説教「みんなの喜び」

2016年6月19日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第6主日

説教、「みんなの喜び」 鈴木伸治牧師
聖書、ヨナ書4章5-11節
    エフェソの信徒への手紙2章11-22節 
     ヨハネによる福音書4章27-42節
讃美、(説教前)讃美歌54年版・228「ガリラヤの風」
    (説教後)讃美歌54年版・533「くしき主の光」

 今朝は「みんなの喜び」との説教題になっていますが、皆さんが共に喜ぶこと、願ってもないことです。今年はオリンピックがブラジルのリオデジャネイロで開催されますが、その次のオリンピックは4年後であり、日本国で開催されることになっています。次期の開催地が決められたとき、発表された会場には、日本から招致委員会を始め関係者が多くいました。開催地が日本と発表されたとき、そこにいた関係者の皆さんは、抱き合って喜びを現していました。それは日本の国内でも同じでありました。国中が喜んだのでした。日本での開催を喜ぶのですが、リオデジャネイロの開催はいろいろな問題点が浮き彫りにされています。開催の反対運動まで行われています。ブラジルでは多くの失業者がいるのにオリンピックどころではないと言うわけです。ブラジルも開催が決まったときには、皆さんが喜んだのでしょう。しかし、現実を示されると、いろいろな問題点を示されるようになっているのです。日本では、今のところ大きな反対運動はありませんが、みんなが心から喜ぶようなオリンピックでありたいと願っています。
 「みんなの喜び」としていますが、大きな意味が示されなくても、私達の周囲における「みんなの喜び」を示されたいのです。みんなの喜びは、自分と同じように、共に喜ぶことができるということであります。最近のブログで聖餐式について記しました。いろいろな聖餐式の経験を記したのです。その時、書いておきたかったことをここでお話しいたします。大塚平安教会時代のことです。ご両親が大塚平安教会に転入会したとき、まだ小さいお子さんの幼児洗礼を私が行いました。その後、その子のお父さんが召天されたのでした。お母さんとそのお子さんの今後の歩みが心配でした。実は、そのお子さんは自閉的傾向を持っていました。お母さんと共に礼拝に出席しながら成長していました。気がついたら20歳にもなっていたのです。成人式を迎えたのです。お母さんはそのお子さんを連れては礼拝に出席していのですが、聖餐式の時は大変であったようです。配られているパンとぶどう酒をお子さんも取ろうとするのです。お子さんをさえぎって自分が聖餐をいただく、ご苦労が多かったようです。そこで、私は役員会に提案したのです。このお子さんは幼児洗礼を受けているにしても、自分では信仰告白ができないのです。自閉症であったからです。そこで教会員が全員で彼と共に信仰告白をして堅信礼を執行するということです。役員会はそのお子さんをよく知っていますので、牧師の提案を受け入れてくれました。そして、堅信礼の時、礼拝出席者全員が彼と共に信仰告白をしたのでした。以後、聖餐式にはお母さんと共に聖餐式に与るようになりました。お母さんのお喜びと共に、教会員の皆さんの喜びにもなりました。本当に「みんなの喜び」になったのです。みんなが心を一つにして、主イエス・キリストの十字架の救いを仰ぎ見ることが、私達の喜びなのです。

 旧約聖書は「みんなの喜び」のために、一人の人が働いたことが示されています。聖書はヨナ書であります。神様が悪徳栄えるニネベの町を救われるために、ヨナにその使命を与えました。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪は私の前に届いている」と神様はヨナに言うのです。ところがヨナは神様のご命令に背き、ニネベではなく、他の町への船に乗り込んでしまうのです。ヨナが乗っている船が進んでいくうちにも大風が船に吹き寄せるようになりました。船は今にも沈みそうです。船乗りたちは船の積み荷を海に捨てたり、船を守っているのです。ところがヨナは船底で横になり、ぐっすりと寝込んでいるのです。それを知った船長がヨナを起こし、苦情を言うのです。「寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ。神が気づいて助けてくれるかもしれない」というのでした。そこで船の人たちはくじを引くことになりました。この災難は誰のためなのか、くじで決めると言うわけです。くじはヨナにあたりました。そこでヨナは船の人たちに、自分が神様のご命令から逃げてこの船に乗ったことを告白しました。だから、自分を海に投げ捨ててください、とヨナは言いました。船の人たちは躊躇しますが、ヨナのいう通り、彼を荒れ狂う海に放り投げたのでした。すると嵐は治まり、船は無事に航行することができたのです。
 海に投げ捨てられたヨナを大きな魚が飲み込んでしまいます。いかにも物語になりますが、ヨナは三日三晩、魚のお腹で過ごしたのでした。そして、神様に悔い改めのお祈りをささげました。すると魚はヨナを陸地に吐き出したのです。陸地に吐き出されたヨナに対して、神様は改めてニネベに行くよう命じます。ヨナはニネベの町に行き、都中を歩き回り、「あと40日すれば、ニネベは滅びる」と言って回るのです。それを聞いた人々は、王様を含めて悔い改めの断食をしたのでした。この悔い改めで、悪徳栄えたニネベは救われたのです。ところがヨナは、ニネベの町が滅ぼされるのを見ようと、高いところから見つめているのです。高いところは暑いのですが、神様は植物を生えさせ、日蔭を作らせるのです。ヨナは喜びつつ日蔭にいるのですが、植物は虫に食われて枯れてしまいます。ヨナは怒りまくるのです。その時、神様はヨナに言いました。「お前はこの植物で怒っているが、わたしは大いなる都を惜しまずにいられない」というのでした。ヨナの言葉で、ニネベの人たちは「みんなの喜び」になったのです。ヨナも共に喜ばなければならないのです。
 このヨナさんの聖書はいかにも物語です。しかし、神様のご用に応えるための基本的な示しであります。自分の気持ちにおいて、神様の御心に反することをしようとしたヨナを、神様はしっかりと捕えていたのでした。私自身の証しになりますが、今は牧師として歩んでいますが、一時はこの使命から逃れようとも思ったことがありました。将来、牧師の道を歩もうと決心したのは高校生時代でした。その頃、清水ヶ丘教会に出席していました。10月の第二日曜日は神学校日、伝道献身者奨励日でありました。当時は倉持芳雄牧師であり、礼拝の説教が終わると、牧師は「将来、牧師になろうと決心している人は起立してください」と言われたのです。既に、その思いでいましたので、私も起立したのです。5、6人の青年が起立しましたが、その中には今でも親しくしている岩粼隆牧師もいました。その後、彼は神学校に入るのです。私は先を越されたようで、複雑な思いでした。決心したものの神学校に入れなかったのは、親の反対もありましたが、自分自身の決心が揺らいでいたのです。その頃の両親は70歳近くにもなっていました。三人の姉のうち二人は結婚しています。長姉がいましたが、兄をなくしている私は、親の面倒を見なければならないとの思いがあったのです。神学校に入ってしまえば、また牧師になってしまえば、親とは別に生活しなければならなくなるわけです。親の面倒を見るためにこの家に残らなければならないとの思いがありました。だから、決心はしているものの神学校には入れなかったのでした。その様な思いで過ごしているとき、長姉が「お父さんとお母さんとは、私が一緒に生活するから、あなたは神学校な入り、牧師さんになりなさい」と勧めてくれたのでした。ありがたい勧めでした。それで神学校に入り、牧師になりましたが、親と一緒に生活することはありませんでした。長姉は両親を順次送り、そして2年後には召天されたのです。長姉は、「自分の責任を果たしたよ、だから、いよいよ牧師として歩みなさい」と私に言っているようです。神様は御心に導き、いろいろな道を示してくださることを身をもって受け止めています。「みんなの喜び」のために神様が牧師への道を与えてくださっていると示されています。

 今朝の新約聖書ヨハネによる福音書にも「みんなの喜び」が記されています。イエス様とサマリアの女性の対話については前週も示されています。最初は、イエス様がサマリアの女性に「水を飲ませてください」と頼んだことから、水問答になり、そこで示されたのは「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と示されたのであります。イエス様は神様の御心を私達に与えてくださるのですが、それが命の水であります。その水を飲みつつ生きるとき、永遠の生命へと導かれることを示されたのでした。イエス様とサマリアの女性との対話は、今度は礼拝問答になります。その時示されたのが、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」と示されたのでした。神様を礼拝するのは、特定の場所ではなく、どのような場所でも。霊と真理をもって礼拝するということです。豊かな祝福が与えられるのです。サマリアの女性はイエス様がメシア、救い主であることを信じるようになるのです。それでサマリアの女性はその場を後にし、町に行き、人々に「もしかしたらこの人がメシアかもしれません」と言って回るのでした。すると町の人々はイエス様のもとにやってきて、直接イエス様のお話しを聞いたのでした。そして町の人々はイエス様を信じたと記しています。
 そこで町の人達はサマリアの女性に言うのです。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです」というのでした。町の人達、みんなの喜びが与えられたのです。町の人達が喜ぶことができたのは、サマリアの女性が言って回ったからでもあります。しかし、サマリアの女性は「もしかしたら、この方がメシアかもしれません」と言ったのであり、確信をもって言ったのではありませんでした。しかし、人々は直接イエス様からお話しを聞き、御心を示され、大きな喜びへと導かれたのでした。
 ヨハネによる福音書には、イエス様との出会いをいろいろな姿で紹介しています。まず、1章35節以下にバプテスマのヨハネの弟子がイエス様に出あったことが記されています。ヨハネの二人の弟子は、ヨハネがイエス様に対して「神の小羊だ」と言ったことで、イエス様に従うようになるのです。イエス様について歩いていると、イエス様が「何を求めているのか」と言われました。二人の弟子は何を言っていいのか分らないので、「先生、どこにお泊りになるのですか」と尋ねるのです。そこでイエス様は、「来なさい。そうすれば分る」と言い、従ってきた二人と共に宿に泊まったのでした。その二人の弟子の一人はアンデレでした。アンデレは自分の兄弟ペトロにイエス様を紹介しました。アンデレは、「わたしはメシアに出会った」と言い、ペトロをイエス様のところに連れて行くのです。イエス様はペトロを見つめ、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩)と呼ぶことにする」と言われたのでした。直接イエス様からお言葉をいただいたペトロです。その後、お弟子さんの中でも中心的な存在となり、その後、カトリック教会の中心人物となったのでした。ローマのヴァチカンといえば、ペトロを中心とする教会なのです。イエス様から声をかけられた人々の信仰を示されています。ペトロもイエス様に従うようになるのです。さらに1章43節以下にフィリポとナタナエルがイエス様に従ったことが記されていますが、ナタナエルは当初は否定的であったのです。イエス様の出身であるナザレ村からは何も偉大な存在が出現するはずはないと言っていたのです。しかし、イエス様がナタナエルの存在を言い当てたので、ナタナエルは信じるようになったのです。このヨハネによる福音書は、まずイエス様について聞いた人たちが、直接イエス様にお会いし、イエス様とお話しすることによって、イエス様を信じるようになったことを紹介しています。今、サマリアの女性に言われた町の人たちは、直接イエス様のお話しを聞いたのです。人から聞いて信じたのではなく、直接イエス様の御心を示されたのでした。

先ほども、私が神学校に入るために励ましてくれた長姉のことをお話ししました。長姉の美喜子は清水ヶ丘教会の草創の頃から導かれています。妹の清子と共にいつも礼拝に出席しながら歩んでいました。美喜子は日曜日の礼拝が終わり、帰宅しますと、礼拝でお話しされた説教を逐一母にお話ししていました。説教の始めから終わりまで、細かくお話ししていたのです。母は姉美喜子のお話しを喜んで聞いていたのです。説教を自分の解説を含めてお話しするので、帰宅してから1時間以上は説教をお話し続けていたのです。それが毎週のことですから、母は教会に出席しなくても、説教を聞いていたことになります。母は鈴木家のお寺の檀家の思いが深く、キリスト教のお話しを聞いても、自分は浄土真宗の信仰であるという自覚は持っていました。私の中学時代ですが、私は声を出して聖書を読んでいました。その聖書はマタイによる福音書5章であり、イエス様の山上の教えであります。「あなたがたの天の父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくない者にも雨を降らせてくださる」と読んでいる時、「お釈迦様と同じ事を教えてくださっている」と喜んでいたのです。お釈迦様を信じながらイエス様の教えを喜んでいた母は、神様に祝福されていると思っています。姉は説教のお話しを長々とした後は、母と共に「いつくしみ深き」の讃美歌を歌うのでした。その後、母が入院しているときも枕辺でこの讃美歌を歌っていました。母の葬儀は浄土真宗で行いましたが、参列してくれた牧師たちと共に「いつくしみ深き」を歌ったのでした。私は、母はイエス様を信じ、お釈迦様の教えを信じ、祝福された人生、喜びの人生であったと示されているのです。
<祈祷>
聖なる御神様。直接イエス様とお会いし、お救いをいただきました。感謝致します。人々が直接イエス様を信じることができますようお導きください。主の名によって。アーメン。