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鈴木伸治・御言葉に向かう

2018-06-28

説教「あなたを祝福すると神様が」

2018年6月24日三崎教会 

聖霊降臨節第6主日

説教・「あなたを祝福すると神様が」、鈴木伸治牧師  

聖書使徒言行録13章13-25節

    マルコによる福音書6章14-20節

賛美・(説教前)讃美歌21・360「人の目には」

    (説教後)讃美歌21・449「千歳の岩よ」

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 今朝は「神の計画」という主題であります。日本基督教団聖書日課委員会がありまして、毎週日曜日の聖書日課を決めており、それにより礼拝が導かれています。必ず、その聖書日課を用いなければならないということではありません。牧師によってはローズンゲンを用いる場合もあります。ローズンゲンというのは、くじで聖書の場所を決めて、それにより神様の御心とするのです。ヨーロッパのヘルンフート兄弟団が作成しているのですが、もうかれこれ300年近くもこの方法で神様の御心を示されてきているのです。そのローズンゲンに対して、日本基督教団は教会の暦に合わせながら聖書日課を定めているのです。今年は5月20日が聖霊降臨祭、ペンテコステでした。その後は聖霊のお導きをいただきながら歩む聖書日課になっています。今朝の主題は「神の計画」ということですが、示されている聖書から「あなたを祝福すると神様が」との説教題で示されています。

 この社会に生きる者として、自分が信じる人生を生きているのですが、やはり神様のお導きを求めているのです。しかし、何が神様の御心であるかわかりません。何か自分なりに生きているので、これが神様の御心であるとは思えないのです。歴史を読むと、人間の思いのままの姿で歴史が流れているようでもあります。塩野七生さんという人が「ローマ人の物語」書いていますので読みますと、単なるローマが次第に力をつけて、ヨーロッパの世界を支配してゆく。それは力のある者たちの思うままの姿でありました。そのローマインフラ整備の基であり、キリスト教の根源となり、あらゆる文化の基となるのでありますが、結局は人間の力により滅んでゆくのです。塩野さんはクリスチャンではありません。客観的キリスト教イスラム教の世界を示しながら「ローマ人の物語」を書いているのです。その「ローマ人の物語」の終わりの方で、結局「キリスト勝利」として書いているのです、このように書かれると、「神様の計画」がそこにあると思うのですが、その様に結論付けてしまうことには、やはり問題があるといえるでしょう。

 日本の歴史を見ましても戦国時代が長く続いています。日本の中でも、それぞれの地方に国々があるのですが、天下統一を目指すようになり、織田信長が現れ、天下統一を果たしていくのでありますが、その途上に殺されてしまい、豊臣秀吉徳川家康等の戦いがあり、徳川家康によって天下が統一され、徳川時代の300年の歴史が続くのです。その徳川の時代が終わり明治の時代になっていくのです。それぞれの時代において、自分の思い通りに人を殺していく展開は、天下を取るための手段ですが、歴史というものはその様に人間の思いのままに流れてきていると思うのです。そのような歴史を示されるとき、「神の計画」なんて、どこにも言えないような歴史なのです。しかし、私達は聖書を読む限り、人間的な歴史の流れのように思うのですが、そこに神様の計画があることを示されるのであります。自分が切り開いてきている人生と思いますが、神様のお導きがあって今の私であると示されなければならないのです。

 私は聖書からメッセージをいただくとき、まず旧約聖書を示されます。旧約聖書に神様の普遍的な御心が示されているのです。そして、新約聖書旧約聖書で示された神様の普遍的御心の展開、また証しとして示されるのであります。そういう意味で旧約聖書新約聖書礼拝で示されています、ところが今朝は旧約聖書の示しはありません。その代わりに使徒言行録が読まれています。本来、今朝の旧約聖書エステル記4章10節から5章8節までであります。それを割愛していますのは、今朝の使徒言行録は聖書の歴史を記しているからです。別の言葉で言えば、神様のご計画のままに歴史が導かれていることを記していますので、旧約聖書の全体的な証を示していることとして、旧約聖書の代わりに新約聖書使徒言行録から示されているのです。

 今朝はエステル記を読みませんでしたので、神様のご計画としての歴史として少し見ておきたいと思います。物語はペルシャの国に在住しているエステルという女性が、同朋のユダヤ人を救った物語であります。エステルは父と共にペルシャに住んでいましたが、父親が亡くなってしまいます。その後は甥のモルデガイの養女になります。ペルシャの王様クセルクセスはエステルを愛して王妃とします。王様に仕えるハマンという大臣は反ユダヤ主義であり、ユダヤ人を撲滅しようとしているのです。それを知ったエステルの養父モルデガイはエステルと共にハマンに対抗し、ついにハマンを追放することが出来たのでした。民族の救済者として聖書に入れられているのですが、ここでは神様のご計画があり、エステルが外国の王様の王妃になり、民族を救ったとされているのです。

 聖書の物語は神様のご計画として示されているということです。聖書の人々がエジプトで奴隷であり、その苦しみに対して、神様がモーセを通して救われたことは、旧約聖書の根本的な救いの物語です。そもそも聖書の人々がエジプトで暮らすことになったのは創世記に記されるヨセフ物語なのです。ヨセフヤコブの11番目の子供ですが、ヤコブは一人ヨセフのみを溺愛します。ヨセフは父の愛を独り占めにしているので、他の兄弟に憎まれているのです。たとえば、自分はこんな夢を見たといって話したことは、自分の麦束に対して、兄弟たちの麦束がお辞儀をしたというのでした。兄弟たちはヨセフが面白くなく、エジプトに行く商人に奴隷として売り飛ばしてしまうのです。ヨセフは夢を解く力があり、エジプトの王様が見た不思議な夢を解き明かしてあげるのでした。その解き明かしに満足した王様は、ヨセフを自分に次ぐ大臣としたのでした。全国的な飢饉となり、ヤコブ一族、すなわちヨセフを奴隷に売ってしまった兄弟たちが食料を買いに来るのです。最初は、ヨセフは自分を明かしませんでしたが、ついに自分がヨセフであることを兄弟たちに告げます。奴隷として売り飛ばした兄弟たちは、驚き恐れます。しかし、そのときヨセフは、自分が奴隷として売られたことは神様のご計画であったと兄弟たちに言うのでした。今の自分は、自分がこのようになっているのは神様のご計画である、これが旧約聖書のメッセージなのです。神様のご計画は、人々が神様の祝福をいただくためなのです。

 そこで旧約聖書の代わりとして示されている使徒言行録13章を示されましょう。今朝は13章13節からであります。パウロという使徒第一伝道旅行をしたというのが、この使徒言行録13章なのです。その伝道旅行でアンティオキアの町で伝道したことが今朝の聖書になっています。アンティオキアにはすでに教会があり、その教会でパウロは証をするのです。そのアンティオキア教会で、イエス様を信じる人々をクリスチャンと呼ばれるようになったとも言われています。ユダヤ人以外の異邦人の町ですが、エルサレムイエス様を信じる人々への迫害が起き、エルサレムから逃れてきた人々はアンティオキアで教会を造ったのであります。

 パウロはアンティオキア教会の人々に対して、神様のご計画をお話しているのです。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください」と言いつつ、神様のご計画を示すのです。神様がイスラエル民族を選んだこと、飢饉のゆえにエジプトに寄留することになったこと、奴隷の苦しみを経験したこと、その奴隷から救いだし神様の約束の土地へと導いたこと、外国の王国に対して聖書の人々にも王を与えたこと、結局はダビデ王が選ばれたこと、このダビデの子孫から救い主であるイエス・キリストが現れたこと、その救い主をバプテスマのヨハネが正しく救い主であると紹介したこと、今朝の聖書はそこまででありますが、神様の救いのご計画を順次示しているのです。旧約聖書は分厚い書物ですが、そこに記されていることは、パウロがアンティオキア教会に示した歴史の事柄、神様のご計画であるのです。一言でいえばここに記されている通りであります。それを細かく記しているのが旧約聖書であるということです。今に至る経過は神様のご計画にあるということです。神様が人々に祝福をお与えになるご計画なのです。

 使徒言行録は神様の救いのご計画が実現している事実を記しています。そして、バプテスマのヨハネの証をもって締めくくっています。ダビデの子孫として、神様のご計画のもとに救い主イエス・キリストが出現するにあたり、その救い主を予告しているのがヨハネなのです。「ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているようなものではない。その方は私の後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打もない。』」と言われたということで、神様のご計画の救いの順序を締めくくっているのであります。ここではヨハネが生涯を終えようとするとき、後から来られるイエス様のことを言われたと記されていますが、福音書ではヨハネが現れたときに、すでにイエス様を紹介しているのです。このことはマタイによる福音書にしても、マルコ、ルカ、ヨハネのそれぞれの福音書は、ヨハネが現れたときにイエス様を紹介しているのです。「生涯を終えようとする」との言い方は人生の晩年と考えてしまうのですが、ヨハネが比較的に早く殺されてしまうので、その様な表現になっているのでしょう。

 私達は福音書に登場するバプテスマのヨハネを理解する程度です。しかし、ヨーロッパの人々はヨハネを大切な人物として受け止めているのです。ヨーロッパの世界におけるキリスト教絵画には、ヨハネが大切に描かれています。だいたいイエス様の幼少時代の絵画には、常にヨハネが共に描かれているのです。イエス様に洗礼を授けるヨハネ絵画も大切な絵画になっています。ヨーロッパの町ではヨハネ守護神、中心的な信仰の対象としているところもあるのです。

 今朝の新約聖書はマルコによる福音書6章14節からでありますが。そのバプテスマのヨハネが殺されることが記されています。イエス様のお働きが人々の喜びとなり、そのうわさが知れ渡っていきます。人々はそのイエス様について、いろいろと評価しています。「洗礼者ヨハネが生き返った」とも言われます。その様に言われている訳として、ヨハネが殺される経緯を記しているのが今朝の聖書なのです。

 ヨハネは時の王様であるヘロデが、自分の兄弟フィリポの奥さんのヘロディアと結婚してしまうのです。ヨハネはその様な結婚を批判しました。だからヘロデはヨハネを捕えて牢屋にいれています。しかし、ヘロデ王は自分を批判したヨハネでありますが、ヨハネを正しい人であると信じていましたし、ヨハネの教えに耳を傾けていたのです。ヘロデはヨハネに対して好意的であったのですが、よからぬ結婚であると批判されたヘロデの妻になったヘロディアは面白くなかったのです。そういう彼女に好機が到来しました。ヘロデ王の誕生日に、ヘロディアの娘が踊りを披露したので、ヘロデを始めお客さんも喜びました。それでヘロデは褒美に何でもあげるというのです。娘は母親と相談し、母の思いであるヨハネの首を所望するのでした。こうしてヨハネが殺され、イエス様のうわさが広まったとき、ヘロデ王も「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言わざるを得なかったのであります。

 こうしてヨハネは殺されてしまいますが、聖書においてヨハネの存在は重要な位置づけがありました。神様の救いのご計画の一人であるということです。イエス・キリストが世に現れたとき、ヨハネの宣伝があったからこそ、人々が救い主イエス様として受け止めていくようになるのであります。ヨハネは単にイエス様を予告した人ではなく、神様の救いのご計画に必要な存在であったということなのです。イエス様をヨハネが生き返ったと思わせるほどの働きをしていたということです。その働きの、それ以上の救いのお働きをするイエス様の導入的存在であったということです。

 ヨハネをこのように示されるとき、私達もまたヨハネ的な存在として導かれているということです。神様の救いのご計画に与っているのです。神様の救いのご計画に私たちの存在がヨハネのように大切なのであります。ヨハネに御心が示されたように私達も御心が与えられ、救いのご計画の働きへと導かれているのです。このように自分という存在は神様のご計画の中にあると考えるとき、そこに予定論が示されてきます。若い頃、運命論、予定論について論じあったものです。自分はこのように運命なのだと思うこと、自分の人生はこのように予定されていると思うと、何か人生が空しくなるようでした。何をしても、これは予定されていることだと思ってしまうのです。神様のご計画の中にある自分を考えると、予定論が重なってしまうのです。若い時であれば、そこで虚しさを味わうのですが、今はその予定論をしっかりと受け止めているのです。神様は私達を祝福してくださる、永遠の生命へと導いてくださる、これが私達の原点です。その上で予定論、神様のご計画を示されるとすれば、今は最後ではないということです。私たちの原点への途上であるということなのです。失敗ばかりしていること、これが神様のご計画として結論付ける必要はないということです。今は苦しくても、悲しくても、つらくても、今は終わりの時ではないのです。私達の原点は神様の祝福であり、永遠の生命です。まだ途上であるのに、今の悲しみをもって、これが神様のご計画であったと結論づけてはならないのです。ヨハネが生涯の終わりに、自分は救い主を証する者と結論づけたことが大切なのであります。祝福の途上にある私達は、主の導きに委ねつつ歩まなければならないのであります。「あなたを祝福すると神様が」私達に示しておられると受け止めて歩みたいのであります。

<祈祷>

聖なる神様。神様の救いのご計画に私達を加えてくださり感謝致します。祝福をいただく途上にありますが、お導きに委ねます。キリストの御名によりお祈りします。アーメン

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