事柄にも見つめていることを示されるのであった。
その内藤留幸先生のお連れ合いと、大塚平安教会員の佐竹順子さんがお友達であり、佐竹さんからは何かと内藤先生のお連れ合いを通しての内藤先生の噂を聞いたものである。生き字引的な存在としても、一人の人間であり、その生活は私達と変わるものではない。そんなところからも内藤先生を示されており、総幹事時代に一緒に教団の職務を担ったことを感謝しているのである。7月3日、4日に松沢教会で葬儀が行われたが、列席することはできなかった。このブログを通して、内藤留幸先生への感謝の思いを記させていただいたのである。



大塚平安教会時代、内藤先生を講師にして研修会。



良い学びのときであった。



在任していた時代の大塚平安教会。



天城山荘で開かれた新任教師オリエンテーション