説教「私を執り成す存在」

2016年12月4日、六浦谷間の集会
「降誕前第3主日アドヴェント第2週

説教・「私を執り成す存在」、鈴木伸治牧師
聖書・イザヤ書59章12-20節
    ローマの信徒への手紙16章25-27節
     マタイによる福音書13章53-58節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・96「エサイの根より」
     (説教後)讃美歌54年版・523「身に負いえぬ」


 本日は待降節第二週であります。主イエス・キリストの光が次第に近づいてまいりました。今年迎えるクリスマスにより、私たちが豊かに強められて、日々の歩みが祝福のうちに導かれることを願っています。クリスマスはイエス様のお生まれになった日としてお祝いされています。キリスト教を批判的にとらえている人々は、クリスマスはイエス様がお生まれになった日ではないと言っています。批判の材料にしているわけですが、それは言われる通りであります。昔のことで、月日の確定は困難でありました。従って、12月25日にイエス様がお生まれになったということは、後の時代の人々が決めたということです。歴史的には、いろいろなお祭りが重なり合って、イエス様のお生まれになった日としているのです。もう少し確かなことは、12月25日は、イエス様がお生まれになった日であるというより、「イエス・キリストが存在する証」を25日にしたのです。従って、その日はミサをささげ、十字架の救いを感謝し、聖餐式に与り、信仰を強められるのです。クリスマスは、christ+massなのです。massはミサです。カトリック教会はミサとしてささげていますが、必ず聖餐式に与るのです。聖餐式が行われないミサはありません。クリスマスはイエス様の十字架の救いを感謝し、イエス様の聖餐に与り、信仰を強められるのです。プロテスタント教会でもクリスマス礼拝には聖餐式を執行している教会が多くなっています。しかし、クリスマス礼拝は伝道的な使命もあり、一般の人たちも出席しますので、聖餐式は行わない教会も多くあります。特に大きな教会ではその傾向です。
 クリスマスは聖餐式に与ることなのです。お生まれになったと言う喜びもありますが、救いの喜びと聖餐に与る喜びなのです。2014年に娘がいるバルセロナに滞在しました。10月の半ばから翌年の1月7日まで滞在しました。この時は、特にスペインのクリスマスを体験しておきたかったのです。1月6日は顕現祭であり、その日を経験して帰国したのでした。娘はサグラダ・ファミリア教会のミサで奏楽奉仕をしています。クリスマスのクリスマスミサも奉仕しましたが、親しくしている神父さんの教会にも招かれ、クリスマスミサの奏楽をしたのでした。その時、私たち夫婦も一緒にミサに出席しました。そちらの神父さんとは、娘の羊子を通して私たちも親しくさせていただいております。神父さんは私がミサに出席したことを知り、私も一緒にミサを司るように言われたのでした。プロテスタントの牧師がカトリック教会のミサを司る、思っても見ないことでしたが、神父さんがお勧めくださるので、神父さんと一緒に司らせていただきました。ミサにおいては奨励も行うよう求められ、日本語でしたが奨励をいたしました。娘がスペイン語に訳してくれたのです。ミサの最後は聖餐式です。神父さんが会衆にパンを与え、私はぶどう酒の杯を持っていますが、会衆の皆さんはパンをぶどう酒に浸していただくのです。聖餐をいただいた会衆の皆さんは、最後に神父さんが抱いているイエス様の人形の足にキスをして帰っていくのです。お生まれになられたイエス様の喜びもありますが、イエス様が現れて、十字架の救いを与え、聖餐により養ってくださるイエス様の存在を喜んでいる印象でした。
 プロテスタントの牧師として、誠に良い経験をしたと思っています。クリスマスはイエス様のお生まれになられたことをお祝いするのですが、私を贖ってくださる存在を示される時なのです。贖ってくださるということ、私をお救いくださるということです。私の存在を常に執り成し、この世に生きる者として導いてくださっている方がおられることを確信させてくださるのがクリスマスなのです。

 「主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちに罪を悔いる者のもとに来ると主は言われる」と今朝の聖書、イザヤ書59章20節で示しています。今朝のイザヤ書の状況は、バビロン捕囚から帰還し、かなり時を経ている頃であります。喜びと希望をもって捕われの身分から解放され、故郷に帰ってきた人々です。しかし、故郷は荒廃し、外国の人々も住みついているような状況でありました。バビロン捕囚から帰還が始まった頃は、エズラ記やネヘミヤ記に示されるように、都の中心であるべき神殿の再建に希望を持っていました。自分達の生活の場も大切でありますが、中心であり、心の支えでもある神殿こそ、まず再建しなければならないということでありました。中心であるべき神殿を存在させること、人々の何よりの願いであったのです。今年は11月20日が収穫感謝礼拝でした。その時も示されたのですが、信仰の自由を求めてアメリカに渡った人々は、大地を開墾し、畑を作り、家を建てたりして行きますが、まずしたことは教会づくりでした。信仰の中心となるべき教会をまず造ったこと、そして最初の収穫をその教会に持ってきて、神様にささげ、感謝をささげたのでした。
 今はいろいろなところで地震が発生していますが、新潟県中越地震能登半島地震が起きたとき、教会員の家も被害にあいましたが、教会の人たちは教会の再建を何よりも願ったといわれます。全国から寄せられて被災地への見舞金は、教会等牧師館の再建のためでありますが、被災した教会員にもお見舞いしようということになったとき、教会の皆さんは辞退したといわれます。まず、教会が再建されてこそ希望があり、生活の基が据えられると思われるのであります。人々にとって教会は支えであります。生きる中心であることを改めて示されたいのであります。
 聖書の人々はまず神殿を再建しました。しかし、その後は異教の教えが浸透し、神様を中心とする生活に乱れが出てきているのであります。そこでイザヤは正しい礼拝、安息日の真の守り方、神様を中心として歩むこと等、宗教的な生活を励まし、私たちを真に強めるのは神様の導きであることを示すのであります。今朝のイザヤ書59章12節以下は、まず人々の罪の生活をはっきりと示します。「御前に、わたしたちの背きの罪は重く、わたしたち自身の罪が不利な証言をする」と述べています。「身が蒔いた種」という日本のことわざがありますが、自らの歩む姿勢が不利なことになるのであります。それは、「主に対して偽り背き、わたしたちの神から離れ去り、虐げと裏切りを謀り、偽りの言葉を心に抱き、また、つぶやく」からであります。神様の御心に従わないから、失望と落胆があるのであります。そのような人々の姿に対して、イザヤは神様が贖い主として来られますと希望を与えます。この都に神様が真の自由を与える存在として来られるのですよと示すのであります。しかし、何よりも人々は自らの罪を悔いるのでなければなりません。救いばかりを望んで、自らの姿を悔い改めるのでなければ、それは身勝手な生き様となるのであります。あなたがたの上に神様の霊がおかれているので、その霊はあなたがたを強め、導き、とこしえに至るまで神様の霊がとどまっていますと示しています。その神様の霊がとどまってくださるので、素直に霊の導きに従い、その霊に強められなさいと教えているのがイザヤ書の示しなのであります。まさに私を執り成してくださる存在を示しているのであります。

 神様の導きがあり、現実に与えられている。しかし、導きを拒否する人々を示しているのが新約聖書の示しであります。マタイによる福音書は13章53節以下が今朝の示しであります。この13章は主イエス・キリストガリラヤの湖のほとりで弟子達や大勢の群衆に「天の国」について教えているのであります。最初は「種を蒔く人のたとえ話」でありました。種を蒔く人が種蒔きをします。蒔いているうちに、ある種は道端に落ちます。その種は鳥が来て食べてしまったといいます。他の種は、石だらけの土の少ないところに落ちました。芽が出ますが土が浅いので、日が昇ると土が焼けて涸れてしまうのです。他の種は茨の間に落ちました。これは雑草であり、芽がでるものの雑草に遮られて実を結びませんでした。他の種は良い土地に落ち、実を結んで百倍、60倍、30倍になったのであります。この天の国のお話しは蒔かれた状況、すなわち人の姿であります。種は御言葉であり、御言葉を人はどのように受け止めるかを示しているのであります。良い土地として御言葉を受け止めるならば、神様から豊かな祝福がありますと示しているのであります。
 次に「毒麦のたとえ話」があります。これは畑の中によい種を蒔いたものの、毒麦も育っていることを知ります。敵の仕業だというわけです。主人は僕たちにそのままにしておきなさいと言います。刈り入れの時には良い麦、毒麦をはっきり分けるというのです。つまり、この社会の中に生きるとき、悪なるものと同居しながら生きるわけですが、御言葉に委ね、耐え忍びつつ生きるならば神様の豊かな祝福に与ることを教えているのです。このほかにも「からし種」、「パン種」のたとえ話、「畑の宝」、「高価な真珠」のたとえ話がありますが、天の国を中心とする主イエス・キリストの教えであります。
 イエス様はこれらの天の国のたとえ話をしました。人々が天の国へと導かれるためです。このお話しを真に受け止めるならば、人々は強められ、導きを与えられて力強く生きることができるのであります。実際、人々は強められたのであります。ガリラヤの湖のほとりで天の国のお話しをしたイエス様は、その後は故郷にお帰りになりました。故郷とはナザレであります。イエス様は30歳頃までこのナザレで成長し、過ごされたのであります。ナザレはガリラヤ湖から24キロあります。従って、かなり離れていますので、故郷に帰ったといっても、時間的には一日くらいかかるのでしょう。故郷に帰ってからも会堂でお話しをされたのでありました。会堂というのはユダヤ教の会堂であります。イエス様は旧約聖書に基づいてお話しをされています。ナザレの人々はイエス様のお話を聞くと大変驚くのであります。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」というのでありました。13章では天の国の教えをしているので、ナザレの会堂でも、故郷の人々に天の国のお話しをしたことが考えられます。しかし、故郷の人々はお話に驚きながらも、お話しの内容を受け止めるのではなく、イエス様についての疑問を持つだけでした。我々は彼を知っている。彼はどうしてこのようなのかという疑問を持つだけで、語られている示しについては受け止めようとしなかったのであります。そこでイエス様は、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言われ、人々の不信仰を嘆かれたのでありました。イエス様が人々を贖う存在として来られていることを信じることができなかったのでした。

 私は横浜の清水ヶ丘教会で育てられました。小学生の頃は関東学院教会の日曜学校に通っていました。中学になってから、既に二人の姉が清水ヶ丘教会の教会員になっていましたので、出席するようになったのであります。小学生の頃も姉に連れられて出席することがあり、小さい頃から教会の皆さんは私を知っているのでした。神学校に入り、2年生になったとき、神学生として講壇に立たせられました。神学生なりに一生懸命準備しての説教でした。私の説教に婦人会の皆さんが頷いて聞いてくれるのです。中には涙を流している人も居ました。そのような姿に励まされての説教でした。礼拝が終わり、皆さんが寄って来られて、説教の労をたたえてくれました。皆さんは、「あの伸ちゃんがねえ」と言いつつ、喜んでくれました。「あの伸ちゃんが」「あの伸ちゃんが」と口を揃えて言われるのでありました。要するに、小さかったあの伸ちゃんが説教をするようになったというわけです。内容的には何一つ言われることなく、「あの伸ちゃん」で終わったようでありました。
 ナザレの人々は「大工の息子ではないか」と言い、イエス様の天の国の示しを受け止めることができなかったのであります。クリスマスが近づくにつれ、私たちは神様の真のメッセージを示されています。私たちの人間的な不都合を超えて、神様の導きがあるのです。マタイによる福音書では、ヨセフさんに神の子イエス様が、マリアさんから生まれることが天使から伝えられます。彼らは婚約中であり、それが事実ならヨセフさんにとっては不都合なことであり、関係を絶つ思いを持ちました。しかし、天使はヨセフを励まし、神様のご計画を受け止めさせるのであります。ルカによる福音書マリアさんに天使のお告げがあります。その時、結婚もしてない自分が神様の子であるイエス様を身ごもるなんて考えられないことでした。非常に戸惑います。しかし、そのマリアさんに対して天使が励まし、人間的には不都合な状況でありましょうとも、神様の御心が実現されるのであります。
 イザヤ書において人々が神様から離れ、自分の好きなように生きていたとき、イザヤが悔い改めて神様のお心に生きることを示したのであります。それは、人々にとって不都合なことでありました。自分の思いのままに生きていたほうがよいからであります。自分の都合の良い生き方の中に神様の御心を入れるのは不都合であります。勝手に生きたいのであります。しかし、この不都合の中にこそ主イエス・キリストがお産まれになり、私の不都合を導く方となられたのであります。私の都合はいつまでも私自身のままで生きていたいのであります。その私に御心が示されるとき、ちょっと不都合なのです。私にとって不都合を主イエス・キリストは十字架の贖いによって導いておられるのであります。そして、私を執り成す存在としてお導きくださっているのです。
<祈祷>
聖なる神様。私たちの不都合を押しのけ、私たちを真に導いてくださり感謝いたします。私を執り成してくださる方に委ねて歩ませてください。主の御名によって。アーメン。